長命種と定命種の時間感覚の違いについて本気出して考えてみた長命種と定命種の時間感覚の違いについて
◯定命種(人間)を基準とした、長命種(吸血鬼)の寿命の長さの理由
前提として、ここで言う「吸血鬼」はヒトの形を取った吸血鬼であるものとする。
まず、人間の寿命は一般的に80歳前後とされている。しかし、これは医療技術によって補強された結果であり、それらを抜きにして考えると40歳程度とされる。
生物の寿命の違いは心拍数によるものとされている。寿命で死ぬまでの心拍数が一定であることを考えると、吸血鬼は人間より心拍数が少ないのではないだろうか。
また、細胞や体内器官の劣化も寿命に関係する。寿命が長い哺乳類の例としてホッキョククジラを挙げると、ホッキョククジラは細胞を修復する機能が他の生物とは異なることが明らかになっている。それを踏まえると、吸血鬼も再生能力があるように、傷ついた細胞を再生、修復することで寿命を長らえているのではないだろうか。
以上のことから、吸血鬼が人間と比べ長命である理由は「心拍数が少ないこと」「再生機能が優れていること」と推測する。
◯時間感覚の違い
時間感覚は、体の大きさにより差があるとされている。しかし、人間と吸血鬼は細かいパーツに差はあれど、大まかな造形や体の大きさは同じだ。
生態の類似点は二足歩行であること、肺呼吸であること、言語を扱うこと、などがある。
相違点は生命維持のための主食の違い、能力の違い、繁殖方法の違い、などだろうか。
ざっくりとした括りとして、昆虫、海洋生物、野生動物等と比較すると、吸血鬼と人間は同じカテゴリーに属するだろう。同じカテゴリーであるが、寿命は異なる。同じ文化を持ち、地続きの社会で生きるが、寿命は数十倍も異なるのだ。
即ち、時間感覚も違うと考えるのが当然だろう。
我々人類は10年前の出来事を詳細に思い出せと言われると難しい。しかし、吸血鬼は200年前の出来事であっても細かに思い出せる。それは何故か。
人間は忘却する生き物である。全てを記憶するには脳味噌の容量が足りないからだとも言われているが、それは吸血鬼も同じなのだろうか。
吸血鬼も忘却する生き物とすれば、200年前の出来事を覚えているのは何故だろうか。
体の大きさ、造形に差がないということは、脳味噌の大きさも差がないということである。その機能には差があるのだろうか。
人間にも超記憶能力を持った者はいる。所謂サヴァン症候群の人間である。主に自閉症やコミュニケーション障害を併発しており、原因の特定には至っていない。
それを、仮に「パラメーターの歪み」と捉える。
吸血鬼の性格的な特徴として、享楽主義、強い執着などが挙げられる。享楽主義の裏は、静に耐えられないこと。執着の裏は、それ以外のものに関心を持たないこと。それは「パラメーターの歪み」に繋がらないだろうか?
あるいは、脳機能に差があったとしよう。単純に吸血鬼は記憶容量が大きいとすれば、記憶能力の差に違和感はない。
またあるいは、吸血鬼の記憶方法が局所的だとしよう。ある特徴的な場面、物事のみを記憶し、それ以外を忘却する。
コンピューターに例えると、記憶をフォルダ分けするのだ。人間が1日分、ないし1週間分、1年分を時系列ごとにフォルダ分けをするとして、吸血鬼は膨大な年数の生涯をもっと大規模にフォルダ分けをする。
10年分、100年分を1つのフォルダに入れ、ラベルをつける。その中にしまわれた1日、1年には逐一名前をつけない。我々人類がただ過ぎゆく10秒間に名前をつけないように、吸血鬼は記憶するに値しない時間を空白としてしまい込むのだ。
だとすると、愛着のある記憶が多すぎた吸血鬼はどうなるのだろう。長い長い生涯で、容量の限界値まで忘れられない記憶ばかり埋め尽くされた吸血鬼は、果たしてその先を生きていけるのだろうか。これは仮定に過ぎないので、考えても仕方のないことである。
結論として、吸血鬼と人間に時間感覚の差はあると考えるが、その具体的な根拠は1つに特定できない。ありとあらゆる可能性が混在する。しかしその可能性の中で、人間が思う1年の価値と、吸血鬼が思う1年の価値が重なることもあるのではないかと私は思うのだ。