(恋を)しない、しらない/キラ門 靄の中を漂うような心地良い微酔から、その言葉は門倉の襟首を掴んで現実へと放り出した。
「門倉は恋した事ないだろ」
既に酩酊しているキラウㇱは頬を天板に押し付けて、今にも涎を垂れそうな間伸びした口調だ。舌の回りきっていない言葉に「おう」とか「うんうん」とか適当に返事をしていたせいで、どういった流れでその言葉が出たのかさっぱりわからなかった。けれどその断定したような物言いが妙に焼き付くので、門倉は凭れていた座椅子からぐっと身を乗り出した。
「そんなのわかんねぇだろ」
「俺にはわかる」
「馬鹿言ってんなよ」
キラウㇱはへらへら機嫌良く笑っている。立派な酔っ払いだった。「門倉、飲んでるか」と同じ台詞をもう十回は聞いた。床に転がった瓶のラベルには山廃仕込みと書かれている。常連客の一人が故郷の土産だと店に持ち込んだ日本酒だ。「門倉さんイケる口でしょ」と気前良く振る舞われたそれは酸味があって飲みやすかった。半量程まで減った瓶はキラウㇱに残され、どうせなら一緒に飲みたいと門倉の家に持ち込まれて、今に至っているのだった。
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