化粧水「桐生よぉ、これからは男だって肌に気を使わなきゃいけねぇ時代がくるぜ?」
風呂から上がってくるなり、桐生に話しかけてくる錦に対して、桐生は目線だけを錦に投げた。
錦は男にしては長めの髪をタオルでガシガシと拭きながら桐生の元までくると、桐生が飲んでいた缶ビールの隣にトン、と音を立ててプラスチックの瓶のような物を置いた。
「なんだこれ?」
「化粧水だよ、桐生。これをつけると肌がカサカサしなくなるし、剃り負けもしなくなるんだよ。肌荒れしなくて良くなって、女にも褒められるしよぉ、良いこと尽くしだからお前もやれよ!」
さながら通信販売のごとく、良いところをペラペラと羅列する錦を、桐生はフンと一瞥して、流行りの歌を順番に流すテレビに視線を戻した。
「興味ねぇ」
「言うと思ったぜ」
呆れは半分といったところだろうか。桐生が外見にあまり気を使わないのは今に始まったことじゃない。それは幼い頃からずっと一緒にいる錦が一番わかっていることだった。
部屋主よりも先にシャワーを浴び、テレビを見ながらゆっくりとビールを飲む桐生は、テレビを楽しんでいるのではなく、この空間を楽しんでいるようだった。
兄貴分のシノギの手伝いも終わり、誰からの呼び出しもない、派手でもないつまらない時間だが、桐生はそれが好きなようだ。
錦も、自分と桐生の二人きりのこの時間が割りと好きだった。無愛想な桐生が、自分といるときは気を抜いていることは、信頼と絆を感じられる。
机の上に鏡を置いて、錦は化粧水を手に取り顔へなじませた。
最初は面倒くさかったこの手入れも、最近は嫌いじゃない。さっき述べたメリットは事実だし、何より肌が綺麗だと女が面白がって触ってくるからスキンシップのきっかけにもなるし、見た目に気が使える男はウケが良い。
「……女みてぇ」
ふと目線を鏡からずらせば、怪訝そうな目線が化粧水をつける錦を凝視していた。
「うるせぇなぁ、良いじゃねぇか。使ってみたかったんだよ」
「? 風呂場ん所に沢山あったやつだろ?お前の女のやつか?」
「ばっか、あれは俺のだよ。それでこれも俺の。今使ったこれはな、良く行く店のキャバ嬢からよ、もらったんだよ。『プレゼント』ってさ。俺の誕生日も、化粧水使ってるってのも覚えててくれたんだよ」
「ほぉ、良かったじゃねぇか」
「こういうの、使っちゃいるけど、正直俺だってめちゃめちゃ詳しい訳じゃねぇからさ。これは、デパートで売ってる良いやつで、その辺の店で売ってるやつなんかよりもよっぽど良いんだってさ」
「そうか……俺には良くわからんな」
桐生は飲んでいたビールを机に置き、蓋の開いた瓶の口に鼻を近づけた。
ヒクヒクと匂いをかいだ後、「女みてぇな匂いがする」と少しだけ眉を寄せた。
「ハハハ、ほんと、お前ってそういうやつだよな」
「どういうやつだよ」
むっとした桐生の問いに答えず、錦は再び化粧水へと手を伸ばした。
掌に数滴出し、両手を合わせて掌に広げる。
ニヤリと目と口が悪い笑みへと弧を描くのもつかの間、錦は両手を伸ばして桐生の頬を掌で包み込んだ。
「っ、おい、何しやがる!」
驚いた桐生は仰け反り、両手を後ろについたものだから、錦の手を除ける手段が無い。
錦は両手に力を入れ、桐生の肉の無くて触り心地の悪い頬に掌を密着させた。
若干伸びている髭がチクチクと肌を刺す。
酒で上気した肌はほんのりと熱く、風呂上がりの錦の熱と合わさって化粧水が肌へとじんわり広がり馴染んでいく。
「お前、髭痛ぇよ。風呂で剃んなかったのか?」
「朝剃るから良いんだよ。ベタベタすんな、気持ち悪ぃ、おい、離せ、よ、っ」
桐生に肩を押された錦は、それでも上機嫌だ。
「で、どうよ? 初めてつけた感想は?」
錦に言われ、桐生は恐る恐る掌で自分の頬に触れる。眉を潜めた後、服の肩口へと頬をなすりつけた。
「……ペタペタして、なんか変だ」
「ハハハ……やっぱり、お前ってそういうやつだよ」
もっと身なりに気を遣えば良いのに、そう思う反面、桐生の無骨で男らしいところが錦は気に入っていた。
錦は化粧水に蓋をして、桐生が用意していた、新しい缶ビールの蓋に指をかけた。