もう一度あの鳥籠が消えた日。
おれはおまえに惚れていたんだろう。
コラさんの言っていた嵐を呼ぶその名前を、おれと同じ名を持つおまえを手配書で見てからずっと気にはなっていた。
麦わら屋が世界を引っ掻き回してくれたら、おれにもチャンスが巡ってくるんじゃねェかと淡い期待を抱いた。
だから兄の死で心も身体も限界寸前の麦わら屋を生かそうと敵地のど真ん中まで乗り込んだ。
ここで終わるような男じゃねェ、と信頼に似た何かを感じながら。
チャンスは程なくして巡ってきた。
あの極寒の地で満面の笑みを浮かべ真っ直ぐに気持ちを言葉に乗せる麦わら屋に唖然としながらも勝利の布石が舞い降りた、と四皇を餌に憎くて堪らないあの男を失墜させる切り札を手に入れた、と内心ほくそ笑んでいた。
ただ、まさか、こんなにも自分が振り回されることになるなんて完全に想定外の出来事だったが。
そこから始まった同盟関係。利用するだけ利用して都合が悪くなったら切り捨てる、それが海賊の同盟だ。だけどお前はそんなことお構いなしにおれを友だと言い、仲間だと肩を抱く。
おれが一度あの男に敗れ地を這っていた時も、鉛玉を撃ち込まれ殺されたと思った時も、麦わら屋は必死におれを呼んだ。あァ、ずっと聞こえてたよ。おれが傷付く程に怒りを溜めて攻撃の力に変えて。麦わら屋の戦う理由はおれだけじゃないこともわかってる。それでも、おれの心の中に居座るのには十分だった。
おまえも、そうだったんだろうか。おまえの中におれが居座ってたんだろうか。
あの決着の日を境に麦わら屋がおれのそばに居る時間が増えていった。同盟相手という目新しい関係が珍しくてなにかと構ってきていた最初の頃と違い視線に熱が籠るようになった、ぴたりと肩や腕をくっつけるようになった。おれもその意味がわからないほど鈍いつもりもない。それを無視できるほど麦わら屋への気持ちはもう小さくはない。あの小煩い信者の船、ゾウに辿り着く一日前、不寝番以外寝静まった誰も来ない倉庫で、初めて身体を繋げた。
好きだ、と囁かれた言葉に行為に夢中で聞こえない振りをして応えなかった。聞いただけでこんなに気持ちが大きくなってしまうのなら、おれから吐き出す言葉はどれほどの重さでおれへと返ってくるんだろう。一度言ったら止まらなくなり、おまえのそばで生きることを選んでしまいそうな程に狂ってしまいかねない。そんなのはダメだ。
このクソ重い感情を抱えながら噯気にも出さず偶然気が向いたんだ、となんでもない風にして麦わら屋に抱かれる。そんな関係で居たかった。
好きだ、と言う度に口付けで誤魔化すおれをおまえはどう思っていたんだろうな。
よくも最期まで愛想を尽かさず関係が続いたものだと変に感心したりした。
時には身を委ね、心のままにおまえのものになってしまいたい、と思った時もあった。
だが、おれは一船の船長だ。
同盟相手の船長として対等でいなければ。
おれのクルーの誇り高き船長であり続けなければ。
そうやって意地を張って恋人として麦わら屋の隣には一度も立たなかった。
愛してる、最期のその一言にさえ返事をしてやることさえ出来なかった。
そんなおれを"おまえ"はそれでも仕方ないな、と笑って許してくれるんだろうか。
もし、もしも許されるのであれば、おれは今度こそ間違えたくはない。
…会いに、行こう。
今はまだ小さな麦わら屋に。
幼少期から少しずつそれとなく鍛え上げて強くさせる。
おれは麦わら屋の横を離れない。
そうしていれば、
あの頂上戦争で兄を失った悲壮なまでの慟哭を聞かずに済む。
それとなくフォローに回って度重なる無理をさせなければ寿命を縮めることはない。
今回は、"前"より長く一緒に生きていたい。
幼い頃から刷り込めば、余所見をすることもないだろう。
そんな打算もちゃっかり織り込む。
だっておれは海賊だ。欲しいものは奪う。それだけ。
「ここがフーシャ村じゃ」
「ゲェッじーちゃん!!!」
「ゲーとはなんじゃ!じーちゃんに向かって!再開を喜べ!」
「イテェーーーー!!!!」
(…!かわいい、)
早速祖父に捕まり拳骨を受けた小さな子供と邂逅する。こんなに小さくて可愛かったんだな、とつい口元が緩むのを手で隠して見ていれば、目があった。どきり。しばらくの沈黙の後驚愕に目が見開いた相手の口が開く。
「っ…トラ、男…?」
「!?」
なんでその名前を、小さな麦わら屋が呼ぶんだ。
もしかして、麦わら屋もそうだっていうのか…?
