洋館 森の中を、一人の少女が歩いていた。心細そうに胸元を押さえながら、キョロキョロと周囲を見回している。少し歩いては立ち止まりを繰り返して、道なき道を前へと進む。
少女の名前は、龍可と言った。アカデミアに通う、シグナーの双子の妹である。普段は兄と行動を共にしているが、今日だけは一人だった。
もう、どれくらい歩いているのだろうか。家を飛び出してから、一時間は経っている気がする。ついて来れないだろうと森の中に入り込んだら、迷子になってしまったのだ。視界に入るのは、鬱蒼と生い茂る木立だけ。どこに向かえば道があるのかさえも、彼女には分からなくなっていた。
背後で、がさりと物音がした。怯えたように息を飲んで、龍可は恐る恐る後ろを振り向く。何も無いことを確認すると、一気に前へと走り出した。
しばらく走ると、開けた場所に出た。大きく息をついて、龍可は前を見上げる。目の前に広がる景色に、驚きの表情を見せた。
そこには、大きな洋館が建っていた。正面に聳える大きな門に、内側に見える広い庭。建物は風雨に劣化し、塗装の一部が剥げているが、壁は綺麗に磨かれているようだ。周囲の様子からは不自然な建物が、そこには佇んでいた。
「洋館…………本当に、あったの……?」
龍可は呟いた。森の中に聳える洋館の噂は、都市伝説として聞いていたのだ。森の中に建つ洋館は、幽霊の住み処になっている。肝試しに行った高校生たちが行方不明になった。確か、そんな噂だった気がする。ただの噂だと思っていたが、本当にあったのだ。
龍可は、その場に座り込んだ。幽霊屋敷を目の当たりにして、足がすくんでしまったのだ。逃げ出そうにも、帰り道など分からない。どうすることもできなかった。
その時だった。洋館の入口から、一筋の光が漏れだしたのだ。扉が開き、龍可と同じくらいの歳の少年が姿を現す。アカデミアの制服に身を包んだ、美しい顔立ちの子供だった。彼はゆっくりと庭を横切ると、優雅な動きで門を開けた。
静かな森の中に、門の軋む鈍い音が響き渡る。龍可が、怯えた様子で顔を上げた。二人の視線が、空中で絡み合う。優しい笑みを浮かべると、少年は声をかけた。
「君、大丈夫? こんなところで何をしてたの?」
龍可の瞳から、大粒の涙が零れた。ボロボロと雫をこぼし、手の甲で目元を拭う。
「とりあえず、僕の家に入りなよ。お茶くらいは出せるから」
少年は優しく話しかけると、龍可の手を取って立ち上がらせた。身体を支えるようにして、家の中へと誘導する。
「ありがとう」
震える声で、龍可はお礼を言った。少年の口元が、僅かににやりと歪んだ。
ソファに腰を下ろすと、龍可はようやく涙を止めた。ぐるりと部屋を見渡すと、落ち着かない様子で膝に手を置いた。
「ありがとう。わたし、どうすればいいか分からなくて……」
龍可が言うと、少年はにこりと微笑んだ。柔らかい笑顔を見て、龍可が僅かに頬を染める。向かい側のソファに腰を下ろすと、少年は口を開いた。
「たまにいるんだ。森の中で迷子になる人が。幽霊屋敷で肝試しをするなんて言って、本当に迷惑だよ」
「そうだったのね」
どうやら、噂は間違っていたらしかった。森の中にあったのは、幽霊屋敷ではなく、今でも人が住んでいるお屋敷だったのだ。
「君は、どうしてこんなところに来たの? 肝試しって感じじゃないし、何か事情があるんじゃない?」
少年の質問に、龍可はすぐには答えられなかった。彼の推測通り、彼女が森へと足を踏み入れた理由は、肝試しなどではない。しかし、その理由はもっと子供らしいものなのだ。
「わたしは、家を出てきたの。兄と喧嘩して、」
言葉を選びながら、龍可は自分の近況を語った。少年は、表情を変えずに彼女の話を聞いている。くだらないと思われているんじゃないかと思うと恥ずかしくて、慌てて言葉を重ねた。
「呆れちゃうわよね。喧嘩がきっかけで迷子になるなんて。子供みたいだわ」
彼女の言葉を聞くと、少年は優しくかぶりを振った。優しい笑みを浮かべたまま、優しい声で答える。
「そんなこと無いよ。喧嘩は、誰だってするものだから。ちゃんと意見を言えたなら、君は偉いよ」
その少年に言われると、なんだか、それが正しいことのように感じてしまう。気恥ずかしさに頬を染めると、龍可は目を逸らした。
「そう、かな。ありがとう」
「良かったら、聞かせてくれないかい? 君とお兄ちゃんの話を」
龍可は、これまでの話をした。家を出ようとした時に、兄が声をかけてきたこと。行き先を隠したら、付いてくると言い出したこと。それさえも断ったら、怒って問い詰めてきたこと。信じてもらえなかったことが悔しくて、家を飛び出してしまったこと。少年は、優しく相槌を打ちながら彼女の話を聞いてくれた。子供じみた喧嘩だと馬鹿にせずに、すべてを受け止めてくれたのだ。
「そっか、それは大変だったね」
優しく笑いながら、少年は言う。
「呆れたりしないの? 兄はわたしを心配してくれたのに、わたしは、家を出てきてしまったのよ」
「どうして呆れるのさ。君は、お兄ちゃんの態度が嫌だったんでしょう? だったら、君には怒る権利があるはずだよ」
「そうかしら」
「そうだよ。兄妹だからと言って、いつまでもべったりでいるわけにはいかないでしょう。妹離れするいい機会だよ」
そう言って、少年は部屋の時計を見た。時刻は、既に七時を過ぎている。女の子を一人で帰らせるには、遅い時間だった。
「今日はもう遅いから、泊まっていきなよ。お兄ちゃんには、明日謝ればいいさ」
「いいの?」
龍可は顔を上げる。話をしている間に、外は真っ暗になっていた。この中を帰るのは心細いだろう。
「もちろんだよ。久しぶりにお客さんが来てくれて、僕も嬉しいんだ。一晩だけ、僕の遊び相手になってくれないかな?」
少年が言うと、龍可は再び頬を染めた。恥ずかしそうに姿勢を正して、少年へと笑いかける。
「ええ。わたしでよければ」
彼女の返事を聞いて、少年は嬉しそうに笑った。左手を真っ直ぐに差し出して、握手を求める。
「僕はルチアーノ。よろしく」
