合コン「白石くん、大丈夫?」
「うーん……」
「店員さーん。お水くださーい」
小洒落た居酒屋のテーブルの端の席で、私はカクテルに刺さったマドラーをくるりと回した。
─今日の合コン、当たりだと思ったんだけどなぁ。
向かいの席では、某大学の薬学生という白石くんが、潰れてテーブルに突っ伏している。かろうじて意識はあるが、今にも寝落ちしそうなくらいにはぼんやりとしている。
「白石くーん」
「……」
「ダメかぁ」
いつもだったら、合コンで飲み過ぎて潰れている男だなんて、絶対に放置する。医学生だったらまだしも、それ以外は絶対にない。
でも、白石くんは違う。
─肌、キレイ。まつ毛、びっしり。
捨て置くには、あまりにも美しい。
「おーい。私、帰っちゃうよ?」
白石くんの身体が呼吸と共に、無言で上下に揺れる。名前の通りに白い肌が、アルコールで紅く染まって何とも色っぽい。色素の薄い艷やかな髪が、きりりとした目元に深い影を落として。まるで外国の王子様みたいで、見ているだけで胸がときめいてしまう。
「◯◯ちゃん、そんなヤツ放っといて話そうよ」
急に場違いな声がテーブルに響いて、私と白石くんの世界はガラガラと崩れた。合コンの幹事の暑苦しい顔が、こっちを見ている。
「うーん。でも、白石くんが心配だし」
「◯◯ちゃん、優しいなぁ。それとも白石狙い?」
「あはは、どうだろ」
「マジ? 俺にしてよ」
幹事が大きな声でからからと笑った。この幹事、顔は悪いがノリはいい。今日も、急遽参加したいと言った白石くんの為に、手早く色々と調整をしてくれたらしい。うんうん、出来るヤツだ。
「お待たせしました」
店員さんがテーブルに、全員分のお冷やを置いていった。氷がカランと鳴って、何とも清々しい。
「白石くん、お水だよ」
「うーん……」
無視されるかとも思ったけれど、白石くんはのそりと起き上がると、ごくごくと水を飲み始めた。
「ふー……」
「すっきりした? 私の分も飲む?」
「ん。おーきに」
白石くんは私のグラスを受け取ると、もう半分くらい水を飲んでからテーブルに置いた。
「大丈夫?」
「んー……」
白石くんはぼんやりとした顔で、周りを見回した。テーブルの反対側では、みんなが手相の話で盛り上がっている。合コンとしては、いささかレベルが低い。
「つまらんわ……」
白石くんがぼそりと呟いた。透明感と落ち着きを併せ持った、いい声だ。何だか背筋がぞくぞくしちゃう。
「えー、じゃあ、白石くんの好きな話しよ」
「んー……」
「白石くんって、何が好き?」
「あー……」
「休みの日とか、何してる?」
「……セックスしたい」
「えっ」
私は耳を疑った。今、セックスって言った? さすがに酔いすぎじゃないだろうか。しかし考えてみれば、これは逆にチャンスだ。
「えーっと、今?」
「んー……」
「じゃあ、さ」
二人で抜けちゃう? なんて。
「俺なぁ……」
「うん」
白石くんの、語気が強まる。
「もう三週間も、セックスしてへんのやって」
「……え?」
さっきまでとは違う意味で、目の前がチカチカと光る。
三週間、ねぇ。はぁ、そうですか。
私はスマートフォンで、ちらりと時刻を確認した。やっぱり今日の合コンは、ハズレかもしれない。
「忙しい忙しい言うて、最近全然会われへんくて」
「あ、へぇ。そうなんだ」
「今日こそ、ゆっくり会えるはずやったのに」
「うんうん」
「やっぱり無理やって言われて」
「あちゃー」
「しかも会われへん理由、何やと思う?」
「えー、何だろ?」
「頼まれて、合コンの幹事やらなあかんのやって」
「合コン?」
「おかしいやろ? 俺がおるのに合コンとか」
「あはは。だから白石くんも、仕返しに合コンに来たって訳だ」
「せやで。合コンでめっちゃモテたるわって、啖呵切って来たったわ」
「あはは。全然モテてない」
「あ……、それは言いっこなしやで」
勿論、普通に飲んで普通に喋っていたらモテるだろうけど、現状全然モテてはいない。まぁ、私が白石くんを狙っているから、他の女の子達が諦めちゃってるっていうのも、あるとは思うけど。
しかしふーむ。つまりは本命の彼女が居るという訳か。よく見れば白石くんの筋張った大きな手の、左手の薬指の付け根に、ちょっと前までは指輪をしていたかのような跡がある。
「でも分かる。会えないのって、辛いよね」
ならばこのチャンス、利用させてもらおう。
「……」
「私だったら白石くんに、そんな思いさせないのになぁ」
まるでドラマみたいな、歯の浮くような台詞だけれど。結局はこういう単純な言葉が、何よりも男には効くのだ。
「なんてね。彼女さんもきっと、反省してると思うよ。後で絶対に仲直り出来るよ」
ふふふ、見よ。これが男にとっての、都合のいい言葉だ。これで彼女の機嫌が悪いままだったら、私の価値がぐっと上がる。
「うーん……。彼女、ちゃうけど」
白石くんは歯切れの悪いまま、残った水を一口飲んだ。
「え?」
彼女ではない、ということは……。つまり、セフレってこと?
