ゆうずつ「風のうわさで聞いたのだけれど、遊馬って明後日がお誕生日らしいの」
風のうわさ、と聞くと、まあせいぜいそよ風ぐらいを思い浮かべるだろうが、凌牙にとってそれがそよ風程度で済まないことは璃緒もよく理解しているところだろう。
友だち、だろうか。あるいは学年で言えば遊馬は凌牙の後輩ということになるのだが、とてもそんな接し方をしようとは思わない。第一凌牙はまともに授業を受けていないので、学校という場で先輩ヅラをするのはどう考えても筋違いである。それならば、というところでの「友だち」だが、これほど居心地の悪くむず痒い言葉もない。
しかしとにかく、名目は何でもいい。凌牙は遊馬のその日を黙って看過できなかった。自分でいいのかとか何をすればという部分は一切解決していなかったが、絶対に何かはしないと気がすまなかった。生まれた日だ。巡り巡って凌牙を、七皇を救った男の誕生日。こんな節目がないと、凌牙は自分の中に眠る遊馬への表現不可の感情を発露できないと感じた。
ただ、今まで「普通の」学生として生きてきた中で周りにいたのは友だちというよりは取り巻きである。もっとフラットな、ただ一緒にいたいからいるというだけの相手に対し、凌牙がまだ接し方の正解を見いだせていないというのは誤魔化しようのない事実であった。
夕方の堤防には人が少ない。もう少し経って、大抵日暮れになる頃には老若男女がランニングコースとしてここを選ぶが、まだこの時間では大人たちは勤務中と考えるのが妥当である。凌牙はバイクを停め、景色でも眺めるかのごとく遠い目で端末を視界に入れていた。
そこへ一つ人影が通り掛かる。
「凌牙?」
「うわ出た」
「失礼にも程があるだろう」
外で出会うことはそう多くはないが、大して珍しがることもしなかった。天城カイトはつるりとしたブラウスの中で身体を泳がせて、傾きかけた強い日差しに消えそうなほど白い。何かの買い出しだろうか、その右手には買い物袋を提げているのだが、やや浮世離れした見た目とは一切マッチしていなかった。
「貴様、学校は? まだ下校には早いだろう」
「えー、あー、自主休講」
「まだ義務教育の段階だろ、使える教育制度は使い倒しておかないと損だぞ」
「もっともなこと言ってんじゃねえー……」
カイトが当たり前のようにバイクのハンドルへ袋をぶら下げるのを、凌牙はいちいち咎めなかった。代わりに、花を見つめるためにしゃがんだ背中を観察した。
「で?」
「あ?」
「学校の屋上ではなく敢えてこんなところで物思いに耽るあたり、何かあったと見える」
「……なんで屋上でサボってんの知ってんだよ」
「飛んでいるときに見た」
「飛ぶな、見んな」
カイトの指はシロツメクサを千切ろうとして、やめた。道端の犬がマーキングしている可能性に行き着いたに違いない。
凌牙は再び端末へ視線を送る。誕生日、とだけ検索欄に入れて表示された画面には、その日贈るのにふさわしい品物がこれでもかと列挙されていた。凌牙としてはモノを送るという時点で違和感を感じる。たとえ消えものであったとしても、何か具体的な物が遊馬の手元に渡ることで、神代凌牙が九十九遊馬の誕生日を祝ったという証拠が残るのが少なからず不快であった。もとい、恥ずかしかった。
「なんだ、恋わずらいか」
「ちげえって、バーカ」
すぐそばに堤防から川辺へ降りていくための階段があったので、カイトはそこへ腰掛けた。凌牙は一瞬迷って、そこならバイクが視界から外れることはないだろうと判断し、カイトの隣に座る。ちょうど視界に入った水面の照り返しがきつく、つい目線を左に逸らすとカイトと目が合った。これはもう言うまで帰してはもらえないだろう。
「……ゆ、遊馬が、明後日……その、誕生日……らしくて……」
問題はその誕生日に何をしたいかという部分なのだが、どう頑張ってもその通りに口が動くことはなかった。服の中から首元にかけてジワジワと身体が火照ってくるのが分かる。しばらくそうして待って、それでもカイトの返事がないので「お前、なんとか言えばどうだ」と凌牙が照れ隠しに文句を言ったとき、カイトは目を真ん丸にして凌牙を凝視していた。