龍可は、差し出された手を握り返した。少し気恥ずかしさを感じながらも、少年の言葉に答える。
「わたしは、龍可よ。よろしくね」
「部屋を案内するね。ついてきて」
そう言うと、ルチアーノは席を立った。応接室を出て、上の階へと向かう。
龍可は、静かにその後に続いた。室内を見渡しながらも、置いていかれないように少年の後を追う。
お屋敷の中は、レトロな作りになっていた。床には絨毯が敷かれ、部屋にはアンティークの家具が置かれている。龍可の住むペントハウスとは、正反対の内装だった。
「ここだよ」
ルチアーノが示したのは、二階の一番奥に位置する部屋だった。他の部屋と同じような家具の他に、天蓋付きのベッドと、女の子らしいデザインのドレッサーが置かれている。明らかに女の子の部屋だった。
「ここを使っていいの? 誰かの部屋みたいだけど……」
龍可は尋ねた。人の暮らしていた形跡はないが、ここは明らかに誰かの部屋だ。持ち主がいると思ったのだ。
「いいんだよ。長いこと使われてないから」
ルチアーノは微笑んで答える。穏やかな笑みを浮かべてはいるが、そこには有無を言わせない雰囲気があった。それ以上尋ねることができなくて、困ったように口を閉じる。
「ありがとう」
「食事の用意ができたら、呼びに来るからね。それまでは部屋で待っていて」
そう言い残して、ルチアーノは部屋を出ていってしまった。知らない部屋に取り残されて、龍可は困ったように周囲を見る。窓を覆うレースのカーテンも、見慣れない瓶の並んだドレッサーも、水色の天蓋が付いたベッドも、使われた形跡はないが、綺麗に掃除がされている。開いたクローゼットの中は空っぽだが、部屋の隅に置かれた本棚には、ずらりと絵本が並んでいた。
ここは、誰の部屋なのだろうか。空き部屋になっているのだとしたら、この部屋の主人はどこにいるのだろう。疑問ばかりが浮かんでいた。
龍可は、本棚の絵本を手に取った。どれも、有名な童話ばかりだ。可愛らしいお姫様のイラストが、本の表紙を飾っている。隅に詰められた塗り絵の本には、色えんぴつで書き込みがされていた。力強い筆跡と崩れた文字から、幼い子供のものであることが分かる。
この筆跡を残した子供が、この部屋の持ち主なのだろうか。謎は深まるばかりだった。
その時だった。後ろからガチャリと音がして、部屋の扉が開いたのだ。赤い髪を揺らしながら、ルチアーノが姿を現す。龍可は、心臓が縮む思いがした。慌てて本を元に戻す。
「食事の用意ができたみたいだよ。…………どうしたの?」
本棚の前に座る龍可を見て、ルチアーノは不思議そうに首を傾げた。内心を悟られたのではないかと思って、冷や汗が流れる。跳ねる心臓を押さえつけながら、平静を装って答えた。
「何でもないわ。絵本があったから、懐かしい気持ちになってただけよ」
ルチアーノは、何も疑わなかったようだ。優しい笑みを浮かべると、龍可に尋ねる。
「龍可ちゃんは、絵本が好きなの?」
「子供の頃の話よ。今は読まないわ」
龍可は立ち上がった。まだ、心臓が音を立てている。ここは、他人の家なのだ。これ以上部屋を探るのは良くないと思った。
「そう。ここにあるものは、全部好きに使っていいからね」
龍可の心を読んだかのように、ルチアーノはそう言った。本当に心を読まれているような気がして、少し気味の悪さを感じてしまう。
「ありがとう。でも、大丈夫よ」
「ほしいものがあったら、何でも言ってよ。すぐに用意するから」
「そこまでしてくれなくてもいいのよ。今晩だけなんだから」
丁寧に断ると、彼はようやく言葉を引っ込めた。龍可の困惑を悟ったようだ。
「食堂に案内するから、ついてきてよ」
ルチアーノに導かれ、一階へと降りる。食堂まではかなり距離があったが、移動の間に誰かとすれ違うことはなかった。この建物の中には、人の気配と言うものが微塵にもしないのだ。幽霊屋敷の噂を思い出して、少しだけ恐ろしくなった。
食堂へと続く扉を通ると、龍可は驚きのを上げた。アニメやドラマでしか見ないような空間が、そこには広がっていたのである。白を基調にしただだっ広い空間に、何十人もが座れるんじゃないかと思うほどの長い机が陣取っている。これほど広い部屋なのに、並んでいる椅子は二つだけだ。それは、机の中央に、向かい合うような位置で置かれていた。
「ここが、この家の食堂なの?」
「そうだよ。広いだけで、何の取り柄もないんだけどね」
龍可が尋ねると、少年は平然と答えた。彼にとっては、この光景は当たり前になっているのだろう。
「食事が冷める前に食べよう。好きな方に座って」
ルチアーノに誘導され、龍可は席に付いた。彼女が座ったことを見届けて、ルチアーノも反対側の席に付く。机の上には、二人分の食事が置かれていた。肉料理をメインにした、洋食のフルコースだ。サラダは冷たく冷やされていて、スープは湯気を立てている。
「さあ、食べて」
龍可は、一瞬だけ躊躇した。このお屋敷は、何かが変なのだ。ルチアーノ以外の姿は見えないのに、部屋は綺麗に掃除され、食事は温かいものが用意されている。幻でも見ているんじゃないかと思った。
「どうしたの? 気分が悪いの?」
ルチアーノが心配そうに龍可を覗き込んだ。その瞳には、怪しいところはない。考えすぎだと思って、食器へと手を伸ばした。
料理は、この世のものとは思えないほどにおいしかった。サラダは新鮮で、肉は口の中で溶けるほどに柔らかい。パンはふわふわで、備えられたバターがほどよく溶けた。
「おいしい。ルチアーノくんは、いつもこんなに素敵なものを食べているの?」
「そうだよ。いつもはひとりぼっちだから、龍可ちゃんが来てくれて嬉しいんだ」
ルチアーノはにこりと笑う。その笑顔を見ていると、不安は消えていった。この男の子は、ずっとひとりぼっちだったのだろう。両親と離れて暮らしているのは龍可も同じだが、彼女には兄がいる。しかし、この男の子にはいないのだ。
「わたしも、両親と離れて暮らしているの。だから、少しはルチアーノくんの気持ちも分かると思うわ」
