ある日の乾「……あれ?」
オーストラリア◯日目の晩、午後10時08分。俺こと乾貞治は、テーブルの上のUSBメモリが無くなっていることに気が付いた。
「参ったな」
黒部コーチに頼み込んで借りた、個人情報も保存されている重要なUSBメモリだ。明日の朝までに返却する約束なのに、これはまずい。俺はテーブルの下やベッドの下を覗き込んだが、目当ての物は見付からなかった。
「うーん」
心当たりがあるとすれば、同室の白石だ。先程までテーブルの上で、セント硬貨が全種類集まったなどと言いながら、財布の中身を広げていた。今は飲み物を買いに行っているが─
「白石が犯人の確率、100%」
俺は携帯電話を手に取ると、白石に電話を掛けた。しかし俺の期待虚しく、軽快な着信音が白石のベッドサイドから流れただけだった。どうやら財布だけを持って出掛けたらしい。
「やれやれ」
他の場所も軽く探したが、やはりUSBメモリは見付からなかった。仕方がない。そのうちに白石も戻って来るだろう。返却期限は明日の朝だ。
俺はベッドで横になりながら白石を待ったが、気が付いたら眠ってしまっていた。
翌朝、俺は目を覚ますと、真っ先に白石のベッドを確認した。
─居ない。
ベッドサイドの携帯電話も、昨夜の位置から変わっていない。あれから戻っていないのだろうか。何かしらのトラブルという可能性は、白石に限って考えにくい。あるとすれば、他の誰かの部屋に泊まったか。いずれにせよ、コーチに報告だ。
俺は部屋を出るとエレベーターに乗り、12階のコーチの部屋を目指した。
「─という訳で、白石とUSBメモリが行方不明です」
「そうですか、弱りましたね」
「すみません」
「いえ。報告ありがとう」
黒部コーチはそう言うと、ノートパソコンを開いた。いくつか操作すると、モニターにこの宿泊棟のエントランスが映し出された。一見静止画のようだが、どうやら高速で巻き戻されているらしい。
「……」
しばらく眺めるも、誰も映らない。
「どうやら白石くんは、宿泊棟から出てはいないようですね」
「では、中に?」
「誰かの部屋に泊まったのかもしれません。遠野くんなんかは、君島くんの部屋に入り浸っているそうですよ」
君島先輩の困惑した顔を思い浮かべて、思わず苦笑する。しかし君島先輩はあの遠野先輩を、同時に憎からずも思っているようで。人間関係というのはなかなかに不思議だ。
「次は、USBメモリを」
またコーチがノートパソコンを操作すると、今度は選手タウン近辺の航空写真が映し出された。
「もう少し、と」
日本代表の宿泊棟が拡大された。よく見れば、その中の一部が光っている。
「ここ、君の部屋では?」
黒部コーチのUSBメモリ、やけに大きなキーホルダーが付いていると思っていたが。察するにどうやらGPSだったようだ。個人情報を扱うとはいえ、やはりこの人達はデータの重要性を理解している。
「えっと、そうですね」
光っている場所は確かに、俺達の1004号室のようだ。白石が持ち出したという線は、これで完全に消えた。
「すみません。もう一度よく探してみます」
「よろしく頼みますよ」
白石が持ち出していないならば、部屋の何処かに置き直したという説が濃厚だ。部屋を探すが早いか、白石を探すが早いか。
「とりあえずは、10階か」
白石が泊まるとすれば、同じ日本代表の中学生達が居る10階の可能性が高い。俺は10階に向かおうとしたが、なかなかエレベーターが来なかった。少し待ってから、階段の方が早いかと踵を返せば、そのタイミングでエレベーターが到着した。やれやれ、今日はなんだかついていない。
乗ってさえしまえば、エレベーターは直ぐに10階に到着した。扉が開くと、視界の隅で何かがひらめく。
「あれ」
「あ、乾クン」
白石だ。それほど心配していた訳ではないが、やはり顔を見ると安心する。
「白石、昨夜はどうしたんだ?」
「あ、すまん。……銀の部屋に寄ったら、うっかり寝てしもて」
「石田の?」
「おん」
「連絡ぐらいはしてほしいな」
「悪かったわ。次からは気を付ける」
「あぁ。それと、机にあったUSBメモリを知らないか?」
「あっ」
白石は慌ててポケットに手を突っ込むと、中からUSBメモリを取り出した。
「落としそうやから移動させよ思て、そのまま……。うわー、俺やらかしてばっかりや。ほんまにすまん」
「あるならよかった」
白石からUSBメモリを受け取る。これにて一件落着だ。
「ところで白石」
「うん?」
「今、石田の部屋から出たところ?」
「……そやけど?」
石田の部屋はエレベーターの隣、俺達の部屋とは廊下を挟んで反対側だ。
「分かった。後でドリンクの試飲を頼む」
「あはは……。甲羅(コーラ)やったらええよ」
俺は笑顔で、再び12階へと向かった。
黒部コーチの部屋には先客が居た。高校生ナンバー2、日本の守護神である種ヶ島先輩だ。
「ちゃい☆」
「お話し中すみません、USBメモリが見付かりました」
「あぁ」
「それと、白石も」
「それはよかった」
そそくさと、コーチにUSBメモリを渡す。
「何や、ノスケ探しとったん?」
ノスケというのは、種ヶ島先輩独自の白石の呼び方だ。
「はい。昨夜から行方不明だったので」
「ふふ。ノスケもワルやなぁ」
全く心配していない─という顔で、種ヶ島先輩が笑った。最近この二人は親しそうにしているが、どうやら白石のことを随分と信頼しているらしい。
「それでは、またコートで」
「俺も戻ろ。ほなコーチ、港までのバスの手配、よろしゅうな」
「ええ」
俺と種ヶ島先輩は、そのまま連れ立ってエレベーターに向かった。直ぐに到着したエレベーターに、そのまま二人で乗り込む。
「何かのデータ? えらい勉強熱心やん。次の大会では、大活躍間違いなしやな」
「ええ、そうありたいですね」
「絶対に見に行くからな。差し入れ期待しとってや」
「はは。楽しみにしてます」
エレベーターの扉が開いた。高校生達の部屋がある、11階に到着したのだ。
「ほな、また後でな」
「はい」
軽快なステップで種ヶ島先輩が降りる。ゆっくりと扉が閉まる中、俺は何とはなしに先輩の後ろ姿を眺めた。狭まる視界の中で、肩脱ぎされたジャージの袖が、ひらひらとひらめく。
「……あっ」
思い出した。種ヶ島先輩と遠野先輩の部屋は1104号室。俺達の部屋の、直ぐ真上だ。
「……成る程」
これはあくまで推測に過ぎないが、何はともあれ、中々に面白いデータが揃った。俺はエレベーターの中で、一人ほくそ笑むのだった。