モブ♀と蔵種白石蔵ノ介くんと、一発ヤりたい。女ならば誰もが、一度は思うことだろう。
製薬会社で働き始めて一年。一つ年下の新人として、白石くんが入社した。それからずっと、機会を窺ってきた。
どうせ女と遊びまくってるんだろうって、そう思ったのに。全くチャンスが訪れない。もしかして職場の女には、手を出さない主義なのかもしれない。出会い方、ミスったか。
でも出会い直すなんて出来ないし、多少強引にでも、ホテルに連れ込むしかない。
そうして私は飲み会の席で白石くんに絡みまくり、その後に何とか二人きりになることに成功したのだ。
「ねぇ白石くん、二人で飲み直そうよぉ」
騒がしい飲み屋街で、白石くんのジャケットをつまんで引っ張る。なかなかセンスのいいジャケットだ。
「せやから俺、もう帰るんやって」
「えー、まだ帰るには早いじゃん」
「飲み足りんのやったら、二次会の方に合流したらええやろ」
「やだー。白石くんと飲みたい」
「俺は飲みたない」
「えー、何でそんなこと言うの? ひどーい」
私は歩道に座り込んだ。アスファルトがひんやりと冷たい。
「ちょお、何しとるん」
「白石くんが飲んでくれないんだったら、私帰らない」
「えっ」
「置いてくなら置いてけばいいじゃん。白石くんに置いてかれたって、みんなに言いふらしてやるから」
「勘弁してや。ほら、帰るで」
白石くんが、私の手を引っ張った。顔は王子様みたいにキレイなのに、手は結構ごつごつしている。男の人の手だ。あぁ、かっこいい。ヤりたいなぁ。
「やだ。帰らない」
「ほら立って」
「やだやだ」
「ちょお◯◯さん、飲み過ぎやで」
「やだ引っ張らないで。今日、3千円のストッキングはいてるんだから。破れたらみんなに言いふらすよ」
「や、高すぎるやろ」
白石くんは本当に驚いたのか、関西人だからか。大袈裟なリアクションをして笑った。いや、多分白石くんは本当に知らないんだ。白石くんとヤりたい女の子が、何にいくらお金を使っているかなんて。あぁ酷い。モテる男って本当に酷い。
「あぁ、友香里?」
「えっ」
握られていた手が離れたと思ったら、白石くんが携帯で電話を掛けていた。え、私が居るのに電話とかするの? そもそも友香里って誰? 彼女?
「今◯◯におるんやけど、助けてくれへん? おん、◯◯の◯◯の辺り。は? バッグ? そんなん無理やって。化粧品? まぁ、それくらいやったら。ほな、また後で」
白石くんは手短に言葉を交わすと、電話を切った。
「◯◯さん、今応援呼んだからな。立てる? 気持ち悪いとかない?」
「友香里って誰?」
「あぁ、妹やけど」
「嘘」
「嘘ちゃうて」
「絶対に嘘。男が妹って言う時は、絶対に嘘だから」
「何やそれ。ほんまやって」
絶対に嘘だ。みんなそうやって、私のことをバカにしてるんだ。
「彼女にバッグと化粧品を買ってあげるんだ。ずるいよ、彼女ばっかり」
「せやから彼女ちゃうし。仮に彼女やったとしても、誰に何を買おうが俺の自由やろ」
「ひどーい」
酷い。冷たい。白石くんのバカ。
「とにかく移動しよか。ここ、他の人の邪魔になってまうやろ?」
「私と他の人と、どっちが大事なの?」
「ちょお、ホンマに飲み過ぎやって」
飲み過ぎなのは、確かにそうかもしれない。でも白石くんは素っ気ないし、彼女は呼ばれるしで。全部が全部、嫌になってしまう。
白石くんは周りの通行人に対して、「すんません、この人酔ってしもて」ってぺこぺこ頭を下げて。それが何だかムカついた。他人にはそんなに優しいのに、私には全然優しくない。
こうなったら絶対に、立ち上がってやらない。そう決意した時。鈴の音みたいに綺麗な声が、すっと耳に入ってきた。
