クレマチス ピンチです。
預かっていた花が枯れました。
「しばらく預かっていてくれ」
渡されたのはしっかり閉じた赤いつぼみをたずさえた花の鉢だった。花の名前はなんと言ったか忘れてしまったな、なんてらしくないことを言ったジャミルは「世話を頼みたい」と頼んできた。
「どうした、呆けた顔をして」
「いや」
ちょっと出掛けてくる、なんてまるで買い物に行くような調子で告げられたのは一ヶ月ほどの旅行計画で、全然ちょっとではなかった。ジャミルはこんなに気が長いタイプだっただろうか。一ヶ月どころか一日だって長いというタイプだと思っていたのに。離れることの寂しさに少し拗ねてみれば「旅行じゃなくて研修な」と呆れた表情が返ってくる。
――お前のせい、でもあるんだからな。
ジャミル曰くアジームの方針で一度外の世界もみて視野を広げたほうがいい、ということになったらしい。ちょうど親戚筋の跡取りが諸外国をまわることになっていて、歳の近いジャミルなら外でもあまり目立たないだろうと抜擢されたそうだ。護衛、と言ってもぴりぴりし緊迫したものではないから、と言われても、ジャミルが自分の知らないところで危険な目に遭うかもしれず、それはそれであまりいい気分ではなかった。仕事だから言わなかったけれど。
「ジャミル、花なんて育ててたのか?」
少なくともNRCにいた頃は鉢なんて持ってなかったと記憶している。ジャミルの部屋は下手をすると自室よりも長く滞在していて、なにがあるかはだいたい把握していた。
「……ああ、戻ってからな。咲くのを楽しみにしていたって言うのについてない」
「へえ」
知らなかった、という言葉は一旦飲み込んだ。ジャミルは日々の出来事を逐一報告するタイプではない。全部報告してくれ、なんて言うのは簡単だけどジャミルがしんどくなるのはよくない。花を買ったことはジャミルのなかで重要ではなかったのだろう。もしくは咲いたら教えてくれるつもりだったのかしれない。
NRCを卒業してからジャミルは一旦実家に戻っている。当然前のように部屋へ入り浸ることもできないから知らないことが増えてるのも、仕方ない。部屋には変わらず来てくれるから時間の許す限りは一緒に過ごしているし、あまりに全部知りたいというのは高望みというものだ。
「どうした? 無理そうなら他に頼むが」
不安そうにこちらをみるジャミルにかぶりをふる。不安、なんてない。
「いや、任せてくれ! 花が咲いたら写真、送るからな!」
ぐっと手のひらを握りしめると、それまでに帰ってくるよと満足そうな笑みを浮かべるジャミルと目があった。
「ど、しよ」
日々の世話は水やりと、それから毎日の声掛け。
花は人の言葉がわかるんだ、とジャミルは言っていた。だから毎日話しかけてやってくれ、と。話しかけるのは水やりのタイミングでなくてもいいらしい。花は気が向いたとき話しかけてやるだけで、うんときれいに育っていくそうだ。どうせなら一等きれいに咲いてほしい。ジャミルに任されたのだ、喜んでもらいたい。せっせと世話をして、話しかけ、そうして、もうすぐジャミルが帰ってくる日を間近に控え、つぼみも大きくなっていたのに、花は開く前に枯れた。正確には枯れそう。しおしおになった葉っぱはところどころ色が失われてしまっている。僅かに緩んだ花びらは咲きかけというより閉じている力がなくなったようにも見えて、泣いているようにさえ見える。
「水やり、しすぎた……?」
不安が言葉になって滑り落ち、そんなことはないはずだと首を振った。土が湿る程度、とジャミルは言っていた。少ないと思うぐらいでちょうどいいと、どのぐらいが適量なのか、タイミングはいつが良いのか、細かく書かれたメモまで渡された。
お前はやりすぎるところがあるからな、と呆れた表情を浮かべたジャミルは、けれど世話を任せてくれた。信頼には結果で応えたい。たくさん与えたい気持ちをぐっと抑えてメモを何度も見ながら水やりをした。
途中何度もまだ、いける? もう、やめたほうがいい? なんてやっているのをジャミルが見ていたら「水やりひとつで大騒動だな」なんて笑っただろう。でもぜったい失敗したくなかった。
昨日までは確かにつぼみは順調に大きくなっていた。……はずなのに。
「どうしよ」