思わずむぎわらや、と小さく溢してしまってハッとする。
まずい、ガープ屋の目の前だ。
答え合わせは後にしなければ、と小さな子供に首を振って今は黙っていろ、と合図を送る。理解はしてもらえたようでこくこくと頷くアイツの目は潤み煌めいている。そんな目でおれを見るな。…まだ気持ちがあるのだと勘違いするだろう?
「わしゃあ村長に挨拶してくるからここで二人で待っておれ。その後顔合わせしよう」
「わかった」
ガープ屋が家へと入って行ったのを見送れば小さいくせに強い力で手を引っ張られ、物陰へと連れ込まれる。
やっぱり、おまえは…
「…!本当にトラ男なのかおまえ」
「…あァ…、そうだ。"おまえ"の同盟相手の船長だったトラファルガー•ローだ。"麦わら屋"」
「!なにが、どうなってんだ…?トラ男を見たら急に色々思い出した」
「!それまでは記憶なかったのか」
おれを見て思い出すって一体どんな条件なんだ。逆行の理由に関係があるのか…?淡い期待はよそう。ただ単に"前"の関係者だから記憶が蘇っただけだろう。
「ああ。"おれ"は海賊王になって、30の時に死んだハズだ…」
「…ああ。"おれ"も、47で死んだ。…そして今"過去に戻りやり直している"。"前"に本で読んだことがある。死ぬ時なにか強い後悔があれば、その時へと時間が戻りやり直すことが出来る、と…」
「…じゃあおれは、後悔があったんだな」
「そうなる」
「…やっぱり…エースだな…」
即答した相手におれも思った通りだと頷く。ここへ着くまでの道中、過去の記憶を掘り起こしながら何度も何度もあの頂上戦争を、最愛の兄の死を止められるか、シュミレーションした。
「…そういうと思ってた。今度はおれも行く」
「!トラ男が協力してくれんのか!?じゃあ大丈夫だ、安心した。ありがとう!」
「…!」
…どうしてそんな、真っ直ぐな言葉を吐けるんだろう。おれとおまえならやれる、と微塵も疑わず、全信頼を預けてくる。
そういう、ところがおれは…、
「?どした?」
「いや、…今のうちから力をつけて、覇気も全盛期くらい操れるようになれば大丈夫だ。間に合う」
「おう!修行しよう!」
「…あとはオマエの…、ゴムゴムはもう食ったのか?」
「いや、まだだ。この後シャンクスたちがこの村に来る。その一年後に食べるんだ」
「そうか、じゃあゴムゴム手に入れたらそれも早い段階でギア…サードだったか、チビ化する時間を少なくしないとアレは体に負担がかかりすぎる。アレの繰り返しが寿命を縮めた一因だからな」
「お、おぅ…」
口早に計画の一端を話しながら寿命を縮める結果になった原因をちくりと責めることも忘れない。
たじろいだ麦わら屋に少し気分が良くなって胸にとん、と拳を当てて告げる。もう戸惑ったり逃げたりしない。
「…これはおれの勝手な考えなんだが。
…もう、おまえにおれより早く死んで欲しくない。その為ならおれはなんでもするって決めた」
「トラ…、…ロー」
名前を呼ばれるだけで胸がきゅう、と痛くなる。
末期も末期だ。こんな小娘みたいな反応をしなきゃならねぇ。恋はいつでもハリケーン、怖い病をおれはずっと患ってる。
「おーい!どこ行った!村長に挨拶せんか!」
「!続きはあとだ、ガープ屋にバレないようにしろよ」
「…わかった!」
ガープ屋に呼ばれて村長にこれから世話になります、と殊勝に挨拶すれば隣で驚く気配を感じる。おまえおれをなんだと思ってるんだ。肩で小突けばごめん、と笑いながら返されてため息を吐く。その様子を見たガープ屋はもう仲良くなったんじゃな、重畳重畳、と笑った。
