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    kamomexgk

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    kamomexgk

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    にの←くる。
    ちょっと長いやつ。ちゃんと続いて完結しました。

    ※2話目追加(2023/3/26)
    ※3話目追加(2023/4/2)
    ※4話目追加(2023/4/4)
    ※5話目追加(2023/4/11) 完結

    アンノウン ボーダー本部のラウンジの一画に、目立つ一団が形成されている。太刀川はテーブルに肘を付いて、その過程をぼんやりと眺めていた。
     最初にやって来たのが村上で、それから影浦と北添、続いて荒船、犬飼。そのあとやって来たのは蔵内だろうか。もはや太刀川の座っている位置からははっきりと見えない。
     こういう風景を目にするのは初めてではない。集団が形成されるきっかけとなった人物――来馬の周りには自然と人が集まる。
    「来馬はあの、あれだよな。あれ。くるくるコンバット?」
    「はあ?」
     太刀川の言葉に顔を顰めたのは、彼が書いたレポートを添削していた堤だ。手元のレポートは、とても大学生が書いたとは思えない誤字脱字の修正で真っ赤になっていた。
    「あれだよ。来るなら来いよ、みたいな?」
     堤は太刀川とそれなりに長い付き合いだが、その日常生活における思考回路は理解し得ないことが多い。壊滅的な彼の日本語を直している最中なら尚更だ。
    「来るもの拒まず?」
     同じテーブルに座っていた加古が二人の会話に助け舟を出した。太刀川の顔がパッと晴れる。
    「そう、それ!」
     太刀川は何かを絞り出すように眉間に皺を寄せ、人差し指をゆらゆらと揺らした。
    「あとは、あれだよ。ハクサイ好き?」
    「博愛主義?」
    「それ」
    「加古ちゃん、よくわかるね」
     堤が呆然と加古を見たが、加古はにっこりと微笑んだだけだった。
    「何の話?」
     三人が声の主を見上げた。村上と話すために席を離れた来馬が戻って来て、テーブルの前で首を傾げている。二人と、そのあと続々と集まってきた後輩たちとの話は終わったらしい。来馬はもともと座っていた位置、加古の隣に腰を下ろした。
    「来馬は人に好かれるって言いたいんだと思う」
    「うん?」
     堤はため息混じりに太刀川との問答を来馬に説明した。順を追って説明したところで、なぜ太刀川が唐突に来馬を「来るもの拒まず」、「博愛主義」と評したのかは謎だ。来馬も堤と同じことを思っていた。
     二人の心中に気付いたかどうかは定かではないが、太刀川は来馬をじっと見つめて話し始めた。
    「来馬は誰に対しても平等だろ?それが好かれる理由なんだろうけど、来馬には『特別』はいないのか?」
     その疑問が元で出てきたのが「来るもの拒まず」と「博愛主義」か。堤はようやく理解した。加古ははじめから予想していたように思う。
     唐突な疑問にも関わらず、来馬は特になにか言い返すこともなく素直に答えを考えているようだった。
    「みんなかな。一緒にいていつも楽しいから、もっと一緒にいたいと思う」
    「あら、嬉しい」
     すかさず加古が微笑み、来馬がはにかむ。太刀川は「当然だな」となぜか得意げだ。
