とびきりの甘さと、少しのほろ苦さと。 二月十四日、バレンタインデー。
この日に贈り物を送ると、それ即ち愛の告白、となる特別な日。
地域差はあるものの、女性から意中の男性にチョコレートを渡す、そんな方式がここカルデアでは最もポピュラーだ。
去年まで私のバレンタインと言えば、ただ女の子達と美味しいチョコ(たまに美味しいとは言い難いものもあったが…)を交換して、お互いに感想を言い合う、所謂友チョコを楽しむ恋愛と程遠いただのお祭りイベントだった。…去年までは。
去年の私と違うこと、今の私には所謂恋人と呼べるような人がいる、らしい。
なぜ他人事なのか?これがつい先日の出来事で、未だに上手く状況を飲み込めていないから。
私はもうかれこれ一週間前から、この日のことで悩んでいる。
私の恋愛経験値は、お世辞にも高いとは言えない。何をするにも、どれが正解なのか、とんとわからないのだ。
やっぱり手作り?
それとも食堂で、この時期だけ臨時で特別販売する、間違いのないチョコレート?
…それは寧ろ、私が食べたい。
別に、手作りに自信が無い訳では無い。
これでも、それなりに料理が出来るという自負はある。ただ、いきなり手作りは重いと思われないだろうか。それに、甘いものが好きな事は判っているけれど、肝心要のチョコレートの好みは全く判らないし、当然今になって訊く事も出来ない。
そうこうしているうちに、あっさり迎えてしまったのが、バレンタイン前日の今日だ。時刻は、十九時を回ろうかと言うところ。
運がいいのか悪いのか、特に急ぎのレイシフト予定もない。
恋人なって、初めて迎えるバレンタインに、チョコを渡さないなんてありえない…つまり、悩んでいる暇など無いのだ。
「うーん…そもそも材料って何があるんだろう…」そう呟いたが、答えが返ってくるはずもない。直接キッチン組に訊いた方が早い。
そう思った私は、食堂に歩を進めた。
「何が作りたいのかによるけど…この時期は大体みんな何か作ってるから、大抵のものはあるよ」
「すぐ出せるものはこんな感じかな~」と言って、ブーディカが出してくれた材料を、一通り眺める。
「ふふ、彼にあげるの?」
そう、なんだか微笑ましいものを見るような笑顔で、ブーディカに問われた。カルデア中で瞬く間に広がった噂は、例にも漏れず、彼女の耳にも届いているらしい。
「うん、こういうの慣れてなくて…と言うかそんなにわかりやすい?」
「見たら分かるよ。だってこいと、もう顔が赤いもの。でもそれは熱ってわけじゃないでしょう?」
ニコニコ眺められて、その視線がなんだかとても恥ずかしくて、擽ったい。
「じゃあ、これと、これと…貰ってもいい?」と、必要な材料を手に取る。
「もちろん。上手くできるといいね、頑張って!」
そう言って頭を撫でてくれる。お母さんみたいだ、と思わず顔が綻んだ。
「さて、やるか」
レシピ帳を開いて、先ずは材料の確認から。
失敗は許されない。彼がどうこうではなく、私のプライドが許さない。きっちり計量して、手順通り進める。
丁寧に、慎重に、気持ちを込める。
気持ちで味が変わるとするなら、きっと美味しいものが出来るはず、と自分を鼓舞する。
焼き上がりを待つ間、淡く私の顔を照らすオーブンを前に考える。
柄にもなく今の私は、所謂恋する乙女ってやつをやっている…気がする。
傍目から見たら、恋人の為に、必死にチョコレートを作っているのだから、そう見えるに違いない。
だけど、恋とはきっと、そういうものなのだ。
気付けば日付けを越えていて、バレンタインデー、その日を迎えていた。
焼きあがって間もないそれを、それと気付かれぬようにそっと包んで、彼の部屋へ向かう。
…そもそも、部屋に居るのだろうか?
若干の不安を抱きつつ、ノックをしてみる。
「誰だろう、どうぞ」
良かった、部屋の主は居るようだ。
その時になって気付いたが、私は彼を自室に呼ぶことはあったが、彼の部屋に入るのは、初めてではないか?
今更そんなことを考えるが、後には引けない。
小さく深呼吸をして、「こいとです、入るね」と、足を進めた。
「ああ、マスターか」
私の顔を見ると、柔らかく笑う。
ああ、相変わらずなんて優しく笑うんだろう、と一瞬本来の目的を忘れそうになる。
「珍しいね、君が僕の部屋に来るなんて、どうかしたの?」
突然の来訪に、当然の質問を投げかけられる。
チョコレートを渡すだけなのに、嫌に緊張する。
なんだか最近、緊張ばかりしていないだろうか?
本命チョコを渡す女の子達は、みんなこんな思いを乗り越えたのか、と尊敬すらしてしまう。
「バレンタインだから、チョコレート持ってきたの。食べてくれる?」
気の利いたセリフが一切出てこないまま、おずおずと包みを差し出す。なんだか格好がつかないなぁ…と方向のズレた恥ずかしさを覚えた。
「ああ!バレンタイン!そうか、そうだったね。ここ最近、妙にカルデア中が浮き足立ってたのは、そういう事かぁ。僕の生きてた頃は、そんな文化無かったから、あまり馴染みがなくてさ」そう言って、君は無邪気にからからと笑う。
「でも、もちろんどういうものか意味は知ってるよ、これは本命チョコだ」
分かってるよと、そう自信満々に顔に書いている。
いつだって君は直球だ。しかも短期決戦を仕掛けてくる。
そこまで真っ直ぐに言われたら、「もちろん本命だよ」以外に返す言葉がない。
「へえ、こういうの嬉しいな、僕チョコ好きなんだ」
開けていい?と、律儀に訊いて来るので、もうあげたんだし、ビリーくんの好きにしていいよ、と言うと包みを丁寧に解きはじめる。
解くと、解放されたとばかりに、ふわっと一気に甘い香りが立ち上った。
中にはまだ温かさの残る、ガトーショコラ。
決して手の込んだものでは無い、シンプルなものだけれど、チョコレートが好きなら誰でも好きだろう、と言う私の脳内会議の結果だ。
「チョコレートケーキかい?」
「うーん、似たようなものだけど、もっとチョコレートが濃いケーキ…かな」
「へえ、それならコーヒーがいるね。ケーキのちょっとしたお礼に、煎れてあげる」
ちょっと待ってね、と慣れた手つきでコーヒーを用意する。…いつの間にコーヒーメーカーなんてものが、部屋に配備されたんだ?
「さあ、どうぞ」
目の前にふわふわと、いい香りの湯気を立ち昇らせるカップが置かれた。
ガトーショコラの香りと、コーヒーの香りが、空中で混ざる。
「いただきます」そう言って、口に運ぶ君。
「本当にチョコレートケーキとは違うね、チョコレートをそのまま食べてるみたいだ」
そう言いながら、本当に美味しそうに食べている。ビリーくんって、こんなに表情豊かだったっけ?そう思いながら、「美味しい?」と訊いてみる。
「美味しいよ、食べてみる?」
「いや、いいよ、自分で食べるために作ったんじゃないもん。…気にはなるけど…」
思わず、食い意地を張った私が顔を出す。
「じゃあ、これならいいよね?」
そう言うと、私が反応するより先に、唇に何か柔らかく、温かいものが当たる感触がした。
チョコレートとは、こんなに甘いものだっただろうか?
惚けた私とは対照的に、ニコニコと微笑む君を見てそう思った。
とびきり甘い時を過ごす、恋人達のバレンタインデー。
この時の二人は、間違いなくその内の一組だった。