わたしのすきなひと ラボの天井は時間帯に応じて日光を取り込むよう、窓のガラス面が露出する幅を自動的に調節する。日がな一日、最低出力の暗い部屋で過ごしていても特に支障がないといえばそうなのだが、オービタル曰く「日光ニ当タリセロトニンノ分泌ヲ促進スルコトデカイト様ノ精神的ナ安定ヲ図ルデアリマス」とのことなのでカイトは好きにさせている。なお、カイトは現状においては自己の精神が不安定であるというつもりはない。
時刻は午後2時。今になって昼食をとり損ねたことを思い出し、カイトは上着のポケットに突っ込んであったゼリー飲料を取り出した。
あれから数ヶ月。
クリスやトロンまで巻き込んで、今このラボでは異次元についての研究を行っている。地球と宇宙、人間界とアストラル世界、シリアルとパラレル、次元と次元……。アストラル、そしてヌメロンコードの存在はあらゆる「ここ以外」の可能性を提示した。自分たちが生きている間には存在を知ることすらできないかもしれないほどの広大な世界がある事実に、確かにカイトの中のロマンは掻き立てられた。
カイトは学校へは行かなかった。かといって、悪事を為したとはいえドクター・フェイカーが優れた研究者であったことは事実であり、金銭的には余裕があるといって差し支えなかった。それでも進学の道を選ばなかったのは、ひとえに自由に研究がしてみたいと思った、それだけだ。
アストラルが残した夢だらけの世界を、自分の手で切り拓いてみたいと思った。
そうして悠久ともいえそうなほどの人生の残り時間を研究に捧げることにしたカイトのもとには、度々それ以外の、常々変化に追われる人間たちからの報せが入る。現に今も、ラボに映されるホログラムには九十九遊馬の名前が示されていた。
「おっすカイト! さっきのメールなに!?」
「……メールの返事はメールでいいんだぞ」
「電話の方が早ええじゃん! でさ、ハルトの授業参観になんでオレ?」
メールというのは、カイトから遊馬に向けて2時間ほど前に送ったものだ。学校の昼休みの時間を狙って送ったつもりだったが、この様子だと遊馬は昼休みには友人と談笑でもしていて、授業の途中になって暇つぶしにDパッドをいじってみたところでカイトからのメールに気づいた、そんなところだろう。
「父さんの学会発表が被ってな。参観には二人まで来ていいということだったし、どうせなら顔見知りのお前をと」
「顔見知りて」
ハルトは現在、小学校へ通っている。幼稚園や保育園など、同年代の子どもたちと接する機会をことごとくすっ飛ばしてのことだったのでカイトは──ドクター・フェイカーに関してはカイトが見ていられないほど──心配したが、1年生の夏休み明けという半端な時期の編入でも、クラスメイトはハルトを温かく受け入れてくれたようである。
そのハルトの初の参観日。恐らく参観には両親連れ立ってくる家庭が多いだろうとカイトは予想した。
カイトたちに母親はいない。この時点で他の家族とは異なるし、父親も来られないということであれば、同じく子どものカイトが参観へ顔を出すことになる。嫌でも視線は集めるであろうから、それならと誂え向きの人選をしたつもりだ。
参観日当日、遊馬は少し遅れて待ち合わせ場所に現れた。カイトとしては学校で待ち合わせてもよかったのだが、どうせ遊馬が相手では、どこの門で待ち合わせだと指定しても迷子になるであろうし、学校からは少し離れたところにある小さな公園を指定した。ちなみに、時間通りに来ることなど端から期待していないので、遊馬には当初の予定より15分ほど余裕を持たせて時間を伝えてあった。
「おわー、あのド派手なコートじゃねえんだ」
開口一番これである。
カイトは遊馬の言うとおり、一連の騒動が終わるまでの間はいつでもフォトン・チェンジができるよう専用の衣装に身を包んでいたが、今日は参観日。ライトグレーのレギュラーシャツに黒い薄手のカーディガン、白のリネンパンツとかなり地味な出で立ちで待ち合わせ場所まで赴いていた。
