魔王の教室参ったな、と、井浦慶は大勢の前ではめったに歪めない顔をわずかにしかめて首を傾けた。
目の前で必死の表情で、頭まで下げながら手紙を差し出すクラスメイト。彼女のことはよく知っている。たしか引退まではチア部に所属していて、今風の華やかな見た目に反して体育会系社会にきっちり揉まれた上でレギュラーに勝ち上がったしっかり者。
そんな彼女が頭を下げているという事実を無下にはできない。まさか、という気持ちが真っ先によぎり、それから、部のため身のためとはいえ外面を作りすぎたことを少し後悔した。
だが、後悔しても遅い。井浦の返事は変えられない。変える気もない。
「申し訳ないんだけど、今は部活のことでいっぱいで」
そんな、と、持って生まれた華やかさのある表情が曇る。追い打ちを書けるように
「俺なんかより、いい人がいるよ」
と続けたが、彼女は頑なに首を振った。
「無理よ、そんなの。ありえない。井浦くんしか考えられないの」
「でも……」
言いよどんだ所で、視線を感じる。ハッと振り向くと、そこには、部活バッグを下げた王城が不安そうにこちらを見ていた。
「正人! 違うんだ、これは」
「お願い、井浦くん! 部活の次でいい、ううん、井浦くんなら部活の次の次だっていい!」
華奢だがしっかりとした手が井浦を掴んだ。とっさに振り払えなかったのは、彼女より、旧友のーーー王城の視線が、気になったからだ。
「慶……」
王城のかさついた唇が戦慄く。畜生、と叫びたい気持ちを井浦は抑え込んだ。能京を選んだのはカバディのため、王城と日本一のチームを作るためだ。すべての時間を二人と二人の夢のために使うと決めているのに。
「お願い、井浦くん、お願いだから……」
「……そうだよ、慶。そんなにお願いしてるんだから……」
ああ、と、井浦はため息を付いた。
知られてしまった。王城にだけは、知られたくなかったのに。王城は幼なじみで、同じ夢を追う親友で、そして……
「引き受けてあげなよ、文化祭委員!」
根っからの、お人好しだ。
「部活なら大丈夫だよ! みんなそれぞれの練習すごくがんばってる!」
「ほんっっっっとお願い!!今年の出し物、井浦くんのコンペ資料じゃなきゃ絶対勝てないから!!」
あーーーーーーーめんどくせえ!!!ただでさえ手の掛かる後輩の多い部活なんだ!絶対お断りだ!!!
そう叫びたい気持ちを抑えて、井浦は外面よく笑いかける。
「何もお化け屋敷じゃなくてもいいんじゃないか。屋台とか、喫茶店とか」
「屋台は一年生が中心だし、喫茶店は二年の時に女装喫茶やったじゃん! お化け屋敷は一番人気だから、コンペで勝たないとやれないの、知ってるでしょ!!」
そう言って代表者説明会の手紙を押しつけてくる元チア部と、それから。
「そうだよ慶! 慶なら絶対勝てるよ!」
キラキラとした眼差しでこちらを見つめる、旧友。てめーーも部活で忙しい仲間じゃねえかという言葉をぐっと飲み込んで、でも王城にはあとでキッチリ仕返しはしてやると心に決めて、井浦はがっくりと頭を垂れた。
「はぁ……なら部活優先で、いいなら」
「やったあ! 井浦くんなら引き受けてくれると信じてた!」
チョーーーー助かる!!とチア部らしい跳躍までみせた彼女は、井浦が手紙をうけとるなり「それじゃ、初回の打ち合わせ明後日なんでそれまでに計画書ヨロシクネ!」なんて勝手なことを言って駆けていった。ふざけんな、という言葉が表情には出てたらしい。ひょいとこちらを覗き込んだ王城が「慶、すごい顔してるよ」と笑っている。
「手前ェ、他人事だと思って……」
「ん?」
カバディが絡むととたん魔王だなんて呼ばれる風格を出すくせに、こんな時はまるで無垢な高校生面をしやがる幼なじみにどんな仕返しをしてやろうかと賢い頭が考える。
と。
「ふーん、魔王……」
「け、慶?」
にんまりと口角を上げた井浦をみるなり、勘のいい彼の幼なじみは二歩、三歩とあとずさる。
「そ、それじゃ僕、先に部活に」
「まーーーさとクーーーン」
カバディじゃだれにも負けない男も、よーいドンの勝負には弱い。王城が走り出す前に、井浦がバッグの紐を掴んだ。
「お化け屋敷コンペ、俺なら勝てるって言ってたよな?」
「い、言ったけど……」
先ほどまでの戸惑いも後悔も、井浦の頭の中からはとうにデリートされていた。そんなものは役に立たない。役に立つのは、常に思考する頭だ。
「まあそうだろうな。勝つのは当然だ。だから、俺とお前で、サイコーのお化け屋敷をつくろうな?」
「えっ、僕? ええっ?」
こうして井浦慶の提出したお化け屋敷企画書「魔王の教室」は、無事ライバルたちを圧倒し採用となった。それには王城が実際にレイドしている姿を見せたことも少なからず功績として上げられるというが……
「カバディ部のみんなも楽しんでくれるかなあ」
お化け姿できょろきょろする王城に、井浦はクハハと笑いかけた。今日は笑うと牙が光る。
「あいつらが一番、楽しいに決まってるぜ」