寝起きドッキリ(蔵種)早朝も早朝、まだ暗いホテルの廊下に、怪しい影が二つ。その一つは、とあるテニス協会の会長。そしてもう一つは、会長秘書であるこの私。
「会長、まずいですって」
「何がまずいんや」
「今はこういうの、問題あるんですって」
私達が立っているのは、ホテルの一室のドアの前。部屋の中ではプロテニスプレイヤーの、白石選手が眠っているはずだ。
「ただの寝起きドッキリやろ。何がまずいんや」
「だからそれが駄目なんですって」
今日、この地でテニスのジュニア大会が開催される。その大会の目玉企画として、プロである白石選手の親善試合が行われるのだ。白石選手はそこらの芸能人も顔負けの長身のイケメンで、女性人気も抜群に高い。チケットの売れ行きも好調で、きっと企画は大成功に終わるだろう。
そしてその白石選手が、昨夜この地に前入りし、今この部屋で眠っている訳なのだが……。
「女子供は、寝起きドッキリなんかが好きなんやろ。これでまたドカンと人気が出るわ」
「好きは好きなんですけどぉ」
イケメンの寝起き姿だなんて、好きに決まっている。けれど当たり前だけれど、選手にもプライバシーってものがあるのだ。
「ほなどないしたらええんや。カレンダー売れ残ったら赤字やで? そうなったら、お前のボーナスも無しや」
「うぅ、それは」
最近はどこも景気が悪い。スポンサーの金払いも悪くなってきた。そこで会長は最近、グッズ販売に意欲的だ。選手のカレンダーだとかタオルだとかを、素人ながらにせっせと作っている(実際に企画、発注しているのはこっちだが)。
「ここまで来て、引き下がるアホがおるか。さあ、入るで」
「そもそも鍵はどうするんですか? 合鍵でも持ってるんですか?」
「ここの館長とは旧知の仲や。マスターキーぐらい、簡単に手に入るわ」
「うわ、最悪」
この社会、狂ってる。
「どアホ。なんちゅー口の利き方や」
会長は鍵穴に鍵を差し込むと、くるりと回した。そもそも今どきカードキーじゃないとか、このホテルも古すぎる。
「ええな。カメラ回しながらベッドに寄るんやで」
「うぅ、はい」
私はビデオカメラ(私物)の電源を入れて構えた。会長がそっとドアを開ける。中は真っ暗だ。ごめんなさい、白石さん。私のボーナス一括払いの為に、ちょっとだけ寝顔を晒してください。私は録画ボタンを押して、ゆっくりとベッドに近付いた。
「行くでっ」
会長が突然、部屋の明かりを点けた。まぶしい。けれど怯んでなんてられない、ちゃんと寝顔を撮らなければ。私は顔をしかめながら、必死にベッドにカメラを向けた。向けたのだが─
「あれっ」
「おらへんやん」
ベッドには誰も居なかった。
「えぇ……」
部屋の中は閑散としていた。ベッドはベッドメイキングされたままという感じで、誰かが居たという気配が無い。
「部屋、間違えたんとちゃうか?」
「そんなはずは」
会長が荒っぽくクローゼットを開ける。
「荷物はあるわ」
クローゼットの中には、上着やラケットバッグが入っていた。
「確かに、白石さんのラケットバッグです」
「ほなあいつ、どこぞのキャバレーでもほっつき歩いとるってことか」
「そんな。早朝練習とかじゃないですか?」
「練習やったら、シューズくらいは持って行くやろ」
確かにクローゼットの足元には、男性らしい大きなサイズのスポーツシューズが置いてある。
「くそっ、あいつめ。折角の企画が台無しやわ」
「まぁまぁ。親善試合の方を、頑張ってもらえばいいじゃないですか」
「しゃーない。ほな種ヶ島の方に行こか」
「種ヶ島さんですか?」
種ヶ島さんは、かつてプロテニスプレイヤーだった。しかし一、二年プロとして活動した後、海外の大会に行きたくないからと、あっさり引退してしまった。今はタレントとしてバラエティ番組に出たり、テニスの大会で実況や解説をしていたりする。
今日の大会でもちょっとしたトークショーをお願いしてある。ちょっとチャラいが人当たりのいいイケメンで、老若男女から人気がある人だ。
「種ヶ島の部屋はどっちや」
「こっちですけど」
「あいつも女に人気あるからな。カレンダーに載せといてよかったわ」
「あ、すみません、こっちでした」