ふむふむ。通常であれば、セフレと指輪の交換などはしないものだが。どうやらこの男、大学生になってから遊び始めて、まだ遊び慣れていない、そんなところか。詰めが甘い甘い。この私が本気を出せば、簡単に落とせそうだ。
そう思っていると、テーブルの上のスマートフォンが軽快なメロディで鳴り始めた。液晶画面に表示されているのは、バイト先の店の名前だ。きっとシフトを代われだとか、そういう電話だ。
「ん……。電話?」
残った水をちびちびと飲みながら、白石くんが尋ねる。さっきよりも幾分か、正気に戻っているようだ。電話を切ろうと伸ばした手が止まる。
ここはシフトを代わって、いい子ちゃんアピールをした方がいいのかもしれない。
「バイト先みたい。ちょっと電話してくるね」
私はちょっと困った感じに笑って、スマホを片手に店の前まで出た。電話は案の定シフトの件で、私はそれを二つ返事で引き受けた。さて、では店内に戻るか。そう思ったその時、急にちょっと高い位置から声がした。
「お姉さん、ちょっとええ?」
ナンパ? 今はそれどころじゃない。
「すみません。彼氏を待たせてるんで」
正確にはまだ彼氏ではないが、近いうちにそれは真実となるだろう。
「ちょお待って待って。ナンパちゃうて」
少し高めの、余裕ぶった男の声。このまま無視してもよかったが、今の私はいい子ちゃんなのだ。誰に目撃されても落ち度の無いよう、一応は振り返った。
「はい?」
後ろに立っていたのは、褐色の肌の男だった。185センチくらいはあるだろうか。高めの身長に、ふわふわの銀髪。着ている服も、なかなかにセンスがいい。
ふむ。今日はいい男とよく会う。
「あらら。お姉さん、えらいべっぴんさんやなぁ」
「あの、何か?」
「デート中やった? 邪魔して堪忍な」
「あの……」
何だ? やっぱりナンパじゃないか。さっさと店内に戻ろう。私は足を進めた。
「待って待って。今、人を探しとるんやけど。この辺にめっちゃイケメンおらんかった?」
「イケメン……?」
めっちゃイケメンと言われたら、一人しか思い当たらない。しかしそんな偶然、ある訳ないだろう。
「おらへんかった? 合コンするんやったら、この辺の店やと思うんやけどなぁ」
そう言いながら男は、ポケットから何かを取り出すと、上空めがけてぽんっと投げた。キラキラと輝く金の輪っかがくるくると落下して、そのまままた男の手のひらの中に、パシッと収まった。
「あっ」
見れば男の左手の薬指にも、同じく金の輪っかがはまっている。
「白石くんの、セフレ」
全てのピースがピタリとはまって、私は思わず男を指差した。男はくるんとした目を見開くと、私を凝視した。
「えっ?」
「あ……」
「ノスケの、知り合い?」
「……」
ノスケ、とは? そう言えば、白石くんの下の名前は、蔵ノ介とかいう古風な名だったか。
「ノスケって俺のこと、そんな風に言うとるん?」
男は指輪をポケットに仕舞い込むと、ぽりぽりと頭をかいた。
正確に言うと、白石くんはそんなことは一言も言っていないのだが。何だか面白くないので、私は否定も肯定もしなかった。
「白石くんを、迎えに来たんですか?」
「せやで。悪い虫が付かへんようにな」
「白石くん今、潰れてますよ。合コンが楽しすぎて、飲み過ぎちゃったみたいです」
「……へぇ。お姉さんは、彼氏とデート中ちゃうん?」
私のちくりとした悪意に、男の悪意が重なる。
「あはは。さっきまでは、彼氏だったんで」
「お持ち帰り、出来ひんかったん?」
「まさか。居るんで、彼氏」
今頃残業中の本命の彼氏の話は、今は関係ない。
「あー、でも、彼氏に会いたくなってきちゃったかも。あの、私もう帰るんで、会費払っといてもらえません?」
「えぇっ」
男はまた別の意味で目を見開くと、くつくつと笑って、そして私に手を振った。
「ええで。教えてもらったお駄賃☆」
「そんなそんな。手切れ金ですよ」
本当は奢ってもらうはずだった会費、是非この男に払ってもらおう。
「俺も、彼氏に会いたなってしもたわ」
男はそのまま、店の中に入っていった。あーあ。あの店、二度と行きたくない。
そして私は私で、合い鍵片手に彼氏の部屋に向かったから。その後どうなったのかは知らないし、興味もない。だからもうこの話は、ここでおしまい。