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    kk_69848

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    kk_69848

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    スーツを買いに行く蔵種
    ※ガシマがお坊ちゃま

    スーツ蔵種「ほんで子供が生まれそうな妊婦さんを助けたら、スーツの膝が破けてもうたんですよ」
    「そいつは大変やったなぁ」
    先日あった大変なエピソードを話すと、種ヶ島さんはうんうんと頷いてくれた。種ヶ島さんは俺─白石蔵ノ介がU-17W杯でお世話になった先輩で、今では俺の恋人だ。
    「まぁ、破けてもうたのは仕方がないんですけど。それ、オフィシャルスーツやったんで」
    「あぁ、W杯の?」
    「はい」
    初めての出場だった昨年のW杯で、協賛企業から黒いスーツが支給された。ほんで飛行機での移動の時とかはそれを着て、マスコミからの取材に応じたりした(船で移動した種ヶ島さんは、その場にはおらんかったけど)。
    大会が終わってからは、黒やから使い勝手がええわって、法事とかに着とったんやけど。思わぬ人助けによって破れてしもて。悔いはないけど、ちょっと残念やった。
    「また、次の大会でも貰えるやろ」
    「……そうですけど。初めての、大会やったから」
    次のU-17W杯には、種ヶ島さんはもうおらん。種ヶ島さんと過ごした思い出の大会のスーツは、もう手に入らへん。
    「うーん……。ほな俺がスーツ、プレゼントしたろか」
    「えっ」
    スーツを、プレゼント?
    「店予約するから、いつやったら都合ええ?」
    「や、そんな。買ってもらう理由なんてないですよ。スーツなんて高いし」
    それに惜しいのはW杯のスーツで、スーツやったら何でもええ訳ちゃう。
    「俺がノスケのスーツ姿、見たいんやって。な、プレゼントさせて?」
    「や……」
    確かに俺は、高校の制服も学ランなんで、種ヶ島さんにスーツ姿を見せたことは無い。せやけどそないに高額なもんをプレゼントされるってのも、おかしな話や。特に何の記念日でもないし、仮に記念日だったとしても高すぎる。
    そう言って俺は、何度も断ったんやけど。あんまり種ヶ島さんの押しが強いから、「親と相談します」言うて、その日は帰った。

    二週間後。結局俺は種ヶ島さんと一緒に、スーツ屋さんに向かっていた。種ヶ島さんの家から近いらしいその店は、こじんまりとしとって、パッと見は入りにくそうな店やったけど。中に入れば落ち着いた雰囲気の店員さんが、にこやかに俺達を出迎えてくれた。
    「いらっしゃいませ」
    「今日はよろしゅう頼むわぁ」
    「あの、よろしくお願いします」
    「お待ちしておりました。修二坊ちゃま、白石様」
    「ちょお、坊ちゃまは止めてや。後輩の前やで」
    種ヶ島さんが顔の前で、素早く手を振る。ふふ、お茶目な店員さんや。
    店内には艷やかな木の棚に、間接照明で照らされたジャケットがいくつか掛かっとった。これは結構、高そうや……。俺はごくりと生唾を飲み込みながら、そっと鞄の上から財布を撫でた。
    「本日は、どういたしましょうか? イメージはお決まりで?」
    「ノスケに似合う生地、選びたいんやって」
    種ヶ島さんは棚に向かうと、スラックスの束をめくり始めた。似たような色合いが多くて、違いがよう分からへん。
    「えっ、あれ?」
    それを後ろから眺めとった俺は、すぐに違和感に気付いた。何も縫い目とかないし、形もない。スラックスやない。これ、生地や。
    「種ヶ島さん、あの」
    「ん? 好きな色味とかある?」
    「や。それよりもそれって、あれちゃいます?」