「ちょお、しっかりせぇや」
「だってここのホテル、構造が複雑なんですよ」
「何で隣の部屋、押さえへんかったんや」
「それは会長が、後からごちゃごちゃ変更してきたからじゃないですか」
「どアホ。それぐらい見越して仕事せんか」
「無茶言わないでくださいよぉ」
会長はいつもこうだ。私は会長にごちゃごちゃ言われながら、種ヶ島さんの部屋の前に辿り着いた。
「ほな、手筈はさっきと同じやで」
鍵がカチャリと鳴って、ドアが開く。私はビデオカメラの録画ボタンを押して、ゆっくりと部屋に入った。ミスは許されない。今度こそ、上手くいきますように。
「ほな、寝起きドッキリや」
会長が照明のスイッチを押した。まぶしい。けれど今度こそ捉えた。ベッドには確かな膨らみがある。居る。今度こそ、そう思ったのに─
「あっ」
ベッドには、確かな膨らみ。そしてその奥に、丸いものが二つ。一つは、種ヶ島さんのトレードマークの、ふわふわとした白い髪の頭。そしてもう一つは、色素の薄い、さらりとした髪の頭。
「こらぁ種ヶ島。なに女連れ込んでんねん!」
会長の怒声が響く。種ヶ島さんの頭がぴくりと動いた。
「ワシの金で借りた部屋でお前、なに女連れ込んでんねん」
会長がつかつかと歩み寄る。ちなみに勿論、この部屋は協会のお金で借りている。会長のお金ではない。
「……え、会長?」
種ヶ島さんが、半分寝ぼけた、もう半分は怪訝そうな顔でこっちを見た。
「さっさと返事せんかぁ」
「え? なに? 何かあったん?」
いまいち状況が掴めていないようで、種ヶ島さんは目をぱちぱちとさせている。女性の方はこの状況でもまだ眠っているのか、種ヶ島さんの胸に顔を埋めたままだ。
「寝起きドッキリじゃボケぇ」
「え? や、鍵は?」
「そんなん開けたわ」
会長が、答えにならない返事を言う。
「え、ちょお。そういうのは事前に言うてや」
「言うたらドッキリにならへんやろが」
種ヶ島さんが、ホテル特有の薄い掛け布団を引っ張って、女性の頭をすっぽりと隠した。その拍子に掛け布団が上に上がって、女性のつま先がちらりと見えた。
そのつま先は、すぐに掛け布団の中に引っ込んでしまったけれど。このサイズでつま先が見えるということは、かなり長身の女性なんだろう。足も大きそうだったし色も白かったし、ひょっとしたら外国人なのかもしれない。
「女の方も女の方や。普通こういう時は、コトが済んだら帰るもんやろが」
会長が掛け布団に手を掛けた。
「ちょお、引っ張らんといて」
「これでダブルの料金を請求されたら、ちゃんと差額払えるんかお前」
「ちょお払うって。払うから引っ張らんといて」
「会長まずいですって。下手したら国際問題ですよ」
私も慌てて会長を制止する。もしも二人が裸だったりしたら、気まずいどころの話ではない。
「ほなどないするんや。ドッキリ大失敗やないか。カレンダー売れ残ったら、お前責任取れんのか」
「私が何とかしますから。何とかしますからって」
私はもう、必死で会長を部屋から押し出した。年寄りだっていうのにめちゃくちゃ体幹がしっかりしていて、めちゃくちゃ苦労した。これじゃまだまだ、隠居しそうにない。
「ったくどいつもこいつも。ちゃんと協会のことを考えとるんか」
「そういえば会長。昨日◯◯さんから、今度ゴルフに行きませんかって、お誘いのメールがありましたよ」
「何やと? 何でもっと早く言わんのや」
そんなのは勿論、こういう時の為に温存していたに決まっている。
「何てお返事しましょうか?」
「待てや、どこのゴルフ場がええか。メンツはどないしよか」
会長は軽い足取りで、自分の部屋に戻って行った。やれやれ、ほっと一息だ。
数時間後。私は改めて、白石選手の部屋のドアをノックした。
「すみません。ちょっとお願いしたいことがあるのですが」
「はい、何でした?」
白石選手が顔を覗かせる。やっぱりめちゃくちゃイケメンで、何だか急に周りがきらきらと明るくなった気がする。この距離、心臓に悪い。
「あの、カレンダーの、販促動画の撮影をお願いしてもいいですか? 30秒程度のものです」
私だってカレンダーは完売してほしいが、私に出来ることはこれくらいしかない。
