たまには甘えたい話かの天夜叉といえど、連日の茹だるような暑さと夏季休暇前の仕事量のコンボで疲弊していた。今日も気温は35℃。外に出た瞬間にギラついた太陽に灼かれて無くなりそうだ。
──しかし、ドンキホーテ・ドフラミンゴは他者もちろん本人から見ても優秀であるので、今日から始まる夏季休暇前に全ての仕事を完了させていたし、連日の激務でも体調を崩さないよう、規則正しい生活リズムと態度を心掛けていた。
今日は待ちに待った、夏休み初日である。
「…………ハァ」
会社では怪しげな微笑みか嘲笑が浮かんでいる口は、家に帰ると溜め息を吐きがちになる。しかし今のは呆れとか、疲れとかのソレではない。ドフラミンゴの口元は緩みきっていた。
すべすべした太腿の感触と、脂肪特有のひんやりした温度が心地よい。男にはない柔らかさだ。許されるなら永遠にコレを触っていたい。
「……フゥ──…」
つまるところ、ドフラミンゴは限界だった。頑張って頑張って頑張って頑張って手に入れた夏休み。気力、体力ともにヘトヘトであった。この家の人間以外の誰にも知られてはいないが。
だらりとソファから垂れた腕は、スベスベの脛とふくらはぎを撫でている。骨と筋肉と脂肪のバランスが素晴らしい。こまめに日焼け止めを塗って保湿していてよかった。
「…でね、こないだローくんがね、」
大男の頭を膝に乗せてソファに腰掛ける同居人は、毎日が夏休みなのでそれがわからない。なぜか今朝は起きた瞬間からドフラミンゴが頬を擦り寄せてきたり、朝食を膝の上で食べさせられたり、無意味にルームウェアを着替えさせられたり、ソファで膝枕をさせられたりしているだけだ。
柔らかな金髪を指で梳きながらふわふわした声で話しかけているが、ドフラミンゴは半分も聞いていない。膝枕を堪能しているからだ。わざわざ手触りのよいパイル生地のショートパンツに着替えさせてまで。
横向きもいいが、いっそうつ伏せでもいい。チラつくのは不埒な欲望だ。疲れているのだから仕方ない。
しかし太腿へ唇で触れていると、性欲よりも安心感のほうが優ってくる。幼い頃に気に入りのぬいぐるみを抱きしめて眠ったように、干したてのタオルケットの毛羽立ちのように。
もちろん猫はそんなことなど知る由もないが、普段何かと世話を焼く主人がリビングでこんなにリラックスする姿は珍しいので、黙ってされるがままになっていた。気の抜けたドフィさんもカワイイのだ。
「結局キッドくんに、こないだのコーラのお金返そうと思ったんだけど──」
「…おまえは本当にカワイイなァ…」
もはや会話は成り立たないが、互いに不満などない。ドフラミンゴは同居人の膝を堪能し、猫は主人の髪を堪能していた。力の入っていないドフィさんもカワイイのだ。
限界主人から溜め息以外の言葉が出たので、彼女は髪を梳く手を止めた。見下ろすと、サングラスのない顔がこちらを見ている。金の下まつ毛が美しい。猫は主人の瞳が好きだった。きらめく宝石には、世界の朝日と夕日と昼の月が全て閉じ込められている。
うん?と微笑んだ猫の頬があまりに柔らかそうなので、ドフラミンゴは思わず指を伸ばした。頬から耳を辿り、柔らかな髪ごと後頭部を引き寄せる。
近づいてきた桜色の唇へ、そっと口付け。かさつきを知らぬそこは呼吸を柔らかく包み、応える。至近距離で見つめ合うと、黒いまつ毛がぱしぱしと動いた。猫の瞳はいつも世界へ向けてきらめいている。
「…おまえは、俺の────」
片腕を伸ばせばいつでも触れられる距離、両手を伸ばせばいつでも閉じ込められる生き物。ドフラミンゴの手の中で育まれ、呼吸し、眠るいのち。何も分かっていないくせに、望むものを差し出して笑う。
うん?と首を傾げた猫へ、もう一度口付けたくて、ドフラミンゴは身体を起こした。すぐに首へ腕を回してくる身体を、腰から抱きすくめる。温度がひとつになる。エアコンの効いたリビングで、ここだけ妙に暖かい。
「フフ……目ぐらい閉じろよ。しようがねェやつだな」
顎をすくって、瞬きする瞼を指でなぞると、猫の瞳が閉じられる。日陰で息づく百合の花のような呼吸を奪いたくて、与えたくて、唇を重ねる────
ガチャ!!バタン!!
「ヒィ──!暑ィ!なあトラ男、俺アイス食いてェ〜」
「おい麦わら屋!まずは手を洗え!うがいもしろ!」
滑り出し順調かに思えたドンキホーテ・ドフラミンゴの夏休みだったが、台風のような気配とともに襲来したローの最悪友の元気な声によって虚しくも掻き消された。麦わら帽子の青年はローにも御しきれず、いつもトラブルを運んでくる。
「…ハァ、俺のバケーションは半日で終わりだよ」
今度は本気の溜め息を吐いたドフラミンゴは、友人の到来に嬉しそうに微笑む猫を抱きながら、机の上のサングラスを掛けたのだった。