そう言うと、ルチアーノは僅かに顔を歪めた。地獄の底から浮かんできたかのような、恐ろしい笑みだった。龍可が驚いて視線を向けると、すぐに穏やかな笑みに戻った。
龍可は首を傾げた。彼が、そんな顔をするはずがない。何かの見間違いだと思った。
「ありがとう。それなら、僕とデュエルしてくれる?」
「ええ、わたしでよければ」
食事を終えると、ルチアーノは遊び道具を持ってきた。デッキをいくつかと、ボードゲームなどのテーブルゲームだ。広い机に向かい合って、机の上にカードを広げる。
ソリッドビジョンを介さないデュエルは久しぶりだった。ネオドミノシティでは誰もがデュエルディスクを持っているから、デュエルと言えばソリッドビジョンなのだ。その事を告げると、ルチアーノは控え目にこう言った。
「ソリッドビジョンは苦手なんだ。それに、この家は古いから壊れそうでしょう?」
ルチアーノは、様々なデッキを持っていた。両親が仕事で海外に行く度に買い与えてくれるのだと言う。その中には、龍可は見たことのないようなカードもたくさんあった。
「ありがとう。楽しかったよ」
デッキをしまうと、ルチアーノは嬉しそうに言った。
「お礼を言うのはわたしの方よ。珍しいものをたくさん見せてもらったんだもの」
龍可は答える。彼女も世界で一枚しかないカードを持っているが、言わなかった。龍可がシグナーであることは、仲間たちだけの秘密だったのだ。
「もう時間も遅いから、部屋に戻ろうか」
ルチアーノに言われて、龍可は初めて時計を見た。時刻は夜の十時、いつもなら眠っているような時間だ。そう思うと、急に疲れが出てきた気がした。
「そうね、そろそろ休ませてもらおうかしら」
「二階の奥にシャワールームがあるから、よかったら使って。着替えは、引き出しの中に入ってるものを使っていいからね」
ルチアーノは親切に教えてくれる。お礼を告げてから、龍可は食堂を出た。長い廊下を通ると、再び部屋に戻る。言われた通りにタンスの引き出しを開けて、中に入っている衣類を取り出した。
そこに入っていたのは、真っ白なネグリジェだった。光沢のある生地で作られたワンピースに、フリルとレースがふんだんに飾られている。普段の彼女であれば、絶対に着ないような服だった。
シャワーを浴び、ネグリジェを身に纏う。見ず知らずの女の子の服なのに、サイズはぴったりだった。気味悪がることもなく、静かにベッドの中へと潜り込む。目を閉じると、眠りの世界に落ちていった。
龍可が部屋を出ていくと、ルチアーノはにやりと笑った。龍可をこの洋館へと導いたのは彼だ。双子を引き離し、隙を狙ってエンシェント・フェアリー・ドラゴンを奪う計画だったのである。
龍可を引き離せば、必ず兄が追いかけてくる。彼に危険が及べば、他のシグナーが黙ってはいないだろう。そうなれば、後はこちらで迎え撃てばいい。
龍可は、完全に彼の手中に落ちた。彼女には暗示をかけてある。この洋館のことを怪しいとは思わないし、時間が立てば、兄やシグナーのことさえ忘れるだろう。後は、誘き寄せられた獲物を待つだけだ。
ルチアーノは端末を起動した。そこには、龍可の双子の兄である龍亞の行動が記録されている。データを確認して、彼はまたにやりと笑った。
●
「龍可がいなくなった!?」
龍亞の話を聞くと、ボブは大声でそう叫んだ。龍亞が慌てた様子で口を塞ぐ。
「声が大きいよ。周りに聞こえるだろ」
「ごめん。でも、それって大変なことなんじゃないか?」
彼らは、噴水広場に集まっていた。アカデミアは休みだったが、連絡をして集まってもらったのだ。ボブの他にも、天兵やパティが来ていた。
「そうよ。遊星に助けてもらった方がいいわ」
パティも加勢する。最もな発言に、龍亞の口が閉ざされた。
「遊星はWRGPの準備があるだろ。余計な心配をかけたくないんだよ」
龍亞らしくない発言に、仲間たちは眉を寄せた。追い討ちをかけるように、天兵が尋ねる。
「龍亞がそんなに嫌がるなんて、言いたくない理由でもあるの?」
龍亞は言葉に詰まってしまった。拳を握りしめて、足元を見つめる。
「とりあえず、何があったのか聞かせてくれよ。遊星に言うかは、それから考えればいいだろ」
ボブに言われ、龍亞はしぶしぶ口を開く。龍可と離れ離れになるまでの経緯を、順序を追って話すことになった。
「つまり、龍可と喧嘩したってわけか」
話を聞くと、ボブは遠慮なくそう言った。龍亞が悔しそうな顔をするが、少しも気にかける様子はない。
「どうして、遊星に言わなかったの? 遊星なら、きっと龍可を探してくれるよ」
天兵に言われて、龍亞は悔しそうに拳を握りしめた。
「だって、格好悪いだろ。龍可を守るなんて言いながら、喧嘩して家出されたんだから」
「わたしは、龍可の気持ちも分かるわよ。女の子には、一人になりたい時だってあるもの」
「なんでだよ。龍可はシグナーなんだから、一人になったら危ないだろ! 早く探さないと」
龍亞の言葉に、仲間たちは真剣な表情になった。龍可は、精霊の声を聞く天才少女であり、デュエルモンスターズの精霊に選ばれたシグナーなのだ。だから、彼らは一番に遊星の名前を出したのである。
「その事なんだけどさ」
彼らが黙り込んでいると、ボブが口を開いた。仲間の視線が集中する。緊張感が場を支配した。
「龍可の行き先に、心当たりはないのかよ。居場所が分かれば、探しに行けるだろ」
「分かってたら、とっくに行ってると思うけど……」
天兵が水を差すように言った。場が静まり返る。気まずい空気が流れた。
沈黙を破ったのは、龍亞だった。仲間たちの顔をする眺めて、言いづらそうに言葉を発する。
「ひとつだけ、あるよ」
「どこだよ!」
ボブが龍亞に詰め寄った。天兵が慌てて彼を引き剥がす。龍亞は大きく息を吸うと、はっきりとした声で言った。
「それは──」
龍亞は、森の中を歩いていた。周りをキョロキョロと見回しながら、怯えた様子で身体を縮める。
「本当に行くのかよ。遊星に助けてもらおうぜ」
「何言ってるんだよ。自分で解決するって言ってただろ。もしかして、怖いのか?」