目の前の出来事に泣きたくなる。誰かに訊いてみようか、なんて思って駄目だ駄目だと否定する。ジャミルとの関係が幼なじみとか従者と主とかそういった垣根を越えていることは家の誰にも言っていないし──ジャミルは暗黙の了解だろうって言っていたけれど──従者が主に仕事を任せて出かけていったなんて心証が悪いことは流石に分かる。こんなことなら戻ると同時にもっと根回ししておけば良かった。
スマホを手に取ってみる。ジャミルに連絡してみようか。ジャミルなら解決策が分かるかもしれない。今は仕事中だから、メッセージなら。
考えて、スマホを置いた。
がっかりしちまうよなあ。
咲くのを楽しみにしていたと言っていた。ほんとうは世話だって自分でしたかったろうに、長期の不在ではどうしようもない。家族にお願いすることも出来たのに、あえて自分に頼ってくれた気持ちを踏みにじるような気がして、涙が零れそうになる。きれいに咲いているところを見せてあげたかった。
「元気、出してくれよ」
泣きたい気持ちをどうにか押しとどめて話しかける。涙が花に落ちるといけないからぐいっと目元を拭う。うん、大丈夫。
花は人の言葉が分かるとジャミルは言っていた。だから毎日話しかけてやってくれ、と。
毎日いろんな話を、した。朝起きて陽射しが眩しい、噴水に反射した光がきれい。朝ひとりで起きるのも楽しくてしかたなかった。起きておはようと話しかける。そこにジャミルがいる気がして笑顔になれた。身支度を整えてる間に弟妹たちがドアの前で声をあげる。仕事する前に遊んだり、話を聞いたりして、元気をもらう。お昼に戻れたら午前中の出来事の話をして、勉強へとスライド。憶えることがたくさんあって正直眠い。合間合間、部屋に戻るたびに話しかける。時々……よくジャミルの話もした。人の話が分かるなら、花だって楽しい話を聞いていたいはずで、自分のなかでいつでも笑顔になれるのはジャミルの話だったので。
ジャミルに言えない話も、した。たとえば、資料をまとめてる横顔がかっこいいとか、弟妹たちと遊んでるときに困ったように笑う様子が愛おしいとか、いたずらを企ててる悪い顔があどけない、とか。直接言うと誤魔化されて最後まで訊いて貰えない話を、たくさんした。人に話したくて仕方ない話がたくさんある。それらはジャミルが嫌がるから、話しても大丈夫な相手だとついつい饒舌になってしまった。話せば話すほどつぼみが大きくなる気がして、最近だと日が落ちたことも気にせず話していて、夜食を持ってきてくれた侍女を驚かせてしまったこともある。
「ジャミルがさ、早く帰ってくるといいな」
もしかしたら、人の言葉が分かるから、途中で語り部が変わったのもわかったのかもしれない。ジャミルはどんな話をしていたんだろう。楽しい話だろうか、もっと知的な話だろうか。花がきれいに咲くためのことばをたくさんかけてくれていたのかもしれない。だからがっかりしたのかも。なんて思う。振り返ってみても自分はジャミルの話ばかりしていた。だって、会いたいし、寂しい。
仕事が忙しいのか、ジャミルからの連絡はほとんど無い。どこにいるって言ってたっけ、なんか遠い、国。たくさん国を巡るから準備が大変だとぼやいていた。いま何番目の国にいるんだろう。
「ジャミル、ごめん」
「なんだなにを謝ってる?」
ぼやいたことばに返ってきた声を、理解するまでまばたき二回。ゆっくりとまたたいた瞳に映り込んでいたのは
「ジャミル!」
幻かと思って手を伸ばすと、あっさりと実体のある頬に辿り着く。「ジャミル」
「何度も呼ばなくても聞こえてる。……泣いてたのか?」
呆れた表情を浮かべたジャミルが涙を拭ってくれる。温かい。本物だ。
「ジャミル、なんで」
ことばに詰まる。元気のない花を慌てて背で隠して、どうせなら自分がしおれた方が良かったのに、なんて思った。預かった大事なものだったのに、こんな姿にしてしまって、なんていったらいいか分からない。
「途中の滞在先で色々あってな。予定を切り上げて戻って来たんだ。散々だったよ、まったく」
よく見ればいつもはきれいに結われている髪がまるで暴風雨の中を駆けてきたように乱れている。服だってあまりきれいな状態ではなかった。家に戻らず直接ここにやってきたのだろう。伸びてきた手がいっしゅん躊躇うように止まる。自分の服を見下ろしたジャミルはいっしゅん考えるような仕草をして、諦めたように溜息をついた。そうして力強く抱擁される。
「ああ、やっぱり枯れてる」
せっかく隠した花を見つけられて、ごまかすようにジャミルの服へと顔を押しつけた。「ごめん」
「まあ予想してたしな。……ほんとうに枯らすとは思わなかったが」
