「カノープス、出発の前に少々……良いでしょうか」
荒野を目前に、考え込んでいたシュネーヴは足を止めてカノープスを呼び止める。カノープスは振り向き、そのやりとりに気が付いたバイアクヘーもまた同じように振り向いた。
「申し訳ありません、バイアクヘーさんはここで待っていてください。リアも、いい子にしているのですよ」
「え~?……はあい」
やや不満げに、しかし了承の返事をしたアルローリアに頷いて、シュネーヴはカノープスと一旦そこを離れる。
「シュネーヴ、どうしました?」
「……先ほど、カノープスが女王の根を調べていた際のことですが。リアが例の……おうまさんが女王の下へ行くようにと言っていた、ということを教えてくれて。」
カノープスはそれを聞くと眉根を寄せた。アルローリアにのみ見える、正体不明のそれ。それの目的も正体も、未だ彼らは知らないままでいる。ただそれがアルローリアの身に起きている異変の原因、あるいは一部であるということはわかっていた。
「……そうですか。……罠でないことを願いたいですが……」
バイアクヘーの方へ目を向ける。待っている間暇なのか、前足でぐりぐりと地面を適当に引っ掻いているのが見えた。一見こちらに対する敵意のようなものも悪意のようなものも感じられない。しかしこのままアルローリアの見えている何かの思うように進んでいいものかと少しだけカノープスは頭を悩ませた。
「……いずれにせよ、ここで得られる情報ももうありません。リアに待っているよう伝えても拒否されるでしょうし……、リアのことをよく見ておきましょう。些細な変化も見逃さないようにしなければ」
カノープスはシュネーヴと顔を見合せたまま頷く。そしてバイアクヘーのところへと戻った。並んで歩いてきた二人に顔を向け、バイアクヘーは終わった?と尋ねるように首を傾げる。
「お待たせしました。……では行きましょうか」
「わかった」
こくりと頷いて、バイアクヘーは荒野へと歩を進めた。その後ろをついて荒野へ一歩踏み出せば、肌に感じる空気ががらりと変わる。
良くも悪くもからりとした空気だ。靴底から感じるのは少しの水分もない乾いた土の感覚で、少し歩けば地面を這うように走った稲妻状のひびが見える。コロニーの中は水分を多く含んだ心地の良い空気に満たされていただけに、一歩出ただけでここまで違うとはとカノープスは眉を寄せた。
シュネーヴはバイアクヘーの上に乗っているアルローリアの方を見る。暑いのが苦手である彼女はやはりやや元気をなくしてバイアクヘーにしがみついていた。
「リア、暑くはありませんか?」
「暑い……でもへっちゃら!冒険ってこーゆーのだもんね」
ふす、と鼻を鳴らすアルローリアの返答に、シュネーヴは少しだけ安心したように口元を緩ませる。少なくともまだ大丈夫そうだ。だが、どちらにしても幼い子供を連れて長時間歩くにはあまり適していない環境である。
「……急ぐ?」
それを察したのか、バイアクヘーは首を曲げるとシュネーヴとカノープスの顔を交互に見てそう尋ねた。
「はい、できれば……」
「うーん……乗り心地 すごく悪いってフォシルが言ってた……でも ぼくが二人も乗せて飛んだら すぐ着く」
「私とシュネーヴを……ですか?」
「うん 飛ぶ蟲は 多分今別の場所にいる
空見ても見当たらない」
「……わかりました、お願いします」
カノープスがそう言うと、バイアクヘーはこっくりと大きく首を縦に振り脚を折りたたんで座り込む。シュネーヴの指示を受けてぴょんと小人が一旦降り、召喚されたときと同じようにどこかへ消えて行った。そしてそのままリアの後ろにシュネーヴが乗り、その後ろにカノープスが跨る。ちゃんと腰を落ち着けたのを確認してからバイアクヘーは立ちあがった。ぐらりと大きく揺れ、地に着かない脚がぶらりと揺れる。……なるほど確かにあまり乗り心地はよくない。
「しっかり捕まってて」
「は……はい、わかりました」