「あれは業務上の制服のようなものだ。今日はただの兄としての天城カイトだからな……あと『ド派手』はお前にだけは言われたくないぞ」
しかし、遊馬は今日もあの「ド派手」なショート丈の上着とも呼べないような上着に、意味不明なほど大きなプリントの施されたブーツカットを合わせてくるかと思ったが、デュエル、デュエル、デュエルの頭の片隅でどうにかTPOというものに気を配れたらしく、素直に中学校の制服姿でやってきた。
そこに関しては特に何も言及せず、カイトが黙って歩き始めると遊馬は慣れたように後ろをついてくる。
「……あのさあ、オレさあ……」
「……」
「あ、自分の話していい?」
「ああ」
「……オレ、まだ父ちゃんと母ちゃんが帰ってきてなかった頃……オレと、姉ちゃんと、ばあちゃんで暮らしてた頃。授業参観あったんだけどさ、姉ちゃんもばあちゃんもその日同窓会があるって聞いて、オレ、どうしても参観きてって自分から言い出せなかったんだよな」
遊馬にはこういうところがある。
プライベートでのこと、幼少期のことなど、実はカイトは遊馬について知らないことが多いが、それでも遊馬が根はかなり思慮深く、元々が「かっとビング」の質なのではなく、「かっとビング」で思慮深さゆえに立ち止まりそうになる足を動かしているのではないかと考察していた。
人命の係るデュエルでも、世界が係るデュエルでも、遊馬は平気で「かっとビング」と称して無茶な戦略を立てたりするのに──そして実際かっとべてしまうのに──、気心の知れた姉や祖母に対して「参観日に来てほしい」という簡単なことも言い出せないのはカイトにとっては少し可笑しく感じた。きっと当時の遊馬にとってはそれほど簡単な問題でもなかったのだろうと思い、カイトは茶化すことはしない。カイトにしても、他人に甘えるのが下手なのは同じことであった。
「だからさあ、カイトが来てくれるの、ちょーー喜ぶと思うぜ、ハルト!」
そしてつい、言い返したくなった。
「そのためにお前を呼んだ」
「へ?」
「ハルトはお前が好きだからな。だから今日呼んだ」
遊馬は一瞬目を丸めた後、ニヤリと下瞼を持ち上げて笑う。
「えーっ、ハルトだけじゃねえだろぉ? カイトもオレのこと好きだろぉ?」
「……貴様、そこに丁度いい深さの川があるぞ」
「落とそうってか!? おい押すなって、やめろよ!!」
じゃれ合って歩く間にすぐ小学校の正門への角に差し掛かったので、カイトは慌てて遊馬を引き剥がし、シャツの裾を引っ張って身なりを整える。
来客用の入り口には若手の教員らしき女性が待機しており、カイトが軽く頭を下げると丁寧すぎるほどのお辞儀で挨拶を返してきた。
「こんにちは。来校者用のパスを拝見してもよろしいですか?」
「うぇ!? パスぅ? オレないんだけど!」
「ああすまん、お前のも事前に申請してあるから大丈夫だ」
カイトはもう18歳とはいえ、子ども二人で参観日に来ることなど滅多にないだろうに、受付の女性は特別珍しがることもなく、カイトが提示したDパッドにあるコードを2つ読み取る。
「ではこちら、校内の案内図になります。……あと……」
「はい?」
「……人違いでしたら申し訳ないんですが。天城カイトさんと、九十九遊馬さん……ですよね?」
「あ、ああ、はい。そうですが」
「え、お姉さんオレらのこと知ってんの!?」
遊馬の明らかに浮ついた声を聞くなり、カイトはその海老の尻尾を躊躇なく引っ掴んだ。僅かに頭を下げて遊馬と高さを合わせ、目線だけで語る。お前はまともに敬語も使えないのか、遊馬。天城家の品位が疑われるからやめろ。
「えぇーっと、先生はなんでオレたちのこと知って、るんですか?」
それを聞いてカイトは一旦遊馬の頭を解放してやる。
「……そりゃあもちろん、WDC見てましたから! お二人の強さには到底及びませんが、私もデュエルが好きなんです」
「ほう、デッキは何を?」
「えっと、アンティーク・ギアを……」
「渋っ!」
「おい遊馬……」
