ベイン姉弟サンドされるブラ晶♀︎の晶の話「最近ね、店にすっごい可愛い子が来るのよ」
カチャ、と空になった皿の上にカトラリーを置いて、ちらりと目線を上げる。目の前にいる男──あたしの弟を見ると、弟は頬杖をついて、興味なさげに「へえ」と適当な相槌を打った。
「あんた、もうちょっとマシな反応できないの?」
「あ? んなこと言ったって、おまえが話すこたぁほとんど同じ内容じゃねえか」
ため息をついて、グラスを上から持ち上げてぐいっと煽った。まるで酒でも飲んでるかのような仕草だけれど、中身は水。それでも絵になるから、我が弟ながらつくづくイイ男に育ったものだ。
白黒の髪の毛にワインレッドの瞳。あたしの弟であるブラッドリーは、幼い頃からあたしが仕込んだ甲斐あって、見た目も中身もかなりイイかんじに育った。あたしと年の差五歳で、しかも弟はようやく20歳になったぐらいなのに、弟は堅気じゃない見た目と雰囲気をしているせいでよく女にモテた。弟自身、女が嫌いじゃなかったし、気に入った女とよく遊んでいた。高校生の時なんかは特に派手で、家に帰ってくるのも週に一度くらいで、それ以外の日は多分外で女と遊んでいたんだろう。
けれど、大学生になって、弟は180度変わった。ほぼ毎日家に帰ってくるようになったし、その時間も高校生の門限みたいに早いし、前は女物の甘い香水の匂いがぷんぷんしてたのに今は全くしないし。イイ男に変わりはないけれど、女のにおいはしなくなった。
弟に何があったのか知ったことではないけど、大学生になって急に落ち着いたのかしら、くらいの認識だ。弟の人生は弟の人生だし、あたしが口出しするものじゃない。ただ、落ち着いた分、時々あたしのショッピングの荷物持ちをしてくれるようになったのは嬉しい。
今日もあたしのショッピングに付き合わせていた。恋人はしばらく作ってないし、作ったら作ったで面倒だったし、それより弟の方が一緒にいて何倍も楽だったから。弟とはべたべたするほど近い距離ではなく、むしろさっぱりしているけれど、それくらいの関係がちょうどよかった。食事の好みもお互い分かっているから、今日もどこで食べるかさほど迷わなかった。
「そう? 毎回違う話でしょ」
「相手が違うだけで中身は変わんねえだろ。可愛い女だと思って近づいたらそいつに勝手に執着されて、結局相手すんのが面倒になって離れてよ。近づかなきゃよかっただの、なんであんなのと付き合ったんだろうだの言いたい放題俺に言ってくるだけじゃねえか」
もう話は終いだとでも言わんばかりに手を振られる。言われてみればたしかにそうかもしれないが、今回は違うのだ。根拠はないけど確信できる。あたしはゆったりと微笑んでみせた。
「でもね、今回の子はいつもと全然系統が違うのよ。清楚で真面目そうな子」
「⋯へえ?」
瞬間、ぴくりと弟の片眉が上がる。面白そうなものを見つけた時によくやる癖で、そんな時は高確率で話を聞くし協力してくれることもある。予想通りの反応が愉快で、あたしは口角が上がらないように耐えながらコーヒーを一口飲んだ。
「珍しいな。おまえがそそられる女は大抵美人系で色気があるタイプなのによ」
「うーん、そうね。でもその子は全然擦れてなくて初心なかんじなのよ。ちょっと透けてるデザインの見せただけで顔真っ赤にしちゃってさ」
あたしが働いてるところは、駅直通のショッピングモールに入っているランジェリーショップ。常連の子はいるけれど大半は新規というかその時だけ来る子がほとんどで、お客様一人一人のことをそんなにちゃんとは覚えていられない。でも一ヶ月前くらいからほとんど決まった曜日と時間に来るようになったその子は、おどおどしながらも店に入ってきて、しかもこっちから話しかける前にその子から「助けてもらってもいいですか」と声をかけられたのだ。そんな子は初めてで、その控えめなのか度胸があるのかよく分からないところが気に入って、来るたびに話をするようになった。毎回購入するわけではないけれど、話をするだけでも楽しいし、その子も楽しそうに笑ってくれるから、購入するかどうかなんてどうでもよかった。そりゃまあ、買ってくれて、その上そのランジェリーを着てくれるなら、それは最高に嬉しいけれど。