「……なんだと……」
「あーなんか気ィ抜けたわ、お前本当、遊馬のことになると目の色変わるな」
「うるさい。それで、なんだ。どうやって祝おうか悩んでいたということか」
「あー、そうだよ」
「ふむ」
カイトは相槌を打つだけ打って、おもむろに端末を取り出した。2回ほど指で画面を叩き、ある人物への通話画面に切り替えてしばし待つ。
「ああハルト? ……オレは外に出てる。三者面談は終わったか? ……そうか、うん……。ああいや、実は……」
この行動の速さには恐れ入る。祝う気はあるが自分では妙案は浮かばない。コンマ数秒で考えることを諦めて、次案として弟に意見を仰ぐことを挙げ、三者面談があったらしいハルトのタイムスケジュールを頭の中でさらいながら口頭で確認。かくかくしかじか、先ほど凌牙と話していたことをそのま電話口に伝え、ハルトの返事を聞くうち、カイトの声のトーンは徐々に下がっていった。3分も話さないうちに通話は終わる。
「お祝いというのは自分で考えることに意味がある、すぐに弟を頼るなと叱られた」
「……しっかりした小学生だな、マジで」
なら、結局自分たちで考えるしかないということだ。ハルトの言い分はこの上なく真っ当である。
コミュニケーションにやや難のある男二人、友人への感謝や憧憬を拗らせて二進も三進もいかなくなっているのはダサくて恥ずかしかった。遊馬ならポンポン周りを巻き込んで話を進めるだろうに、と凌牙は階段の小さな砂利を靴のかかとでいじって遊ぶ。カイトも一度シャットダウンした思考はなかなか動き出さないようで、頬杖をついて水面に視線を落とす。不意にカイトから話を振られた。
「よく来るのか」
「ここ?」
「ああ」
「いや、オレは来ねえ。遊馬と小鳥のデートスポット」
「うわっ……」
ここで停まっているときにカイトと出会ったのはただの偶然だが、凌牙がこの堤防を通って遊馬と小鳥を思い出したのは必然だ。何をそんなに話すことがあるのか、幼少の頃からいつも一緒だろうに、今もなお二人は仲睦まじく川面を眺めた。「知ってたらこんなところに腰は下ろさなかったぞ」とカイトは文句を言いつつ、かと言って場所を変えることもしなかった。
「……お前、しばらくここいるけど、仕事は?」
「ああ、ほぼ自由業だからな。たまの1日くらいいいんだ」
「研究職ねえ……」
カイトは目的のあるデュエルを終えた。今強いて目的を用意するなら、愛しいエースモンスターに日向ぼっこをさせてやるとか、それぐらいのものである。カイトは異世界にまつわる研究を本職としており、今やデュエリストとしての肩書きは降ろしてしまったに等しかった。
そういえば、頻度は決して多くはないものの、凌牙がカイトに出会うときは大抵いまのように私服であることが多かった。戦うためのフォトンチェンジを必要としないからだ。あれほど戦いに明け暮れて──むしろカイトには戦闘狂のきらいがあった気すらするが──いたのに、生き方というのはこうも変わるものか。
あの日から今日までを思い返し、凌牙はスッと視線を上げる。
「デュエルして、飯食う」
これが凌牙なりの、遊馬を祝う手段だった。
「誕生日か」
「ああ」
「結局それになるだろうな。三人揃うことも今はあまりないし、丁度いいだろう」
「お前飯は? 作れんのか」
「ああ作れるぞ、この間はエスカベーシュを覚えた」
「エス……何?」
「有り体に言えば南蛮漬けだ」
「じゃあ南蛮漬けって言えよ」
「南蛮漬け」
「でも、誕生日当日って家族で過ごすよな」
「確かに、ご両親が戻って初の誕生日だろうしな」
「明日誘う?」
「……そうするか」
となれば、突然その予定へ誘うタスクが目の前にやってきたことになる。誘う。なんて? ものの数秒で凌牙が音を上げそうになったとき、背後から大声が飛んだ。
「あれ!? カイトとシャーク!?」
