ありふれた奇跡と真理について「いやぁ、楽しいね」
そう呟いた桜備が、自然と日本酒を注いでくれる。彼の言葉に心から同意して頷きながら、瞬きのタイミングでスローになる視界に灯城は、やばいな、と思った。
ありふれた奇跡と真理について
桜備と飲みに行くのは、二回目だった。
一回目は、火縄も一緒だった。なるほど、火縄から聞いていた通り―もしくは、彼が認識しているのとは違う意味で―すごい人だな、とは五分で舌を巻いたのだけれど。キャパオーバーだ、と自分でも言った火縄がべろんべろんに酔っぱらってしまって、後半は桜備と話をするどころではなかった。当たり前のようにタクシーに放り込まれた火縄と、その後に乗り込んだ桜備と、二人が帰って行った方角を見送って、つい一人でもう一軒行ってしまったのは一ヵ月ほど前のことだ。
「この間はごめんね。次は俺と二人で行かない?」という電話が桜備から自分宛にかかってきたのは二週間前。「火縄の許可は取ったから」という駄目押しで、今日、灯城はここにいる。
自分の好物の店だと思ったら、火縄から聞いたのだと秘密を打ち明けるように言われた。どんな話をされるかと思ったら、軍に戻った灯城の近況を心配し、褒め、そして今の上官の情報まで惜しまずにくれる。些細な世間話も、彼にかかればつい熱が入ってしまうほど膨らませてくれて。つい本気で笑ってしまいながら灯城は、やばいな、と思ったのだ。
人の懐に入り込むのが上手いのが似ている、と火縄は言ってくれたけれど、桜備は段違いだ。その彼が、本気で灯城の信頼を得ようとしている。大体の理由はわかっているけれど、ここまでされる明確な根拠が思い当たらず、杯を重ねてぼんやりしてくる頭でも、どこかで脳が警鐘を鳴らしている。
追加の熱燗を頼んだ桜備が、身体ごとこちらに向き直ったのはその時だった。
「無理して話してくれなくても良いんだけど」
ついに来たな、と灯城は大きく息を吸う。
「よく火縄に会ってたのはその、」
「俺が死ぬ前なので、三年以上前ですね」
「そう、それが聞きたくてさ」
自分はあっけらかんとしている―だって、死んだと思ったら蘇ったのだからプラスでしかない―が、気を遣ってくれるのは好ましい。火縄から聞いた彼の死の様子を思い起こせば、それも当然か、と思いながら少しぐらつきそうな頭でも必死に相手の顔へ視線を上げる。
灯城の視線を真っ向から受け止めた桜備は、絞り出すように呟いた。
「……火縄、可愛くなってないか?」
「……は?」
あの第八特殊消防隊の大隊長。火縄が王と呼んだ男。自分より三つ上。アルコールに浸った脳でも過ったそれらを、吹き飛ばすような、全力の「は?」が出てしまった。俺、目上の相手にこんな声が出せるんだな、と自分自身に驚いている灯城をどう勘違いしたのか、桜備は全力で手を振る。
「いや、なんか会った時はあんな感じじゃなかった気がして」
確かに、元々整った顔してるなぁとは思ってたけど、綺麗になったというか、可愛くなったというか。
そんなことをもごもごと言いながら、何を誤魔化そうとしているのか先ほどまでの余裕が嘘のように、桜備がばたばた動く。多分、自分好みの女子がやったら可愛い仕草なのだが、何しろ特大サイズの男なのでカウンターの上はもう地震だ。桜備の向こう側に座ってしっぽり飲んでいたカップルは、何事かと明らかに驚いている。
自分だってそうだ。ここまでひやひやさせておいて、聞きたかったのがこれ、なんて思ってしまった瞬間、ガクンと酔いが回ってしまったのだけれど。
真っ直ぐこちらを見てくる桜備を見ていたら、ああ、何事なんだよなぁ、としみじみ噛み締めてしまったから。
「確かに顔色とガタイは良くなった気がしますが、俺から見れば目付きが悪い普通の男なので。桜備さんが三年分好きになっただけじゃないですか?」
呆気に取られたような顔をした彼が、しばらく経ってから呟いた、俺が出すね、の言葉に、灯城は今日一番笑ってしまった。