付き合い始めの蔵種(前編)きっかけは、俺の方。
W杯が終わって帰国して、高校に進学してからほどなくして、俺は種ヶ島先輩と付き合い始めた。
俺は恋愛とかはよく分からんかったんやけど、恋人って存在には憧れがあって。つまりは、浮かれとったんやと思う。ついつい自主練をサボってデートしたり、長電話したり。種ヶ島先輩からメールが届いてないか、何回もチェックしてしもたり。
そうして気が付いたらじわじわと、生活リズムが乱れて、寝不足になってしもて。部活にも勉強にも、全力で取り組むことが出来んようになっとった。
勉強はまだええ。俺一人の問題やから。せやけど俺、1年生で唯一のレギュラーやのに。来月も大会あるのに、こんなんじゃあかんって反省して。大会までは、デートも電話も控えたいって、そう種ヶ島先輩にお願いした。
半分、願掛けみたいなもんもあったと思う。会うの我慢したら集中力も増して、今まで勝てんかった相手にも勝てるんちゃうかなって、俺の勝手な思い込み。
そうして我慢して我慢して、今日、大会前の練習試合で。俺はレギュラーの先輩にボロ負けした。
ほんでそれだけでもめっちゃ悔しいのに、試合が終わったら見に来とった先輩の彼女と、その先輩がいちゃいちゃし始めて。
その先輩だけちゃう。うちのレギュラーの先輩ら全員、同じ学校内に彼女がおって。しょっちゅう彼女が部活見に来ては、いつもいちゃいちゃしとった。
それは別に、その人らがしたいようにしたらええんやけど。種ヶ島先輩やって本当は、俺とは違って、先輩らみたいに要領よくやるタイプやろうに。ほんまやったら俺が、自分の練習だけで精一杯になったりせんと、種ヶ島先輩の応援に駆け付けたりせなあかんはずやったのにって。情けないやら寂しいやらで、何やら気持ちが沈んでしもて。
俺から会わんって言ったのに、会いたくて会いたくて仕方がなくて。ほんまは合わせる顔がないとこやけど、種ヶ島先輩やって、俺に会えたら嬉しいんちゃうかなって。そんな自惚れもあって。俺は部活が終わってからいそいそと、電車に乗って種ヶ島先輩の家へと向かった。
種ヶ島先輩の家には何度か行ったことがあるし、お部屋にお邪魔したこともある。俺は先輩の家の前の道路を行ったり来たりしながら、中の様子をうかがった。
種ヶ島先輩の部屋にはしっかりと電気がついとって、それを見ただけで俺は、何やらこころがぽうっと温かくなった。我が儘は言わへん。少し顔を見るだけや。それに加えて「頑張り」とか言ってもらえたら、それだけで俺は頑張れる。
約束を破ってしまうから、少しは怒られるかもしれへんけど、きっと大丈夫や。俺は大きく一つ深呼吸をしてから、携帯で種ヶ島先輩に電話を掛けた。3回ぐらい呼び出し音が鳴れば、すぐに先輩は出てくれた。
「あ、種ヶ島先輩」
「ちゃーい☆」
いつもの口癖が、耳をくすぐる。やった、種ヶ島先輩の声や。
「すんません、約束破ってしもて」
「ええよ。どないしたん?」
「あの、俺から言い出したのに申し訳ないんですけど」
「何やった?」
「今から少し、会えませんか」
「今?」
俺は種ヶ島先輩の部屋の窓を見詰めながら、今すぐ先輩が窓を開けて、俺の方へ手を振ってくれへんかなって妄想した。
「えーっと、梅田でええ?」
「や、あの、種ヶ島先輩の家で」
「俺ん家で?」
「あ、家の前で。俺今、近くにおるんですよ」
「近くって、○○駅?」
「えーっと……」
「どうせ帰るやろ? こっからやと、梅田に行く方が早いんやけど」
「え、今家ですよね?」
「えっ、今飲み屋」
「やって電気─」
そう言いかけて、俺は慌てて口をつぐんだ。確かに種ヶ島先輩の部屋には、電気が点いとる。せやけど人影が見える訳でもないし、先輩がこんなんで嘘つくとも思えへんし。他の家族の人が部屋におるんか、電気の消し忘れとかなんやろう。そう考えて耳をすませば、確かに携帯電話の向こう側はざわざわと騒がしい。
俺は現実に打ちのめされて、急に自分が恥ずかしくなってきた。勝手に家に来て勝手に電気確認して、部屋におるんやって思い込んで。こんなん俺、まるでストーカーみたいや。
「あ、や、何でもないですわ」
「まさか家におるん?」
「そん─な訳、ないやないですか」
俺は、俺は一人で勝手に我慢して、一人で勝手に盛り上がって、ほんまに馬鹿みたいや。
種ヶ島先輩には種ヶ島先輩の生活があって、四六時中俺のことを考えてくれとる訳でもなくて。遊びに出掛けたり、飲み会に行ったりするのも当然で、いつでも俺を待ってくれとる訳でもなくて。
そんな当たり前のことが分かっとらんかった自分が、めちゃくちゃ恥ずかしくて。俺は「忘れてください」って言うて、返事も聞かずに電話を切った。
アホやアホや、俺アホや。