「ああっ、いいんです、いいんです。よく言われますから」
やはり誰でも自分のデッキについて話すときは何かしら気分が高揚するのだろう。受付の女性は先ほどより分かりやすく顔を赤らめていた。
「……とにかく。お二人のこと、WDCでも応援していましたし、これからもいちファンとして応援しています。……今日はハルトくんの参観にいらしたんですよね?」
「ああ、はい、そうです……?」
「でしたら教室は向かいの棟の2階です。もし迷われましたらお気軽にお声がけくださいね」
受付の女性はそれぎり特に話を引き伸ばすこともなく、カイトと遊馬を奥の階段へと誘導した。
今のように声をかけられる場面というのはいまだに多い。カイトもそうであるし、遊馬もまた然りであろう。声をかけてくる大抵がデュエルについて知識のない女子中高生であるが、声をかけられる側・デュエルを愛する側の人間としては、やはりある程度話を分かった上で声をかけられるというのは嬉しいものだった。
「今のお姉さん、アンティーク・ギアだってよ!」
「ああ。謙遜はしていたが、あれでかなり強いかもしれない。アンティーク・ギアが多少クセのあるテーマであるのは事実だが、好きと言えるほど使い込んでいるのであれば……」
「うそ!! デュエルお願いしてこようかな!?」
「よせ、もうじき授業が始まるぞ」
1階は職員室などが集中していたらしくかなり静かな印象であったが、案内通りに2階へ上がると子どもたちの賑やかな声が廊下いっぱいに満ちた。まだ昼休み中のため、クラスによらず自由に利用できるらしいワークスペースには大勢の子どもたちがぎゅうぎゅうに集まって遊んでいる。
カイトが妙に落ち着かずあちこちへ視線を遣る間、遊馬は非常に穏やかな顔で子どもたちを見つめていた。
「へへっ、オレらもさあ、こんなちっさいときがあったんだよなあ」
カイトは自らがそうでないとも思わないが、やはり隣に強心臓を連れているといくらか気も紛れるものだった。子どもの群れを縫って辿り着いた渡り廊下でやっと深く息を吸い込む。
「そういえばカイトって学校とか行ったことあんの?」
遊馬からの問いにギク、とカイトは分かりやすく身体を固めた。しかし隠し立てする必要もなかろうと、しぶしぶという雰囲気はあからさまに出しつつあっさり白状した。
「……いや、実は、ない」
「え!? あ、じゃあ今日……」
「まあ、それもある。転入手続きのときに来たことはあったが、自由に校内を歩き回ったことがあるわけでもないし。勝手の分かるやつがいたほうが歩きやすいと思った」
「そっかあ、じゃあ学校自体ほぼ初めてなんだ」
「そういうことになる」
腕時計を見ると、まだ予鈴までは時間がある。カイトは校舎内は落ち着かないと目で遊馬に語りかけて、時間までは渡り廊下で過ごすことにした。
カイトには学校という所に思い出がない。同級生というものがいない。喩えの範囲を超えて、本当にハルトがカイトにとっての全てであった。ハルトを取り戻し、父と和解し、そして全ての元凶ともいえるバリアンとの諍いも乗り越えた今、カイトは初めて自分の半生を振り返る時間を得た。
寂しくはない。あまりに色々なことで埋め尽くされていた人生だったので、寂しいと思うほどの時間の余裕すらなかった。寂しさを知覚する神経が摩耗していた。
それゆえ、今になって思う。もし自分が学校に通っていて、同じクラスの友人がいて、命をかけないデュエルをして、それでも暇を持て余す、そんな人生を送っていたら。
目下のベンチでは遊馬とそう変わらない体格の男子数人がカードを持ち寄って集まっている。デュエルだ。カイトが近ごろ暗いところで酷使していた目を細めてピントを合わせると、どうにかカードの絵柄は認識できた。
「……ギャラクシーアイズ……?」
「あ、そうそう、知ってっか? カイトのデッキリスペクトでさ、オマージュしたカードがボックスに入ってんだって」
「そうだったのか」
「最近カイト働き詰めだもんなあ、しばらくカード触れてなかったろ?」