    「あれ?」
    「オーダー…メイド?」
    「あぁ、せやで」
    やっぱりや。俺は頭を抱えた。あかんそれは、それだけはアカン。多分、めっちゃ高い。坊ちゃまて呼ばれとったのも冗談やなくて、ほんまにお坊ちゃまなんかも。こじんまりとした店内が、急に広く感じる。
    「や、あの。親と話したんですけど……」
    親と相談した結果、さすがにスーツなんて買うてもらえへんけど、無下にも出来へんし。スーツは自腹にして、種ヶ島さんにはネクタイでも買うてもらおかって話になっとった。
    ほんでスーツ代として、親からは3万円もらってある。それに俺のお年玉貯金を足して、4万円。それが今日の俺の予算や。
    「スーツ代は、自分で払いたいと思っとって……」
    「遠慮せんでええて。俺の趣味やから」
    「や、親に怒られますんで」
    「うーん、さよかぁ」
    これは方便ちゃう。オーダーメイドのスーツなんて買うてもろたら、お返しどないするんやって、ほんまにどやされる。
    「ほな、吊るしにしよか」
    種ヶ島さんはそう言って、既に完成しとるジャケットを眺め始めた。既製品も売っとるみたいや。よかった。ほんまによかった。
    「これとかどうや?」
    「あ、ええですね」
    渡された黒いスーツを、軽く羽織ってみる。うん、しっくりくる。
    「ちなみに予算ってなんぼくらい?」
    「あ、4万円です」
    「4万……」
    種ヶ島さんと店員さんが、黙って顔を見合わせた。
    「あ、足りん感じですか……?」
    顔が引きつって、背中に嫌な汗が流れる。俺、場違いやったかも。
    「4万、うーん、4万……」
    種ヶ島さんはぶら下がっとるジャケットを何着かめくると、店員さんの方を見た。
    「せや、俺の着てへんスーツ、ノスケに仕立て直してやってくれへん?」
    「はい、承知しました」
    「えっ」
    「ええのがあるんやって」
    「あ、はぁ。……お願いします」
    俺はもう何も言えんくて、種ヶ島さんに任せるしかなかった。そのまま店員さんの方へと頭を下げると、店員さんも笑顔でおじぎをしてくれた。
    折角種ヶ島さんが考えてくれて、お店に連れて来てくれたのに。お店の人やって、色々と準備しとってくれたやろうに。きちんと応えられへん自分が、ほんまに情けないし恥ずかしい。
    「ほな今日はネクタイでも買うてく? せや、お互いにネクタイプレゼントしよか」
    「あ、はい」
    「ネクタイの方が、色んな柄あって楽しいもんなぁ」
    種ヶ島さんは勝手知ったる何とやらで、引き出しとかを開けて、ネクタイを物色し始めた。
    「色とか、柄とか、希望ある?」
    「えーっと……」
    こうやって並べて見ると、ネクタイってどれも色味が強くて主張が激しい。どれがええかなんて、よう分からへん。
    「これなんてどうや?」
    種ヶ島さんはそう言うと、他の棚から持って来たジャケットとワイシャツに、ネクタイを重ねた。そうすると急に、ネクタイが映えてはっきりと見える。
    「そうやって見せてもらえると、分かりやすいです」
    「せやろ。こっちは?」
    ジャケットとワイシャツをそのままに、ネクタイだけを入れ替える。
    「わ、印象変わりますね」
    「着物やったらなぁ、着物一枚帯三本言うてな。1枚の着物に、色んな帯を合わせてコーディネートするのがええんやって」
    「へぇ。種ヶ島さん、着物着はるんですか?」
    「着ん。めんどいわ」
    つれない返事にずっこけながらも、俺はこっそり種ヶ島さんの横顔を窺った。種ヶ島さんやったら着物姿も似合うと思うし、きっとスーツやってかっこええ。俺も種ヶ島さんの色んな格好、もっと見たいわ。
    そしたら種ヶ島さんが俺の視線に気付いたんか、こっちを向いて、ちょっと悪ぶった顔で微笑んだ。
    「なに? イケメンやった?」
    「あ、はい」
