後方彼氏面「あっ!」
大きく叫んでしまったわたしに友だちたちからの冷たい視線が突き刺さった。
「なに? 急に大きな声出して」
「ちょっとこれみて」
表示したのは今日のVDCリハの様子を伝える番組のアカウント。今回のVDCはあのヴィル・シェーンハイトとネージュ・リュバンシェが参加するらしいとずいぶん前から話題になっていた。ふたりとも同世代の俳優のなかでは抜群の知名度を誇る。映画にだってドラマにだって出てる芸能人が一介の学生の大会に出るのだから周りではちょっとした騒ぎになっていた。VDCは芸能界への登竜門って言う人もいるぐらい注目度が高い大会なのに、既に名前を売る必要もないほどの有名人が出るなんて、って言う人もいたけどふたりとも学生生活を満喫してるだけなのだから別にいいと思う。そんなことより。
「これ、カリムくんじゃん!?」
画面の端に褐色の少年がちらちら映っている。それは見慣れた相手で、わたしがいまから観に行こうとしてた人。そして
「この人、いつもの人じゃん!!」
カリムくんの前で踊る褐色黒髪の少年。わたしは彼をよく知っていた。ううん、正確にはなにも知らないけれど、まじで名前もなんとなくおぼろげだけど、でも知ってる。
この人、軽音部のライブにいつもいる!
わたしたちみたいに歓声をあげるわけでもなく、舞台上の友だちだとはしゃいだり、ヤジを飛ばしたりもしない。楽しんでるのか楽しんでいないのかイマイチ伝わってこなくて、腕を組んでつまらなさそうに見ていたりする。そうやって冷めた態度をとっているのにライブというライブにぜったいいる。
だからわたしたちは密かに彼のことをあだ名で呼んでいた。そう、後方彼氏って。
NRCの軽音部にハマったのは半年と少し前。
けーくん、リリアちゃん、カリムくんで構成される軽音部のライブはとにかく予想外でおもしろくて楽しい。普通に演奏して歌うときだってもちろんあるけど、ライブだ〜ってはしゃいで出てきてそのまま雑談にはいり、そのまま一曲も演奏しないまま持ち時間を終えてしまったり、テンション高くシャウトしてばっかだったり、急に民族楽器を演奏したり。毎回なにが起こるかわからないのが軽音部だ。一度だって同じライブが存在しない。
でもいつだって三人は楽しそうに笑ってはしゃいでこちらを巻き込んでいく。だから観るたびに新鮮でわくわくして、わたしは大好きだった。
毎回テイストが変わるものだから、苦手に思う人も少なからずいて、いつもの人もそのたぐいなのかな、と思っていた。むすっとした表情で壁にもたれかかるように立っている。ノリノリの曲で煽られたってじっとしてるから、逆にすごいな、なんて思ったりした。
「あーやっぱりカリムくんの友だちだったんだね」
なんてこともないように友だちが言う。手に持った甘ったるいシロップまみれの飲料は、色だけは映えるような青色で、光に透けて海の底みたいだ。キラキラしていてとてもきれいだけどそれだけだ。NRCはご飯もおいしいって聞いてたけど、これはあんまりだった。やっぱり良く分からない出店で買うんじゃなかった。あとでよくおすすめされるカフェのとこで買い直そう。
「聞いてない!」
わたしの叫びに友だちたちが目を見合わせる。だってほんとうに聞いてない。今日は軽音部だってステージがある。だから来たのに。学校で歌うカリムくんを見たくてやったきたのに。慌ててヴィルのマジカメを開けばストイックに鍛錬を積む彼のルーティンが表示された。練習風景を探したけれどカリムくんは映ってない。なんで。
けーくんのアカウントに移って写真を遡った。けーくんのマジカメは投稿が多いから直近一週間のログだって莫大で、関係ない写真たちの合間をぬってカリムくんを探す。そういえば最近マジカメにカリムくん、映ってなかった気がする。リリアちゃんとはよくツーショット上げてたけど。……あれってそういうことだったの?
