手を繋いで君と二人で「暇だ」
蝉が元気に鳴いている、よく晴れた夏のある日。
シェアハウスの共用部分にあたる、畳が敷いてあるリビングに大の字になって寝転んでいた五島岬は、天井を見上げてぽつりと呟いた。
「そうか?」
対して、壁に寄りかかって座り、抱えたギターの弦を撫でるように触っていた大和は、ギターから岬へと顔を向けると、きょとんとした顔で尋ねた。
「ああ、暇だね。バイトは店が数日休みだから無いし、ガキどもはみーんな親戚の家とか旅行に行くから駄菓子屋も閑散としてる。俺らのライブも向こう一週間くらいはない」
「なら練習すればいいんじゃないか?」
「ドラム無しで練習するのは限界があるんだよ。かといってスタジオ入って個人で練習するにはスタジオ代もったいねえ感じするし、どうせなら全体で合わせたいし」
「そういうもんか」
「そういうもん、だな」
そこまで言うと、岬は勢いをつけて起き上がり、大和をじっと見つめた。
「米ならださないぞ」
見つめられた大和は、顔色ひとつ変えずに岬を見つめ返しながら口を開いた。
「何でだよ、つーかなんだよ、米をだすって」
「いや、こっちをじっと見ているから米が欲しいのかと」
「いらねーよ!ポケットに生米とか入ってんのかおめーは!」
「そんなわけないだろう」
「……………」
だめだ、大和と話していると、なんかダメになる。
思った岬は口をぱくぱくさせるも言葉を発する事をしなかった。
代わりに、勢いよく立ち上がった岬は大和に近寄っていくと、ギターを抱えている腕を掴んでぐいっと引っ張った。
「なんだ」
「お前暇だろ。行くぞ」
「どこに」
「海」
「海」
二人は、もともと客が来ないため閉めていた一階の駄菓子屋の戸締りを確認すると、近場の海に行くことにした。
*****
釣りとか、海水浴とか、何かしたいとか特に無く、男二人で最寄り駅に向かい、切符を買って電車に乗って海に向かった。
大和は方向音痴だから、岬はシェアハウスを出てから、ずっと、幼稚園児のように、握手をするように、手を繋いで大和を引っ張っていた。
世間一般的に夏休みといわれている期間の、昼下がりの電車内は結構混んでいて、岬と大和は車内に入ると、入り口の横に、邪魔にならないように立っていた。
雲が泳ぐ青く澄んだ空から、夏の日差しが降り注ぐ。
車内は冷房が入ってはいたが、大きな窓から差し込む日差しを浴びた体はじんわりと暑かった。
それでも、岬と大和は手を繋いでいた。
移動中、特に会話をすることはなく、乗り換える時も最低限、岬が「こっち」と告げると大和が「ん」とか「そうか」とだけ告げるくらいだった。
そうして最寄り駅に降り立ち、海につくと、当たり前だが、混んでいた。
子供が、大人が、人が、そこらじゅうにたくさんいた。
「夏っぽいとこ行きてーって思って海選んでみたけど、案の定混んでたな」
「夏休みだからな」
二人は、手を繋いだまま、横並びでぼうっと砂浜に突っ立っていた。
子供のはしゃぎ声、波の音、海鳥の鳴き声。
砂浜に反射する太陽の熱、ぬるい潮風。
「あちーな」
ぼうっと突っ立っていた岬が呟いた。
何の準備もしてこなかった二人の体力を、夏の熱が奪っていく。
「なんか飲むか」
辺りを見回す岬に大和が「そうだな」と返した。
カラン、と大きな音を響かせてビー玉が大きく動くようになる頃には、瓶の液体は飲み干されていた。
「夏といえばやっぱこれだよな」
ふう、と一息ついた岬がラムネの瓶を太陽に掲げ、見つめながら告げた。
海辺の近くに売店を見つけた二人は、瓶のラムネを買うと、砂と舗装路を隔てているコンクリートの縁の部分に腰を下ろし、一気に飲み干していた。
「俺は米がよかった」
岬と同じようにラムネを飲み干して、ふう、と一息ついた大和が、瓶を見つめながら呟いた。
「飲み干してから言うなバカ、つーか、こういうとこで飯買うと高いんだぞ。帰ってから食え」
「そうかもしれないが、こういうとこで食べるからこその良さはあるだろう?」
「そりゃあるかもしれねーけど……それは今度。フウライのみんなで来たときにとっとけ」
「そうか」
「そうだ」
岬の言葉に、大和は岬を見ると、こっくりと頷いた。
「そういえば、今は……岬と二人きりの時間だったな」
「っ……いや、まあ、そうだけど、実質そうだけど!なんかニュアンス違わないか?」
それから、大和がキリッとした顔で岬に告げると、岬は眉間にシワを寄せてなんとも言えない顔をした。
「違うのか?」
「違わねーけど……俺は、お前と二人きりで海に行きてー!って思って誘った訳じゃあねえからなぁ……暇だから、なんか、夏っぽいとこ行ければそれでいいって、ついでにお前がいたから誘って行くか、的な単純な気持ちで……デートとか……そういうんじゃ……」
