シュークリームの話ローが心なしかゲッソリしているので、ロシナンテはコーヒーを淹れる手を止めた。ちなみにすでに2回溢している。
「…ロー、おまえ誕生日なのに何で辛気臭い顔してるんだ?」
「コラさん…誕生日だからだよ…」
ハァ、と吐かれた溜め息。マグカップを受け取ってリビングへ戻っていくロー。ぐるぅりと回転半径が大きい理由を、ロシナンテは背中を見て知った。
「ローくん、ケーキ、買いに行こうよぉ」
一般人より遥かに高い位置にあるローの腰にべったりくっついているのは、朝から元気な我が家の猫である。というか元気すぎて朝からダル絡みしてるな。
ロシナンテはなるほどと独りごちた。そして内心、ドフィが朝早くてよかったとも。このやり取りに兄が参入したら、ローの心労が増すだけだ。
猫をズルズルと引きずりながら、ローは構わずソファへ腰掛けた。朝のワイドショーをザッピングしながらコーヒーを啜る。じゃれつく猫は無視。手慣れたものだ。
しかしもちろん、無視される側もその扱いには慣れている。背もたれに体重を預けたローの、わざわざ腹の上に乗っかった猫は、ねぇケーキは?と尊大な口をきく。こういう似なくてもいいところが兄に似てきていると、ロシナンテはヒヤヒヤしているのだが、当の本人たちは知る由もない。
「ケーキじゃなくてアイスクリームケーキでもいいよぉ」
「同じだろ。ていうかおまえ、俺の誕生日を口実にケーキ食いたいだけじゃねェか」
邪魔、見えねェ、と猫の頭を掴んだローは、ソファにポイと投げる。
ぽてりと転がされてもめげない彼女は、ローの脚の間に登ってすっぽり身体を収めた。結局、一緒にテレビを見ている。天秤座のアナタ、今日のラッキーアイテムはキャベツですってよ。
ローの胸に背中を預けて、猫がくあ、と欠伸をする。それなりに朝寝坊をして朝食を取っただけなのに、もう眠いらしい。ああ、見てたらコッチも眠くなってきた。夜勤明けの大男も大欠伸を溢す。
「…せっかくのお休みなのに。ローくんと一緒にいたいよ」
すり、とローに頬擦りする仕草は、相変わらずニンゲンというより猫に近い。唇を寄せるようにして、彼女はそっと鼻先をもみあげへくっつけた。
「……ったく」
しょうがねェな、とボヤく声は存外甘い。コーヒーの香りを纏った唇がゆるむ。
ローはマグカップをテーブルに置いて、パーソナルスペースへ無遠慮に収まる身体を抱き直した。背中に腕を回してやれば、ふやふやと力が抜けていく。
「…仮眠とったら行ってやってもいい。午後な」
甘いな、アイツ。ドフィならこう言うだろう。無論その弟もコーヒーを啜りながら同じことを考えている。結局のところ、甘えられて折れるのはいつだって“オニイチャン”のほうだ。
背中をさすられながらとろとろと眠りに落ち始めている猫へ、溜め息を吐いたローはくったりした身体を持ち上げた。
「コラさんも、起きてないで早く寝ろよ。夜勤明けだろ」
「あ、ああ…ウン、おやすみ。ロー」
そいつは連れて行くのか、という言葉をロシナンテは飲み込む。この家の主も大概だが、この居候も大概だ。何か距離感がおかしい。
飲みかけのマグカップからはまだ湯気がたっている。柔らかな温もりを抱いたまま、誕生日前日に徹夜した男はとりあえず寝室のドアを開けた。
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それが昼前のこと。寝起きの悪いこの男にしては珍しく、言葉通りに起きてきた。なんだかんだで夕刻になってしまったが、食べ物の約束は目敏く覚えている猫に手を引かれて、近所のお菓子屋までやってきた。
ショーケースに並んだ宝石のようなケーキに目を輝かせた彼女だったが、結局選んだのはシュークリームだ。
「ラッキーアイテム、きゃべつだったから」
ふんふんと鼻歌混じりに歩く猫の手から、ローはやんわりとシュークリームの箱を奪い取った。このままだと天地無用になってしまう。
空いた手でピンクの爪先を握ってやると、秋風にすこし冷えた指がやんわりと握り返してくる。
夏はいつの間にか遠くに行ってしまった。金木犀の香りに羊雲。夕焼けにはまだ少し早いが、ビルの向こうはすっかり赤に染まっている。
「結局おひるねしちゃったね」
空を見上げた猫がわらう。
「俺のは仮眠だ。おまえと一緒にするな」
半歩先を歩く兄貴分は、ビルの合間からギラギラと耀く太陽を眩しそうに見つめていた。
「でも、一緒にいられてうれしかったよ」
またおひるねしようね、と妹分が笑う。
手を引く男は返事をしないが、手を離そうとはしなかった。きらりと遠くに一番星がひかった。
「ローくん、お誕生日おめでとう」
帰ったらおにぎり握ってあげる、と嬉しそうに見上げてくる猫に、ローは溜め息を返した。
「食い合わせが悪ィな」
ふたりの後ろには、手を繋いだ影が長く伸びていた。