    「あとは、やっぱり鈴鳴第一のみんな。僕がはじめて作った隊だし、思い入れは強いよ」
    「鈴鳴はなあ」
     鈴鳴第一が挙がったことで、堤は苦笑いを浮かべた。堤の言わんとすることに気付いたのだろう。来馬は困ったように笑った。
     村上と別役の二人は、勝敗の決まるランク戦においてどんな状況でも隊の勝利より来馬の生存を優先する。それは自分の隊の隊長を慕って補佐役を続けている堤にとっても、大袈裟に言えば「異常」と思える行為だった。
    「鋼たちの来馬に対する気持ちが強すぎて、来馬の『特別感』が薄れる」
    「たしかに」
     堤の言葉に同意した太刀川が、ふ、と笑った。
    「それで言ったら、俺たちの中にも来馬を特別扱いする奴がいたな」
    「加古ちゃん?」
     堤に名前を出された加古は眉を上げた。違うらしい。
    「加古も、まあ俺たちと来馬は差別してるけど。そうじゃなくて。俺の頼み事は一切きかないくせに、来馬のことは頼まれなくても世話を焼く奴がいるだろ」
     堤はこの場にいない同い年の戦闘員を思い出した。本人は認めないだろうが、来馬が入隊した当初から「お前は来馬の何なんだ」と呆れられるほど世話を焼いていた男だ。
    「ああ、二宮か」
     来馬は驚いたように目を瞬いた。その名前が挙がったことが意外だったらしい。
    「二宮は色々言いはするけど、面倒見が良いから。別に僕を特別扱いしてるわけじゃないよ」
    「いやいや。俺はあれが普通とは認めないぞ」
     穏やかに否定した来馬を太刀川が全力で否定する。
    「二人は高校時代、三年間同じクラスだったんだろ?付き合いの長さから滲み出るものってのは、あるかもな」
    「そうかな」
     来馬は納得していない様子だった。
     来馬と二宮は高校三年間同じクラスで、しかもあの二宮が学校の休憩時間や放課後も一緒に過ごすような、「仲の良い友人」と言える間柄のはずだ。二宮に特別扱いされていることを来馬が頑なに認めようとしないことが、堤には引っかかった。
    「来馬にとっても、二宮は特別なのか?」
     太刀川が軽やかに尋ねる。その声の調子とは裏腹に、切り込んだ、と堤は思った。いつもはすぐに冷や汗を浮かべるせいで頼りなくも見られがちな来馬が、顔色一つ変えることなくただ太刀川をまっすぐ見据えている。
     一つ間を置いて来馬が息を吸ったときだった。
    「来馬君、このあと予定があるんじゃなかった?」
     加古の言葉で、その場に流れていた微妙な空気が一瞬で霧散した。
    「あ、そうだ。鈴鳴支部に戻らないといけない時間だ」
    「え、行っちゃうのか!?」
     太刀川がテーブルの上に両腕を投げ出して叫ぶ。
    「今日は最後まで付き合えないって言っただろ」
    「そんなあ」
    「あと少しなんだから、頑張って。堤、悪いけどあとよろしく」
    「ああ」
     堤に申し訳なさそうに笑いかけた来馬の様子はいつも通りに戻っていた。
     来馬の背中を見送ってから太刀川のレポートの添削を再開した堤は、太刀川と加古の様子をちらっと伺った。先ほどの加古はおそらく話題を切るために意図的に口を挟んだのだろうし、太刀川もそれに気付いているように思う。しかし来馬がいなくなった後も太刀川がそのことを指摘したり、加古が何か言い出したりする様子はない。
     二人は堤と同じ疑念を抱いている。たぶん、自分が感じたよりもずっと確信を持って。現時点で確からしいことは、下手に他人が首を突っ込む話ではないということだけだ。


