ねねねさん外伝小佐古支部を半壊まで追い込んだ、巨大ジャームの襲撃事件から数日後。
錦戸寧々音は愛車を転がして、武上市の繁華街へと出かけていた。
普段買い物は近場のコンビニで済ませているような彼女がわざわざ武上市まで足を運んでいる理由は2つ。
1つは、近頃任務に出突っ張りでまともな休みがなかった自分に対する労い。
そして、もう1つの目的は……
「うーん……やっぱり、直接本人に欲しいもの聞いた方が良かったかなぁ」
お気に入りのカフェ、人通りをガラス越しに眺めることが出来るお気に入りの席。
注文したドリンクをマドラーでかき混ぜながら、ため息をつく。
"隠し部屋の番人"あらため、"冥界女王"、錦戸寧々音が本日、武上まで足を運んだ目的。
それは、彼女の新たなコードネームを名付けてくれた相棒、常冬驪王へのお礼にプレゼントを買う事だった。
「しっかしプレゼントとは言っても、16歳の男の子って何あげたら喜んでくれるの……?」
カラカラと氷の鳴る音を響かせながら、これまでの候補を振り返る。
お菓子の詰め合わせは無難、だけど甘いものが好きならともかく、そんな話も聞いてないし、という訳でボツ。
じゃあ趣味に関する物はどうだろう、と考えたけど、よく考えたら彼の趣味って何……?晴ちゃんと映画には行ったみたいだけど、あれは晴ちゃんからのお誘いみたいだったし。
それなら服や靴、なんかはどうだろう?いやいや、それこそ彼の好みがわからない。
初めてバディとなった『紅紫法典』から、どのくらい経っただろうか。彼との距離は少しずつ縮んでいると勝手に思っていたが、
「あー、そっか……私、相棒(りおくん)のこと、何にも知らないんだ」
呆然と天井を見上げ呟く。
いざ考えてみると、小佐古支部の天才チルドレンとしての彼は見てきたつもりでいたが、常冬驪王という1人の少年について、錦戸寧々音は何も知らない。
店内の落ち着いたBGMも相まって、寂しいような、悔しいような感情が彼女の胸で渦巻いていた。
「おや?おやおや!もしやそこに居らっしゃるのは、"隠し部屋の番人"こと錦戸寧々音氏では?」
突如として、聞き覚えのある声が店内へ響き渡る。整えた髪に、屈託の無い笑顔、そしてこの自信に満ち溢れた声の主は、
"ジャッジメント"こと坂月かづ樹であった。
「……あら、優秀エージェントさん。こんな所で奇遇ね」
「ええ!例のパーティ以来ですかな?
やや、あの時は優秀エージェントによる二次会が開催できず残念でしたが……」
「ふふっ、本当にあの時は大変でしたね。あ、それと。ねねねさんはもう"隠し部屋の番人"じゃなくて、"冥界女王"、なんですよ?」
ふふん、と少し誇らしげに、彼女は語る。
訳あってコードネームを変更することとなり、その改名案を相棒が考えてくれた、と。
「ふむ、なるほど。"冥王星"……いや常冬君が。……その名を?」
「そうなの!響きもかっこいいし、バロールのイメージにもピッタリだな〜って!」
「ははぁ……や、そうですかそうですか!貴女がお気に召されているなら、彼もさぞ喜ばしい事でしょう!」
坂月かづ樹は少々首を傾げつつも、最終的には納得したようにうんうんと頷いた。
「では。改めて"冥界女王"、錦戸寧々音氏。
先程何やら唯ならぬ表情でしたが、何かお悩み事でも?
