遺る想いいわゆるテレパシーというものが使える私達は、無理をしてお互いの様子を見に行く必要はない。
でもここ数日、彼に会いたいという気持ちが溢れて止まらず、自分の欲を抑えられなかった私は近況報告を兼ねてサラマットからヤウダへ向かった。
皇帝が訪れるかもしれないけれど良いのかって?
大丈夫よ、勝手に動かないように“しつけ”してきたもの。
「ワグナス様」
彼が支配する浮遊城へたどり着き、広げていた黒羽を小さく畳み駆け寄る。
「ロックブーケか、待っていたよ」
数多くの魔物を吸収し、元の面影はほんの少しだけ。
美しくも禍々しい美を携えた彼は、血濡れた瞳で私に優しく微笑みかけてくれた。
でも、「待っていた」ってどういう事かしら?
私は今日ここに来る事を伝えていないのに……
「この時期だ、君が来るのは予測していた」
「この時期……」
ワグナス様の意図を汲もうと思考を巡らせ、やがて私は思い出した。
そして、どうしてこの日に彼に会いたくて仕方がなかったのか理解した。
今日は、バレンタインデーだ。
私達が人間だった時代から現代まで続いている、想い人に贈り物をする日。
チョコレートという甘いお菓子が流行りだした時だったから、私はいつもワグナス様に想いと共に手渡していた。
最初は上手にいかず、諦めて市販の物を。
料理の腕が上がってからは、少し凝ったものを。
ちょっと気持ちが溢れてしまい気合いを入れて自分の全身を象った物を作ってしまった時は、さすがに少し困らせてしまった。
そうだわ、私いつも、ワグナス様に贈り物をしていた。
ここに来て、彼に言われて思い出した。
それまで全く思い出せなかった。
彼への気持ちは色褪せていないのに、自分の記憶が埋もれていた。
……いつか、ワグナス様が完全に自身の心を見失わない様にと。
あの頃と変わらない私の姿を見て、かつて自分達は人間であった事を忘れない様にしてもらう為に気をつけていたのに。
人間のままでいたのは、もう姿だけだったのね。
「……申し訳ありません、ワグナス様。私……」
「ロックブーケ、こちらに」
先ほど、私が来る事を見越していたと言っていたワグナス様。
もしかして期待してくれていたのかしらなんて思い上がった考えに、それなら彼の期待に応えられなかった自分自身に居たたまれなくなっていると、ワグナス様はおいでと優しく招く。
恐る恐る近づくと、彼は近くに置いてあった箱を示し、開けるよう指示をする。
開いてみるとそこには水色のリボンで閉じられた、手のひらサイズの小さな箱が。
持ち上げ伺い、許可をもらってリボンを解く。
中にあったのは、素朴にも綺麗な装飾が施されている櫛だった。
「ワグナス様、これは……?」
「先日……数十年程前か、偶然にも昔の記憶が甦った。
君が私に、贈り物をしてくれていた時の事を」
ワグナス様は空から私の側へ移動し、地上に近い場所にとどまる。
「もう、随分前の事だ。
状況がそれを許さない事もあったが、私達はお互いにその事を忘れていた」
「……はい」
「だから思い出せたのは、チャンスだと思ってね」
「チャンス……?」
「いつも君からもらっていたが、私は君へ返す事はほとんどなかった。
『私がやりたいだけです』という君の言葉に、甘えていた。
君との関係を、変えない方が良いと思っていたんだ」
彼の言葉の意味がわからず眉をひそめる私。
「ロックブーケ、それは私から君への贈り物だ」
「えっ……!?」
まさかの事に、思わず大きな声を出してしまった。
ワグナス様が、直々に、私に?
「最早、あの時に戻る事は叶わない。
私達は、進むしかない。
再びこの様に、共に過ごせる時が来るとは限らない。
いつまた、忘れてしまうかわからない。
だからもう、後悔しない様に動く事にした」
紅くなってもなお輝きを失わない彼の瞳に見つめられ、思いがけない言葉に、彼の気持ちに、私の心臓は高鳴る。
「ロックブーケ、私の気持ちを受け取ってほしい」
「……っ………はい………………!!」
櫛の入った小箱を握り締め、私は首を縦に振る。
頬が熱いわ。
もしかして私、泣いているのかしら。
ワグナス様の前ではしたない。
「ありがとうございます……大切にします……っ……」
目の前でみっともなく泣いている私に、ワグナス様は笑いかけてくださる。
ああ、今日ここに来て本当に良かった。
私はこの日を、絶対に忘れない。
身体が消えても、心を見失っても。
想いだけは、決して忘れない。