    ***


     ラウンジを出た来馬は、ボーダー本部から一番近いバス停に抜ける通路に向かった。バスの時刻表をもう一度確かめて、腕時計を見る。バスの時間には十分間に合うと判断して、それほど急がずに進んだ。
     バスで鈴鳴支部に行ったら、支部長と週次の定例会議をして、それから防衛任務のシフト確認と、来週提出予定の書類の確認もしちゃおうかな。
     これからやるべきタスクを頭の中で冷静にリスト化していく一方で、来馬の頭の一角には先ほど太刀川に聞かれた言葉が離れずにいた。
     ――来馬にとっても、二宮は特別なのか?
     咄嗟に答えられなかった。来馬はその理由を自分の中で言葉にできずにいる。
     太刀川は二宮が自分を特別扱いしていると言う。それはすぐに否定できた。少しわかりにくいが、二宮はもともと優しい人間だ。自分はその優しさに甘えてしまうから、二宮の行動が特別に見えるだけ。
     二宮は僕を特別扱いなんてしてない。そうじゃないと――そうじゃないと……?
     ぼんやり歩いていると、通路の先に見覚えのある後ろ姿が現れた。二宮だ。今まさに自分の思考を占有している人物の登場に、来馬の心臓が一瞬大きく脈打った。
     しかし、二宮は来馬が駆け寄るか、大きな声を出すかしなければ引き止められない距離にいる。そのまま対面せずに済みそうなことに安堵する反面、寂しい、とも思った。高校時代は意識しなくても、いつも声の届く範囲に二宮がいたように思う。今は約束して会おうとしなければ、大学でもボーダーでも会う機会は少ない。
    「……二宮」
     届くはずもない声が、ぽつりと溢れた。
     そのとき、数十メートル先にいる二宮が突然立ち止まって振り返った。黙ってこちらを見つめている二宮に、少し遅れて自分を待っているのだと気付いた来馬は、足早に廊下を進んだ。大きく鳴り響く心臓の音を意識しないようにしながら。
    「お疲れさま」
     話せる距離まで追い付いて挨拶をすると、ぶっきらぼうな声で「ああ」とだけ返ってくる。
    「太刀川のレポートは終わったのか?」
    「いや、まだ。堤が見てくれてる。僕は鈴鳴支部に行かなきゃならなくて、途中で抜けたんだ」
    「お前も堤も、太刀川に甘すぎる」
     一応グループチャットに送られてきた太刀川のヘルプ要請は見ていたのだろう。二宮はなんだかんだ面倒見が良いので、堤も来馬も都合がつかなければ結局手助けしただろうと来馬は思っていた。いや、今したいのはその話ではなく。
    「どうした?」
     視線に気付いた二宮が来馬の顔を覗き込んだ。来馬の心臓がドキッと大きく跳ねる。
    「さっき、二宮はなんで振り返ったの?」
     来馬の問いに、二宮はああそれかといった様子で、今は背を向けている先ほどまでの進行方向を指差した。
    「ガラスにお前が見えた」
     二宮が指差した先、廊下の突き当たりの壁にガラスが嵌め込まれた窓がある。なるほど、ガラスが鏡の役割を果たしたのか。来馬はほっと胸を撫で下ろした。
     僕の声が聞こえたんじゃなくて良かった。
     二宮の名前を呼んだのは、あの距離で聞こえるはずもない小さな声だった。それでも、自分でも驚くほど頼りなく、心細そうに二宮の名前を呼んだあの声が聞こえてなくて良かったと、来馬は安堵していた。
    「急に振り返ったから、びっくりして……」
     不意に、顔に何かが触れた。驚いて顔を上げると、二宮の手が来馬の耳の横に添えられ、その親指が来馬の目尻をそっと撫でている。じっと自分を見下ろす二宮と視線がかち合って、来馬は動揺した。
    「……ゴミがついてた」
    「えっ、あ、うん。……ありがとう」
     二宮の手はすぐに来馬から離れて、いつものようにボトムスのポケットの中に収まった。
     ――来馬にとっても、二宮は特別なのか?
     太刀川の言葉がまた頭を過ぎる。
     会えなくて寂しい。もっと一緒にいたい。話ができると嬉しい。触れられると心臓が飛び出るんじゃないかと思うくらいドキドキする。
     自分がそんなふうになるのは、二宮だけだ。
    「行かないのか?」
     その場に立ち尽くしていた来馬は「鈴鳴支部に行くんだろ?」という二宮の声でようやく我に返った。
    「うん。行かなきゃ……」
    「送っていくか?」
     そう言った二宮のポケットの中から、金属音が聞こえる。二宮は駐車場に向かうところだったのだろう。
     大学生になってから免許と車を手に入れた二宮は、しばしば自分の用事のついでだと言って来馬を目的地まで送ってくれる。素直にお願いすると二宮の機嫌が良くなることを知っていたので、いつもは二宮の申し出をありがたく受けていた。しかし、今は明確な理由も提示できないまま、ただやんわりと断った。
     これ以上二宮と一緒にいると、自分の心臓の音が聞こえてしまいそうな気がしたから。


