今夜はミルフィーユ やっと終わった。
長かった撮影がようやくアップを迎え、君島は凍える身体を縮こませながらエレベーターに乗り込んだ。自宅までは車移動だとはいえ、駐車場からのたった数分にも満たない距離であっという間に体温が奪われてしまう。つい先週までは半袖でも良いくらいだったというのに、急激な気温の変化に疲労も相まって気が滅入りそうだった。
やっとのことで玄関に辿り着くと、何やらダイニングのほうから良い匂いが漂ってきた。そうだ、今日は彼が家に来ているのだった。
「おかえり」
「……ただいま、帰りました」
長い髪を一纏めに結い、黒無地のシンプルなエプロンを着けた遠野は視線だけをちらりと向けると、また手元に目を落とす。久々に見る顔は何も変わっていないはずなのに、どうしてか少し滲んでいるのはきっとあたたかい湯気のせいだ。
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