手巻き寿司パーティーの話「イチゴ」
「メロンだろ」
「グレープフルーツだな」
「フフ…俺もイチゴ」
宝石のように艶やかにひかるフルーツが、ふんだんに乗ったタルトを、冷蔵庫に仕舞う前に箱から出してみる。大ぶりの果物を見下ろした4人は、口々に言った。
時刻はまもなく12時。きっかりに玄関のチャイムが鳴るだろう。その前に、フルーツタルトは冷蔵庫へ隠す。
「はやく食べたい」
「おまえ、さっきサーモン貰ってただろう」
ダイニングには椅子が5個。テーブルの上には、山盛りの酢飯と色とりどりの刺身。付け合わせはカイワレ大根とたくあん、キムチ。マグロの切れ端を物欲しそうに眺める猫の襟首を、ローが掴む。
冷蔵庫で冷やしていたビールとタンブラーを出したドフラミンゴは、汁物の火を止めた。ロシナンテは有無を言わさず椅子に座らせられている。
予想通り、12時きっかりにチャイムが鳴ったので、サングラスごしに目を細めた男はエプロンを後ろ手にほどきながら、玄関へ向かった。その後ろを、パタパタとスリッパを鳴らして猫が追う。
「やあドフィ。…ン、まだ取り込み中だったか」
「時間通りだな、今しがた終わったところだ」
「ヴェルゴさん」
刈り込まれた短髪の際に汗ひとつ浮かべず、お邪魔する、と言った男の口元には微笑みが浮かんでいる。幼馴染の腰へまとわりついている生き物の、まるい頭を撫でてやると、こちらもふわふわと微笑み返してきた。
その光景に、ドフラミンゴはまた目を細める。拾った猫のことを、我が相棒がよく思ってはいないことは言われずとも感じていたのだが、どういうわけか和解したらしい。尤も、猫の方はヴェルゴを気に入っていたので、時間の問題だとは思っていたが。なんだかんだで身内に甘いこの男は、いちど懐に入れた者を守り、可愛がる甲斐性はある。
「ヴェルゴさん、」
マメだらけの手のひらへ小さな指を伸ばす猫は、今日の重要ワードをすぐに言ってしまいそうだ。
「ドフィの前で、行儀良くしているか?」
「…う」
「してないのか」
言い淀む猫の顔を見つめて、なっちゃいねェな、と詰る声は優しい。明らかに泳いでいる丸い瞳はウソをつけないのだ。それでもヴェルゴと繋いだ手を離さないのがいじらしい。
「フフ、あんまり虐めてやるなよ相棒。それがコイツのイイトコロだ」
「あまり甘やかすとローみたいになるぞ」
「フッフッフ!そりゃあイイ」
ちっとも懲りていないどころか改める気のない幼馴染の性質を、ヴェルゴはよく解っていたから、それ以外は咎めない。この軽口が許されるのだ、贅沢なものだろう。
自分の頭の上で悪戯っ子のように微笑む男たちを見上げて、猫はくすくす笑う。もう片方の手をドフラミンゴへ伸ばして、大きな子供ふたりをリビングダイニングへといざなった。
手巻き寿司をリクエストしたのは、主賓のヴェルゴではなく食いしん坊の猫である。手巻き寿司をするから来い、と呼んだのはドフラミンゴであるが。ビールを買ってきたのはロシナンテで、ケーキ屋の目星を付けたのはロー。珍しく、チームワークが良い。
ダイニングテーブルへ掛けると、ご機嫌なドフラミンゴがタンブラーへビールを注いでくる。隣へ座る猫のグラスには、ローが麦茶を注いでやっていた。自身とロシナンテのタンブラーへもビールを注いだドフラミンゴは、杯を掲げて言った。
「フッフッフ…じゃア、ヴェルゴの誕生日前祝いだ」
乾杯、とタンブラーとグラスが集まる。最後にヴェルゴがタンブラーをかつん、と合わせて言った。
「ああ、──ありがとう」
そういえばそろそろだったな、と言う相棒に、ホラなと笑う幼馴染。ローは溜め息を吐き、ロシナンテは微笑む。鉄でも叩き割るほどの逞しさと義理堅さを持っている男の、妙に天然にボケているところが面白いのだ。
しかしビールを楽しむ大人たちを尻目に、猫はチラチラとテーブルの上を覗っている。その瞳があまりにもキラキラしているので、斜め前でロシナンテが噴き出した。
「もう良いだろ?ドフィ、待ちきれない子がいる」
