邂逅「えー、や……えー…?」
夜燕は困った。
しがないサラリーマンの青座夜燕は早く横になりたかった。夜燕は今日も今日とて忙しくし、働き尽くしてきた。ああ早く寝たい。
もうコンビニぐらいしか開いていない時間だったが、それもいつものことだった。
だが夜燕はあと一歩のところで帰宅が叶わない。
ドアの前に人が落ちてるせいだ。三度と外壁に取り付けられた部屋番号を見上げても、やはりそこは青座宅である。
家の前にもたれこんでいたのは、ぱっと見でもガタイのいいとにかくデカい男だった。そんな野郎の肩が丁度ドアを遮ってるせいで、無理矢理開けるわけにもいかない状況だった。
男をよく観察すればまだこの時期には暑そうなジャケットはボロっぽく汚いし、フードを深く被り俯いてるため顔は見えなかった。酔っ払いか浮浪者か。夜燕はうんざりしてため息を吐いた。
平素なら関わりたくないがそうも言ってられない。だってこの男が退いてくれない限りどうにもならないのだ。
「あのー。すみません、あの、」
反応はない。
仕方ないので夜燕は中腰になって男の肩を軽く叩こうとする。
「うぉ、」
がしかし、分厚い肩を揺らすより先に男の手がドンッと夜燕を突き飛ばしていた。夜燕は後ろによろめいてアパートの手摺りに腰を打った。
スーツのジャケットが弾みで引っ掛けていた腕からコンクリートの廊下へと落ちる。
「痛っ…てぇな…」
不意な痛みからの苛立ちも相まって、夜燕は些か柄悪く相手を睨みつける。
「……」
だが男はそれ以上に柄が悪かった。
ようやく上げられた顔は若そうに見えて、けれど無言の圧力はやたらと凄みがあった。フードから覗く双眸はボサボサで脱色したような白髪の隙間からでも異様に鋭く、しかもたぶん血濡れている。
これは不味い。
男は浮浪者でも酔っ払いでもなくゴロツキだ。夜燕はドキッとした。危険な不審者に対する自然な恐怖だ。
であればやはり平素の夜燕だったら目を逸らし、何でもなかったモブのようなフリをしてとっとと逃げているはずだった。
だが今はとても疲れていて限界で、アブナイ奴だとか知ったこっちゃなかった。夜燕はこの時、疲労から無敵の人と化していた。
夜燕は無謀に無敵なまま「退いてくれ。アンタがそこにいたんじゃ俺が帰られない」とつっけんどんに言い放った。
男は更にギロッと睨み上げてきたが夜燕が負けじと目を逸らさずにいると、その視線は男の方から呆気なく逸らされた。
顔が背けられる一瞬の間に見えた表情は、なんだかバツが悪そうで。叱られた犬の弱気な素振りに似てる気がした。
「…………」
男が立ち上がる。夜燕も少し身構える。
座っていても大柄だった彼は、立てばやはり長身だった。XYZ軸全てが並より勝り、長く厚く幅があり…とにかくデカい。夜燕だって一七五はあるのに、見上げるくらい身長差があった。そんな彼に殴られでもしたら、たぶんひとたまりもないだろう。
しかし切れかけの白灯で巨大な影を作る威圧的な男は、意外にも乱暴な振る舞いを取ることはなかった。
ただ黙ってフラフラと立ち去り、場所を譲る。貧血じみた足取りだった。
彼がそうやって粗野な風貌に似合わず静かに退けるもんだから、夜燕もそれ以上なにとも文句を言えなくなる。急にわいた理不尽な気まずさを誤魔化したくて、いつも通りの仕草で鍵を開けてこの場から逃げようとした。
引き開けたドアがギィイと一番うるさい。
その間にも男はよたつきながら、夜燕が来た道をなぞるようにゆっくり去っていく。
ついその後ろ姿に見入ってしまったが夜燕は慌てて目を落としながら玄関に入った。
だが入りながら閉まるドアの隙間から、男の足が引きずられるところと。その後に点々と黒色が残っていくのを夜燕はバッチリ目撃してしまったのだ。
玄関先でノブに後ろ手をかけたまま夜燕ははたと固まり、草臥れた頭は逡巡する。
考えて、結局すぐに飛び出していた。
続…?