「だからその子、手に入れたいのよね」
ふう、と息を吐いて、顎と頬に指を当てる。ちらりと弟を見ると、面白そうに笑って、机をとんとんと指で叩いた。
「なるほどな。だがそれだけじゃあ情報が足りねえ。他に知ってることあるか? あとは、男がいるかどうかとかな」
「はぁ? 何つまんないこと言ってんのよ。その子に男がいたところでそんなの足枷にもなんないわ。欲しいものは奪うに決まってるでしょ」
「はは! もちろんそうだ」
その子に男がいるかどうかなんてどうでもいい。欲しいものは奪うのがあたしだし、弟にもそう教えてきたおかげか、軽快に笑うばかりだ。
「だが、さっき聞いたかんじじゃあ男はいなさそうだな。それか、ただの恥ずかしがり屋か」
「後者よ。彼氏がいるって言ってた」
それも相当イイ男みたいなのよね、と零せば、弟はにやにやしながら、ほお、と顎を撫でた。
その子は道端にひっそりと咲く可憐な小花みたいな子だ。だから、相手も同じような優男なのだろうかと思ったのだけれど、実際は割と派手な男らしい。優しいは優しいみたいだけれど、その優しさを気取るふうでもない。男としてのプライドも度量もあり、いつだって豪快で頼もしく、さらには言葉や仕草の端々からわざわざ聞かずともその子の好みを把握して行動してくれるらしい。
「私にはもったいないくらいです、なんて言っててさ。どうしてもったいないのよって言ってあげたわ」
イイ女にイイ男がいるのは当然のこと。そう言えばその子は、彼氏にも同じことを言われましたと答えた。悪いことじゃないんだし、もっと堂々としていろ、と。きっとその子は自分がイイ女だと分かっていないから「もったいない」なんて言うのだろう。けれど、そうやって謙遜するところもその子の良さで、その子の控えめな性格が滲み出ていていじらしい。
ふ、と笑って弟を見ると、何やら考えるそぶりを見せた。何か考えさせるようなことを言っただろうか。どうしたのよ、と問うけれど、なんでもねえよ、気にすんな、と目線をそらす。その仕草は、これ以上踏み込んでくるなの合図だ。
「それで? 手に入れる算段はついてるのかよ」
「当然よ。ただ、一筋縄じゃいかないし、時間はそれなりにかかるわね」
「そうだな。そういうやつほど落とすのに手間がかかる。自分に誰かが気持ちを寄せてくるなんざ一ミリも思ってねえしな」
「よく分かってるじゃない。何、あんたもそういう子の相手したことあんの?」
まるで実際に経験したことのあるような物言いに驚いた。他人の性質を理解して、どんな考え方や行動をするのかを察することには長けていると思っていたけれど、今回に関しては全く関わってこなかった性質の子だろうと思い込んでいただけになおさらだ。
「まあな」
その時のことを思い出すように一瞬だけ睫毛を伏せる。余程思い入れが深かったのかもしれない。
弟にしては珍しいと思いながらしげしげと眺めていると、そろそろ出るか、と立ち上がった弟が伝票を持つ。どっちが支払うかとか自分の分出せとか、そういうことは何一つ聞かない。払うと先に決めた方が全部払う。だって、聞く方がかっこ悪い。
***
それから何日か後。
「──うーん⋯」
店内の奥で品出しをしていると、女の子が悩ましげに息をつくのが聞こえてパッと顔を上げた。チョコレート色の長い髪の毛に、同じ色の瞳。例のあの子だ。
品出しもそこそこに近づくと、彼女はワインレッドのランジェリーを食い入るように見つめていた。
「ふふ、いらっしゃい」
顔を赤くしておそるおそるランジェリーを手に取ろうとした瞬間に声をかける。びく、と肩を震わせるも、あたしを見るなりホッとしたように眉を下げた。こんにちは、と笑うのが可愛くて、ついその頬を撫でてしまいそうになるけれど、ぐっと手の甲をつねって耐えた。
「今日はどういうの見る?」
さりげなく距離を縮めて見下ろすと、彼女は胸の前で手を握りしめる。そわそわと落ち着かない様子に、ほんの少しの緊張と恥じらいが見えた。
「ええっと、その⋯ちょっとセクシーなの、見てみたいんですけど⋯」
私に似合うのってありますか? なんて照れくさそうに上目遣いで問われる。
この子が、セクシーなランジェリーを着る、ですって?