「そんなんじゃないけどさ」
周囲を仲間たちに囲まれながら、龍亞は森の中を進んでいく。こうなってしまえば、逃げ道などなかった。
龍亞は後悔していた。彼が余計なことを言わなければ、こんなところに来る必要はなかったのだ。どう考えても、こんなところに龍可がいるわけがなかった。
森の中に建つ洋館は、幽霊屋敷になっている。そんな都市伝説の話をしたのは、今から数日前のことである。ボブと天兵は探しに行こうと言ったが、龍亞は賛成しなかった。彼は、幽霊が怖かったのだ。
もし、龍可がそのことを覚えていたのなら、森の中に来ている可能性がある。そんな僅かな可能性にかけることしか、今の龍亞にはできなかったのだ。
「やっぱり、帰ろうぜ。こんなところにいるわけないって」
必死に説得するが、仲間は聞き入れてくれない。龍亞を引きずるように、森の中へと進んでいく。
「クラスのやつが言ってたんだ。森の洋館に、人が入ってくのを見たって。そいつは、アカデミアの制服を着てたらしい。もしかしたら、龍可かも知れないぜ」
ボブに説得され、仕方なく言葉を飲み込んだ。洋館を探して、道なき道を進んでいく。
歩いても歩いても、家らしきものは見当たらない。本当に、洋館などあるのだろうか。そう思い始めた頃に、天兵が声をあげた。
「あっ! 見てよ、あれ!」
指差した先に見えたのは、建物の屋根らしきものだった。赤い塗装と、真っ直ぐに伸びた煙突が、木々の隙間から見えている。
「あれが、幽霊屋敷……?」
ボブが呟く。隣から、龍亞が突き動かされたように駆け出した。
「ちょっと、待ってよ」
パティが後を追う。残された二人も、全速力で後を追った。
●
子供たちの様子を、ルチアーノは端末越しに眺めていた。森の中を彷徨う四人を見て、にやりと口角を上げる。
龍亞は、彼の作戦通りに動いていた。巣に誘き寄せられる虫ように、彼の拠点へと向かっている。ボブに噂を吹き込んだのも、クラスメイトに扮したルチアーノだ。そうすれば、彼らは確実にここへと向かってくると考えたのだ。
ルチアーノは端末の電源を落とした。二階の窓から、森の様子を眺める。遠くに、アカデミアの制服を着た子供たちの姿が見えた。
いよいよだ。彼の秘密の饗宴が、これから始まろうとしていた。
●
門の前まで駆け寄ると、龍亞は洋館を見上げた。周囲の木々には不釣り合いな豪邸が、聳え立つように建っている。見上げると、首が痛くなりそうな大きさだった。
「待てよ」
背後からボブと天兵が追ってくる。少し遅れて、パティが現れた。龍亞と同じように洋館を見上げ、その巨大さに言葉を失う。
下の方から、門がきしむ鈍い音が響いた。視線を向けると、アカデミアの制服に身を包んだ少年が姿を現す。顔立ちの整った、人の目を引く容姿の子供だった。
少年は、四人を見てにこりと微笑んだ。美しいのに、どこか怪しい気配のする笑みに、龍亞は息を飲む。この少年が犯人だと。直感的に思った。
「やあ、ずいぶん遅かったじゃないか」
少年は口を開いた。落ち着いているのに、どこか威圧感を感じる声だ。反射的に身構えながら、龍亞が言い返した。
「お前が、龍可を拐ったんだろ。龍可はどこだ!」
少年はにやりと笑った。龍亞を嘲笑うかのように言葉を続ける。
「決めつけはよくないよ。僕は、迷子になってた龍可ちゃんを助けてあげたんだ」
「そんなの信じないぞ! 拐ってないなら、連絡もせずに隠すものか!」
言い争う二人を、仲間たちは不安そうに見つめていた。どちらの言葉を信じればいいのか迷っているようだ。
「そう思うなら、直接会ってみればいいさ。応接室に案内するよ」
捲し立てる龍亞を見て、少年は自信満々にに言った。相手を誘い込むような挑発的な言葉だったが、冷静さを失った龍亞には見抜けなかった。
「そこに龍可がいるんだな! 案内しろ!」
売り言葉に買い言葉で、龍亞は言葉を突きつける。少年が門を開くと、彼らを手招きした。
「こっちだよ」
「おい、大丈夫なのかよ」
少年の後に続きながら、ボブが囁く。
「絶対に怪しいよ。罠だったりしないかしら?」
パティも言うが、龍亞は少しも聞き入れはしなかった。
「罠だったら、あいつを倒せばいいだろ!」
広い庭を通り抜け、建物の中に入る。四人を一階の隅の部屋に押し込めると、少年は言った。
「龍可ちゃんを呼んでくるよ。君たちはそこで待っててくれ」
扉を閉めると、少年は去っていく。その後ろ姿を、四人の少年少女が見守った。
どれだけ待っても、少年は帰って来なかった。
刻一刻と時間は過ぎていく。龍亞はそわそわしながらドアを見つめ、仲間たちは固唾を飲んでその姿を見守った。時間が立つごとに、龍亞の表情は不安に染まり、やがて怒りへと変わっていった。
「あいつ、全然戻って来ないじゃないか! 龍可を連れてくる約束はどうなったんだよ!」
しびれを切らしたように、龍亞は大声を上げる、それに応えるように、ボブも顔を歪めた。
「だから言ったんだよ。大丈夫なのかって」
「私も言ったわよ。龍亞が勝手についてきたんでしょ」
「オレのせいって言うのかよ!」
喧嘩になりそうな三人を、天兵が慌てて止めに入った。両手で距離を話ながら、諭すように言う。
「落ち着いてよ。ここで喧嘩してたら、龍可をさらった犯人の思う壺だよ。僕たちで龍可を探さなきゃ」
その言葉に、龍亞が顔を上げた。
「そうだ! オレたちで龍可を探せばいいんだ!」
そう言って、部屋のドアへと駆け寄る。ドアノブを捻ると、扉は簡単に開いた。
「ここ、人の家なんだろ? 勝手に見ていいのかよ」
ボブが慌てたように言うが、龍亞は聞く耳を持たなかった。キョロキョロと廊下を見回して、くるりと仲間の方を振り返る。
「龍可が危険な目に会ってるかも知れないんだ。そんなこと言ってる場合かよ。オレは龍可を探しに行く」
そう言うと、真っ直ぐに廊下を走っていった。
「ちょっと、待ってよ!」
パティが呼び掛けるが、既に姿は見えなくなっていた。残された三人で顔を見合わせる。
「オレは、龍亞を探しに行くよ。天兵とパティはここで待ってて」
