本編後イメージのネとヨの短文(notカップリング)「今日は卒業旅行の帰りなんだ」
夕方を過ぎ、一層人の気配が無くなった路地裏のグラフィティ前。
ネクはグラフィティを見上げそう言葉にすると、身体を反転し寄りかかった。そしてお土産用にと購入したお菓子の箱を手提げから出すと、包装を解きゴミを袋に入れて、お菓子を口に含む。
旅行先で行ったテーマパークのキャラクターを模したチョコレートマドレーヌ。ほろ苦い味がちょうど良い。ネクは思う。
「行きの電車からは海が見えたんだ。晴れてたから水面が輝いて綺麗だった。お前は海に行ったことはあるんだっけ?」
話し掛けるネクに、答えは返ってこない。
それもそうだろうな。分かっていたことだったので、ネクはそのまま一人でしゃべり続ける。
「お前ってさ、渋谷から出れたりするのか?」
ネクが思い浮かべるのは一人の青年の姿だ。薄い色素を持った髪の、住む次元が違う青年の姿。
「もし出れるなら、一緒に海に行きたいなって思った。お前が海が嫌なら山でも良いな。キャンプ、なんてどうだ?あ~、でもお前海も山もなんかイメージにあわないな。美術館とか、博物館のほうがお前っぽい」
絵を鑑賞する彼を想像し、本当に似合うなとネクは一人で納得した。
「友達がさ、今日クラスの女の子に告白するんだって張り切っててさ、」
行ったテーマパークでの楽しかったこと、驚いたこと、ちょっと困ったことなど、ネクはお土産を食べながら、そのまま一人で話しかけていく。たまに通り過ぎる通行人に不思議がられる時は少し恥ずかしくもあるけど、ネクは彼にお土産を渡したかったので、続けた。
ここ数ヶ月、ネクが渋谷から出て帰ってきた時のお決まりの行動だった。
とはいえいつも、彼には会えないが。もしかしたら居るのかもしれないが、ネクにはもう彼を見ることは出来ない。今日も、そのはずだった。
「ネクくん、1人で何やってるの?」
聞き覚えのある声に驚いて、期待をしながら声のした方向に顔を向ける。でも思い描いていた彼は居なく、空耳かとネクは再び前を向く。
「ネクくん、無視しないでくれる?」
下からネクの顔を覗き込む、15ほどの少年の姿に、ネクは驚き声を上げた。
「え、あ、ヨシュアか!?」
見覚えのあるその姿。けれども最後に見た姿よりも小さい風貌に、驚きを隠せない。
そうか、だから先程も気付かなかったのか。
「ああ、これ、こっちの方が楽なんだよね」
今変えるね、と彼ーーヨシュアが言葉にすると、自分と同じくらいの青年が目の前に立っていた。
次元の違いを、ネクは目の当たりにする。
「で、ネクくん。1人でどうしたの? こんな所で1人は危ないよ」
現にきみ、ここで何度かひどい目にあったでしょう? なんてヨシュアが続けるが、そのうちの何回かはヨシュアなんだよなあとネクは少し遠い目をした。
「お前にお土産を持ってきたんだ」
何個かは食べたけどーーネクはテーマパークのお土産のお菓子の箱をヨシュアに突き出す。
「へえ……千葉の方まで行ったんだ。ビイト達と?」
「違う。学校の卒業旅行だ」
「ふうん、楽しかった?」
ヨシュアが個包装を開け、マドレーヌを口にする。綻んだ口元に、ネクは安堵した。
「ああ、楽しかった」
この様子だと本当に今この辺を通りかかったんだなあとネクは思いながら答えると、ヨシュアが幸せそうな笑みを見せた。
「ふふ、良かったね」
見たことも無い笑顔にネクが驚いていると、ヨシュアはいつもの調子でネクを見る。
「でももうお土産はいらないよ。きみはもう僕を気にしなくて良いからね」
突き放された言葉に、ネクは最初何を言われたのか分からなかった。
「きみは、ちゃんときみの人生を歩かないと。そのためにはUGの事は忘れた方が良いよ。また厄介な事に巻き込まれるの、嫌でしょ? こちら側に近付くと、巻き込まれやすくなる」