今まで購入してたのは全部控えめで布面積も広くて可愛い系だった。どのチョイスも全部彼女らしい、とほっこりしていたのだけれど、今日はそんなわけにはいかない。
どうやら本気を出す時が来たらしい。この子に一番似合うセクシーなランジェリーを選ぶのも、この子を手に入れるのにも。
楽しくなってきた、と舌なめずりをして、もちろんあるわよ、とその華奢な肩を撫でようとした瞬間。
「おっと、悪ぃな。こいつは俺の女だ」
急に現れた男が彼女の腰をぐいっと引き寄せ、するりとあたしの手が落ちた。
呆然とする。今何が起きたか分からなかったことにではなく、耳に入ってきた声とその言葉にだ。
「ブ、ブラッドリー!? なんでここにいるんですか!? 待ち合わせ、あと一時間も先なのに⋯!」
「早く着いちまったし、てめえの姿が見えたからな。面白そうだから後でもつけて見るかと思ってよ」
「ええ⋯それなら声かけてくれたらいいのに⋯」
恥ずかしい、と拗ねるように頬を膨らませる彼女に、悪かったよ、と男が軽くキスをした。それでも彼女の機嫌は治るばかりかむしろ逆効果で、顔を真っ赤にして男の胸を叩いた。男の方はというとまるで反省してなくて、胸を叩かれても動じていない。面白そうに笑って、そのままあたしを見てきた。
白黒の髪の毛にワインレッドの瞳。紛れもなくあたしの弟だった。
「つうわけで、俺が選んでやる。ほら、どんなのがいい」
「え? えっと⋯でもあの⋯」
弟に選んでやると言われながらも、彼女はちらちらとあたしを見る。普通恋人に選んでやると言われれば迷わず喜びそうなところなのに、真面目な彼女はあたしを無下にできないようで困っていた。
──ああ、これだから楽しいのよね。
「あたしならあなたにぴったりのランジェリー選んであげられるわ。だから、あんたは店出て大人しく待ってなさい」
弟を睨みつけて、する、と彼女の顎を撫であげると、鼻にかかったような声が漏れた。初心で可愛らしくて、そのまま指先を頬のラインに滑らせようとするも。
ごつごつした大きな手が彼女の顎を掴んで、顔ごとそちらに向ける。追い詰めるように顔を近づけて額が重なると、彼女の目の縁に薄らと涙が溜まりだした。
「強ぇ女なこった。ま、あいつに選んでもらうなら大人しく身を引くが、てめえはどうしたい?」
「わたし⋯?」
「そうだ。あいつか俺か、おまえが選べ」
どっちが彼女のランジェリーを選ぶかというだけの話なのに、その問い方ではまるでどっちを彼女の恋人にするかという話をしているみたいだ。
けれど、潤んでいく瞳は、目の前で選択肢を並べる男のことしか見えていない。そのまま細い指先が男の服をきゅっと掴んで、男は満足気に目を細めた。
──ああ、やっぱりあたしたちは姉弟ね。
弟が余裕ぶっている隙に、彼女の肩を引き寄せてその頬にキスをする。
「身を引くなんて誰が言ったのかしら」
悠然と微笑んでみれば、弟は一瞬だけ苦い顔をする。けれど一瞬だ。すぐにニッと口角を上げると、上等だと言わんばかりに見下ろしてきた。
あたしたちに挟まれた哀れな彼女は、今この瞬間何が起こっているのか分からないまま、ただきょろきょろと目を動かすばかり。
──あたしたち二人に目をつけられちゃって、本当に可哀想で可愛い子。