種ヶ島のスコートあの白熱したオーストラリアの大会から、一年近くが経った。高校生になった俺─白石蔵ノ介は、今年もU-17選抜候補合宿に招聘され、顔馴染みのメンバーと日々研鑽を重ねている。
「切原クンおはようさん。早起きで偉いなぁ」
「あっ、白石さん」
洗面所で顔を合わせた切原クンが、嬉しそうに笑った。
中3になった切原クンは、残念ながら立海の部長にはなられへんかったみたいやけど。相変わらずのその実力は、中学生の中でもトップレベルと言っていい。ちょっと感情のコントロールが不安定なとこもあるけど、今朝はすこぶる機嫌が良さそうや。
「えらい楽しそうやなぁ」
「へへ、分かります? 何か今日、あの人来てるらしいっスよ」
「あの人?」
「ほら、種ヶ島先輩」
「えっ」
種ヶ島先輩言うんは、去年のW杯でめちゃくちゃお世話になった、俺の憧れの先輩や。もう高校を卒業してはるから、中高生を対象としたこの合宿に、用なんかある訳ないはずなんやけど。
「俺達の練習相手に、なってくれるらしいっス」
「ほんまに? 嬉しいなぁ」
元、日本代表ナンバー2の種ヶ島先輩。その先輩に面倒を見てもらえるなら、こんなに嬉しいことはない。俺達はさっと顔を洗うと、競い合うようにしてコートへと向かった。
「種ヶ島先輩っ」
「ちゃい☆」
コート前の入り口んところで、俺達は種ヶ島先輩と鉢合わせた。先輩がお馴染みの挨拶を、軽やかに返してくれる。
「えらい早くから、来てくれはったんですね」
「ヤコバやからな。はよ身体動かしたいわ」
京都から夜行バスで来たらしい先輩が、腕をぐぐっと伸ばした。
「俺と試合しましょーよ、俺と」
「俺もやりたいです」
「うーん、どないしよ。あ、真田」
振り返れば、すぐ後ろに真田クンがおった。こっちに気が付いた真田クンが、手に持っていたドリンクをさっと身体の後ろに隠した。
「そんな警戒せんでもええやろ。盗んだりせぇへんて」
「お久し振りです。種ヶ島先輩、申し訳ないですがその言葉、信用出来ませんので」
「あらら、悲しいわぁ。ほなそんな真田と、一試合させてもらおかな」
「えーっ、真田副部長とですか?」
「む、赤也。今の副部長はお前だろう」
「赤福とノスケは、後で相手したるわ」
「ほな、今は見学させてもらいますわ」
「ええで見てって。今日俺な、作戦があるんやって」
「作戦?」
「ちょお待って」
種ヶ島先輩はバッグを持って、建物の陰に隠れた。ほんで何やらごそごそと、着替えでもしとるようやった。そのまま少し大きめの声で、種ヶ島先輩が喋っとるのが聞こえる。
「この合宿にはな、何か足らんと思わへん? 俺な、去年のW杯のな、決勝戦で気付いたんやって。この合宿に足らへんもの、それは─」
建物の陰から、種ヶ島先輩が現れた。
「スコート、や」
「は?」
見れば確かに、種ヶ島先輩はスコートを履いとった。スコートの裾から、筋肉の付いたの褐色の脚が2本伸びている。
「えーっと?」
去年のW杯の決勝スペイン戦。確かに大曲先輩と金ちゃんが対戦した相手─マルス・デ・コロン選手は、男やけどスコートを履いとった。せやけどそれと、この合宿に足らんものがどう関係しとるんか。俺にはさっぱり分からへんかった。
隣のコートにおった小春が、「あらー、先を越されたわぁ」やなんて言うとる。種ヶ島先輩は楽しそうに小春に手を振ると、その場でくるりと回ってみせた。真っ白のスコートが、少しだけふわりと浮いた。
「男だらけの合宿所。持て余す思春期の性欲。解決するにはこれ─スコートしかないやろ」
「いや、意味分かんないっスよ。種ヶ島先輩って、オカマなんすか?」
オカマはちょっと言い過ぎやけど、切原クンの言葉ももっともや。
「オカマちゃう。優しい先輩や」
「ほんと意味分かんねー」
しかし真田クンの方は、何やら納得しているようやった。
「成る程。確かにスコートならば、ハーフパンツよりも動きやすい。更にはひらひらとひらめくことによって、相手の注意力も散漫させられる」
「さっすが真田。オカズにしてくれてもええんやで☆」
「笑止千万。いつまでも貴方におちょくられる俺ではない」
「ふふっ。ほな試合、始めよか」
「ちょっと待ってくださいよ。男のパンチラとか見たくないっスよ」
─パンチラ?
