いじらしい相棒 ぱちり。空色の瞳が見開かれて次の瞬間、周囲を見渡した。随分深く寝入っていた。ということは、外ではない。自室でもないが、慣れた内装。シンプルで落ち着いた内装の単身者用の部屋。の、中に、奇妙に枝を伸ばす盆栽を発見して納得する。日日日蒼の相棒──暁蕾の家である。
「参ったな、記憶がない。しかし俺の帰巣本能も捨てたモンじゃないな」
「グッドモーニング相棒。ちなみに今は20時だし、お前は信じられないほど汚れたまま私のベッドを占領していたよ。丸一日ね。風呂入ってくれる?シーツ洗うから」
「相棒!どうして俺はここに?」
「君の靴は君より賢いらしいね」
「そりゃあそうさ。忍具のひとつだ」
「そうかい、粗雑な扱いに耐えかねたってとこか?片方家出してるぜ」
ばさりとシーツごとベッドから引っぺがされる。別に潔癖症でもなかったはずだが、妙にご機嫌ナナメだ。こういうときは刺激しないに限るので、そそくさと風呂へと引っ込んだ。適温の湯が張ってあるあたりが甲斐甲斐しい。どうせ上がったらビールもつまみも用意されているので、事情はそこで酒の肴にすればいい。
服を脱いでみれば、脇腹に覚えのない深手。まったく、何に襲われたっていうんだか。
◆
「クスリ?」
「だそうだよ。うちに飛び込んできたと同時に、君が寝落ちる直前、ギリ零した一言」
「そりゃまた……ヤクキメて記憶飛ばしたって?俺が。まあなくはないか」
「なくはないから困ったね。とりあえず相棒が一人で請けてた仕事洗ったけど、お前はまたご令嬢誑かしてまァ……」
「嫉妬か?」
「まったくだよ。身体がいくつあっても足りないな」
呆れた様子すらない男はタブレットを回して寄越す。日日日からすれば、そもそも一人仕事を受けていた記憶すらろくにない。画面の中には財閥の一人娘の姿がある。二十代半ばほどの気の強そうな美人だ。悪くない。確かにちょっと美味しい思いをしてもいいかもな、といった感じの……。
そこまでの感想を抱いたところで、ようやく溜息の音がした。
「その抱いてもいいかな、のラインの女がお前に薬盛った第一容疑者」
「わお、さすが。俺の趣味がよくわかってる」
「相棒を釣るなら女か酒って相場が決まってんだ」
風呂上がりの冷たいビールの泡に口を突っ込んだところだったので、違いない、と返すまでにタイムラグがあった。ジョッキと逆の手は鶏つくねをつついているので尚更。
「うまい。さすが」
「食ってから言え」
追加の皿には厚揚げでできた麻婆豆腐が乗っている。さすが!そうして正面に腰掛け、ビールもあおらずにちみちみとナッツを食んでいる家主はとっくに食事を済ませたあとらしかった──年の割には健啖家であるので、まさかこれだけで済むはずはない。日日日ほどではないが──ところで今日のディナーメニューはなんだったんだ、と問えば、鍋。とだけ返ってきた。それこそ俺がいる時にするべきメニューだろ。あ、もしかしたら元々その予定で?そりゃ忘れちまって悪いことしたな、と言ったら、随分殊勝じゃないか。と返される。
「一人だから鍋だったんだよ」
客がいない時は自炊の手を抜くタイプらしい。知らなかったな。なんせ日日日がいる日の食卓には一汁三菜並ぶし、勝手にビールがジョッキで出てくるし、デザート代わりにつまみも並ぶので。ウソ、もしかしてこの男、甲斐甲斐しいのか?割と衝撃の事実だ。依頼取りと報酬の折衝と情報収集と確定申告は確かに相棒の仕事なんだが。
