この世の果て #1声が、聞こえる。
自分を呼ぶ、懐かしい声。
夢だと思った。
ここにいると、意識を失わない限り、深くは眠れない。束の間の休息も、常に頭の一部は覚醒しながら、浅い夢を見ている。
夢でもいい、あいつの声が聞けるなら…。
「…イ。ダイーっ!」
はっとして顔を上げた。
夢じゃない。
確かに聞こえる…。
ふいに、漆黒の空間の一部が歪み、光の魔法陣が浮かんだ。
強力な磁場が生じたのがわかった。風が起こり、マントがはためく。ものすごい風圧を両手で避けながら、なんとか目を開ける。
「ーダイ!」
瞬間、
チャンネルが合ったかのように突然クリアな視界が開け、文字通り夢にまで見た顔がバンダナをはためかせて、こちらをみていた。
ー俺の魔法使い。
胸がいっぱいになる。見つめながら、光に向かって手を伸ばす。
「ポップ!」
ポップも必死で手を伸ばしてくる。
魔法陣の中央がわずかに波打ち空間が溶け合う。
あまりの風圧に目を開けていられない。
もう少しで、夢に手が届くのに。
「ダメだ持たない!」
ポップの顔が、空間が歪む。
声を枯らしてポップが叫ぶ。
「迎えに行く!」
「何年かかっても。この世の果てでも。必ず行くから…待ってろ!ダイ!」
「うん!…うん、ポップ!」
チャンネルが閉じ、光が消えた。
地上を救った勇者が空に消えて2年、世界中をそれこそ地の果てまで探し回っても、ダイは見つからなかった。
あらゆる情報を集め、世界中の伝説や神話を紐解き、メルルやナバラといった力ある占い師の協力を仰ぎ…持てる知識を総動員した結果。
「ダイは魔界にいる」
確信したポップは、古文書や魔導書、あらゆる文献をあさり、迷宮に潜り、禁呪にまで手を出して(これは途中でマトリフに見つかり、破門だと脅され諦めたが)、1年かけて、ようやく魔界の結界ををひらくことのできる魔法陣を完成させた。
魔法陣を描き、ロッドを中心に突き立て詠唱する。
ロッドの魔法石が輝き風が起こり、ポップのマントがふわりと浮き上がる。
空間が、ゆがんだ。
なるべく周囲が魔界の瘴気の影響を受けないようあらかじめ結界を張ってはいるが、魔法陣が開く瞬間は留めようがなく、一気に流れ込んでくる。
その中心にいる術者には避けようがない。
ポップは薄く破邪の力を身に纏い防御しているが、維持できるのはせいぜい10分といったところか。
無理をして血を吐いたこともある。
それ以来レオナがタイムキーパーを務め、魔法陣を維持する時間を厳しく制限されるようになった。
日を変えて何度か挑戦したが、その度にポップは大きく消耗し、その後数日起き上がれないほどであった。
ーー数打ちゃ当たるじゃ駄目だ。
ポイントを絞らないと。
そもそもダイのいる場所は、メルルの占いである程度の目星はつけていたが、魔界は広い。
まずはメルルの感知の精度を上げるのに、1年を要した。
メルルは「ダイさんを助けたい」と、自ら修行を申し出た。それにポップが憔悴していくのも黙って見てはいられなかった。
メルルはナバラと共にテランの神殿で一心不乱に祈り、瞑想し、果たして成果を得た。ダイの正確な位置を感知し、水晶玉を使わずとも、遠視により遠く離れた場所の景色を眼前に見ることができるようになっていた。
それが魔界であっても。
だが、ポップらは魔界の地図を持たない。
考えた末、ポップはメルルと精神感応でつながり、ダイのいる場所のイメージを直接得て、ルーラを使うことを思いついた。
魔法陣を維持しながら意識を集中させてテレパシーでイメージを受け止め、さらに別の呪文を発動させるのは、並大抵のことではない。
稀代の大魔導士にとっても、それはとてつもない大仕事であったが、ポップは成し遂げた。
そして、ついに魔界にいるダイとの再会を果たしたのであった。
しかし、ダイに手が届く前に魔法陣は力を失ってしまった。
再度挑戦しても、同じことになる可能性が高い。
メルルによると、ダイは魔界の一定のエリアの中を短い周期で移動しているようだ。
ポップは作戦を変えた。まずダイのいるポイントの近くに魔法陣を設定し、魔界でも然程制限なく活動できると思われる、ラーハルトとクロコダインが降りる。
ダイを見つけ次第、魔法陣のポイントへ戻る。
魔法陣はすぐに啓けるよう、緩い結界を張りながら、常にロッドに魔法力を供給しておくことにした。
本当はポップが直接探しに行きたいが、この方法が一番効率が良い。
そもそも人間の血が入っているとはいえ、三界の調停者たる竜の騎士であるダイが戻って来られないのは、出口が分からないのもあるだろうが、何かに足止めをくらっている可能性も高いのだ。
ポップの体力や、空間を構成する要素、精霊の状態と魔界の圧などを考えると、ポップの計算では魔法陣は持って1年。
「ラーハルト、おっさん、頼むぜ」
「ああ、任せておけ」
「ダイ様は必ず連れ帰る」
こうして2人が魔界に降りて、そろそろ1年になろうという頃。
魔法陣に変化が現れた。
光と闇が同時に溢れ出し、空間が歪む。
ポップはハッとした。
思ったより魔界の圧が強く、魔法陣を構成していた契約が緩み、崩れかけている。
ポップはありったけの魔法力を込める。
「くそっ…持ってくれ!」
その時、記憶の中より幾分低く、だが懐かしい響きを持つ声がした。
「退いて!」
青い閃光とともに、凄まじい衝撃が魔法陣を破壊した。
これは。
ドルオーラ…?!
衝撃が去り、視界が戻る。
そこには。
懐かしい、太陽の勇者の姿があった。
後ろにはラーハルトとクロコダインも見える。
「ごめん!大丈夫?」
ダイは不恰好にも尻餅を付いているポップを、上から覗きこんでいる。
ポップは目を見開き、開いた口が塞がらない。
ドルオーラで、閉じかけた空間を無理矢理こじ開けたのか。
「バッ…ばっかやろー!なんつう」
そこまで言ってポップは声を詰まらせた。
「ダイ…」
ダイは照れたような、バツの悪いような顔でヘヘッと笑う。
背が伸びて、身体の線はあの頃より数倍がっしりとして逞しい。顔つきも子供らしさが消え、青年の精悍さを纏っていたが、くりくりとした目と真っ直ぐな眼差しはそのままだ。
ポップは近寄り、おずおずと手を伸ばす。
頬の十字傷を撫でる。
「〜〜っ」
ポップは声にならない声をあげ、溢れる涙を拭おうともせず、がばっと抱きついた。
ダイもポップの背中に手を回し力を込める。
ポップの頭は、今やダイの肩の位置にある。
なんだか変な感じだ。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をあげて、ポップはずっと言いたかった言葉をようやく口にした。
「おかえり…ダイ」
「ただいま…ポップ」
目を合わせ、どちらからともなく笑い合う。
「ちょっと2人の世界じゃない〜?」
それまで黙って見ていたレオナが、2人を睨みながら抗議の声をあげた。が、その目にはやはり涙が浮かんでいる。
「レオナ…お待たせ…」
「もう…待ちくたびれたわよ!」
勇者と姫は抱擁を交わした。
大切なものを守るために太陽の子が地上を去ってから、再びその土を踏むまで、実に5年の月日が流れていた。