そう言うと、ボブは廊下の方へと駆け出した。あっという間に、同じ方向に消えていく。
「これから、どうするの? ここにいても、あの男の子が戻ってくるとは限らないんでしょう?」
心配そうな表情をしながら、パティが言う。
「変に行動しない方がいいよ。二人が戻ってくるまで、ここに居よう」
そう言って、天兵はソファに腰をかける。不安そうな顔をしながらも、パティも向かいの席に座った。
それが、彼らの悪夢の幕開けとなることは、誰一人気づいてはいなかった。
●
モニターを眺めながら、ルチアーノはにやりと微笑んだ。子供たちは、思い思いの方向へと進んでいく。ある者は二階へと上がり、ある者は一階の奥へと駆け抜けていく。部屋に残ったのは少年と少女だけだった。
そろそろ、頃合いだろうか。にやりと口元を歪めながら、彼は甲高い笑い声を上げる。哀れな少年少女は、幽霊屋敷という舞台に放たれたのだ。後は、片っ端から駆っていくだけである。
ルチアーノは椅子から立ち上がった。デッキを手に取ると、ポケットにねじ込む。最初の獲物は、応接室の少年を選ぶことにした。
これから、彼のパーティーが始まるのだ。誰にも泊めることのできない、血濡れのお祭りが。これから起きる惨劇を想像して、ルチアーノは歓喜に身を震わせた。
応接室に足を踏み入れると、二人の子供は安心したような顔をした。椅子から立ち上がり、彼の元へと駆け寄る。不安と安堵の混ざり合った表情が、真っ直ぐにルチアーノを捉える。
「よかった。戻ってこないかと思ったよ」
少年が安心したように胸を撫で下ろす。その隣で、少女が慌てたように言った。
「それよりも、大変なの。龍亞とボブが出ていっちゃって……」
龍亞とボブというのは、さっきの子供たちだろう。龍亞はシグナーではないが、彼らの仲間だ。名前くらいは知っていた。
「ごめんね。龍可ちゃんと話をしていたら、遅くなっちゃったんだ。喧嘩してたみたいだから、確認を取りたくてね」
ルチアーノは言う。龍可と話していたなど真っ赤な嘘だ。彼女は、兄の来訪すら知らないだろう。あの部屋の中で、ひとりの時間を過ごしているのだ。
「それで、龍可はなんて言ってたの?」
少年がすがり付くように尋ねる。度重なる不安に、冷静さを失っているようだった。いい兆候だと思った。
「まだ、君たちには会いたくないみたいなんだ。気分が優れなくて眠ってるんだよ」
「そんな……」
二人の子供が肩を落とす。その様子を見て、ルチアーノがにやりと口角を上げた。
「ねえ、デュエルをしないかい?」
突然の提案に、二人は驚いたように顔を上げた。真っ直ぐルチアーノを見つめて、頭に疑問符を浮かべる。
「デュエル? どうして、今?」
「ここで黙って待ってても、龍可ちゃんには会えないんだ。だったら、気が変わるまでの間くらい楽しいことをしたいだろ」
彼の言葉に、二人は顔を見合わせる。迷ったような顔をしながら、何かを囁き合った。
「悪いけど、そんな気分じゃないんだ。龍亞とボブも探しにいかなきゃいけないし」
「君がデュエルをしてくれたら、友達を探すのを手伝ってあげるよ。だから、一緒に遊んでくれないかな?」
最後の一押しで、やっと少年は折れてくれた。しぶしぶと言った様子で頷く。
「分かったよ。約束だからね」
その言葉を聞いて、ルチアーノはにこりと微笑んだ。その表情は、花のように美しい。少年が、少しだけ表情を緩めた。
「ありがとう。ずっと一人だったから、退屈してたんだ」
ルチアーノは言う。その一言だけは、嘘偽りのない言葉だった。
そこから先は地獄だった。ルチアーノは、圧倒的な強さで少年を追い詰めた。激流葬を発動してモンスターを押し流し、機皇帝スキエルを召喚する。部屋に収まりきらないほど大きな機械が、真っ直ぐに少年を捉えた。
少年が息を飲んだ。少女も異変に気づいたようだが、もう手遅れだ。彼らは、既にルチアーノの手中に収まってしまったのだから。
「機皇帝スキエルで、ダイレクトアタック!」
スキエルの撃った青いの光線が、真っ直ぐに少年に突き刺さる。思いっきり吹き飛ばされ、彼は悲鳴を上げた。
「うわあぁぁぁぁ!」
少年の身体が、装飾を施された壁へと叩きつけられる。風圧で飾られていたオブジェが倒れ、鈍い音を立てた。
「天兵!」
少女が悲鳴を上げる。少年の前に駆け寄ると、そっと身体に触れた。
「ねえ、大丈夫なの?」
少女の呼びかけに、少年は重そうに身体を起こした。怯えたように機械を見つめると、震える声で言う。
「あれは、ソリッドビジョンじゃない……。本物のモンスターだ……」
「本物のモンスター……?」
少女が、信じられないと言った顔でスキエルを見た。モンスター越しに、ルチアーノは二人の様子を眺める。愉悦に頬を緩めると、歓喜の声で言った。
「気に入ったかい? このデュエルディスクは、相手に実際のダメージを与えることができるんだ」
二人の視線が、モンスターからルチアーノに向かう。それは、未知の恐怖に怯え、理解を放棄した負け犬の瞳だった。背筋が凍えるような快感に、ルチアーノは笑い声を上げる。
「サレンダーは許さないぜ。君は、ここで永遠に眠るんだ」
そう言うルチアーノは、世にもおぞましい顔をしていた。少女が怯えたように顔を覆う。その隣で、少年は壁を支えにして立ち上がった。
「パティは、ここから逃げて。ボブと龍亞に、この事を伝えるんだ」
息も絶え絶えになりながらも、少年は少女に声をかける。少女が、驚いたように少年を見た。
「そんな……。天兵はどうなるの?」
「僕のことはいいから、早く逃げて!」
その様子を見て、ルチアーノが狂ったように笑った。笑みを含んだ声色で、目の前の少年少女を見下ろす。
「仲間の絆ってやつかい? 美しいね。そんなもの、何の役にも立たないのさ!」
天兵が、真っ直ぐにルチアーノを睨み付ける。その姿を見て、少女が強く両手を握りこんだ。予兆も見せずに走り出すと、ルチアーノの隣を駆け抜けていく。
「僕の……ターン……」
力のない声で、少年が言葉を続ける。どちらが勝つのかは、既に見えきっていた。