岬の言葉尻が段々と弱くなる。
「単純な気持ちでも、俺となら海に行っても良いと、思ったんだろう?」
そんな岬を、大和の整った顔が見つめてくる。
「っ……」
ずるい。
岬は喉から出かかった言葉を飲み込んだ。
確かに、大和だったら、一緒に行ってもいいな、と思った。
風太とか、あおいとか、こうにいとかがシェアハウスにいたら、「暇だからちょっと出かけてくるわ」とか立ち上がって、一人でどこかに行っていたかも知れなかった。
けれど、大和なら、なんとなく引っ張ってきた大和なら、……方向音痴だけど、手を繋いで、二人で、静かにどこかへ行けそうだなとか、道中じわじわ思い始めたのは岬の心の中だけの秘密だ。
しかし、この綺麗な顔に見つめられて、言い寄られたら、心にしまっておくはずだった言葉を、簡単に吐き出してしまいそうになる。
「うるせー、たまたまいたから引っ張ってきただけだよ」
岬は大和から顔を反らすと、誤魔化すように悪態を吐き出し、立ち上がった。
「そうか」
大和がそっと口の端を上げて、言葉を返した。しかし、大和から顔を反らしていた岬は、大和が微笑んだことに気づいていなかった。
「帰るぞ」
立ち上がった岬は、大和に手を差し出してきた。
どこか怒ったような顔の岬の頬が、薄桃色になっていたのは、夏の熱のせいか、はたまた別のものなのか、大和にはわからなかったが、差し出された岬の手に、手を重ねて引っ張って貰った大和は、立ち上がると、片手で尻の砂を払い、来たときと同じように岬と手を繋いで帰っていった。
帰りの電車でも、二人は、行きとおなじように、無言で手を繋いでいて、ドアの近くに立っていた。
車内に差し込む西日は所々に黒い影を落としていく。
黒い影は、無言の二人の、指を絡めて繋いだ手が、誰からも見えないように隠しているようだった。
「ただいま」
「あっ、帰ってきた!」
夜が訪れ始めた時分、シェアハウスに帰ると、バイトに行っていたあおいが帰ってきていた。
「どこ行ってたのさ、もー、いるはずの二人がいないからちょっとビックリしたよ。連絡とか特にないし」
「海に行ってきた」
「海!?突然!?なんで!?」
大和が言葉を返すと、あおいは目を丸くしていた。
「なんとなく」
「なんとなく!?」
次いで岬が告げると、またもやあおいは目を丸くして驚いたが、はぁ、と深いため息を吐き出すと、言葉を続けた。
「別にどこに行ってもいいけど、行き先と帰る時間は連絡してよね」
「そうだったな、悪い」
「海かぁ……だから二人とも顔赤いんだね。ほんのり潮の香りもするし」
あおいに言われて二人は互いに見合った。
すると、言われた通り、日に焼けた顔はだいぶ赤くなっていた。
「銭湯、行っておいでよ。その様子だと髪とか潮風で傷んでそうだし、どこかしこから砂出てくるだろうし」
あおいに言われた通り、二人は近場の銭湯に行くことにした。
*****
(…………)
広い湯船に浸かり、お湯を手で掬って顔にかけた岬は、深いため息を吐き出すと、ぼんやりと天井を見つめていた。
今日は本当に暇だった。
練習も無く、バイトも無く、駄菓子屋の店番もなかった。
だったらZACKさんを誘ってネトゲをしてもよかったかもしれなかった。
皿うどんの研究をしても。
けれど、なんか夏っぽいことがしたくて、突然、海に行こうと思い立った。
思い立ったついでに、目の前にいた大和を連れて行こうと思った。
『単純な気持ちでも、俺となら海に行っても良いと、思ったんだろう?』
海で告げられた言葉が頭の中に響いてくる。
(いや、まあ、そう、だけど、よ!?)
思わず岬は湯船の中に口まで沈み、濡れた手で髪の毛をかきあげ、頭に手を置いたまま制止した。
なんでこんなに狼狽えて動揺しているのか。顔が熱くなるのか、恥ずかしくなるのか。
(………………)
じっとりとした目で見つめる先には、洗い場で髪の毛を洗う、顔が良いバカの姿。
顔が良いから。それだけでこんな気持ちにはならなかったと今更気づくがもう遅い。
(バカのくせに)
バカのくせに、挙動が、発言が、いちいち刺さってくる。
不意に、頭を洗い終わった大和が、こちらを見てなぜか微笑んだ。
大和としては『全部洗い終わったぞ』という意味で微笑んだつもりだったが、理由を知らない岬の心には刺さりに刺さりまくった。
(バーカ!バーカ!大和のバーカ!こっちの気も知らないで!上がったら牛乳奢れ!瓶の!コーヒーの!!)
驚いた岬は咄嗟に湯船に頭まで浸かってしまった。
大和は、突然岬が湯船に沈んでしまった意味がわからず首を傾げていた。
終わり。