切原クンの言葉に、ぴくりと俺の指先が動いた。
確かに種ヶ島先輩のスコートはミニスカートみたいなタイプで、激しく動いたら下着が見えてしまいそうやった。でも男の先輩の下着やなんて、見えても嬉しくも何ともないと思う。そう、普通やったら。
「白石さんも、止めてくださいよ」
「え、あぁ」
せやけど、俺は何やらそわそわしてしもて。自分でもおかしいって思うのに。種ヶ島先輩の白いスコートが、その下に伸びる褐色の太腿が。気になって気になって、仕方がなかった。
おかしいやんな。俺、男だらけの合宿所で、思春期の性欲を持て余しとるんやろか。
「まさか白石さん、種ヶ島先輩のパンチラ見たいんスか?」
「なっ、そんな訳ないわ!」
「でしょ? もうホントにキモいって」
「お望みならその視覚、奪おうか?」
「幸村部長っ」
凛とした声がすると思えば、いつの間にか背後に幸村クンが立っとった。
「俺はもう、部長じゃないんだけど。それよりも白石、今朝のシャッフルマッチは俺とお前だよ」
「えっ、そうやった?」
種ヶ島先輩に気を取られて、掲示板を見るのを忘れとったけど。幸村クンとの入れ替え戦が入っとったやなんて、何とも間が悪い。
「そっちのカードもすげぇ。幸村部長、白石さん倒しちゃってくださいよ」
「あー……。幸村クン、悪いんやけど、5分くらい待ってくれへん?」
「何なんスか? やっぱりパンチラ見たいんスか?」
「せやからちゃうって!」
「悪いけど……。俺は待てても、監視カメラが待ってはくれないかな」
「う……」
ここの合宿所には至る所に監視カメラがあって、サボりが発覚すると容赦なく、せっかく上げたコートのランクが下げられることがある(ただし、その運用が公平に行われているかどうかには、疑問が残るけど)。
正直、種ヶ島先輩の試合の様子は気になった。せやけど俺は、何の為にこの合宿に来とるんやって話や。こうなったら、絶対に幸村クンに勝ったる。
俺は強い気持ちでコートへと向かった。
試合は、まずまずの展開やったと思う。せやけどいま一歩及ばず、俺は幸村クンに負けた。
「あーっ、もう、悔しいわ」
「ふふ。今のは俺も焦ったよ」
俺達は感想を言い合いながら、さっきの─種ヶ島先輩と真田クンがおったコートに戻った。せやけどそこにはもう、二人はおらんくて。代わりに切原クンと財前が打ち合っとった。
「何だ赤也、随分と楽しそうな格好をしてるじゃないか」
幸村クンに言われてよく見れば、確かに切原クンの腰に白い布が巻かれとった。さっきのスコートや。
「ちょっと勘弁してくださいよ。無理やり着させられたんすよ」
「あ、そうなんや」
ということは、今は種ヶ島先輩はスコートをはいてへんってことか。
「あんまりオモロいんで、ブログ用に写真撮ってやりましたわ」
「だから今からこいつをぶっ殺して、写真を消させるところなんスよ」
「あ、写真。へぇ」
「白石さん」
切原クンがラリーを中断すると、にやにやと笑いながらこっちに寄って来た。
「見たいんじゃないっスか? 種ヶ島先輩のパンチラ写真」
「えっ、あるん?」
思ったよりもデカい声が出て、俺は慌てて口をつぐんだ。こんなんまるで、俺が種ヶ島先輩のパンチラを見たがっとるみたいで。そんな訳あるはずないのに、何やら気持ちが焦ってまう。
「やっぱり見たいんだ」
「別に見たないて」
「白石さんってさぁ、やっぱりホモなんスか?」
「ホモちゃうし、やっぱりって何や」
「みんな言ってますよ。あんなにイケメンなのに、彼女が居ないのはおかしいって」
「ちょお、みんなって誰や」
そしたら後ろにおった幸村クンが、「止めなよ赤也」って笑い始めて。まさか幸村クンがって、俺は軽く怒りを覚えた。
「ちなみにウチの学校やと、あんなにイケメンやのにモテへんのは、オモロないからやってみんな言うてます」
「ちょお財前、みんなって誰や」
「みんなはみんなっスわ」
まさか、彼女がおらんだけで陰口を叩かれとったとは。そんなん言うたら財前や切原クンも彼女なんておらんのに、人のこと言うとる場合かって思ったけど。彼女を作りたくても作れへん切原クンの気持ちを考えたら、それを言うのも可哀想で。俺はむっとしながらも、何も言わんでおいてあげた。やっぱり俺って、ええ先輩やな。
「とにかく俺はホモちゃうし、男のパンチラとか興味ないわ」