デュエルディスクを畳むと、機皇帝スキエルは一瞬で姿を消した。部屋を圧迫する巨体が消え、二人の少年だけが残される。
ルチアーノは部屋の奥へと歩を進めた。壁の真下に、アカデミアの制服を着た少年が倒れている。シンクロモンスターを召喚して反撃しようとしたその少年は、スキエルによる大ダメージを受けて壁に叩きつけられたのである。完膚無きまでの敗北だった。
少年を見下ろすと、ルチアーノは生体情報を確認した。意識を失ってはいるが、脈が止まっているわけではないようだ。死なれても困るから、良かったといえば良かったのだろう。
少年は、少女をこの部屋から逃がした。彼女は、仲間に異変を知らせに行ったのだろう。後を追えば、他の仲間の居場所も分かるだろう。
次の獲物は、あの少女だ。デュエルチューブを煌めかせながら、ルチアーノはにやりと笑みを浮かべた。
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部屋から逃げ出すと、パティはボブと龍亞の姿を探した。目の前で起きた出来事を、彼らに伝えなければと思ったのだ。
全て、ボブの言った通りだった。この屋敷は罠だったのだ。あの少年は、龍可を拐い、仲間を危険な目に遭わせようとしている。急がなくては、ボブと龍亞まで狙われてしまう。
「ボブ、龍亞、どこなの!?」
声を張り上げながら、洋館の中を走る。だだっ広い建物の中には、人っ子一人いなかった。不吉な予感がして、心臓がドクドクと音を立てる。
何度か名前を呼ぶと、遠くから声が聞こえた。ボブの声だ。周囲を見回すと、大声で呼び掛ける。
「ボブ? どこにいるの?」
「ここだ!」
一階の奥から、少年の声が聞こえてきた。そう遠くはないようだ。声の出所を探しながら、必死に走り抜ける。
ボブは、一階の廊下にいた。一つ一つ部屋の扉を開け、中を確認している。焦った様子のパティを見て、驚いたように振り返った。
「パティ? そんなに慌てて、どうしたんだ?」
能天気な声でボブは言う。はあはあと肩で息をしながら、パティは必死に声を発した。
「大変なの! 天兵が、あの男の子に!」
焦りで、思うように説明ができない。ボブは首を傾げると、宥めるような声で言った。
「少しは落ち着けよ。どうしたんだよ」
「天兵が、あの男の子に倒されたの! 巨大なモンスターを召喚して、一撃で!」
「天兵が?」
ようやく、ボブも状況を理解したようだった。パティを見つめると、詰め寄るように尋ねる。
「それって、どういうことだよ!」
「罠だったのよ。あの子は、龍亞と龍可を狙っていたの。急がないと、龍亞があぶない!」
ボブの顔が青ざめた。くるりと周囲を見渡すと、警戒した様子で言った。
「じゃあ、次は龍亞がやられるってことかよ!」
「分からないわ。でも、急いで知らせなきゃ!」
パティの言葉に、ボブは真剣な顔でうなずく。
「オレ、行ってくる!」
くるりと後ろを振り向くと、一目散に駆け出した。安心感と疲労で、パティはその場に座り込む。息を整えると、不安そうに呟いた。
「龍亞、龍可……」
その背後に、ひとつの人影が迫っていた。天兵を倒した例の少年が、彼女の後を追ってきたのである。気配に気づいたパティが振り返る頃には、少年は真後ろまで接近していた。
「こんなところにいたんだね」
少年は呟くと、にやりと口角を上げた。背筋が凍るような冷たい声に、パティは声にならない悲鳴を上げる。
「君も、デュエルするのかい? それなら、僕と遊んでくれないかな?」
冷たい微笑みを浮かべながら、少年はゆっくりと距離を詰める。不穏な笑顔に、背筋が凍る思いがした。
「わたしは…………」
できない。そう答えようとして、彼女は口をつぐんだ。今ここで彼女が断ったら、この少年はボブを追いかけに行くだろう。そうなれば、龍亞に危険を知らせる者はいなくなる。
戦わなきゃ。そう言い聞かせて、パティは震える足で立ち上がった。少年に向かい合い、デュエルディスクをセットする。
「やる気になったかい。じゃあ、僕と遊ぼうか」
余裕の笑みを浮かべたまま、少年はデュエルディスクを構える。光に彩られた、妙なデュエルディスクだった。
もう、後には引けない。覚悟を決めると、パティは前へと歩み出た。少年が、にやりと不穏な笑みを浮かべた。
その衝撃は、経験したことも無いものだった。思いっきり吹き飛ばされ、パティは廊下に転がる。全身に痛みが響いて、立ち上がることすらできなかった。
このデュエルは、何かがおかしい。モンスターはソリッドビジョンだ。実際の痛みは伴わないはずである。それなのに、少年のデュエルディスクは本物の痛みを与えて来るのだ。
「もうおしまいかい? 仲間を守りたいなら、こんなんじゃ何もできないぜ」
少年は笑みを浮かべる。冷たい瞳でパティを見下ろすと、立ち上がるように促した。
パティには、もう起き上がる気力すらなかった。全身が痺れるように痛み、声すら出せない。必死にカードに手を伸ばし、反撃しようとする。しかし、その指先は虚しく宙を掠めた。
「もう、戦えないみたいだね。僕も鬼じゃないから、ここで見逃してあげるよ」
少年は言う。デュエルディスクを畳むと、彼女に背を向けて歩き出した。
「待って…………」
パティは必死に呼び掛ける。その背中を見つめながら、彼女は意識を失った。
どこからか、少女の悲鳴が聞こえた。それは確かにパティの声だったが、普段は聞いたことの無いような、悲痛な悲鳴だった。その恐ろしい響きに、龍亞は背後を振り返る。周囲に視線を向けるが、洋館は静まり返っていて、人の姿は見えなかった。
嫌な予感がした。背筋に悪寒が走って、足取りが早くなる。パティは、天兵と一緒に最初に案内された部屋に留まっていたはずである。どうしてこんなところにいて、悲鳴を上げているのか、龍亞には分からなかった。
この洋館は、何かがおかしい。予感は確信となり、龍亞の疑念を高めていく。この建物の中は、あの少年を除けば人っ子一人いないのだ。こんなに広い家に子供が一人で住んでいるなんて、普通は考えられないことだった。
