モブ山モブ男俺の名前はモブ山モブ男。中学3年生。
今年からようやく、U-17代表合宿に参加することが出来た。同い年の切原や財前は去年から参加しているから、少し出遅れてしまったけれど。これからいくらでも巻き返してやる。俺には目標が二つあるんだ。一つは、日本代表に選ばれること。そしてもう一つは─
「あれ、モブ山じゃん。こんな所で何やってんの?」
「あっ、切原」
「サボり?」
「違うっ。サボってるのはお前だろ」
「サボりじゃねぇよ、パシられてんの。ったく、せっかく3年生になったってのに、ここじゃ後輩に逆戻りだぜ」
「あぁ、立海の」
「あーあ。めんどくせぇ先輩ばっか」
この合宿に参加しているメンバーは、大半が高校生だ。俺達中学生からしたら、やや窮屈ではある。けれど─
「でも、優しい先輩も居るんじゃない?」
「優しい先輩?」
「ほらさ、例えば……白石、先輩とか」
白石先輩は、俺の憧れだ。
前々から中学の大会で知っていて、すごいイケメンが居るなとは思っていた。いつも遠山金太郎の世話をしているイメージで、大変そうだなって、他人事みたいに思っていたけれど。
この合宿で初めて関わって、結構─いや、かなり好きになってしまった。すごく優しいし、かといって甘やかす訳でもない。ちゃんと芯のある人で、広い視野で相手のことを考えて接してくれる。勿論、テニスだってめちゃくちゃ強い。
実は俺の二つ目の目標も、白石先輩とダブルスを組むことだったりする。
「あー、白石さんね」
切原はダルそうに答えた。こいつは以前、白石先輩とダブルスを組んだことがあるらしい。羨ましい奴だ。
「でもあの人ってさ、ちょっと変じゃね?」
「は?」
白石先輩が、変? あんなに強くて優しくて、世界で一番かっこいい人なのに。変? 白石先輩が?
「変って、何処が?」
「やー、変っしょ。ギャグもつまんねーし」
「は? じゃあ切原は、白石先輩より面白いギャグが言えるのかよ」
「え、何でキレてんの」
切原は焦りながらも、人を呼びに行く途中だからと行ってしまった。残された俺はイライラして、急に腹が痛くなる。そうだ俺、トイレに向かう途中なんだった。
「うぅ、トイレ…」
よろよろとトイレに向かう。しかし3個ある個室のうち2個は故障中で、残りの1個も使用中だった。
「そんなぁ」
中からはゴソゴソと音がする。まだまだ使用中だろうか。しかし今から別のトイレに移動するとなると、限界を越えてしまうかもしれない。
俺は使用中のトイレをコンコンッとノックした。
「あの、すみません」
「……」
中から聞こえていた音が、ぴたりと止んだ。
「あとどれくらいかかります? 俺、結構限界で…」
「……あー、すまんすまん」
個室からは聞き慣れない、少し高めの声が返ってきた。
「今から出るから、ちょおトイレの外で待っとってくれへん?」
「え? 外で?」
「今なぁ、めっちゃ臭いうんこしてもうたんやって」
「え、あ、はぁ」
俺は言われるがままに、よろよろとトイレの入り口の外まで行くと、人が出て来るのを待った。すると直ぐに人が出て来た。背の高い男で、肌は黒く髪は銀髪だ。
「お待たせ☆ 入ってええで」
「あっ」
「ほな、また後でなぁ」
男はさっさと行ってしまった。あの人のことは知っている。多分、去年の高校生日本代表の人だ。
そういえば黒部コーチが言っていた。今日はOBが指導に来てくれるって。切原が探していたのも、多分あの人なんだろう。
「…ったた」
腹痛に襲われ、俺は再びトイレに入る。すると、洗面台で手を洗っている白石先輩と目が合った。
「……え?」
「ん? あー、お疲れさん」
「え、あれ、え?」
さっきまでトイレには誰も居なくて、個室から出て来たのはさっきの人で。そうなると白石先輩は、一体何処から現れたんだ? 俺は周りを見回したけれど、やっぱりここのトイレには、出入り口は一つしかなかった。
「あの、白石先輩」
「うん?」
「いつからここに居ました?」
「さっきからやけど?」
「さっき?」
「おん」
「じゃあ、今ここから出てった人、見ました?」
「さぁ。見てへんわ」
「えぇ?」
訳が分からない。混乱する俺に、白石先輩が一歩近付いた。
「俺が何処におったか、疑問なんやろ」
「そう、ですけど」
白石先輩がきりっとした顔で俺を見詰めるから、俺はどぎまぎして目を逸らしてしまった。
「実はな……」
「実は……?」
「トイレの修理をしとった」
「えぇ?」
確かに2個のトイレは故障中だった。しかし白石先輩、完璧な人だとは思っていたけれど、まさかトイレの修理まで出来るなんて。
「じゃあこっちのトイレ、直ったんですか?」
「直ってへん」
「ええっ」
「自分のトイレの修理の才能を、過信しとった」
「そんなぁ」
俺は脱力した。すると腹がぐるぐると鳴って、いよいよ限界を迎える。俺は頭を下げると、故障していない方のトイレの個室に入った。
そりゃ、普通はトイレの修理なんて出来ないし、しようとも思わないだろう。やっぱり切原の言うことも、少しは正しいのかもしれない。
「……ふぅ」
下着ごとハーフパンツを下ろして、便座に座る。俺を迎え入れてくれた個室は、特に何の臭いもしなかった。