    「ふふ。褒めても何も出ぇへんで」
    「別におべっかちゃいますよ」
    「ノスケに言われてもなぁ」
    種ヶ島さんはネクタイを1本取ると、俺の首元にそっと当てた。
    「ん」
    俺は動いたらあかん気ぃして、せやけど種ヶ島さんの顔が近くて。どうしたらええか分からんまま、上へ下へと視線を泳がせた。
    「どう、ですか?」
    伏せられていたまつ毛がくるんと上向いて、種ヶ島さんと目が合う。
    「綺麗や」
    ……きっと、綺麗なネクタイなんやと思う。せやけど俺は、自分に言われたような気ぃして、変にどぎまぎしてもうた。頬が、熱い。
    「ノスケもやって?」
    「あ、はい」
    俺は周りを見回して、1本のネクタイを手に取った。南国みたいな花柄の、派手なネクタイや。
    それをそっと、種ヶ島さんの首元に当てる。
    「どう?」
    「ふふ。似合てます」
    「他のも試してや」
    それから俺達は何本ものネクタイを、お互いの首元に当ててみた。種ヶ島さんは全部のネクタイが俺に似合うって言うて、そんな訳ないのに。俺もネクタイを種ヶ島さんに当てると、なるほど確かに全部似合って見えて。何だかくすぐったくて、ふわふわとした気持ちで。まるで幸せな夢の中みたいやった。
    スーツを買えんかったことなんて、もうどうでもよくなって、すっかり忘れてしもて。そもそも高校生が何万もするスーツを買うとか、そっちの方がおかしいわ。
    ほんで結局俺達は、色違いのネクタイをお互いにプレゼントし合うことになった。ネクタイだけでも結構な値段になったけど、今年も日本代表に選ばれた記念品ってことにした。
    まだ、今年の代表は発表されてへんのやけど。
    「それではラッピングを致しますので、少々お待ちください」
    「はい、お願いします」
    「それから白石様、採寸は本日なさいますか?」
    「あぁ、仕立て直しの」
    すっかり忘れとったけど、何やかんやでお下がりのスーツを貰えるらしい。仕立て直すとはいえ、種ヶ島さんが着とったスーツを着るんやと思うと、ちょっと照れくさい。
    「採寸だけ、今しといたらええやろ」
    「そうですね」
    「かしこまりました。では、失礼いたします」
    店員さんはメジャーを持つと、俺の肩や首元にすっ、すっと当てていった。そのまま直ぐに、数字をメモしていく。無駄の無い動きや。プロの技やな。
    「あ、ノスケはレフティーやから」
    「承知しました」
    こういう店では、きっと利き手も関係してくるんやろう。店員さんはすっ、すっと、腕や手首の周りも計っていく。何やらくすぐったい。
    「失礼します」
    店員さんがしゃがんで、今度は腰回りや股下を計っていく。
    「ところで左右は、どちらに致しましょうか?」
    「あ、はい。左利きです」
    「承知しております。それでは、ドレスカットはいかが致しましょう?」
    「ドレス…?」
    左利きなんは、さっきも種ヶ島さんが言うてくれたのになぁと思っとったら。今度はドレスカットとか、意味の分からへんことを言われて。スーツなのにドレスとか、どういうことやろか。
    「あー、ノスケノスケ」
    「あ、はい」
    「それな、ちんちんのことやで」
    「はぁ!?」
    種ヶ島さんの助け舟が入って、安心したのも束の間。種ヶ島さんの口から出て来たのは、思いも寄らない下ネタやった。
    「ちょお、何言うとるんですか。お店の人の前ですよ」
    種ヶ島さんは、普段はこんなこと言わへんのに(言う時もある)。よりにもよってこんな場所で、店員さんやっておるのに、ほんまに恥ずかしくてしゃーないわ。一応は俺の方に顔を寄せて、気持ち普段よりかは小声やったけど。それでも普通に、店員さんにも聞こえてまう声量やった。
    「ええ年して、やめてくださいよ」
    「や、ホンマなんやって」
    「何がホンマなんですか」
