ある日の朝いつもの手が、眼差しが、どこか違った。
ひさしぶりに恋人同士の時間を過ごした昨夜、直治さんはいつもより言葉少なに俺を抱き寄せた。
何かあったのかそれとも疲れているのかと心配になったが、別に何でもないと目を逸らす直治さんを問い詰めることが出来なかった。
それでも時折俺の名前を呼ぶ声は熱を帯びていて、直治さんからの愛情は疑いようもなく、心配を頭の片隅に追いやってぬくもりに身を任せた。
目を覚まして朝の淡い光の中で隣を見ると、眉間に皺を寄せた寝顔には隈が出来ていた
やっぱり仕事で何かあったのかもしれない。
起こさないようにそっとベッドを抜け出してキッチンへと向かう。
このまま起こさずに先に自分だけ朝食を済ませてしまおうか、そう思い冷蔵庫の扉に手を掛けた時、
「……肇」
「わあ!?」
いつの間に起きていたのか、背後から急に直治さんの声がした。
そのまま振り返るよりも先に後ろからぎゅっと抱きしめられる。
「おはようございます、直治さん」
「……」
「疲れてるみたいなので先に起きちゃってました。直治さんももう朝ごはん食べますか?」
「……」
「……直治さん?まだ眠いなら無理しないで大丈夫ですよ。特に予定もありませんし」
前に回された直治さんの腕にそっと触れながら問い掛けるが、返事はない。
まだ半分寝てるんだろうか?
続く沈黙に心配が募る。
と、不意に直治さんの腕に力がこもりさらに強く抱きしめられた。
少し痛いくらいの力加減に思わず声が漏れそうになったその時、
「……置いて行かないでくれ、頼む」
絞り出すような、声。
「直治さん……」
あの日聞いた直治さんの声がフラッシュバックする。
どうにか俺を引き止めようと何度も食い下がってくれた切実な声。
彼との一件は何も話していなかった。
今までにない長い“出張”も、直治さん自身も忙しかったせいか深く追求されないまま、ただお疲れと労いの言葉をくれて終わっていた。
けれど。
いつからか直治さんは気付いていたのだろう。
今思えば直治さんの様子に違和感を覚えたのは昨夜が初めてではなかった。
彼自身の現状もあってか、それとも元々あったあの事件に関して触れないという不文律のせいか。
気付いていながら口をつぐんでいた直治さんの気持ちを思うと胸が痛んだ。
「……行きません」
彼への申し訳なさや恩返しをしたい気持ちはどうしても消すことは出来ないが、直治さんは勿論、類さんや家族、大事な人たちを置いていくことは出来ない。
それは自分の出来る範囲ではない。
「行きません。約束します」
こちら側に残ると決めたのは自分だ。
微かに震える声を滲ませたため息と共に腕が緩む。
身動きが取れるようになった腕の中で直治さんのほうに向き直り、今度は俺がぎゅっと抱きしめる。
「俺、今幸せなんです」
「……」
「好きな人と両想いで、大事な友達がいて、仕事は忙しいけどやり甲斐があって……幸せなんです」
「肇……」
「だから、いなくなりません」
そう伝えると、数秒の沈黙のあと先程とは違ってふわりと優しく抱きしめられた。
「……悪い、弱音吐いちまったな」
「いえ……俺の方こそ心配かけてすみません」
顔を上げると辛さを残した笑顔があった。
俺と目が合うと直治さんは自重気味に少し笑って、かっこわりぃな……と呟いた。
そんなことはない、と思ったと同時に体が動いてしまった。
顔を寄せて直治さんの唇に自分のそれを重ねる。
数秒して無意識にぎゅっとつぶっていた目を開けながら離れると、目の前にはぱちくりと目を見開き驚く顔。
居た堪れず、
「で!でも、それって俺のことをその、好きだから、ですよね!?そんなの格好悪くなんてないです!」
と捲し立てると直治さんはぷっと吹き出した。
「そっかそっか、ありがとな」
笑いながら俺の頭をぽんぽんと撫でる。
こちらを愛おしそうに見つめる瞳から目を離せずにいると、撫でていた手が頭の後ろに回り引き寄せられた。
触れるだけのキスを一度、二度。
愛してる、と小さく呟く声。
俺もという返事はそのまま交わされた深いキスに紛れていった。
END