その後家へと連れて行かれてここを使え、と部屋に通される。もし万が一この村にあの男が来たら何も考えず隠れろ、と言われたが、もしそうなったら即投降するつもりだ。まだこのおれは全盛期であろうあいつには到底敵わない。村人を巻き込むわけにはいかねェ。その考えがわかったのか隣にいる子供がぎゅっと手を握ってきた。
ガープ屋は明日出港しなきゃならんらしい。海軍てのも忙しねェもんだな。大海賊時代だから仕方ねェか。あっさり頷いて今日はコイツと寝る!と言い切った子供に容赦なく拳骨を落とすな。
まだ布団もなにもない為今日は麦わら屋と一晩一緒に寝ることになってしまった。
もやもやする心を鎮める為に隣に寝転んでさっきの話の続きを始める。
「さっきの話の続きだが。…火拳屋の他に、後悔はあるか?」
「…そうだな…、…仲間の夢の果てが、見れなかったことかなァ…。おれナミの世界地図まだ見てなかったんだ」
「そうか…。それも叶える為には戦いのダメージを減らさなきゃならねェな。頂上戦争の後、おれはおまえを診たが、あの時既に相当なダメージが蓄積されていた」
「やっぱ、イワちゃんの術何回もしてもらったのが一番ヤベェのかな」
「…ホルホルの実の能力か。アレは寿命を削ると言われてたな」
「だけどあの時にはそれがなかったら生き残れてねェ」
「そうかもしれねェが、結果後悔が残って現状があるってなると改善するしかねェぞ」
「…わかってる」
「今から準備して強くなりゃ、ドーピングに頼らなくてもいいはずだ」
ベッドの上二人いつぞやの作戦会議のような雰囲気よりももっと真面目に今後の話をたくさんした。前回は何が楽しいのか麦わら屋がはしゃいで全く話を聞いてくれなくて何度も怒ったのを覚えている。30足す数年で麦わら屋はようやく落ち着いたのか、それともこの特殊な状況がそうさせているのかわからなかったけどそれをおれは少し寂しいと感じた。
「なぁ、おれの後悔がエースならなんでトラ男は戻ってんだ?トラ男の後悔ってなんだ?」
「!…また確信を突くようなことを…」
「教えろよ」
じっと見つめてくる子供に観念して口を開く。今のおれはなんの肩書きもない、ただのトラファルガー・ロー。往生際悪く、逆行してまでおまえを想い続けている、執念い男。もう後悔はしない。
前の人生で終ぞ告げなかった想いを、おまえに。
「…ルフィ、おれは…おまえが、好きだ」
「…!」
「ずっと、言わなくて、後悔した。意地を張って、最期の言葉にすら、返事をしなかった…。そんなおれをおまえはもういらないかもしれないが
「んなわけねェ!!!いる!!オレも好きだ!」
……、ルフィ、」
遮るように変わらない言葉を返して貰って、あとはもう言葉にならなかった。たった一言、返せばよかったんだ。こんなにも、満たされることは他にはきっとない。
ボロボロと涙を溢すおれを小さな手で抱き締めるルフィを抱き締め返した。
「ローが、おれを好きって思ってくれてることはずっとわかってた。言葉にしなくても全身で伝えてくれてたもんな。…でもやっぱり、言われると余計に嬉しいな。好きだ」
「おれも…、すき、すき…、ずっと好きだった」
「ロー…」
「…ルフィ、あいしてる…、」
一度告げてしまえばもう後は枷が外れたように言葉が溢れる。ルフィの顔が近付いてくる。おれは、目を瞑って受け入れた。