午前11時。時計の針の音、鳥の囀りが酷く耳にこだまする。
染み付いた部屋の匂い、いつ洗っただろうか。一週間…下手したら1ヶ月以上洗濯していない毛布に包まれて一日を過ごす。
まだ締切まで余裕はあるが、この状況を見た人は口を揃え「寝てる暇があるなら原稿に手をつけろ」と言うだろうか?
誰に言われた訳でもない、妄想上の罵倒に頭痛が増していく。
ピンポーン
「……せい?…る?」
軽やかなチャイム音と聞き馴染みのある声。
そういえば今朝なにか連絡が来ていたような。慌ててLINEを開くと、『碧』と書かれた名前から一つチャットが送られていた事に気づいた。
トーク画面を開くと同時に碧から通話がかかり、動揺をするも恐る恐る応答ボタンを押した。
『あ、海星?生きてる?』
その声は玄関のドア先からも聞こえ、向こうにいるのは彼なんだと安心し、喉を振り絞って話を始めた。
「勝手にこ"ろさ"な"いでくださ…」
しばらく原稿に向き合っていた時間が多く、人と会話をするのは久しぶりだった。そのせいか自分から出たとは思えない、掠れきった弱々しい声に自身でも動揺が隠せなかった。
『…入っていい?今日ご飯作りに来たんだよね』
通話越しでも分かるであろう、海星の声に碧は反応を示さずに聞く。
「あ…はい。鍵は玄関扉の郵便受けに入ってると思うんで…そこから鍵見つけてもらえれば」
『不用心だなぁ』
ははっ、と若干呆れ気味の笑い声。
『そんじゃ入るね』と通話が切れると、ドタドタと足音を鳴らしながら満面の笑みで碧が自室へ入って来た。
自分を見るや否や、みるみると顔を曇らせながら
「…さては海星、しばらく風呂入ってないな?カビ臭い」
と、ハッキリ濁すことなく言葉を海星に刺す。
「いやっこれは」
「布団にシーツに……ああ、もう…全部俺が洗濯回すから、とりあえず海星は風呂に入って」
「あ、の…」
決して入りたくないワケではないが、(自分でも不潔なのは理解してるし…)もはや安心しきった匂いが無くなる事に少し抵抗を感じてしまったのだ。
「あー…っと、海星一人で入れないなら洗うの手伝うけど」
「え!?!そ、そこまでは…っお手を煩わせるのも申し訳ないですから…すみません。入ります。」
そんな自分を見かねての発言だろう。
彼の優しさに断りを入れたのは申し訳ない気持ちが前提ではあるが、隠している自傷行為の痕を見られたくないのもあった。
例え痕を見られても彼は何も言わずに受け止めてくれるのは分かっている。それでもまだ、自分から見せるのにはまだ気持ちの踏ん切りがつかずにいた。
「…入ろ」
いつもの悪い癖。
考え過ぎるのも駄目だと碧さんに注意されたばかりなのにな。彼を待たせる訳にはいかない、そのまま風呂場へと向かった。
「ん、海星おかえり」
風呂から上がり、髪を乾かし戻ると約束通り食卓には料理が並べられていた。
机の周りを見れば多少物が片付いていて、そこまで掃除をして貰った事に気づきまた申し訳なくなる。
「今回はいつもよりかは…美味い!はずだから…まあ食べてよ」
「それじゃあ失礼して…」
自炊出来ない自分にとってはありがたく、久しぶり口に含んだ食べ物は自分の胃を暖かく満たしていった。
「どう?しょっぱいとか無い?」
「いや、とても美味しいですよ…」
そう答えると碧は満足げに笑顔を浮かべ、「良かった」と言った。
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「ご馳走様でした。本当にありがとうございます。洗い物くらいさせてください……」
「いいよいいよ。休んでなって」
「でも……」「大丈夫だってば!」
食い下がる自分に痺れを切らしたのか、碧が食器を手に台所へ向かう。
「いつも疲れてるからさ 俺が出来る事はさせてよ」
こうなると碧さんは一向に退かない。このまま彼の言葉に甘えてしまおう…。
ソファに転がっている物をどかし、腰をかける。
ふと時計を見れば針は15時を過ぎていた。