「……ああ、そうだな……」
オリジナルは確かに今もカイトのデッキの中に入っている。名実共に天城カイトのエースモンスターであるとの自負がある。しかし、誰かが数多のテーマの中から何かしらのきっかけでギャラクシーアイズを選んだ。その事実はカイトにとっては面映ゆくもあった。
「……遊馬」
「んー?」
「学校は楽しいか」
遊馬はその問いかけに一瞬息を詰めた。大方、カイトが学校に通ったことがないという事実、そしてナンバーズハンターであった頃のカイトを思い浮かべて言葉を選んでいるのだろう。
「……ああ、楽しいぜ」
「そうか」
「めんどくせーことも多いけどな。宿題出さないと怒られるし、寝ても怒られるし、1分遅刻でも怒られるし……」
「常識の範囲内で行動してくれ」
「でもさ、誰かがオレのこと見てくれてんだよ」
その声色は少し深く、重かった。
遊馬は長らく両親の消息を知らないまま生きてきた。そして妙なところでやたらと気を遣いたがる。そんな遊馬にとって、自分のことを誰かが見ている、その事実はどんなニュアンスを孕んでいようと喜ばしいものだったのかもしれない。
「……そうか」
「……ハルトのこともさ、きっと誰かが見てくれてるよ」
その言葉からは、カイトでなくていい、ではなく、カイトだけでなくていい、という赦しのような含みを感じた。
ハルトが多くの人と関わって、いろいろなハルト自身と出会えればいいと思う。子どもらしさの一切を欠いた自分が辿らなかった人生を、ハルトには辿ってほしい。年相応の、可愛らしく、無駄が多くて、カイトが今までで触れてきた以上にカオスだらけの生き方を、ハルトには経験してほしい。
参観するのは算数の授業であった。カイトの予想通り、教室には夫婦連れ立って我が子の成長を垣間見んと大勢が詰めかけており、やはりその中で自分たちは相応に目立っていると嫌でも自覚させられた。
とにかく、その保護者たちからカイトと遊馬に向けられる目線が甘ったるいというか、生ぬるいというか、カイトにとっては経験したことがない類のそれだったのである。
教室に入ればあれよあれよという間に壁際ド真ん中、一番よくクラスを見渡せる位置を譲られ、数の足りていないパイプ椅子を数名の大人がこちらへ譲ろうとするので、流石にカイトと遊馬の二人がかりで必死に断った。
大人たちの気遣いの荒波を乗り越え、ようやく落ち着いて子どもたちへ視線を落としたときには始業から5分ほどが経過していた。
ハルトは廊下側から2列目、一番後ろの席に座っている。振り返ってもこの狭い教室ではぎりぎりカイトと遊馬を視界に収められるかどうかというところだろう。下手に見られてハルトの集中力を奪うよりよっぽどいい。
授業は概ね滞りなく進んだ。今学習している単元は時間の計算に関わる部分らしく、既に学習していた午前・午後の概念を復習してから例題に取り組んでいく。午前10時の6時間後は何時ですか、というような問題だ。
授業時間が残り10分というところで、「おう用もんだい」との見出しが教室のホログラムに示された。つるつると問題文が表示される中、子どもたちはそれを読み取ってざわめく。
「えーっと……。タクミくんはお友だちと一緒に、家から自転車で1時間かかるところにある海へ遊びに行くことにしました。午前9時に家を出て、30分自転車に乗ったところで、タクミくんは家に忘れ物をしたことに気付きました。すぐに家に戻って、忘れ物を持ってもう一度出発しました。何時に海へ着くでしょう……?」
「……おい遊馬、大丈夫だろうな」
「……ゆ、指使えばな、大丈夫大丈夫」
「時間計算で指……!?」
「う、うるせえって! えーっと……」
これは計算自体の能力というより、文章の中から必要な情報を選び、整理し、普段やっている計算まで落とし込む過程を問うている問題だろうとカイトは読み取った。隣の馬鹿も相当気になるところではあるが、小学校2年生にとっては「タクミくん」「お友だち」「海」などの単語すらノイズになるであろう。
