寮生たちは長髪寮長を守りたい「速報です」
駆け込んできた寮生に複数の視線が重なる。息を切らして駆けてきた少年を労うように見上げ、彼の息が整うのをじっと待った。
「予想通り副寮長が押し負けました。今晩は様子を見るそうです」
途端にわっと歓声が上がって上級生から消灯時間が近いんだから静かにしろと叱責が飛ぶ。慌てて口を噤んだ寮生たちがゆっくりと視線を交わらせる。
「喜ぶのはまだ早いぞ」
メモ用の紙を持った寮生が全員の顔を見渡した。神妙な面持ちでカチッとふたを取り、ペンを走らせた。
「寮長の髪を守る会 作戦会議」
彼の周りを取り巻く寮生たちがごくりと息を呑む。
期限は明日の夕方まで。
それまでに副寮長を納得させる必要がある。
かくして寮生たちの戦いは静かに幕を開けた。
スカラビア寮長であるカリムが不思議な力で図書室に閉じ込められたのは今朝のことだった。始業前にしっかり副寮長であるジャミルに教室前まで送ってもらったカリムは何故か授業が始まる直前に図書館へと向かったらしい。ジャミルは教室の中まで送るべきだったとかなんとか言いながら頭を抱えていたが、たぶん中まで送ったところで寮長は飛び出していくに違いない。
「大丈夫だって!」と満面の笑みで言い切られて止めれるのは副寮長であるジャミルだけだし、そのジャミルだって三回に一回ぐらいは押し負けている。カリムの大丈夫には根拠なく信じてしまいそうになる力がある。
図書館に閉じ込められた理由について仔細は詳しく語られなかったが、力技でも魔法でもどうやっても扉に傷ひとつつけることができないらしかった。脱出手段を模索する学園長や副寮長から山ほど依頼が来て、目まぐるしく動き回っているなか、息抜きを求めたらしい寮生によってその画像は発見された。
ハーツラビュル寮の三年生、ケイトが上げたマジカメに上げた写真にはカリム寮長が写っていた。いつも通りの朗らかな笑顔。そして耳の後ろから肩にかけて滑り落ちる長い髪。いつもの大きなターバンでまとめられた髪には絶妙な匙加減で三つ編みが混ざっていて、カリムのキュートさを際立たせていた。
「見つけたときはマジで変な声でたよな」
「となりで人として出せないような奇声が聞こえたから何事かと思ったわ。あんなのよく見つけたよなあ」
「寮長はマジカメのアカウント使ってないだろ?でも写真は見たいじゃん?あの人軽音部だからフォローしてると寮長のいろんな写真上げてくれてお得なんだよなあ」
「えー俺もフォローしようかな」
「その代わり投稿数半端ないからTL埋まるけどな」
「それは困る」
「いや、そんなことより」
閑話休題。雑談へと傾きかけていた話を遮って書紀を兼ねた少年はうーんと考えるように手に持っているペンを顎に押し当てた。
「副寮長が寮長の髪を切らないように説得する方法を考えないと」
魔法薬によって伸ばされた長い髪は寮長にとてもよく似合っていた。長さが少し不揃いではあるものの、もともとの髪質のまま美しく伸びされた髪はすれ違うだけでいい香りがしたし、なによりかわいい。カリムと一緒に閉じ込められたというハーツラビュルの一年生によってアレンジされた髪は、ちょっと……かなり副寮長の影響を感じされたが、寮長にとてもよく似合っていて寮へと帰還した際には歓声が上がったほどだ。もっとも寮長たちは無事脱出できたことを喜んでくれていると思っていたらしいが。話がややこしくなるのでそのまま勘違いしていてくれたほうが助かる。
寮生たちの喜びなんて知らずに、カリムが寮に戻った途端、ジャミルは散髪用のハサミを取り出した。
「せっかくアジームが気に入ってるんだ。そのままにしておいても」
なんて三年生の先輩が進言してくれたけど副寮長は首を縦には振らなかった。
「長い髪は生活を制限されるんです。ちょっとした不注意ですぐいろんなところに引っ掛かってしまう。不慣れなら人間なら尚更。カリムが髪を木に引っ掛けてぶら下がってる姿、先輩だって想像出来るでしょう」
はっきりと言い切られて、先輩以外の寮生たちも頷きそうになっていた。
どうにか頷かないように顔を止めて目をつむる。
たしかに。寮長ならありえないこともない。
周りの反応なんて気づいた様子もなく、元気いっぱいに弾けるような笑みを浮かべて胸を張った。
「大丈夫だぜ! 最近はあんまり箒も暴走しなくなったんだ。授業中は周りに大きな木もないし、なんにもないから風に髪がなびいて楽しそうだ」
「なびかせるな。体力育成のときはまとめないと邪魔になるだろ。髪で前が見えねぇ〜なんて箒の上で慌てたって助けてやらないからな」
「あ、そうか! 長いと顔隠したりも出来るんだな。……どうだ?」
後ろの髪を前に持ってきたカリムがえっへんと胸を張る。三つ編みのところが変にねじ曲がって乱れているのが見えた。