もしもそうなら運がいい!何せこの優秀エージェント、坂月かづ樹がこの場に居ますからね!」
「あー……そうね、せっかくだし、ご相談させてもらおうかな。優秀エージェントさんに」
特に頼るアテもなく、途方に暮れていた寧々音にとって、目の前に現れた優秀エージェントはまさに渡りに船。
さっそく現状を打ち明けてみると、先程までの賑やかさからは一転、最後まで静かに彼女の話を聞いていた。
「なるほど、常冬君にお礼の贈り物をしたいが、彼に何をあげたら喜んでもらえるかがわからない、ということですね」
「そうなの。これでも彼の事、だんだん分かってきたと思ってたのになぁって」
頬杖をつきながら、はぁとため息をつく寧々音に、坂月かづ樹は笑って答えた。
「ははは!男子と言うのはそう難しいものでは無いですよ。貴女からの気持ちのこもったプレゼントであれば、常冬君はきっと何であれ喜んでくれるでしょう」
「そうは言いますけど、何でも良いって訳にもいかないじゃないですか~!」
「ええ、もちろん。そこは私優秀エージェント兼、優秀な教師も務めておりますから。この手の相談事もお任せ下さい」
はは、と再び笑うと、手元のコーヒーを口に運び言葉を続ける。
「常冬君に喜んでもらえるプレゼントがわからない、ということですが」
「先程申し上げた通り、プレゼントを貰った時の喜びというのは、誰に貰うかで変わると思うのです。それこそ大事な人から貰ったプレゼントは、何であれ嬉しかったのではないですか?」
そう問われ、確かにと頷く寧々音。
彼女の脳裏には、家族や友人たちとの暖かい思い出が浮かんでいた。
「そうでしょう。であれば、贈り物の選定は彼が喜ぶかではなく、貴女の、常冬君に対する願いから考えるのも、1つの手ではないでしょうか」
「驪王くんへの、願い……?」
「そうです。賢くあって欲しいなら本を、逞しくあってほしいならトレーニンググッズを、などですね」
坂月かづ樹の身振り手振りを交えた説明を聞きながら、思考を巡らせる。
(驪王くんに対して、私が願うこと、か……)
寧々音が思案していると、壁に掛けられた時計の音が鳴り響く。どうやら15時を知らせる時報のようだ。
「おや、お話している間にもうこんな時間となっていましたか。次の予定があるので、私はこれにて失礼させていただきます!」
そう告げるやいなや、慌ただしく身支度を整えたかと思うと、坂月かづ樹はもう一度寧々音の方を向いた。
「どうですか?少しは貴女の肩の荷が降りたらと思い、僭越ながらアドバイスをさせていただいたのですが」
「……えぇ、あなたのお陰で、素敵な贈り物ができそう。ありがとう、優秀エージェント、坂月かづ樹さん」
それなら結構!と、満面の笑みを向けると、坂月かづ樹は自身の会計を済ませ、足早にカフェを退店した。
「ふふっ、本当にお忙しいのね。優秀エージェントさんは」
「……っと、いつまでものんびりしてるわけにもいかないわね。せっかくいいアドバイスをもらったんだもの」
すでに氷が溶けきってやや味が薄まったドリンクを飲み干し、会計を済ませ、店を後にする。
その足取りは軽く、迷いのないものだった。
_____数時間後。小佐古支部にて。
ガチャリ、とドアを開ける音と共に、上機嫌で支部のロビーに入る寧々音。
しかし普段とチルドレンたちの様子がおかしい。
寧々音の姿を確認し、一瞬ざわついたかと思うと、口をそろえて
「あっ、帰ってきた!」
「あれが噂の"月"の人だよね……?」
「わあ~、今回の休暇ももしかして……!」
……などなど、いまいち良くわからないひそひそ話が聞こえてくる。
「"冥界女王"錦戸寧々音、休暇からもどりました〜!……ってあれ?なに?ど、どうしたのこの空気……?」
「あーっ!寧々音さん!休暇帰りにしていきなり惚気ッスか?このこの〜!」
ニヤニヤとした表情を浮かべ、指先で寧々音をつつくような仕草で出迎えたのは日々出晴英。この小佐古支部に所属しているチルドレンであり、寧々音の友人でもある。
「待って待って。晴ちゃん、何か知ってるの?……の、惚気って何の話?」
「んもー、とぼけなくても良いじゃないッスか!コードネームっすよ、コードネーム!」
「え、た、たしかに名乗ったけど……それがどう惚気になるの……?」
んん?と首を傾げ、しばらく思案したのち、何かを察する晴英。
いや、そんな、まさかね……などと言いながらも、寧々音のほうを向き恐る恐る切り出す。
「あー……そのっスね……もしかして寧々音さん、本当に何も知らずコードネームの変更届け出したんスか……?」
半ば呆れた顔で問う晴英に対して、コクリと頷く寧々音。
「……よし、わかったっス。じゃあ今から説明するんで、覚悟して聞いてくださいね?」
冥王星と冥界女王の関係を語り始める晴英。
その関係が意味するものは、そう。どう聞いても、遠まわしな、”ソレ”だったのである。
さすがにその説明を受けて察することができないほど、錦戸寧々音も鈍感ではない。
耳の先が赤くなり、頬に熱がこもっていくのが自分でもわかる。
「___って訳で、そんなコードネームになるもんだから、てっきり2人がデキてるのかと支部内で噂に……あれ、寧々音さん?」
その場には微かなレネゲイドの反応と、徐々に小さくなっていく隠し部屋への扉があった。
「あちゃー……これはまたしばらく"隠し部屋の番人"に逆戻り、ッスかね」
___やっぱり、若い男の子ってわかんない!!!!!!
どうやら、紙袋の中身が彼女の相棒のもとに渡るまでは、もうしばらく時間が掛かりそうだ。