「撮影ですか? ちょお待ってください」
白石選手は一旦引っ込むと、またすぐにドアを開けた。
「ええと思うんやけど、どないです? 髪型、キマってます?」
「あはは。めちゃくちゃかっこいいですよ」
白石選手だったら、きっとどんな髪型でもかっこいいだろうけれど。今日も色素の薄いさらさらの髪は、綺麗にセットされていた。何だか前も見たことのある髪色の気がするが、きっと流行っているのだろう。
「ここで撮らはるんですか?」
「あ、種ヶ島さんと一緒にお願いしたいので。種ヶ島さんの部屋でいいですか?」
「分かりました。ほな、行きましょか」
白石選手は種ヶ島さんの部屋に向かって、すたすたと歩き始めた。こうやって見ると顔が綺麗なだけじゃなく、手足が長くて後ろ姿もかっこいい。360°隙のない、完璧な男性だ。
「あっ……」
その白石選手が、急に立ち止まる。
「どうされました?」
「えっと、何号室でしたっけ?」
「あぁ、はい。こちらです」
さすがにもう、このホテルにも慣れた。私達は迷うことなく、種ヶ島さんの部屋の前に到着した。
「種ヶ島さん、俺です」
白石選手がドアをノックすると、直ぐにドアが開いた。
「はいはい、何やった? あ、さっきのお姉さん」
さっきの今だ。当然、覚えられている。
「先ほどはすみませんでした。本当に申し訳ありません」
私は深々と頭を下げた。
「……何かあったんですか?」
白石選手の質問に、種ヶ島さんは「あぁ、ちょっとな」と答えた。意外と口が堅い人だ。何ともありがたい。
「まぁ、次からは事前に教えてくれると助かるわ」
「はいっ、それはもう勿論。今度埋め合わせさせてください」
「ふふ。それは楽しみやなぁ」
「……あの、それで撮影は?」
白石選手が先を急かす。それはそうだろう。この後、試合があるのだから。
「撮影?」
「はい、カレンダーの販促の動画を撮影させて頂きたいんです。『買ってね』って感じの、30秒くらいの動画です」
私は自分で言いながら、何だか急に恥ずかしくなってきた。今からこのイケメン二人を撮影させてもらうのかと思うと、照れと緊張で顔が赤くなる。
駄目だ駄目だ。そんな浮ついた心では。
「ええよ。何処で撮る?」
「お手間は掛けさせませんので。もうここの廊下でいいです」
「え、ここ?」
二人が同時に声を上げる。
「ここ、暗ないですか?」
「天井も低いしなぁ。もっと開けたとこの方がええんちゃう?」
確かにこのホテルは古くて暗くて、天井も低い。
「あ、そうですよね……」
「ドアもえらい低ない? 頭ぶつけてまいそうやわ」
「そこまでやないでしょ」
二人が確認するかのように、ドアの上枠に手を添えた。私の目線からだと、確かに頭をぶつけてしまいそうなぐらいの高さに見える。
「俺の方が、背ぇ高いからなぁ」
「そない変わらへんでしょ。俺も伸びたんで」
ドアの上枠の下で、背比べするみたいに二人の頭が並んだ。何だか微笑ましい。種ヶ島さんの、トレードマークのふわふわとした白い髪が揺れる。そしてもう一人は、色素の薄い、さらりとした─
「あっ」
突然、目の前の景色が今朝の記憶と重なった。
「ん?」
「何かありました?」
二人が揃ってこちらを見る。飄々とした顔の種ヶ島さんと、涼しい顔をした白石選手。どちらも大変女性に人気がある。その二人がまさか。いや、そんなはずは。
「な、何でもないです。では、ロビーで撮影しましょうか」
私は自分の勝手な妄想が恥ずかしくなって、急激に顔が熱くなるのを感じた。そんなこと、あるはずがないのに。もしかしたら、そうだったのかもしれない、そう思うだけで。何だか急に生々しく感じられて。まるで思春期の中学生にでもなったみたいに、二人の顔が見られなくなる。
「ちょお待って。お姉さん、カメラは?」
「あっ、カメラが無いっ」
「はは。うっかりさんやなぁ」
種ヶ島さんは一瞬部屋に戻ると、すぐに私のカメラを持って出て来た。さっきお邪魔した時に、忘れていってしまったんだろう。
「すみません、何から何まで。では、改めて」
私達三人は、そのままロビーに向かった。途中こっそりビデオカメラに電源を入れて、録画データを確認したけども。今朝撮ったはずの映像は、しっかりと消えていた。