◆
結局シンプルに暴力で解決するのが一番早い。なにって、解毒剤の類いを手に入れる場合の話だ。日日日の請けていた依頼自体は至極単純、とある財閥の血族を全部消せ、と。これだけだ。実際、日日日蒼は大層仕事のできるオンナであるので、正々堂々裏から忍び込んでバッチリご令嬢以外を暗殺している。忍者たるもの当然のことだ。
行方の知れなくなった親戚がいれば、当然警備も厳戒態勢。お屋敷には屈強なボディガードが詰めている。警備システムはあとからアナログに記録機器を破壊予定。そんな大雑把な作戦を立てたのは、ひとえに日日日に盛られたお薬の効能が不明なせいである。
……せいであった。
すなわち。お屋敷についた途端昏倒して連れ去られていった相棒に、今回、いよいよ、ちっとも楽しくなさそうに溜息を吐く男が一人。警棒を握って駆け寄る男に銃口を向ける。激しい銃撃の音が屋敷の中に響き渡る。道をあけろ、とか、命乞いをしろ、とかそんな愉快な口上のひとつもなく、日中綺麗に磨き抜かれただろう床面を血飛沫で濡らして歩く。シャンデリアは粉々に落ち、壁紙は跡形もなく、呼吸音は男のものひとつ。
「一番深いのは刺し傷だったな。そこそこの刃渡りのナイフ。何度か無理矢理押し込んだような形跡」
警報が鳴り響いている。奥から泡を食った顔の執事がやってくる。無防備に、素人が、のこのこと。次の瞬間には眼鏡が宙を──眼鏡だったガラス片と、脳漿。ばつんと飛び、高そうな絵画にひっかかった。査定額はいくらマイナスになるだろう。こちらの稼業としては、ちょうどいい具合に箔がつくかもしれない。人食い絵画。いや、さすがに増えすぎたな、人を食う系は。もっとなにか面白い案がないだろうか。
「記憶の混濁。睡眠薬、抗不安剤あたりでたまに聞くが、それにしたって都合良く飛んでいた」
果たしてどこまで狙った効果か。ひょいと覗き込んだ部屋は厨房のようだった。こんな夜半に、お嬢様から夜食を強請られたのだろうか、メイドが一人、蹲って怯えている。水差しが地面に落ちて割れた。まさか、良いところのお嬢様はこんな時間に夜食なんか食べないらしい。息絶えたメイドの顎を掴んで持ち上げる。唇でも落とすみたいだったが、そんな情のある男はここにはいない。
「相棒は──食うな。毒でも食う」
なんせヤツはとびきりの女たらしだ。
◆
「目が覚めたら見知らぬベッドの上、なんていうのは連日やることじゃない。なんでってそりゃ、勿体ないからさ。記憶がトぶほど熱い夜を過ごしたってのに、艶めかしい肢体のひとつも脳みそに刻めないのがね。で?俺をここまでエスコートしといて、肝心のお姫様に会えないなんて言わないだろ?」
「お前はここで死ぬ」
「傑作だ!せめて目の前に鏡を置いてくれ。会話の仕方を教えてやるからさ」
「チッ……だから轡でも噛ませておけと言ったんだ」
「弱ったな。ジョークは解説しない主義なんだが。鏡の中の俺の方がまだ、まともに会話が成立するって言ったんだぜ、ナイスガイ」
轡以前に縄抜けくらいは当然できるので、するりと抜け出して懐からクナイを抜き放った。男の服の裾が縫い付けられたのを確認し、蹴り、一閃。顎に入った。こりゃ暫くは起きないとクナイを回収した。この一本しか残っていない。ナイフも、手榴弾も、その他忍者道具諸々!