振り返った先に遊馬と小鳥。げえ、と凌牙が顔を顰めたのにも二人は気を払わず、凌牙とカイトを挟んでスルスルとあっという間に座ってしまう。
「なあなあオレのこと除け者にすんなよお、ふたり何の話してたんだ?」
遊馬の言葉に凌牙は下唇を強く噛んだ。横目にカイトの方へ視線を送ると、凌牙とほとんど同じような顔をしている。骨ばった肘で小突かれて、凌牙は観念して口を開いた。
「……あ、明日、空いてるか」
「明日? 空いてるけど……」
もうすぐ誕生日だし、オレらと一緒に過ごさないか。これだけだ。これだけなのにどうしても言葉が継げない。じゅう、と眉間が熱くなる。また凌牙がじゃりじゃりとかかとを遊ばせると、隣でカイトの息を吸う音が聞こえた。
「……誕生日……その……」
そこだけで遊馬と小鳥はアッと声を上げた。察せと言わんばかりにカイトはすっかり口を噤む。
「え、誕生日?」
「遊馬の誕生日? が、どうしたの?」
「……貴様ら、遊んでるのか……」
「……ふっ、フフッ、かわいいっ……」
「おい小鳥!!」
「貴様、言っていいことと悪いことがあるぞ!!」
「だってかわいいじゃない、ねえ、遊馬!?」
「いや、かわいいって……それは思って……ねえけど……」
言葉の上では否定しながら、遊馬は口角が上がるのを抑えきれていない。貴様もか、と声を上げようとしたとき、「ありがとな」と遊馬が目尻を細めてこぼすので、すっかりカイトは勢いを失ってしまった。
出会ってからの時間が経つほど、遊馬が自分たちよりいくらか歳下であると信じがたくなるというのがカイトと凌牙の共通の認識である。出会った当初でこそ、後先考えずに突っ込み続ける馬鹿だと思っていたが、実際遊馬はそこそこ思慮深い。今も初めは茶化してみせたくせ、二人が本気で恥ずかしがっているのを見ると敢えて追撃はしないのであった。相手の心情を慮って動くのが上手かった。
凌牙とカイトがぽつぽつと明日の予定を伝えるのを、遊馬はウンウンまめに頷きながら聞いた。小鳥も遊馬の様子を見て「ごめんね」と二人へ小さく謝ったっきり、隣で話を聞いているのかいないのか、にこにこ座っているのみである。粗方話し終えて、カイトは思い出したように尋ねた。
「そういえば小鳥、貴様はどうするんだ」
「ああ! 私は誕生日の当日、学校終わりにデートして、その後遊馬のお家で一緒にご飯食べるの」
デート。お家。ご飯。これだけ材料を並べられて、カイトと凌牙が反撃の隙を見逃さないはずがなかった。
「はーん……」
「ほう……」
「な、なによ」
「泊まりか? え?」
「親公認だしな」
二人が畳み掛けると、小鳥はカッと額を赤らめた。反対に座る遊馬も思わず立ち上がる。
「きゃあっ、女の子に何聞いてんのサイテー!! 泊まるけどね!!」
「なあお前らどこまでツーツーなの? 何知ってんの!?」
「知られるとまずいことがあるのか……なあ、カイト?」
「ああ、知らない間に遊馬は随分大人になってしまったらしい」
「勘弁してくれよ!!」
実際はツーツーも何も、カイトと凌牙は二人の恋愛事情には全くのノータッチであったがここは敢えて伏せておく。ただ、恋人同士の時間を邪魔するつもりは毛頭なく、明日の自分たちの予定と小鳥の予定が被るのであれば小鳥を優先させようと思った、その程度のものである。
「まあ、せいぜい楽しむことだ」
話を切り上げようとカイトたちが立ち上がったとき、遊馬は二人の服の裾をひしと掴んだ。
「おう、小鳥とも楽しみだけど、シャークとカイトとデュエルできんのも超たのしみ!! ぜってー遅刻すんなよ!?」
お前がな、と返す口元が緩んでいるのに凌牙は自覚があった。無論、目的を同じくして戦うことで自分たちに絆が芽生えたという部分は否定のしようもないのだが、それはそれとして、遊戯としてのデュエルを楽しむことができるのは純粋に嬉しい。物は残さないし、きっと改めて「おめでとう」も伝えることはないのだが、九十九遊馬という男の誕生、ひいては現在を祝福するのに、自分たちにはカードを切るのが最も似合いである。