ハンバーガーの話ヴェルゴは最初、幼い頃からの友人が猫を飼い始めたことに心中で苦言を呈していた。重要なのは、ドンキホーテ・ドフラミンゴの、綺麗なほうのツラではないほうもよく知っている彼が、拾われた野良猫の心配をしたわけではないということだ。
猫を目にし、サングラスの下でローと同じく顰め面をした彼は、紳士的な振る舞いに警戒と侮蔑を隠す。忠義の男は見事に「なかなか可愛いじゃないか、ドフィ」と言ってみせたのだ。
「急に呼び出してすまなかったな」
「いいんだ」
若者たちで混み合う駅前のハンバーガーショップは、サングラスをかけた男2人が向かい合うにはいささか手狭である。急な仕事の相談ついでに食事でも、と呼び出されたヴェルゴは、ひとつ返事で家を出た。ハンバーガーショップを指定してきたのは珍しくドフラミンゴだった。好物だし、何より断る理由がない。
「お前に会ってくると言ったら、コイツが自分も行くと言うから連れてきた。…腹が減ってただけみてェだが」
そう、てっきり2人きりだと思っていたのだ。他に、オニオンフライをケチャップまみれにして口に運んでいる生き物がいるとは思わなかった。
私服のドフラミンゴは、ハイブランドのスウェットパンツにTシャツとカーディガンを羽織っているだけというリラックスした格好にも関わらず、王と見まごうオーラと見目麗しさで周囲の目を惹いていた。それはいい、いつものことだ。しかし、
「だからアボカドはやめろって言ったろ。手がベトベトじゃねェか…食べるのヘタクソだな」
「分解して食べたら大丈夫なのに」
「行儀が悪ィし、それはもはやハンバーガーじゃねえ」
見るも無惨なアボカドバーガーを偉丈夫に組み立て直させて、笑いながら溜め息を吐かれている野良猫もまた、周囲の目を惹いているのだ。ヴェルゴの眉間に、人知れずむ、と皺が寄る。
仕事の話はとっくに済んでいた。今この時間は、猫がアボカドバーガーとオニオンフライが食べ終わるのを待っているだけ。ドフラミンゴはアイスコーヒーを飲んでいる。ストローを咥える唇はご機嫌だ。
ヴェルゴから言わせれば、ドフラミンゴが集める注目は、彼にとって全て利益をもたらすものであるべきなのだ。しかし、この野良猫のせいで集まる好奇の目は、彼にとって必ずしもよいとは思えない。元々女の趣味がいいとは──お世辞にも──思えないドフラミンゴだったが、それでもこんなハンバーガーショップでアボカドバーガーすら上手く食べられない女に手を出すことはなかった。というか、手を出す必要はないはずだ。
ヴェルゴはほとんど残っていないストロベリーシェイクを啜る。
「…相変わらず仲がいいんだな」
声のトーンはまろやかだ。紳士然とした振る舞いを完璧に身に付けている男の、精一杯の皮肉であったが、少なくとも猫には届かない。
ドフラミンゴは相棒の言葉にキョトンとしたが、すぐに愉快そうに顎を撫でた。
「まァな?お前の次くらいには、だが」
フフフ、と笑う目元は緩んでいる。サングラス越しにもはっきり笑顔がわかる距離だ。身体も心もすっかり大人になってしまったが、こうしてたまに幼い頃の表情を見せる友人を、ヴェルゴは命よりも大切だと思うことがある。
ところがその隣では、そんな男の横顔をじっと見つめていた猫が、口からボロリと玉ねぎを溢していた。まったく、躾がまるでなってないな。
しかし、ティッシュを取り出そうとするヴェルゴを尻目に、トレイに落ちたオニオンを、美しい指がひょいと拾って口に入れてしまう。ほぼ同時にドフラミンゴのスマホが鳴り出した。
「クソ、噂をすればだ。明日の件でワニ野郎から催促の電話だぜ、コリャ」
余程のことなのか、スマホ片手に店外へと出て行ってしまった友のせいで、ヴェルゴは猫と2人きりにされる。とりあえずティッシュを渡しておいた。
ギリギリ形を保っているアボカドバーガーを、無情にもフォークで上の層から順番に食べ始めた猫は、先程より何やら嬉しそうである。はむ、とエビを口に入れた猫は、ヴェルゴを見つめてニコォと笑って言った。
「ヴェルゴさんといるときのドフィさん、いつも楽しそう」
玉ねぎ、食べる?とケチャップまみれのオニオンフライを差し出して、得体の知れない生き物は微笑んだ。
ヴェルゴは3秒だけ考えて、真面目な声で「いただくよ」と返事をした。言葉に全く悪意が感じられなかったからだ。訂正しよう。こんなちっぽけな生き物が、ドフィに悪影響も好影響も及ぼせる筈がない。
「今度うちで手巻き寿司したいな。ロシナンテの非番の日に」
「…あいつらのことを忘れてたよ」
お誘いの言葉で、目つきの悪い医大生と出向中の不届き者のことを思い出す。至極どうでもいいが、ドフラミンゴ宅にお邪魔するのは久しぶりだ。ゆっくりできるなら是非、とヴェルゴは微笑んで頷く。
「ヴェルゴさんと一緒のドフィさん、嬉しそうだから」
仲良しだね、と自分のことのようにあまりに嬉しがって笑うので、釣られて笑みが漏れる。
「…悪くないな」
オニオンフライをもうひとつ摘んだヴェルゴは、独り言のように呟いた。
「──なんだ相棒、ひとくち貰ったのか」
いつの間にか戻ってきて、猫を抱き上げ膝の上に座らせたドフラミンゴは、悪戯めいた笑みを浮かべる。膝の上の猫が無惨なバーガーの下半分をフォークでつつくのを、溜め息混じりに笑った男は、仏頂面が少しふやけた友人の頬にくっついているオニオンフライをもう一度見て、ついに声を上げて笑うのだった。