「もー、怒んないでくださいよぉ。財前、写真送ってやれって」
「ま、しゃーないか」
財前が携帯電話を操作すると、ベンチに置いてあった俺の携帯がぶるぶると震えた。
「あ、送ってくれたん? ほな俺、ちょっとトイレ行ってくるわ」
「まさか今からシコるんスか? ヤバすぎでしょ」
「シコらへんて!」
「じゃあここで見ればいいじゃないですか」
「今ここで写真見たら、ニヤけてるとかホモやとか、そういうこと言うやろ」
「もー被害妄想っスよ。ちゃっちゃとここで見ちゃってくださいよぉ」
「うーん……」
俺は勢いに押されて、渋々自分の携帯電話を開いた。財前からのメールを開けば、ひっかけとかでもなく、ほんまに種ヶ島先輩のパンチラ写真が添付されとった。真っ白のめくれたスコートの下に、派手な柄のトランクスが見える。
「あー、成る程」
正直、見たら見たで、ただの男物の下着やなって感じやった。寧ろスコートがめくれとらんかった方が、エロかったような気すらする。
「何なんスかその反応。もっと感想とかないんスか」
「や、あー、予想通りやなって思て」
「予想通り?」
「知っとる? ボクサーパンツとかブリーフとかて、蒸れるから金玉によくないんやって」
「げぇ。その顔で金玉とか言うの、止めてくださいよ」
「顔は関係あらへん。ほんで種ヶ島先輩て金玉強そうやろ? トランクスなんはイメージ通りや」
俺がそう言うたら三人は黙って、何やら顔を見合わせた。
「……うわ」
「キモいっスわ」
「今後は風呂の時間、俺達とはずらしてくれないかな?」
「ちょお、感想言え言うたんはそっちやん」
三人に悪しざまに言われては、さすがに俺もちょっと傷付く。
「そうっスけどぉ。あーあ。今の発言、種ヶ島先輩にチクっちゃおうかなー」
「そんなん言うたら、俺も二人が盗撮したことチクるで」
「ほんなら俺は、切原がトレーニングマシンを変な使い方して、壊したことチクりますわ」
「え。赤也、どういうことだい?」
「い゙い〜っ、今その話関係あります?」
こうなったら暴露し合って、それぞれの罪を矮小化するしかない(切原クンが損しとる気もするけど)。そう思っとったら、休憩でも終わったんか、再び種ヶ島先輩が姿を現した。
「何や盛り上がっとるなぁ。俺も混ぜてや」
「あっ、先輩…あはは」
そしたら、さっきまでの勢いはどこへやら。みんなにこにこして出迎えて、みんなかわええ後輩になってまう。
「ほいじゃあ次は、赤福の相手したろか。うんうん。そのスコート、馴染んできたんちゃう?」
「そんな訳ないじゃないですか! もうこれ、脱ぎますからね」
完全に忘れとったけど、切原クンはスコートをはいたままやった。対して種ヶ島先輩は、よく見るスポーツブランドのジャージの上下を着とった。あの赤いジャージ姿を見ることは二度とないかと思うと、少し寂しい。
「はいこれ、あの四天宝寺のメガネの人にでもあげてくださいよ」
切原クンが種ヶ島先輩のバッグに、スコートを乱暴に突っ込む。
「そないに怒らんでもええやろ。今日は他にもご褒美とか持ってきとるんやで」
「どうせろくでもない物でしょ」
「ちゃうちゃう。ホンマにええやつ」
種ヶ島先輩がバッグの中から、薄くて四角い箱をちらりと見せた。パッケージには、テニスラケットを持った女の人の姿が見えたけど、何かがおかしい。
「あっ」
「それって」
ホンマにちらりとしか見えんかったけど。多分、18才未満は見たらあかんやつ。
「ほな、練習頑張ろか☆」
「うわっ、うわー、いいんスか? いいんスかそれ?」
「切原うるさいわ」
「あー、そういう……」
「どうする? 白石」
一応は後輩の手前、俺と幸村クンは顔を見合わせた。せやけど俺達って、そこまで野暮な男でもない。
「……まぁ、練習は普段から頑張っとるしな」
「そうだね。いつも通りにやるだけかな」
その晩、いつも以上に練習を頑張った俺達に、ご褒美として。コーチ達には内緒で、後学の為の観賞会が行われた(真田クンは、もう寝とったからかおらんかった)。
その内容はなかなかに刺激的で、俺は早々にリタイアして、自分の部屋に戻ってしもたんやけど。ベッドの中で思い出す女優さんの姿が、何故か褐色の肌の、筋肉質な太腿で。何がどうして、そういうイメージになってしまうのか。その時の俺には、まだまだ分からへんかった。