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    ゴ用 / 菊受固定 / 有菊9割

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    菊田が鹵獲を始めるに至る話
    ※28巻で理由が判明する前に書いたもの

    #菊田杢太郎
    mokutaroKikuta

    この手に、記憶として「兄ちゃん……この帽子、持って帰って」

     人が死すれば、残された者は死者が生前所持していた物品に、さながらその魂が宿ったかのように面影を見る。それを形見という。
     では、実際に菊田杢太郎の弟である藤次郎が日清戦争の最中で病に倒れ落ちた時、その魂は藤次郎の軍帽に宿ったのだろうか?
     否、そんなものはただの幻想でしかない。少なくとも菊田はそう考えていた。それでも形見というものは、かつて死者が生きてきた証として残された者にとっては重要な意味を持つ。
     軍帽を受け取ったその日から、菊田は自身が元より所持していたそれに代えて藤次郎のものを被るようになった。それは弟の最後の願いを叶えるため、そして、己の罪を常に抱えておくためだった。
     必ずこのクソったれな戦場からお前の想いを連れて帰ってやる。
     お前を死なせた馬鹿な兄貴が弔いなどとは言えるものか。
     償いだなんておこがましい。
     しかし、それしか俺には出来ることがない。
     そうして、菊田は日清戦争を生き抜いた。

    ――

     日清の終戦から数年後、菊田が東京の陸軍士官学校で候補生の指導をしていた時分の話だ。
     射撃訓練で候補生が撃った銃弾が菊田の軍帽を貫くという事故が起きた。それは戦争から帰還したのちも被り続けていた藤次郎の軍帽だった。
     幸いにも弾は狭い隙間を貫通し頭部への直撃は免れたため、衝撃で転倒した打ち身以外に大きな怪我はなく済んだ。しかし、重大事故となった可能性もあったのだ。九死に一生を得たなどと軽く流すわけにもいかず、流石の菊田もその時ばかりは当の候補生をキツく叱り上げたのだった。下手をすれば己ではなく、何の咎も背負っていない若者たちを貫いていたかもしれないのだ。
     俺で良かった。そう安堵して息を吐いたその時、菊田の胸にひとつの思いがよぎった。
    ――もしかしたら、藤次郎が護ってくれたのかもしれない。
     菊田は手にした軍帽に空いた穴へ視線を落とした。そして、すぐにかぶりを振り己を恥じた。
     藤次郎の幻影を見すぎている。軍帽に魂が宿っているはずなどあるものか。護ってくれたって? 馬鹿馬鹿しい。それは罪悪感を紛らわせようと都合よく考えた俺の身勝手さが産んだ幻想だ。運が良かったんだ。もしくは、少し運が悪かった。ただ、それだけの話だ。
     それから幾日も過ぎてからの出来事で、菊田は街中で猛獣さながらに暴れるノラ犬のような青年に出会った。
     その青年は余ほど腹を空かせていたらしく、飯を与えるとすぐに目付きが鋭いだけの仔犬の顔をして大人しくなった。静かになった青年の顔をよくよく観察してみると、どうしたものかと菊田が数日に渡り悩んでいた上官からの指令に対して光が射した。
    (ああ、コイツは使えるぞ)
     そうして数週間だけ面倒を見てやろうと決めた。と、言い訳をすれば聞こえは良いが、正確には陸軍の面子のために後腐れのない駒として利用したのだ。しかしながら、猛獣ではなく人間として扱ったならば存外にも素直なその若いノラ犬に、どこかしら懐かしい感情を抱いて少しだけ構ってやりたくなったのも事実だった。
     だからして、と言うべきか。
     それは指令を遂行し終えた青年との別れ際に起きた。
     陸軍への入隊を希望するのは自身の選択なのだと屈託なく笑顔を向けるその青年が、藤次郎の軍帽を被った、その刹那だった。
    「もう自分を許して前に進んだら?」
     その時、菊田の目の前には藤次郎の姿があったのだ。
     決して似ているはずもない青年のその輪郭が、目を細めて笑みを浮かべるその面持ちが、兄が呵責から解放されることを望むその声までも、全てが藤次郎そのものだった。まるで、その魂が軍帽の中で眠り続け、兄へ言葉を伝える誰かと出会うこの日を待っていたかのように、そこに、その場所に存在していた。
     事実は恐らく、菊田が弟の姿を青年に重ねて見ただけに過ぎないのだろう。もしくは、弟を陸軍へと誘い日清戦争へ赴かせ病で死なせた罪悪感が見せた幻か、はたまた、撃たれた肩の痛みが見せる白昼夢だったのかもしれない。
     それでもその時、紛れもなく菊田は藤次郎の姿と声を己の脳裏に焼き付けたのだ。

    ――

     そして今、菊田は赤黒い血溜まりの中に倒れた幾人もの兵士たちを眼下に思う。
     赤い水たまり。赤黒い血液。土にまみれた肉片があちらこちらに敵も味方も等しく飛び散ったこの世の惨状。
     そこに、ふわり、と小さな雪が舞い降り始めた。その白い塊のひとつが屍体の背に落ちる。
     もしかしたら、この場に横たわるのは自分だったのかもしれない。
     国や言語、肌や瞳や髪の色、生まれた時から持っているものが少しばかり違うだけの、己とも、藤次郎とも、味方の兵士たちとも、この世の誰とも同じように息をして笑い、怒り、泣き、そしてまた笑って生きてきたであろう者たち。
     火照る頭とは裏腹に身体は冷える。菊田はその場へ屈み込み、仰向けに腸を垂れ流すロシア兵へと手を伸ばした。それは少尉である男の屍体だった。けれども、結局こうして地面の上で折り重なる者たちのひとつになってしまうのならば、士官とも下士官とも兵卒ともその地位に変わりはなく、ただの屍でしかなかった。
    (……馬鹿みてえだな)
     何のために殺し合っているのだろうか。目的は分かっている。御国のためだと皆、叫ぶ。けれど、この戦地に佇んだ一人ひとりに思いを馳せるならば、何の恨みも憎しみもあるはずがなく、時折どうにも虚しくなるのだ。
    ――俺は何をやっているのだろうか。
     菊田は死体の腰に装着された拳銃嚢から短銃を引き抜いた。
     これは弔いではない。償いなどとは口が裂けても言えるものか。そんな言い訳で取り繕ったところで、実質的にはただ命を奪った相手から装備品までをも略奪する浅ましい行為でしかない。それが戦争なのだとも、事実であっても言いたくはない。
     しかし、どうにも藤次郎の声が頭の中に木霊するのだ。
    ――兄ちゃん、持って帰って――
     生きた証として残された物に魂は宿るのだろうか。無念の思いはそこに存在しているのだろうか。答えは分からない。
     それでも、あの日見た藤次郎の幻は今もなお忘れられない。忘れられるはずがない。
    「……悪いな」
     己の罪を、この手のなかに。
     その小さな懺悔は白い息が霧散すると共に消えていく。
     冷えた鉄の塊が、ずしり、と手のひらに沈む。
     それはまるで死した者たちの魂の重さのようだった。

    〈了〉
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