「クーちゃん、来たでー」
「あ、ほら妹や」
「え?」
白石くんの指差す方向を見ると、めちゃくちゃな美少女が、こっちに向かって手を振っていた。クーちゃんという響きに、一瞬頭が混乱したけれど。白石くんの下の名前が、蔵ノ介ってことをすぐに思い出した。
「やっぱり彼女じゃん。妹がお兄ちゃんのこと、クーちゃんなんて呼ぶ訳ないじゃん」
「そんなん、俺に言われても困るわ」
友香里は、まるで自分がこの世界の主人公です、みたいな顔をして。こっちに向かって歩いてきた。顔も可愛ければ、すらっとしたスタイルで服のセンスもいい。ただ一つおかしいのが、隣に長身の男が立っていること。
その男は銀髪で褐色の肌を持ち、ブランド物の服で身を包んでいた。妙な色気があって、白石くんとはまた違ったタイプのイケメンだ。そのイケメンと友香里ちゃんが、腕を組んで歩いている。
「お待たせ。そっちがクーちゃんの会社の人?」
「早かったやろ。たまたま近くでデートしててん☆」
「いやいやいや。デートする相手、間違うとるやろ」
「やって、ノスケが相手してくれへんから」
銀髪のイケメンが思ったよりも高く、甘ったるい声で白石くんをなじる。どういうこと? 白石くんの彼女、この銀髪と浮気してるの?
「この子が、ノスケの会社の困ったちゃんかぁ」
そう言って、銀髪が私の顔を覗き込んだ。意外と目がくりっとしてて、可愛い顔立ちかもしれない。
「そーです。私が困ったちゃんです」
「ふふ。意識ははっきりしとるな」
「お姉さん大丈夫? 寒くないですか?」
「ちょっと寒い……、かも」
「ほな、あったかい飲み物買うてくるわ」
友香里はそう言って立ち去った。案外いい子かもしれない。
「さてと。ほなお姉さん、もう少し邪魔にならんとこに行こか」
銀髪が私に手を差し出す。そうしたら白石くんが、さっと間に割って入った。
「ちょお修二はええわ。俺がやるから」
「ええてええて。お姉さん、俺みたいな男どない?」
「ちょお、俺がやるから」
二人のイケメンが、私に手を差し伸べている。これはちょっと、気分がいいかもしれない。
「えー……。どうしよっかな」
「俺、ええ店知っとるで。二人で飲み直さへん?」
「誘う相手間違うてるやろ。◯◯さん、俺が駅まで送ったるから」
「うーん。修二さんもかっこいいけど……」
でも私、こう見えて結構一途なんだ。
「やっぱり、白石くんがいいなぁ」
「あらら」
「ほれみぃ。修二なんて最初から呼んでへん」
「白石くんがキスしてくれたら、今日は大人しく帰るよ」
「えっ」
白石くんが、ぎょっとした顔をする。そんな顔、しなくてもいいのに。でも、思ってることが全部顔に出ちゃうところは、結構可愛い。
「キスて……。◯◯さん、キスって好きな人とするもんやで?」
「私は白石くん好きだよ。白石くんは、私のこと好きじゃないの?」
「や……」
「好きじゃないの?」
「……」
「ノスケ、キスしたったらええやん」
「や、もう上司呼ぶわ」
「あー、そういうこと言うんだ。白石くんって冷たい」
「せやでノスケ。お姉さんの立場ってもんもあるやろ」
「知らんわそんなもん。自業自得やろ」
「ひどーい」
「酷いなぁ。ほなお姉さん、俺とちゅーしよか」
「え?」
「俺とのちゅーやったら、24時間365日営業中やで☆」
「ちょお、修二」
「うーん……」
どうやら白石くんとは、どうあがいてもキスすら出来そうにないし。このイケメンで手を打つっていうのも、ありなのかもしれない。道路に座り続けるのも、いい加減もう冷たいし。
「じゃあ、そうしよっかな」
