「ご、め〜ん!」
やっちゃった、と語尾には星でもつけそうな高い声音とウィンクしもってマスター、立香の元に現れたのは魔女、キルケー。
………と、その足元には彼女の呪いによって豚の姿と成り果ててしまった誰か。
現在「ぶひ」と一声鳴くのみなので、当然立香からの質問等に答えられる訳もなく。
私室の扉を開けたばかりの立香は、普段はなるだけ温厚に務めようとしている表情が盛大に顰められた。
「…魔女さま、」
「いやいや、事情の説明からさせて貰うとだね!?シュミレーションで派手にやっちゃったってかさ、つい力んじゃったというかね?」
声が普段よりも低くなる。
その様にキルケーは慌てて両手を振り、珍しくご機嫌ナナメなマスターに事情を説明を始める。
シュミレーションにて戦闘を行っていた結果、相手の強さに怯んでしまい、ついに宝具を連発し過ぎてしまったとのこと。
「いやぁ、この大魔女さまをビビらせるほどの剣技、そして気迫!見事なものだよね。お姉さん、感心、感心!」
「そう、ですか」
立香は話を確認しながら、部屋に置いてあった携帯端末で豚になってしまったサーヴァントの霊基情報を確認し始める。
姿が変わってしまったところで、情報に変化はない筈なので、これでひとまず誰かなのは分かる筈。
端末からは、そこなる豚はセイバークラス、宮本伊織と表示された。
特に出撃させる予定もなかったので、ひとまず面倒な事態は避けられそうではあるが、立香は目の前の大魔女を前にふくれっ面。
「わざとじゃないのは分かったんで、」
「うんうん」
何度も頷いてみせるキルケーを前に、立香はようやく肩の力を抜く。
元々、罰するつもりもなかったが、実のところ彼女のやらかしは今回で3回目である。
まだ、サーヴァントらがレイシフトを行えない、という最悪な事態になってないとはいえ、そろそろ反省のひとつはして頂きたい。
「ちなみに、解呪は?」
「さっきのシュミレーションで私自身も魔力を使い果たしてきちゃいましたのでぇ、」
キルケーの魔力が回復するが先か、伊織の持つ耐魔力によって自動的に解呪されるかのどちらかのよう。
視線を泳がせながらの彼女のそこまでの説明に、なるほど、と立香は笑顔。
「とりあえず、夕飯のデザート1品で手を打つのとオデュッセウス呼ぶのとどっちか選んでください」
その言葉に彼女がしわ、と苦悶の表情でデザート1品献上することで話が纏まった。
魔女の呪いというのは簡単なものではなく、いくら弟子のメディアだろうと、他に名の知れた魔女であろうとキルケーの代わりとして解呪するのは難しいことが多い。
今回に関しては、時間の経過で解決する道筋が見えていることと、さほど急ぐ事情も無いことからキルケーの魔力が戻り次第の解呪でおそらくは大丈夫そうである。
なので、ひとまずは豚さんこと伊織を部屋に招き入れた立香は、部屋からの通信機を使い、ダ・ヴィンチにだけでも、と連絡を入れておいた。
事情を聞いたダ・ヴィンチからは苦笑じみた声音で了承の返事。
何か問題が生じればすぐ連絡する約束となった。
通信を終えると、立香はベッドに腰掛け一息。
「伊織」
部屋の入り口前からぴたりと動かないで此方を見ていた豚姿の彼を呼んだ。
どうやら言葉は通じてるらしく、立香がゆるく手招きしながら「おいで」と誘えば小さな足を動かして立香の足元に近づいた。
立香が手を差し出したら、まさしく豚の仕草のように広げる掌に鼻を近づけて匂いを確かめる。
そこで何かに気づいたように彼は慌ててぶるぶると顔を横に振るった。
もしかしなくても、ある程度の人としての理性があり、豚になりきるまい、と抗っているのか。
その様子に立香は笑いを耐える事は出来ない。
「キルケーも悪気はないから、許してやってね?ちゃんと元に戻してくれる約束もしてるから」
大丈夫だよ、と立香はピンク色をした伊織の頭を撫でた。
撫でる感触が気に入ったのか、丸い瞳をぱちぱちと瞬く伊織は、自然と立香の手の動きに合わせて頭を傾けた。
何だか普段よりも素直に感じるのは気のせいだろうか。
立香はそう思いながらも、しばらく撫でさせて貰えることに素直に甘えさせてもらう。
と、通信の呼び出し音が鳴り響き、立香の手の動きが止まる。
再び目を瞬く伊織に「ちょっと待ってて」と声をかけながらベッドから立ち上がる。
伊織は言葉に従うべく、その場でマスターを見送った。
通信機の応答スイッチを押し立香が返事をすれば、呼びだしはマシュからであった。
『先ほど、ダ・ヴィンチちゃんから伊織さんの事をお伺いしました。今はお変わりないですか?』
「今は大丈夫」
立香の返答にマシュも安堵したかのように声を漏らしていた。
と、彼女の本来の用事は立香にだったようだ。
『先輩、お夕飯まだでしたよね?食堂に行けそうにないのでしたら、お届けに伺おうかと思いまして』
後輩からの気遣いに立香は素直に礼を述べる。
そういえば、時間的にもそろそろお腹が空く頃合いだ。
かといって、今の伊織を放っておくわけにもいかないので、折角なのでお願いすることにした。
『伊織さんの今の状態でも何か食べれそうな物がないかも厨房で聞いておきますね。先輩は何か食べたいものはありませんか?』
「うーん、」
昼間は軽めに済ませたせいか、割とガッツリ食べたい気持ちもある。
立香は僅かに悩みつつも、ふと視線を動かした。
丁度、待ちくたびれたのか足元までやって来た伊織が見上げてきた丸い瞳とかち合う。
ぱちぱち、と瞬く豚の姿の彼を前に立香はじ、と目を凝らした。
「マシュ…今日のメニューにトンカツってない?」
随分と真面目に尋ねる立香の声音に伊織は何かを感じ取ったか、じり、と身を後退させた。
ある程度察した後輩はやや沈黙した後に『伊織さんは食べちゃダメですからね、先輩』と、一応として念押ししたのだった。