不意に、あることを思い出した。この洋館に巣食う幽霊についての、まことしやかに囁かれる奇妙な噂だ。噂によれば、この洋館に住んでいたのは幼い兄弟だったのだという。妹は重病に侵されていて、兄は必死に看病したが、回復する見込みもなく命を落としてしまった。兄も後を追うように命を絶ち、この洋館で妹が蘇るのを待っているのだと言うのだ。
噂に聞く兄の年齢は、龍亞たちと同じくらいの歳だった。彼らを捕らえた少年も、外見は龍亞たちと変わらない。もしかして、彼が幽霊なのだろうか。そんなことを考えて、龍亞の背筋は震えた。
早く、龍可を助けなくては。少年の目的は知らないが、龍可を狙っているのは確実である。一刻も早く助けなくては、どうなってしまうか分からない。
「龍可! どこにいるんだ! 出てこいって!」
必死に声を上げながら、龍亞は二階を駆け回る。視界に入る扉を開いては閉じ、妹の姿を探した。
どれだけ呼んでも、返事は聞こえてこなかった。龍可がこの建物にいることは、双子の感から確信できた。幼い頃から一緒だったのだ。分からないはずがなかった。
次のドアで、二階の部屋は最後だった。一縷の望みにすがりながら、ドアノブに手を掛ける。音を立てながら扉を開いて、龍亞は言葉を失った。
そこには、龍可が座っていた。見知らぬ衣服を身に纏い、ベッドの縁に腰を掛けて、子供のように絵本を開いている。龍亞の立てた音を聞いて、ゆっくりと顔を上げた。
「龍可!」
龍亞が駆け寄るが、龍可はぽかんとした顔をしていた。不思議そうに龍亞を見ると、ゆっくりと首を傾げる。
「あなたは、誰?」
奇妙な反応だった。龍亞は虚を突かれた顔をしてから、強引に龍可の手を取った。いつあの少年が追いかけてくるか分からない。一刻も早く逃げ出したかった。
「なに言ってんだよ! 寝ぼけてないで、逃げるぞ」
龍可はきょとんとした顔をしたまま、ベッドの上から下ろされる。引っ張られるように部屋から飛び出した。
「どうしたの? あなたは誰? わたしをどこに連れていくの?」
龍可が言う。返事もせずに、龍亞は彼女の手を引いた。二階の廊下を駆け抜けて、階段を駆け降りる。
「ねぇ、ねぇってば!」
返事が帰ってこないことに疑問を抱いたのか、龍可は何度も質問した。言葉が通じないことに腹を立てながらも、龍亞は律儀に答える。
「あいつから逃げるんだよ。あいつは、龍可を狙ってるんだ?」
「あいつって? ルチアーノくんのこと?」
口に出された名前を聞いて、龍亞は足を止めた。ゆっくりと龍可の方を振り返る。
「今、ルチアーノって言ったのか?」
「どうしたの? ルチアーノくんは、わたしのお友達よ」
龍可は平然と答える。そこに、疑問を感じている様子はなかった。やっぱり、何かがおかしかった。
「違う! あいつは、龍可を連れ去ろうとしてるんだ。龍可を洗脳して、連れていこうとしてるんだよ」
そう言うと、龍亞は再び手を取った。強い力で引っ張って、一気に庭へと駆け抜ける。
「ちょっと、待ってよ。どういうこと!?」
龍可が尋ねるが、龍亞は少しも聞き入れなかった。手をしっかりと握りしめたまま、全速力で庭を駆け抜けた。
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「機皇帝スキエルで、ダイレクトアタック!」
高らかに宣言すると、モンスターは光の線を打ち出した。真っ直ぐに少年のモンスターに向かい、胴体を粉々に破壊する。風圧と衝撃で、少年が背後へと吹き飛ばされた。
少年の大柄な身体が、思いっきり壁へと叩きつけられる。少年は悲鳴を上げ、その場に蹲った。
「まだだ、まだ、オレは戦える……」
立ち上がろうとする少年を、ルチアーノは静かに見下ろした。手足は震え、身体はふらふらと揺れている。どう見ても戦える有り様ではなかった。
「無理しない方が良いぜ。これ以上やったら、君は死ぬかもしれないんだから」
「オレは……龍可を…………」
少年は地面を這うと、ルチアーノの足へと手を伸ばした。気味悪そうに足を引っ込めて、ルチアーノは少年に背を向ける。
「君はもう戦えない。君なんかに、龍可を守ることはできないんだよ」
こつこつと足音を立てて、ルチアーノは廊下の奥に姿を消す。その後ろ姿を、少年が悔しそうに見つめていた。
少年の元を離れると、ルチアーノは端末を起動した。モニターが光を放って、制服姿の少年少女を映し出した。制服姿の少年が、少女の手を引いて走っている。彼らは一階の廊下を抜け、庭へと飛び出したところだった。
ルチアーノはにやりと笑う。家に上げてやったのに、挨拶も無しに帰るなんて、なんという態度なのだろう。そんな礼儀知らずには、お仕置きが必要だ。
彼はワープ装置を起動した。空間を超えて、一息に庭へと移動する。双子の前に出ると、その進路を塞いだ。
龍亞は、少しだけ怯えたような顔をした。すぐに気を取り直して、警戒の姿勢を見せる。
先に口を開いたのはルチアーノだった。龍亞を真っ直ぐに見つめると、余裕の表情で言葉を吐く。
「挨拶も無しに帰るなんて、礼儀がなってないんじゃないかい?」
龍亞は、キッと相手を睨み付けた。鋭い視線を向けると、噛みつくような語調で言う。
「人を拐うようなやつに、礼儀を教えられなくないね!」
「僕は、迷子になってた龍可ちゃんを助けてあげたんだ。人拐いなんて言われたくないよ」
二人は黙って睨み合う。ピリピリとした空気が、庭中を覆い尽くした。龍可が、困惑した様子で二人を眺める。
「龍可を拐って、どうするつもりだ!」
龍亞が噛みつくように言う。それを聞いて、龍可が悲しそうな顔をした。
「やめて、わたしは、拐われてなんかないわ」
龍可は、ルチアーノを庇おうとしたのだ。その姿を見て、龍亞が顔を歪めた。
「なんであいつを庇うんだよ!」
「違うの、ルチアーノくんは、わたしを助けてくれたのよ。拐ってなんかない」
龍亞は、真っ直ぐにルチアーノを睨み付けた。鋭い視線だった。
「龍可に何をした! 拐って洗脳したのか?」