「や、せやったら俺がキスするわ」
「白石くん?」
白石くんがキスしてくれるんなら、やっぱりそっちの方がいい。ラッキーって、そう思ったのに。修二が白石くんとの間に、すすっと割り込んできた。
「ええて。俺がちゅーするから」
「修二はそんなんせんでええて。俺がキスするわ」
「ノスケこそせんでええて。俺、こういうの得意やから」
「ちょお、得意ってどういうことや」
「ええから。ノスケはせんでええて」
「修二こそせんでええわ」
「え、何で……」
二人のイケメンが、私の前で言い争う。ほんとだったら、ドラマみたいになるはずなのに。
「何で私とのキスが、罰ゲームみたいになってるのぉ?」
「や……」
酷い。酷すぎる。こんな思いをさせる為に、わざわざこの銀髪を呼んだんだろうか。もう絶対に職場で、白石くんの悪口を言いふらしてやる。さすがの私も、目に涙が薄っすらと浮かんだ。
「酷いよ、酷い」
「あんな、◯◯さん」
「やだ、酷い」
「ちょお見とって」
そう言うと白石くんは、修二の胸ぐらを掴んだ。あぁやめて。私の為に争わないで。
「……っ」
「え?」
白石くんは、修二を殴ったりなんかはしなかった。白石くんの顔が、修二の方に傾いて。修二のくりっとした目が、より一層、丸くなったのが見えた。二人の顔が、ゆっくりと重なる。
「え? え?」
随分と、時間がゆっくりに感じた。重なった顔が一瞬止まって、また離れた。修二がぺろりと、自分の舌を舐めた。
「え……、キスした?」
白石くんが振り返った。飲み屋街のネオンに照らされて、ほんのりと頬が赤く見える。
「……こういうことやから」
「え……、ホモってこと?」
「ノスケええの? 会社の人なんやろ」
「ええよ。いつかは言うつもりやったから」
「嘘……、嘘だ。女避けの作り話でしょ」
「んふふ」
そしたら修二が、まるで芸能人の婚約発表みたいに。左手の薬指にある指輪をきらりと見せつけてきた。
「えっ」
白石くんの方を見れば、白石くんがワイシャツのボタンを外して、中からネックレスを引っ張り出した。トップにはシンプルな指輪がきらりとぶら下がっている。
「え、ほんとに……?」
「悪いけど─」
「バ……」
「うん?」
「バカみたいっ。そんなの時間の無駄じゃんっ」
「え?」
「私の時間返してよ! 今日だって、水色が似合う子が好きって言ってたから、わざわざ水色のピアスしてきたんだよ」
隣で修二が「んはは」って笑った。ムカつく。もう全部がムカつく。
「お待たせー。限定のティーラテ買うてきたで。どっちがええ?」
丁度その時、友香里が戻って来た。私は「ありがとっ」って言って両方受け取ると、二杯ともごくごくと飲み干した。ほんとは熱かったし量が多くて吐きそうだったけど、そんなのどうでもいい。
「はー、温まったわ」
「あ、あぁ、うん。よかったわ」
「友香里ちゃんさ、これから飲みに行かない?」
「え、私? クーちゃんやなくて?」
「行こ行こっ。こんなホモ達に構ってられない」
「う、うん」
白石くん達がどんな顔をしてたかなんて、そんなのは知らない。私はお気に入りのお店に、友香里ちゃんを連れて行ってあげた。銀髪の行きつけの店よりも、絶対にいい店だと思う。勿論私のおごりだし、年上のお姉さんとして、たっぷりエスコートしてあげた。友香里ちゃんは可愛いし、話も面白いし(白石くんの何倍も!)、最高の夜になった。
それから友香里ちゃんとは、今でも時々連絡を取り合う仲だ。友香里ちゃんいわく、白石くんと銀髪は、今でもよろしくやっているらしい。そんな話を聞く度に私は、何でイケメンって手に入らないんだろうって、深い深いため息をつくのだ。