分からないときは隣の人と話し合っていいですよ、との教師の一言で子どもたちは一斉に会話を始めたが、その中で一人、誰とも話すことなくスッと背筋を伸ばした子がいた。
「ハルト、ペン置くの早っ」
「数学は特に好きだからな、ハルトは」
「数学ぅ? 算数じゃなくて?」
「恐らく遊馬よりよっぽどできるぞ」
「マジ? 今度教えてもらお! レンリツホーテーシキってやつ分かんねんだよなー」
「……」
宿題を出す出さない程度の話ではないようだ、とカイトは脳内で結論を出し、横目に──実際はへそまでガッツリと向けて──ハルトを見る。
35人編成のクラスであり、6人×5列、そして5人×1列という席配置になっているため、ハルトの隣にはちょうど誰もいない。話し合うまでもなくハルトは解けているようであるし問題はないのだが、周りがざわつく中で所在なさげに両の上履きをこつこつと遊ばせているハルトはやや浮いているようにも見えた。
ハルトに対してのみ発揮する異常な心配性でカイトが心拍数を上げる中、ハルトの前の席の子どもが後ろを振り返った。何事かハルトに話しかけているようで、ややぎこちなさそうな会話が始まる。前の席の子どもはハルトが一言発するごとにクルクルと表情を変え、それにより周り数人の視線が2人に集まる。ようやくハルトの周りの空気が打ち解けてきたというところで、教師の手を打つ音が響いた。
「よし、少し難しかったと思いますが……。今日の授業参観の最後、発表してくれる人はいますか?」
先ほどまでの騒々しさはどこへやら、いっぺんに教室は静まり返った。恐らく誰も解けていないわけではないのだろうが、背後を大勢の大人に固められた状態では気楽に発表もできまい。カイトが内心同情しながら沈黙の教室を眺めていると、先ほどハルトに声をかけた子どもがおずおずと手を挙げた。教師は素直に指を揃えてその子を指す。
「あら、ありがとう。お願いしてもいい?」
「あっいや、僕、分かったんですけど、あの、天城さんに教えてもらったからで……」
今度こそ、大人子どもを問わず教室中の視線がハルトに集まる。カイトの心拍数は180を超えた。
おい、お前ら何を見ている!! オレの弟だぞ!! ハルトはなあ、優秀だしこんな問題はあっさりと解いてしまっていたが、少し内気なところがあって、それに今まで……オレが不甲斐ないばかりに……そして父さんがあんな契約を結んでしまったばかりに……同年代の子たちと遊ぶ時間なんて今に至るまでろくすっぽ無くて、つまりこんな、こんな人数に、こんな間近で、プレッシャーをかけられた経験など無いんだ!! お前たちやめないか!! オレのハルトだぞ!! ハルトは発表したくなったら自分で手を挙げる、そもそもなんだ挙手制とは、そのDパッドで答えを収集して解けている子どもをそちらから指名すればいいではないか、それとも何か? 子どもが手を挙げる能力、それだけが尊ばれるというのであれば──
「……えと、午前11時……だと、思います」
ハルトの小さな小さな声が響いた瞬間、教室は歓声と拍手でドッと沸いた。
「まあ、天城さん、ありがとう! 正解ですよ!」
「あぅ、あ、よかった……です?」
正直なところを言うとカイトは異常な緊張状態と的はずれな怒りで情緒不安定になっており、恥ずかしげに襟足を掻くハルトのその指先を見て思わず感涙しかけたのだが、すんでのところで抑えた。それを遊馬は冷めた目で見つめる。
「……カイトお前、相ッ当キてんなぁ〜……」
「うるさい、口外したら今度こそ川に落とすからな……」
今日の授業は先ほどの参観が最後で、「帰りの会」が終わればすぐに下校して構わないとのことであった。さよーなら、と独特の間延びした挨拶が済んだ途端、ハルトは廊下で待っていたカイトと遊馬のもとへ一直線に駆け寄った。
「兄さん、遊馬っ!」
「おーハルトぉ、さっき答えてたのすっげー格好よかったぜ!」
「えへへっ、ありがとう遊馬……っていうか、今日遊馬が来てくれるの知らなかった! 後ろ見たときびっくりした!」