それは期待していなかったと言われてるのと同意で胸が痛んだ。枯れたことが予想通りなのは、哀しい。頑張った。……頑張ったつもりだったのに。
「ごめん、ジャミル」
「いいんだ。どうせお前が話しかけ過ぎたんだろ。……やるんじゃないかと思っていたが、ほんとうにやるとは思わなくてな」
「ごめ……って、え?」
ジャミルの力が緩んで、身体が解放される。ジャミルは枯れた花に手を伸ばして、なにかを詠唱した。いっしゅんの間を置いて、花がしゃべり出す。
『おはよう! きょうの天気もいいな。ジャミルがいるところも晴れてるといいな。ジャミルは夜明けの徐々に明るくなっていく空を見るのが好きなんだ。朝ご飯の支度をしたら空をみて珈琲飲んでたりするんだぜ、オシャレだよな』『妹とVDCの映像を見たらジャミルがかっこよくてさあ。あれ、今踊ったらもっとかっこいいんじゃないか? 今度言ってみようかな。どうせならヴィルも誘いたいよなあ。みんなで集まって踊るの楽しいだろうな』『お前、虫がついてるからとっとこうな。ジャミルが見たら驚くだろうから』『寂しい』『花が咲いたらジャミルどんな顔するんだろうな。喜ぶよな。楽しみだな』『内緒だけどジャミルの寝顔の写真があるんだ。ジャミルはいつもオレより遅く寝るし起きるのも早いからなかなか撮れないんだけど。ばれたらきっと消されちまうから、今のうちに何度も見とくんだ。ジャミルがいるところじゃ見れないし』『今、なにしてんだろ』『弟がダンス教えて欲しいって言うから一緒に踊ったんだ。むかしジャミルがエースとデュースに教えてたの横で見てて良かったなあ。ジャミルは踊るのだけじゃなくて教えるのも上手いんだ。もちろんダンス以外だってうまいんだ。お前もご飯食べれれば良かったなあ。ジャミルの飯はうまいのに』
壊れたスピーカーみたいに、どっと流れてきた声に理解が追いつかなかった。途切れることなく続いてく音声にやっと意味がわかると頬が熱くなってきた。これ、オレの声。
ジャミルが可笑しそうに笑って近づいてくる。もう一度なに呪文を唱えると音が止まった。「ずいぶんとたくさん話したな、お前」
「え、なに、いまの」
「お前の話だろ。自分が言ったことも忘れたのか」
「じゃなくて」
「栄養過多じゃ、流石に枯れもする」
「えっ、……え?」
なにを言ってるか分からなくて呆けた声を出してしまった。ジャミルはたっぷりとこちらを見た後、そうだ、言い忘れていた、と笑顔になった。
「あれは魔道具だ」
「魔道具……?」
「連絡手段が今ほど発達していない頃に流行ったものらしくてな。まあさっきみたいに話しかけた声を録音しておけるんだ。花が咲いたらおしまい。で、こっちがスピーカー」
手に持った花形のブローチに詠唱をすれば、また自分の声が溢れてくる。
「え、え、つまり?」
「研修なんて体の良いこと言ってたけど、知らない人の中に放り込まれて、俺だって寂しくないわけがないってことだ。……最後トラブルがあって音声を取り出せなかったから魔道具のキャパオーバーで壊れかけてるかもって思ったけど案の定だったな」
くつくつと楽しそうに笑うジャミルと花を交互にみて、やっと意味が分かって顔を手のひらで覆った。え、嘘だ、と言うことは最初から全部。
顔から火が出るかと思った。毎日話していたあれそれが全部筒抜けだったという……そんな、無理。
「水やりは」
「花に水をやらないのは不自然だろ」
しれっとした様子でジャミルが花に触れる。まだしおしおとしている花は、壊れてしまったのかもしれない。悪いことをした。
「ジャミル、ずるい」
ぐるぐる色んな感情が脳内を巡って、結局ずるい、と言う感情が残った。ずるい、だって、こっちだって寂しかった。ジャミルがいない日々がどれだけ心細かったか、なんて言うまでも無いのに。
じっと睨むように見つめると、小さな花束を渡される。あからさまに造花のそれにジャミルがなにか唱えると『カリム』と聞き慣れた声がした。
『最初の国は……だ。今の時期は夜が来ない。ずっと夜通し明るいのは不思議な感じがするな』
「こっちは現代の改良型……と言ってもため込める音声が少ないけどな」
これで許してくれよ、とジャミルがいたずらっぽく笑う。もやもやが取り切れないけれど、「普段言えないことも言っておいた」なんて言われたら受け取らないワケにもいかない。
満足そうに「ただいま、カリム」なんて耳元でささやくジャミルはひどく意地が悪い。