「――ゲームセット!ウォンバイ……ビョードーイン!」
デュークの口は、実に滑らかにこの言葉を宣言していた。毎日のように言っているのだから当然ではあるが、こと今日に至っては、朝からずっと言い続けていたのであった。デュークは平等院が1日で倒した人数を数えようとして――両手の指を使っても足りなくなったあたりで、無意味さに気付きやめてしまった。無残に散っていった者たちのことなど、考えるだけ時間の無駄なのだから。
平等院とデュークが今回訪れた街は、どうやらテニスの盛んな地域のようだった。あらゆるところにテニスコートが点在し、周辺の住民や観光客は自由にテニスを楽しめる。……とは旅行雑誌などに載る建前だ。実際はギャングや"それ以上"のヤバいテニス自慢の野郎どもに占拠されてしまっているのだ。それぞれの派閥に分かれて熾烈に縄張りを競い合い、血で血を洗う試合が日々行われている……。
――面白え!
現地の人間から情報を得た平等院は、鋭い目をいっそうギラギラとさせて、手近なテニスコートに乗り込んでいったのだった。
「な……なんてクレイジーな野郎だ……!」
最後に平等院と戦った男(一応、このテニスコートのボス的存在だったらしい)は、そう捨て台詞を吐いて退散していった。時刻は深夜。数人の取り巻きも慌ててそいつに着いていく。情けないスラングたちが途切れて急に静まり返ったコートの中、ナイターの照明に照らされて、大量の汗のしたたる金髪が輝きを放っていた。ネットの傍らで審判を務めていたデュークは、そのあまりの眩しさにつぶらな瞳を思いっきり細めた。
「フン……、ッは、大した、奴、いねーじゃ……ねー、かよっ」
「……本当に『クレイジー』だな、アンタは」
「あぁ……?」
そこまで手こずった相手がいないとはいえ、朝から深夜までの連戦だ。デュークがテイクアウトしてきたSUSHIを食べた昼休憩を除き(イチゴの巻物に顔をしかめていた)、平等院はほとんどずっとコートの中で暴れまわっていた。これがクレイジーでなければ、世の中の何がクレイジーだというのか。
まったく、とんでもない男に着いてきてしまったものだと――デュークは改めて実感する。そして、呆れとともに胸に浮かんでくるのが大きな喜びであるという事実も。不自然に笑いだしてしまいそうになるのを抑えて、早く宿に向かおう、と呼びかけようとした、その時だった。
なかなか呼吸が落ち着かない平等院の身体が、ゆっくりと左右に揺れたかと思うと……次の瞬間には、全ての力を失ったかのように、勢いよく前のめりに倒れ込んでいた。
「おいっ!?」
試合でもこんな瞬発力を発揮したことはなかったかもしれない――デュークは地面を強く蹴って一心不乱にコートの中に飛び込むと、平等院の身体を間一髪で抱きとめた。抱えた身体はずっしりと重くて、汗まみれで、ひどく熱い。もしや意識を失ってしまったのかと血の気が引いたが、大丈夫かビョードーイン! と叫べば、うるせえぞデューク、と返ってくるので心の底から安堵した。おそらくは体力を一滴残らず使い切ってしまっただけなのだろう。もしかしたら、最後のほうは精神力だけでコートに立っていたのかもしれない。
「アンタ、限界ならちゃんと言ってくれっ!」
「……俺に、限界なんて、ねえ……」
「説得力なさすぎだ……」
威勢がいいのは口調だけ。ゆっくりと背中をさすってやれば、その動きに合わせるように、素直に呼吸を整えていく。自分の腕におとなしく抱かれたままの平等院に、デュークは何故か懐かしい気持ちを思い出していた。これは、そうだ――たくさん遊んで、もう足元もおぼつかないのに、まだ帰りたくないと駄々をこねる弟妹を抱きかかえて帰路についた、愛すべき故郷の記憶。気づいてしまえば、普段は獰猛な狂犬のようなこの男も、お気に入りのおもちゃにじゃれつく子犬のように見えて……こないこともないのだろうか?
「……ほら、帰るぞっ!」
「っ!? 何しやがる、おい!」
きゃんきゃんと鳴き叫ぶ声は、無視してしまうことにデュークは決めた。わがままを通すことだけが愛なのではない。一時も目が離せない、離してしまいたくないこの男と、まだ見ぬ輝かしい旅路を続けたいと願うのならば、やらなければならないこともあろう。そして、今やらなければならないこととはきっと――日本で言うところの"お姫様抱っこ"に違いないのだ。
突然抱き上げられたお姫様もとい平等院は、たいそう不服そうな目でデュークを睨みつける。
「今すぐ下ろしやがれデューク」
「ダメだ。宿に着くまで我慢してくれ」
「このまま向かうってのかよ……」
「下ろしてやってもいいぞ? アンタがまっすぐに歩いて向かえるって言うなら、だけどな」
「…………チッ」
目と口以外に抵抗する力が残っていないことは、本人がいちばんよくわかっているのだろう。観念したのか、平等院は大きな舌打ちを浴びせたあと、目を閉じて黙ってしまった。起きているのか寝ているのか、生きているのか死んでいるのか……わからないくらいの静けさで、デュークにその身をゆだねている。無防備に晒された喉元はひどく白い。デュークは不意にどきりとして、平等院の身体を自らへとそっと寄せた。確かに伝わるあたたかさをしっかりと感じながら、デュークは宿のベッドまでのエスコートの道のりを頭に描くのだった。