「あァ、いいぞ」
主人の許しに、猫は意気揚々と海苔を手に取った。酢飯の上にマグロ、きゅうりを乗せて、ゴマを振る。…が、うまく巻けない。
「…酢飯が多すぎるんだろ」
貸せ、と見かねたローが対面から手を伸ばして、酢飯の量を調整してやった。ついでに醤油も上から垂らしてやる。
ホラ、と手渡された手巻き寿司を両手で持った猫は、大きな口を開けて、はむ、とかぶりついた。自分でやったので、頭から尻尾の先までマグロが入っている。そんじょそこらのお店のお寿司とは違うのだ。
ごくんと飲み込んで、蕩ける頬。口の端にくっついている米粒も、指でぱくりと取って食べる。
「美味いか?」
「うまい!」
「フフ…そりゃよかった。相棒、お前もたくさん食べていけ。あら汁もある」
5個目の椅子に腰掛けていたドフラミンゴは、タンブラーを空にして立ち上がった。運ばれてきたあら汁が、骨とあらだけにしてはやけに上品な逸品だったので、ヴェルゴはふむ、と舌鼓を打つ。
「…さすがはドフィだな。同じ料理人として鼻が高いよ」
「フフフフッ!お前、料理人じゃアねェだろう」
お決まりのやり取りに、愉しげに肩を震わせたドフラミンゴは、空になった相棒のタンブラーへビールを注いでやった。
手巻き寿司をたらふく食べた猫は、ソファで腹ごなししながらほとんど船を漕いでいた。ドフラミンゴが紅茶を淹れに席を立っているので、ヴェルゴの固い太腿に頭を乗せて、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
「…やれやれ、行儀も何もあったもんじゃないな」
「ソイツはいつもそんなもんだ」
ヴェルゴの溜め息に、ローのそれが重なる。腹が膨れて体温の上がった身体はぬくい。髪を撫でたヴェルゴはその柔らかさに目を細めた。
「今日はドフィじゃなくてヴェルゴにベッタリだなぁ」
煙草を吸うロシナンテの呑気な声がする。
やわやわとしたぬるま湯みたいな好意を向けられるのは慣れちゃいない。ファミリーの結束とは違う、利益も実益もない者からのそれ。ほんのりと色づく花のように、知らず知らずのうちに咲いていた。
ドフィが、こんなやわい生き物のなにを気に入って世界から拾い上げたのか。少しだけ分かったような気がして、ヴェルゴは口元を緩めた。
「…あァ、随分と仲良くなったじゃねェか。妬けるな」
ティーセットを運んできたドフラミンゴが、言葉とは裏腹に嬉しそうな声色で言う。注がれる飴色のアールグレイ。しろいミルクを落として混ぜる。少しだけぬるくなる。だがそこがいい。
「さて…寝てるヤツはタルト要らねェな?」
「…いる!ねてない!」
鶴の一声で身体をガバリと起こした猫は、欠伸を噛み殺しながらソファへ座り直した。ローテーブルへ、カットしたフルーツタルトが置かれる。もちろん、ヴェルゴの分には「お誕生日おめでとう」のチョコプレート付きだ。
あ、と思い出したようにソファから立ち上がった猫は、ダイニングテーブルの隅に隠しておいた小さなプレゼントラッピングを持ってきた。白と群青のストライプリボンがついたそれを、ヴェルゴへ差し出す。
「ヴェルゴさん、誕生日おめでと」
ふにゃけた微笑みからは、相変わらず毒気も悪意も感じられない。
「ああ、ありがとう」
受け取って撫でてやると、はにかんで頭を手のひらへ押し付けてくる。なるほど、甘ったれのどうしようもない生き物だな。
微笑んだヴェルゴがフルーツタルトへ手を伸ばす。はむ、と一口目を食べる姿をなぜか4人は固唾を飲んで見守っていたが、行儀よく開かれた頬へ、お誕生日おめでとうの文字がくっつくのを見て、全員が溜め息を吐いた。
「チッ、果物じゃなかったか…」
「まあ考えてみればそうかもしれねェ…」
「チョコ…」
「フフフフッ!チョコだな」
その様子に主賓が頭にハテナを浮かべているので、ドフラミンゴは無骨な頬へ指を伸ばして、食べカスにしては妙ちくりんなそれを笑いながら取ってやったのだった。