「あれ、カイト黙ってたの?」
「……まあ、なんだ、サプライズだ」
ふい、とカイトが視線を逸らすと、遊馬とハルトが2人してそれを覗き込もうとする。遊馬の頭にはチョップを食らわせ、ハルトの頭にはごくごく優しく掌を乗せて制し、玄関へ向けて歩き始める。
遊馬は思い出したように受付でのことを話し始めた。
「あ、そういえばよぉハルト。今日ここ来るとき、受付の先生がオレとカイトのこと知っててさ、すぐ『ハルトくんですか』って聞いてくれたんだよ。お前らほんと有名人だよなあ」
「え!!」
ハルトは珍しく目をかっ開いて遊馬を凝視する。異様な様子にカイトと遊馬が目を合わせると、ハルトは観念したように俯いて話し始めた。
「……それ、どんな先生だった……」
「え? きれいな女の先生だったぜ。あ、そうそう、アンティーク・ギア使ってるって……」
「うああ!!」
「なんだよ!?」
「……兄さん、あと遊馬も……怒らないで聞いてくれる……?」
正門に仲睦まじい様子の親子たちが溢れかえっている中、子ども3人が場違いに重たい空気で学校を後にする。
「なんだハルト、話してみろ」
「……あのねえ、この間、国語の授業で『わたしのすきなもの』ってテーマで作文を書いたの。それでボク、『もの』って言われると思いつかなかったから、『ひと』でもいいですかって、先生に聞いたの。……その、アンティーク・ギアを使ってる先生ね」
「へえ?」
「そしたらいいですよって言ってくれたから、ボク、あの、兄さんとか、遊馬とか、父さんとか……オービタルのこともオボミのことも……あとクリスとかトロンのこととか……それに小鳥のことも、ゴーシュやドロワのことも、いっぱい書いちゃって……」
「……おお?」
「そしたらね、その作文が優秀賞に選ばれちゃって、この間まで廊下に貼り出されてたんだよ……だから先生はよく知ってたんだよ……」
ハルトはさながら懺悔するかの如く小さな肩を落として歩いていたのだが、その上方でカイトと遊馬は無言のまま固く手を取り合っていた。
「……全っ然……全〜〜然!! 悪くないぜぇハルト……」
「ああハルト、知ってはいたがお前は最高の弟だ……」
「で、でもっ、遊馬はともかく、兄さんはそんな……恥ずかしがるかと思って……」
「いや、ない。これほど誇らしい弟を持って恥じることなど何もない。そうだな、遊馬?」
「いやそうだけど、お前手ェ握る力強えぇんだよ!! 痛ってぇな!!」
「え!?」
ハルトが振り返るより先にカイトと遊馬は手を離したが、遊馬の掌にはカイトの指の跡がギッチリと刻まれている。
「ちょっと、ボクのこと除け者にしないでよね!」
ハルトは右手にカイトの手を、左手に遊馬の手を握り、その小柄な体格でほとんどぶら下がるような格好になりながら、歩みを進める。
「兄さん、遊馬ぁ」
「あン?」
「なんだ、ハルト」
「今日きてくれてありがとうね」
ハルトの視界には、自らの小さな運動靴と、カイトの平たい革靴、そして遊馬の派手なスニーカーが映る。場違いに涙ぐんだ。
──わたしのすきなひとは、たくさん、たくさんいます。
──兄さんは、カイトといいます。兄さんはまじめで、かっこよくて、デュエルがとってもつよくて、ぼくは兄さんがギャラクシーアイズを使ってきらっきらになりながらたたかうところが、だいすきです。かっこいい顔をしている兄さんもすきですが、やっぱり、わらって楽しそうな兄さんがだいすきです。
──ゆうまは、ゆうまです。かっとビングってよく言います。はじめはよく分からなかったけど、今は分かります。かっとビングはゆうまです。ぼくはみんなの前で話すのがにが手で、体いくもあんまりとくいじゃないけど、いつもかっとビングでがんばっています。
──天城さんのまわりには、すてきな人がたくさんいるんですね。それはきっと、天城さんがすてきだからです。いつもかっとビングで、お兄さんをめざして、先生といっしょにがんばっていきましょうね。おうえんしています。