確かに巻き込まれるのはもう懲り懲りだけどーー。
「もちろん僕の方で渋谷はちゃんと見守るし、ネクくんがまた巻き込まれないように監視もするから」
「何なんだよ、ソレ」
「……今まで巻き込んで、ごめん」
ヨシュアから謝罪の言葉を聞くとは思っていなかったネクは、ショックを隠せない。
今更欲しいのは、そんな言葉じゃなかった。
「今度こそちゃんと護るから……きみは安心してRGで暮らしてね」
それが自分勝手に巻き込んでしまった、せめてもの償いとでも言うように、ヨシュアは告げる。頭を撫でられた手の温もりが優しくて、ネクの胸が痛くなる。
RGに帰っても友達でいられるなんて、ただの理想でしかなかったのだと思わされた。
「忘れなきゃだめだよ、ネクくん」
ネクの足元に水滴が落ちていく。
「嫌だ」
「……まあでも、流石に全部を忘れるのは難しいよねえ。そしたら気にしないようにしようか。UGのこと、全部」
「それも嫌だ」
「……悲しませたくない人がいるんでしょう?」
ズルい。ネクは泣いたままの目でヨシュアを睨み付ける。いつだって彼は、彼以外の誰かを盾にして、自分の選択肢を1つに絞るのだ。
「ここで切り捨てないと、また悲しむ事になるよ」
「お前は悲しくないんだな」
友達だと思うのは自分だけなのだろうか。友達に気にされなくても彼は悲しくないのだろうか。
「そうだね」
ーーヨシュアは肯定の言葉を返すと、静かに瞳を伏せた。
「俺は、悲しいよ。お前と一緒の景色を見れないのは、やっぱり悲しいし寂しい」
今からでもコンポーザー候補にでもなってやろうか。ネクは思うけれど、ヨシュアの言葉が引っかかり、勢いに任せることは出来ない。悲しませたくない人は沢山居るーー目の前の彼だってそうだ。
「僕は、ネクくんと一緒に居られないこと以上にネクくんが危険に晒されて消えちゃう方が、ずっと悲しいよ」
傍にいて、護れるのが一番楽だって思うけど。
ヨシュアの言葉に、コンポーザー候補への誘いの中に、ネクをそばで護りたいという理由が含まれていたのかとネクは気付く。
「でもネクくんの居場所はやっぱりRGだから……友達と一緒に居て楽しいって想えるきみが見れて本当に良かった、UGじゃ見れなかったから」
「ヨシュア、」
「バイバイ、ネクくん」
素直な言葉に返された、素直な言葉。
一緒に思い出を作りたいーーけれどもその感情は彼の別れの挨拶と一緒に無くなってしまう。もう二度と気にしないで良い……刷り込まれた言葉がネクの感情を冷静にさせる。
目の前には白い羽根が舞っていた。でもそれはもう、気にならなかった。
ヨシュアが路地裏を通ったのは偶然だった。
渋谷や渋谷付近で変わったことがないか常に気を配り、今のところどこもかしこも平常運転で、遠くから感じるネクの気配も問題なくてーーそれでもと念の為渋谷を見回っていたタイミングだった。路地裏ではグラフィティ自体にも強い力があり、悪い死神も天使も寄せ付けやすい。最後にこの場所も問題はないか見に行ったところだった。
しゃべり声が聞こえた。1人でしゃべる声。大丈夫だろうかと思い近付くと、聞き覚えのある声でーー気付いたら声をかけていた。
話が出来て、自分のことを少しでも気にかけていてくれたのは嬉しかった。けれどもここは悪いものも寄せ付けやすいーー正直ネクにはもうここに来てほしくはなかった。特に人気が無くなる夜なんて。
バイバイ。
本当はネクに力を使いたくなんてなかったが、こうでもしないと彼はまたここに来てしまうだろう。だからもう関わらないよう、自分を気にしなくていいとインプリントをした。
これでもう彼はここに来る頻度も減るだろう。特に夜は来ない。
貰ったお菓子のほろ苦さが、今の自分の感情に合っているんじゃないか。ヨシュアはそう思った。