「だから、拐ってないって言ってるだろ。君は、もう少し人の話を聞いた方がいいんじゃないかい?」
「はぐらかすなよ! こうなったら、デュエルで奪い返してやる」
威勢良く噛みつくと、デュエルディスクを広げる。その様子を見て、ルチアーノがにやりと笑った。
「いいぜ。どこからでもかかってきな」
光を纏いながら、デュエルディスクを構える。最後にして一番のお楽しみが、今始まろうとしていた。
龍亞は、臆することなく攻撃した。モンスターを召喚し、装備魔法を発動する。あっという間に、フィールドにはモンスター二体が並んだ。龍亞も、デュエルアカデミアの生徒である。ダークシグナーとの戦いを気に、龍可の力になるために毎日練習を続けてきた。デュエルには自信があったのだ。
しかし、ルチアーノはさらに上手だった。彼の攻撃を軽々と躱すと、反撃の手を打った。涼しい顔を保ったまま、次々と龍亞のライフポイントを削っていく。モンスターが破壊され、鋭い衝撃が龍亞の身体を貫いた。
龍亞は苦しそうにルチアーノを睨む。圧倒的な実力差に、悔しげに唇を噛んだ。
「どうしたんだい。このデュエルに勝って、龍可ちゃんを取り戻すんじゃなかったのかい?」
ルチアーノはにやりと笑う。勝利を確信した者の、余裕の笑みだった。
龍可は、困ったようにその様子を眺めていた。なぜ、この二人が戦っているのかが分からなかったのだ。彼女は、ルチアーノによって暗示をかけられ、シグナーの記憶を失っていた。
龍可は足を踏み出した。一歩一歩、不安げな足取りでルチアーノの方へと向かっていく。龍亞が驚愕の表情を浮かべた。
その時だった。
龍可の痣が、強い光を放ったのだ。溢れ出した光が、龍亞と龍可を包み込む。天空を、真っ赤な光が横切った。
龍可が、驚いたように目を見開いた。ルチアーノの姿を一瞥してから、龍亞に視線を向ける。兄の存在を認識すると、驚きの声を上げる。
「龍亞……?」
龍亞が龍可を見つめた。二人の視線が、真っ直ぐに噛み合う。
「龍亞、どうしてここに……?」
龍可が不思議そうに尋ねる。目の前に聳える洋館を眺めて、理解できないというように首を傾げた。
「龍可を助けに来たんだ。オレは、龍可のヒーローだから」
龍亞は言う。その瞳には、強い意志が宿っていた。
「龍亞…………!」
二人は真っ直ぐに見つめ合う。その様子を、ルチアーノが悔しそうに見つめていた。
「赤き竜…………」
ルチアーノが声を発した。地獄の底から発せられるような、凄みを帯びた声だった。龍亞が、ルチアーノを睨み付ける。
「どうやら、遊んでいる暇はなさそうだね。こうなったら、無理矢理にでも連れ出してやる」
ルチアーノが言う。そこには、既に余裕など無くなっていた。
「お前は、どうして龍可を狙うんだ!?」
「そんなの決まってるだろ。彼女が、シグナーの竜を従えているからさ」
ルチアーノが、左手をデュエルディスクに伸ばした。カードをドローし、にやりと笑う。前を見ると、笑みを含んだ声色で堂々と龍亞に宣言した。
「お前は、ここで終わりだ」
それは、勝利への確信に満ちた声だった。不穏な発言に、龍亞は表情を強ばらせた。
ルチアーノは、確実に龍亞を仕留めようとしていた。機皇帝スキエルを召喚し、龍亞へ猛攻を仕掛ける。シンクロモンスターの吸収は使わずに、スキエルの効果だけで相手を仕留めていく。圧倒的な実力差に、龍亞は倒されてしまった。
衝撃に襲われ、彼は地面へと倒れ込む。龍可が心配そうに駆け寄った。
「龍亞!」
「僕の勝ちだね。約束通り、龍可はいただいていくよ」
ルチアーノが歩み寄る。龍可が数歩後ずさった。
「誰が、あなたなんかに……!」
龍可の好戦的な態度を見て、ルチアーノはにやりと笑う。
「逆らうなら、力付くで奪ってやるよ」
その時、龍可の背後からDホイールのエンジン音が聞こえてきた。振り向くと、三台のDホイールが並走している。シグナーの仲間たち、遊星、クロウ、ジャックの三人だった。
「龍亞、龍可!」
Dホイールを止めると、遊星は龍可に駆け寄った。隣に倒れている龍亞に気がつくと、両腕で身体を起こす。龍亞が不思議そうな顔をした。
「遊星? どうして、ここに……?」
「赤き竜が教えてくれたんだ。急に痣が光ったと思ったら、この建物の景色が見えた。嫌な予感をして駆けつけたら、龍亞と龍可が居たんだ」
龍亞は安心したような顔をした。それも一瞬だけで、すぐに表情を切り替える。建物の方を指差すと、必死な声で言った。
「天兵たちが…………まだ…………中に…………」
「分かった。探してくる」
遊星が、建物に視線を向けた。目の前に立つルチアーノと目が合う。視線が真っ直ぐに噛み合った。
「不動、遊星……」
ルチアーノが悔しそうに声を上げた。背後から駆けつけたらシグナーたちを見て、表情を歪める。デュエルディスクを畳むと、一瞬で姿を消した。
「消えた……?」
遊星が目を見張る。駆けよって周囲を見渡すが、どこにも姿は見えなかった。
「遊星!」
「敵はどこだ?」
遅れて来たクロウとジャックが声を上げる。しかし、既に敵の姿は失われていた。
「どうやら、消えたみたいだ。どこにも姿は見えなかった」
遊星が言うと、二人は怪訝そうに眉を寄せる。
「消えた……?」
「幽霊だ……」
口を挟んだのは、龍亞だった。三人を見上げると、苦しそうに言葉を続ける。
「幽霊だ……。この洋館は、幽霊屋敷だって言われてるんだ……。あいつは、幽霊だったんだよ」
その後駆け付けた三人は、洋館の中に倒れている三人の子供を発見した。天兵とボブとパティの三人だ。三人は意識を失っていたが、身体に外傷は無かった。遊星が話を聞くと、彼らは口を揃えてこういった。
「幽霊にやられたんだ」
治安維持局の協力を受けて調べると、洋館は数年前に空き家になったきり、誰も住んでいないらしい。後日に行われた検査でも、人の住んでいた形跡は見つからなかった。子供たちの話を聞いて、職員は首を傾げていた。
あの少年は、一体何者だったのだろうか。誰にも、その正体は分からなかった。