背中に乗っている全員が各々しかと捕まったのを確認して、バイアクヘーは走り出す。がっくがっくと尋常ではない揺れが起き、シュネーヴが思わず悲鳴を上げかける一方、カノープスはチコーニャを彷彿とさせる乗り心地だと感じた。風圧に目を開けていることができず、少しして漸く風が落ち着いてきたのを感じたアルローリアは目を開く。バイアクヘーは既に地面から飛び上がっており、眼下には宙を挟んで荒野が広がっていた。
「蟲が少ない 変」
青々とした空を滑るように飛びながら、バイアクヘーは困惑したような声を上げる。
「今日はなんだか色々変……」
「……普段は、もっと蟲がいるのですか?」
「いる いつもなら群がいる」
これは明らかな異変であるとバイアクヘーは怪訝そうな声音で伝えた。シュネーヴは不安そうに自分とバイアクヘーの間に収まっているアルローリアのことを見つめる。幼い彼女は空を飛んでいることに夢中になっていて気が付かなかった。
少女の腕の中に抱きしめられていた羊がぷゆ!と声を上げる。気が付けば一同は大樹の近くを飛んでいて、その周りを回遊するように降下しながらバイアクヘーは様子を伺った。
「……女王様にはおかしなとこ ない」
「そう、ですか……」
やがてバイアクヘーは折りたたんでいた足をほどくと地面に降り立つ。かさり、とその足先が地面を覆う短い草に触れて音を立てた。カノープスは彼の背中から降り、自分の髪に落ちてきた花びらを手に取る。やはり今までに渡ったことのあるどの世界でも見たことのない花だ。近似種も恐らく未確認だろう。
木漏れ日の下でその花を調べていると、突風が吹き荒れ手の内からその花びらが巻き取られていった。その風は花びらと共に渦を巻き、人の形を模っていく。やがてそこに現れた少女の顔に、カノープスは見覚えがあった。彼女は長いまつげを震わせながら瞼を開く。柔和な笑顔を見せながら、着物姿のその人は綺麗にお辞儀をしてみせた。
「初めまして、異界の炉心。……初めまして、ですよね?」
「……ええ、初めまして。あなたが女王、ですか」
「はい、そのように呼ばれております。……明確な個体名はないので、どうぞ呼びやすい名でお呼びください」
そう言って人の良さそうな顔で笑う彼女は、一同の知っているリリーという女性によく似ている。自分たちの知っている顔と同じ顔を見るのはこれが初めてではない。ないが、これは果たして偶然なのだろうかとカノープスは疑問に思う。一方、リアはぱちぱちと瞬きをして首を傾げた。
「リリーお姉さんにそっくり!」
「あら……なるほど。私によく似た人を知っているのですね」
リアの言葉に目を丸くして、彼女は口元を押さえる。少し考えるように目を伏せ、それからまた微笑みを浮かべた。
「私はヴルトゥームという神格から分かたれ生まれたもの……もしかすると、彼の知っている女性の姿なのかもしれません。」
彼女は一度会ってみたいものです、と呟いてから、改めてカノープスに目を向ける。
「時に……私に、聞きたいことがあるのですよね。根から聞いておりました」
カノープスはぱちりと瞬きを一つし、すうと深く深呼吸をした。
「まずは……この星にいた炉心について、教えていただけますか」
「わかりました。……そうですよね、それがきっと一番気になることでしょう。……こちらにどうぞ。」
女王はす、と一同に背を向けどこかへと案内する。彼女の動きに従い木の根がうごめき、道を開けた。そうして根に隠されていた道を暫く進むと、ぽつんと一つ、この世界に似つかわしくない金属製の扉がある。それを押し開き、女王はカノープスらの方を振り向いた。
「この戸の向こうへ行きます、付いてきてくださいね」
「……わかりました。」
「リア、私たちも行きましょう。降りられますか?」
「やだ!」
シュネーヴはバイアクヘーの背の上からアルローリアを下ろそうとし、しかしアルローリアが拒否したために困ったような顔をする。女王はそのやり取りを見ていたが、ふふ、と笑い声をあげた。
「そのままで大丈夫ですよ。きっとバイアクヘーも通れるはずですから……。」
「ほら!リアおりないもーん」
アルローリアはここぞとばかりにひしっと背中に引っ付いて離れない。こうなったら無理やりはがすのも大変であるので、仕方がないとシュネーヴは小人をもう一度召喚しその後ろに乗せた。