    「ほんま。ちんちんの位置聞いとるんやって。なぁ?」
    「えっ、ほんまですか?」
    店員さんは一つ咳払いをすると、遠回しに種ヶ島さんの言葉を肯定した。
    「男性の場合はそちらを考慮しますと、シルエットがすっきり致しますので」
    「え、ほんまに……」
    勘違いした自分が恥ずかしくて、せやけど勘違いせんくても結局はそういうことで。お洒落な空間に不釣り合いな言葉に、俺は目を白黒させるしかなかった。
    「ご希望がございませんようでしたら、そちらには手を加えず、元の状態のままにしておきますが」
    「えっ、待って、ちょお待ってください」
    俺は慌てて状況を整理した。
    元の状態のままってことは、恐らく種ヶ島さんがオーダーした、種ヶ島さんにとって丁度ええ状態ってことで。それを俺が穿いてしっくりきたら、俺と種ヶ島さんが同じ向きってことになるし。しっくりこんかったら、逆の向きってことになる。多分、そういうことや。
    「……っ」
    種ヶ島さんの、あそこの向き……。そんなん絶対に知りたない。
    「あの、せやったら、俺の位置に合わせてほしいんですけど」
    「承知しました。では、どちらに致しましょうか?」
    「……あ」
    俺の、位置。いつもは無意識にやっとること。
    そんなん急に聞かれると、どっちやったっけって訳分からんくなるし。この会話を種ヶ島さんに聞かれとると思うと、めちゃくちゃ恥ずかしいし。別に変なことちゃうのにどんどん焦って、顔がどんどん熱くなる。
    「あの、ちょお、トイレ借りてもええですか?」
    俺はもう、種ヶ島さんがどんな顔をしとるとか、全然見れずに。下を向いて早足でトイレに直行した。それからトイレの中でパンツん中に手ぇ突っ込んで、いつもの位置を確認する。あぁ俺、こんな所で何やっとんやろ。
    ほんでもう合わせる顔もなかったけど、トイレに長居しとるのも変やし。手ぇ洗ってさっさと店員さんの所へ行くと、種ヶ島さんに聞こえへんよう、こっそりと耳打ちした。
    「……はい、かしこまりました」
    店員さんが俺の位置をメモする。せやけど俺だけやない。この店には種ヶ島さんの位置や、その辺のおっさんの位置。沢山の人の位置のデータが保管されとるってことや。すごいことやで、ほんまに。
    「えー、俺には教えてくれへんの?」
    「何で種ヶ島さんに教えなあかんのですか」
    「俺だけハブられて淋しいわぁ」
    種ヶ島さんが大袈裟に肩を落としたけども、そんなんで同情する訳がない。種ヶ島さんにだけは、絶対に知られたくない。
    「絶対に、教えませんから」
    「まぁええわ。今度確認させてもらお」
    「──っ」
    確認って、どういうことや。折角収まった熱が爆発しそうになる。
    俺はもう、火傷してまうんちゃうかってくらいに顔が熱なって。絶対に店員さんに変に思われてまう、静まれ静まれって思っとるのに。当の種ヶ島さんがびっくりした顔で、「そういう意味ちゃうで」なんて言うから。俺が一人で変なことを想像しとるみたいで。恥ずかしくて恥ずかしくて、居ても立ってもいられんくて。採寸が終わった瞬間に店を飛び出した。
    ほんでもうヤケクソで、その辺を走っとったんやけど。その後、2本分のネクタイを持った種ヶ島さんと合流して。「そういう時は、正式に申し込むから安心してや」って言われた。
    何がそういう時なのか、何が正式なのかは分からへんかったけど。とりあえずは顔の熱は収まって、二人で仲良く駅まで帰った。

    数ヶ月後。仕立て直してもろた、種ヶ島さんのお下がりのスーツを着て、親戚の集まりに行った。親戚のおっちゃんおばちゃんら、みんな感心しとった。「えらいええスーツやなぁ、ちょお羽織らせてや」って言われたけども、当然断った。
    このスーツは、俺だけのものやから。
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