「秘伝の書が読み解かれていなきゃいいが」
とんでもない達筆だが、日本人たるもの読めるやつには読めるだろう。きっと、おそらく。
雑に暴れるには少々心許ない装備をして、やけに手薄な警備の中を足音を潜めて歩く。やけに派手なパーティの音がするのは、どう考えても暴れている男がいるからだ。
吹き抜けに目を留める。無限湧きする警備員に囲まれた相棒の姿。そろそろリロードの隙がありそうだ、と、颯爽と飛び降りてやるとする。
◆
踵落としで登場のスーパーヒーローは、自由気ままに人の肩を支えにして着地した。よ、と軽い調子で告げられたその身体に拘束痕のほか外傷はない。
「ところで相棒。武器は?」
「今頃ベッドだ」
「あーあ、昨晩お熱かったせいで」
「鳴かせすぎてご機嫌取りがね」
「土産でも買って帰るといい」
三節棍をぱき、と音を立ててバラす。ノールックで投げよこされた棒切れを日日日は受け取るや否や人の波に飛び込んだ。
「さあ──寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!」
追加のもう一本、投げ込まれた棍が黒服の脳天を揺らし、跳ね返ったところを受け止め薙ぐ。力任せに腹を叩かれ、輪が崩れた。両手に慣れない得物を持って踊る女に口笛を鳴らした。さすが、こうでなくっては。長い金髪は人波を縫うように風に靡き、均整の取れた肢体と器用な手先が一瞬にして人の命を奪う。美しい女だった。それ以上に、突拍子もない人間だった。加えて、口を開けばしょうもない軽口が飛び交うのだから、文句のひとつもない。
横目に階段を駆け上がる。一瞬、トイレか?と聞こえた気がした。野暮だな。
「あのよさがわからないのだから、あなたはセンスがないと言うんだ」
ハーイ、レディ。幕をめくる。VIP席に座す今宵の女王様。名もない令嬢。どこの馬の骨とも知れぬ美しい女に誑かされた憐れな子羊。吹き抜けの下をつまらなそうに眺める深窓の生き物。
「今からでも私にしておくというのは?」
「願い下げよ、詐欺師」
「そんなあ!幸せにしてさしあげるのに」
「地獄に堕ちろ」
「ああ。これは相棒の好みの女だ。銃を向けられているのにこんだけ口がきけるんじゃあなァ」
「人目見て、あの人だと思ったわ。一晩。たった一晩よ。思い出をくださいなと言っただけじゃない」
「一晩も覚えていてもらえなかったようだけど」
「ちょっと張り切ってしまったの」
「薬も過ぎれば毒だよ」
「毒であればよいと願ったもの!」
私の隣で!ずっと眠っていただけたらよかったんだわ!あのひとの夜が欲しいの!
怒りとも歓びともつかない顔で歌い上げた女。その背後、その部屋。夥しい数の薬品、ガラスのケース。マッドサイエンティストのような部屋は、レースのカーテンで隔てられた先に広がるそこは、大きなドールハウスだった。眠っている。人が、眠っている。美しい金髪をした人間が。お薬の出所はオリジナルブレンドか。時間差でもう一度効果が出るのは使いようによってはウマいが、どっかに売るにも。興味の出なさが勝る。
「お人形さん遊びね。それならなんだって刃物傷を?」
「武器を抜いて見せて欲しいとねだったの。あのひと、許してくれたわ」
「あァそりゃ相棒の自業自得だ。参ったな。この部屋に妙な薬さえ焚いてなければいっぺん海くらいには投げてよかった。なんだいこれ、錯乱剤?」
「気持ちよくなるお薬」
「誘ってる?」
「あの美しい人をね。お前じゃない」
まったく。ヤツの怪我はほぼ自傷らしい。すなわちこうだ、脳をバグらせるお薬びたりの部屋で、いい女に誘われて睡眠薬入りの飲み物をあおって、正気を保つために脇腹の肉を抉った。バカ野郎にもほどがある!おそらくもってその状態で窓をぶち破って暁の家まで帰宅しているのだ。帰巣本能ひとつだけで!野生にも程というものがあるだろう。口角が上がる。
「ありがとう。よくわかったよ。じゃあね」
瞬間、女は手に馴染まない大振りのナイフをこちらへ突き出した。血液がこびりついて乾ききっている。まっすぐ突き出されたそれを、ひょいと交わす。やれやれ。昨日の相棒はどうやら、シンデレラだったらしい。細腕を掴む。組み伏せる。もがく女を片腕で地面に捩じ伏せた。
あれを口のきけない人形にしようというのだから、致命的に趣味が合わない。
連射音。
「つまらない女にしてくれるなよ」
お前みたいな。
綺麗な顔をして、綺麗な服を着て、綺麗な血をしたお嬢さんだった。それもこうして、首に値札を付けられてしまえば、行き着くところは肉の塊。報告用に写真を撮る。扉の外、吹き抜けの下。棒きれ二本で数十人を殺す女を見下ろした。
「終わったよ~。今日の飯は何がいい?」
「お。ご機嫌が戻ってる。じゃあコロッケ」
私の機嫌を見て揚げ物を要求するいじらしさがあるのは珍しい。思わず笑った。