バーのドアを開け、青い髪の青年が入ってくる。長身の彼は迷わずカウンターに向かい、そこで頭を押さえている薄い桜色の髪の女性に近寄った。
「よお、ねーさん。送迎に来たぜ」
「……あらぁ。ドグマじゃなぁい。ねえ見て、かわいいでしょ。紹介したげるわね、妖精さんよ」
「うわ珍しー。いつもはもっとまともな返答来んのに。何飲んだらそうなるんだ?」
とりあえず帰るぞとリリーの懐から財布を取って支払いをし、足元もおぼつかない彼女を支えながら店から出る。彼女は普段滅多に酒を飲まず、飲んでもあまり強くないからとここまで正体を失くすほどの飲み方をしたことはない。こりゃ明日一日中寝てるかもな、とドグマは酒を飲んだ翌日に毎度死にそうな顔で出勤してくるリリーの姿を思い出した。
人通りの少ない道に入ると、リリーは足を止める。何だ?とドグマが顔を覗けば、真っ赤になった頬をそのままに、リリーは一つため息を吐いた。
「つかれた。ドグマ、抱っこして」
「え?」
「おぶってくれてもいいわよ」
マジ?と言いたげな視線を向けてくるドグマに、リリーは両手を伸ばす。明日からかうネタができたな……と思いながらドグマはわざわざリリーを横抱きにした。ふうと満足げにため息を吐いて身を預け、リリーはぱちりと瞬きをする。
「……ドグマは大きくて偉いわねぇ」
「どーも?」
「ふふ、セントも……本当はそれくらい大きくなれたのに……」
半ば眠りそうになっているのだろう、若干目を伏せながらリリーがぽつりとそう言った。ドグマは片眉を上げる。記憶にある限りこの場所にセント、という名前の存在はいない。彼女の口ぶりからしてかなり親しい誰かなのだろうが……。ドグマは興味本位で口を開く。
「セントって誰?」
ぱちり。赤い瞳がドグマを見つめた。複雑な感情の渦がそこから読み取れて、おや、とドグマは思わず足を止めた。
「……、……セント、は」
「セントは?」
「私の……弟よ。」
ドグマから視線が逸らされる。酔いが少し覚めたのだろうか、いつもの薄笑いも消えてその顔には何の表情も浮かんでいない。
弟。ドグマを含めニブルヘルにおいて自分と関わったことのある男性を、リリーはいつも自分の弟である、と言っていたが。この様子から察するに、それらの中に含まれていたようには思えない。
「……おろしてくれる?」
「まあまあ。それより、姉さんの実の弟について聞かせてくれよ。」
「……聞かせたところで何になるの?」
「俺の興味が満たされるな」
ぎり、と歯嚙みをして、どろりと濁った赤色が殺意すら感じさせる鋭さでドグマを見る。ここまで彼女が感情をさらけ出したことはやはり今まで見たことがなくて、ドグマはじいっと愉快そうな表情でリリーを見つめ返した。彼女は暫くドグマを睨んでいたが、やがて力が抜けるようにふっとまた視線を逸らし、無言でじっと地面を見る。何が何でも言う気がないのだろうかとドグマは残念に思いながらまた歩き始めた。
「……あの子はね。」
ドグマ一人の足音がする。周囲に人の気配はなく、リリーはぼんやりと街灯の光を眺めながらぽつり、ぽつりと話し始めた。
「……あの子は……たった数ヶ月しか生きられなかったの。食べられてしまったの。」
「もしかして姉さんの竜アレルギーってそれが原因?」
「そうね。……そうよ。大きな理由ね。」
「言っちまえば?それ。お優しいやつらばっかりだから、心を痛めてどうにかしてくれるかもしれないぜ?」
「だからよ」
リリーはまた瞬きをする。さっきよりも瞬きの回数が多いので、ドグマはじっとリリーの顔を見つめた。
「私の……私だけの物よ。この憎悪も、あの子が死んでしまった時に感じた怒りも、悲しみも、全部。本当はきみにだって言うつもりなかったの」
「じゃあなんで?」
「……なんでかしら。酒の勢いもあるだろうし……きみが……セントと似た色の髪をしていたからかもね。」
そうっと彼女の手がドグマの髪を撫でる。何となく居心地が悪くて、ドグマは思わず首を振った。手の中からするりと抜けていったので、中途半端に持ち上がった手が静かに下ろされる。
「……私、あの子の為ならなんだってできるつもりだったの。生きて幸せになってくれさえすれば、私なんかどうなったってよかった。あの日、あの日……死んだのが、喰い殺されたのが私だったらどんなによかったかって……。」
何度も大きく短く呼吸する音がした。ドグマは黙ったまま足を動かしている。リリーは縮こまるようにして顔を隠した。
「……寂しいよ、セント……」
小さく小さく、聞いたことがないほど幼い声で、リリーはそう呟いた。それきり沈黙が落ちる。やがてリリーの現在の住居の前まで来て、ドグマはリリーの顔を覗き込んだ。目を閉じて寝息を立てている。足を止めて少しの間立ち尽くし、ドグマは彼女の懐から先ほどのように鍵を引っ張り出すと鍵穴に差し込み回した。