「どうだ、じゃない。ああもうボサボサじゃないか。いったん三つ編みは全部とくぞ」
「えぇ〜でも絡むと面倒だっていつもジャミルも言ってるもんな。わかった! その代わり明日もう一回結ってくれないか?」
「切るって言ってるだろ。風呂の前に切らないと無駄に手間がかかって仕方ない」
「風呂! いいな! ジャミルいっつもお団子にして髪上げてるだろ?あれやってみたかったんだ〜。さっそくやってみようぜ」
「だから切るって、おい! カリム、人の話を……! 風呂に入るのに手ぶらなやつがいるか! あぁもう!!」
風のように去っていくカリムを追いかけるのを諦めて入浴セットを取りに部屋へと戻るジャミルをみんななにも言わずに見送った。
すぐに両手で寮長の分まで入浴セットを抱えた副寮長が通り過ぎて誰からともなく寮生たちが円になっていった。
「切られちゃうの、もったいなくね?」
「いやーでもあそこ押し切られてこのあと切るのは考えにくいだろ。寮長、長い髪超気に入ってんじゃん」
「一晩ならって絆されそうですよね。一晩だけでしょうけど」
「寮長も気まぐれだから明日急に切るとか言いかねないしな」
「わかる」
「じゃあ……」
円陣になっている寮生たちの顔をゆっくりと見渡す。
やるしかない。
寮長を褒め称え、長髪を気に入ってもらい、副寮長の許可も取る。
「でもさあ、風呂で副寮長が魔法で説得してる可能性もあるだろ」
全員がお互いの目を見て黙り込む。
ジャミルのユニーク魔法は人を操ることが出来る……らしい。ホリデー中何度もおかしくなったカリムを見ていた。
いままさにカリムとジャミルは密接しているし髪を切りたいジャミルが魔法を使うことも考えられなくはない。
「そんなことしたら流石に寮長だって怒るだろ」
寮生たちがうんうんとまばらに頷く。
「だよなあ、流石にないか」
いつもは口煩いジャミルも一旦カリムが決めたから口を出すなと言われたことに対しては従っている。時折苦虫を噛み潰したような顔をしているが、さっきみたいにいきなり取り出したハサミで強制的に髪を切ってしまったりはしない。
「お前らこそこそするなら部屋戻れよ。髪を切らせないように考えてるなんてバイパーが知ったらそれこそ今すぐ切るって言い出しかねないぞ」
円に加わってない先輩が、あくびを噛み殺しながら伸びをする。
「見回りは見逃してやるから部屋でやれ」
そんなふうに談話室を追い出され、メンバーの中でいちばん副寮長の部屋から遠い寮生の部屋に集まってひっそりと作戦会議を続けた。
いちばんの作戦はやはり褒めること。いいという感情を無理に隠さずしっかりと寮長に伝える。寮長だって人間だから褒められたらやっぱり嬉しいはずだ。
寮長が不便に思ったら即フォローする。些細なことだけど寮長が髪を引っ掛けてしまったのを見かけたらすぐにほどいてあげること。
「やっぱり切ったほうがいいな」となんて思わせないことで髪の寿命を伸ばす。
他にもいくつか対策案が出される。久々に白熱した議論で寮生たちに満足感にみたされたいた。完ぺきだと自負する対応案がまとまったときには空がうっすら明るくなっていた。
のに。
「えっなんで」
翌朝、談話室に顔を出した寮長の髪はすっかり元に戻っていた。
「昨日ジャミルが切ってくれたんだ」
ニコニコというよりはでれでれといった表情を浮かべて寮長が短くなった髪をなでる。
「寮長……長い髪似合ってましたよ……」
呆気にとられた様子で、けれどどうにか昨日考えた通りの言葉を口にする一年生は、読み上げるのが精いっぱいな棒読みのような声をしている。
「ありがとな!」
「もっと見ていたいです……」
「えぇ? そんなにか? うーんでももう切っちまったしなあ」
「昨日あんなに気に入ってらしたのに」
諦めがつかないのか、混乱しすぎてシミュレーション通りの行動しか出来ないのか、固まった表情のまま一年生が続ける。
彼の異常に気づかないままカリムはへらりとえみをこぼした。
「そうなんだけどさあ。ジャミルが昨日たくさん……遊んでくれて。それで実はジャミルが短髪のほうが好きだって分かってさあ。長い髪をザクザクと切るの、たのしかったぜ」
一緒もごもごと口ごもったカリムがにこにこと笑って、それでもう会話をしている一年生以外は何があったか悟った。首の根元に赤い斑点のようなものが見えた気がしたけどみんな何も言わなかった。
「バイパーのが上手だったな」
おかしそうに三年生が笑って、けれど周りは誰も笑みすら浮かべてなくて、いつもよりうんと静かな朝が始まってしまった。マジカメの写真は保存して待ち受けにした。寮長だけの写真を、撮らせてもらえばよかったと後悔しても、もう遅い。