「VDCってどこでやるの?」
入場時にもらったパンフレットを開く。まったくのノーマークだった。なんなら今日はVDCだから軽音部はあまり人が来ないのかな、それとも観に来てファンになっちゃう人が多いのかな、なんてのほほんと考えていた。カリムくんが人気者になってライブに人が入るようになれば嬉しいけど、でも遠い人になっちゃうな、とか。カリムくんは顔覚えるの下手だから、わたしのことなんて全然覚えてくれてない。だから元々遠いけどもっと遠くなっちゃう。いやでもむかしから知ってるのはわたしだし? みたいな。
「どこだっけ、特設ステージ」
「えっいくの? 軽音部は?」
「時間ずれてるからどっちも行くよ、でもVDCも行かないと」
だってカリムくん観に来たのに。歌って踊るならそっちだって観たい。いつだったか、みんなで踊るライブをやっていたときの彼の動きは軽やかだった。ふだんの明るくて楽しいカリムくんがしなやかに舞うたびに手足のアクセサリーが擦れて、響く。飛んで跳ねて舞い降りる姿の優雅な様子はいまも脳裏に染み付いている。ふわりと浮くカリムくんには重力がないみたいな感覚にさえ襲われる。
そういえばあのとき、いつもは壁際に立ってるだけの彼は来ていなかった。その代わりなんかよくわからないフード被ったカリムくんの友だち? が舞台で一緒に踊っていた。カリムくんは友だちだと言っていたけどすぐに否定されててかわいそうって思った記憶がある。たしかにカリムくんは誰でも友だちって言いそうだけど舞台の上で否定なんてしなくてもいいのに。あの子は今日出てないんだろうか。カリムくんとは真逆な雰囲気を持つアクロバットなダンスはなかなかよかった。いつもつまんなさそうに壁になってる変なやつと出ないであっちと出てほしかったな。
「無理じゃない? 当日券の列えぐいらしいよ。ほら」
友だちが見せてくれた写真には人人人人。えっぐ……。
「えっそんなに人気あるの」
「いつもはどうかわかんないけど、今日はネージュくんとヴィルくんだからねえ。配信あるから諦めなよ」
友だちたちがうんうんと頷き合っている。
そんな、せっかく来たのに。
番組のアカウントに戻る。画面の端に映るカリムくん。いっしゅん映った笑顔を今日は見れないんだと思うと泣きたくなった。
「かっわいい……!」
結果から言うとVDCは最高でわたしは配信を映し出していたスマホを両手でかっちりとつかんだ。
「これは優勝では?」
「いやまだ他の人踊ってないから」
くすくすと笑う友だちたちに指摘され、そっかと我に返った。そうだ、まだ他の人が踊ってない。でもこんな素敵な踊りと歌を披露するチームなんて他にあるだろうか、いやない。
「後方彼氏、歌うまかったね」
「……そうだね」
そうだ、あの人はまさかのメインボーカルだった。ダンスもうまくて魅せられた、それは認める。認めたくないけど。
「カリムくんが」
配信では自分で観たいところをみることができない。だからカリムくんを観たいのに後方彼氏のほうをたくさんみることになった。悔しいけど今日だけは前方彼氏だ。
ときどき映るカリムくんは笑顔でめちゃめちゃ楽しそうでかっこよかった。いつも軽音部のライブのときも楽しそうだけど、なんか、それより、もっと。
「カリムくん、あの人好きなんだ……」
ヴィルが歌ってるとき、ちらちら映るカリムくんが笑う。シンメトリーなダンスをいつものあいつと踊ってるときに、いっしゅん後方彼氏がカリムくんをちらりとみて、口元を釣り上げた瞬間のカリムくんってば!! ぱあっと笑った様子は見たことないぐらい嬉しそうだった。立ち位置入れ替えの移動時や後方彼氏……今日は前方? いや、ややこしいな、名前なんだっけ、じゃ…じゃ……ジャミル? と目が合うたびに嬉しいがこぼれ落ちるのが見えた気がした。終わったあとのハイタッチ。すぐに寄っていくカリムくん。ふだんの軽音部のときとは全然違う。とろける笑みでジャミルをみていた。
いままで何回もライブを見てきたけど、初めてみる笑顔の数々は生で見れなかったことが本気で悔やまれた。くやしい。
でもあんなん見せられたら大変だったかも。零れ落ちる笑顔も涙もとなりにいる人のおかげでいつもよりエフェクトがかかっていてきれいだった。普段は仏頂面の後方彼氏……面倒、ジャミルも今日はめちゃめちゃ笑顔で、なんなの、ふだんあんなに笑わなかったくせにってなってる。
「カリムくん、軽音部やめちゃうのかなあ」
何度目かの再生を見つめながらぼやくとうなだれてるわたしの背中から友だちの笑い声が重なる。
「ないでしょ、もしそうなら盛大なお別れライブやるって」
「そうそう、カリムくんだよ」
言われてみれば確かにそう……なんだけど、でも。
ジャミルと踊るカリムくんはとても楽しそうで舞台に何人いてもふたりの世界で、空気が全然違った。なんだろう、入り込めない感じ。
「最高じゃん」
軽音部のカリムくんと後方彼氏といるカリムくんと。全然違って、でもカリムくんで、なんかいい。できれば両方みたいなあなんて。思いながら再度リピートボタンを押した。
後日、NRCに期間限定宣伝アカウントが出来て、カリムくんと後方彼氏がNRCトライブからの宣伝隊として登場して、わたしが発狂したのはまた別のお話。