    ***


     その日、ランク戦を終えて飲み物を買うために自販機に向かった来馬は、先客の姿を認めてギクリと体を強張らせた。B級部隊の作戦室が並ぶエリアだ。ここにいてもおかしくはない。向こうも来馬に気付いたようで、今更来た道を戻るのは不自然すぎる。来馬は突然激しく主張し出した心臓の音を意識しないようにしながら、自販機に近付いた。
     どうして会いたくないときに限って会ってしまうんだろう。ついこの前、会う時間が減って寂しいという気持ちを自覚したばかりなのに、自覚したら会いたくなくなるなんて、おかしな話だ。
    「お疲れさま」
     声を掛けると、自販機の取り出し口から紙コップを持ち上げた二宮が「ああ」と短く答えて来馬に場所を譲った。ふわりとコーヒーの匂いがする。来馬は一先ず購入する飲み物を迷っているような仕草をしたが、自販機のラインナップなど全く頭に入ってこなかった。
     二宮はといえば、すでにここでの目的を達成したはずなのに、何をするでもなく来馬の隣に立っている。特に急ぎの用事はないのだろう。世間話でもどうだと言っている。いや、口には出してないが、そういう意思表示だということを来馬は理解していた。
     話題。話題を探さないと。いや、昔から一緒にいても二宮は口数が多い方ではないし、今も話すことがなければそれはそれでいいと思ってるはずだ。……僕、なんでこんなに焦ってるんだろう。
     いつまでも自販機の前に突っ立っているわけにもいかず、たまたま指先に位置していたボタンを押した。ミルクティーだ。コーヒーが飲みたかったんだけど、まあ何でもいいか。
     取り出し口の中で紙コップに注がれていく液体を眺めながら、来馬は丁度いい話題を一つ思い出した。ランク戦が始まる直前に届いていた連絡で、来馬もまだ詳細を確認していない。「そういえば」と声を上げると、二宮の視線が自分に向いたのがわかった。その目を見ることができず、二宮の肩のあたりに視線を彷徨かせる。
    「飲み会の連絡、来てたね。お店決まったって」
     それは諏訪か風間が月に一回は声を掛けて開催される飲み会で、数少ない二十歳以上のボーダー戦闘員は自動的に頭数に入れられているものだった。来馬は防衛任務などの予定が入っていなければ極力参加するようにしていたし、二宮も意外なことに出席率は高い。
    「どうせいつもの店だろ」
    「いや、違うみたい。本部からちょっと遠い所」
    「珍しいな」
     来馬は二宮といつものように会話できていることにホッと胸を撫で下ろしながら、ポケットに入れていたスマホを取り出した。店の場所を確認するため、送られてきたメッセージを開こうとスマホの画面に指を滑らせる。すると、左肩に何かが触れたのを感じて心臓がドクンと脈打った。
     二宮が肩越しに画面を覗き込もうとしている。その肩なのか、腕なのかが来馬の左肩に僅かに触れていて、じんわりと熱を帯びた。俯いている来馬にははっきりとは見えないが、おそらく自分の顔のすぐ横に二宮の顔が近付いているだろう。
     あれ。いつもこんな距離だったっけ?これって普通?いや、普通ってなんだ?気にしすぎ?自意識過剰?
     内心ほとんどパニックに陥っていた来馬は、とにかくまず左肩の熱をどうにかしようと体を捩り、自分の判断ミスに気付いた。自分の目の前には自販機があり、背後には二宮がいる。左肩のことばかり考えた結果、十分な距離が取れないまま二宮と向かい合う形になってしまったのだ。思っていた以上に二宮の顔は近くにあって、この場で初めてまともに目があった。
     足を一歩ずつ後ろに引けばいい。そうすればちゃんと距離を取れる。頭ではわかっているのに、焦って足がもつれてしまい、体勢を崩した。転ぶ、と思ったが、来馬の体が床に落ちることはなく、代わりに何か液体のような物が床に溢れる音がした。二宮が手にしていた紙コップを落としたのだと気付いたのは、その両手が自分の体を支えてくれたのだと認識したすぐあとだった。
    「……大丈夫か」
    「ご、ごめん」
     体勢を整えようとした来馬だったが、もう転ぶ心配はないというのに、二宮が手を離そうとしないので抱き止められたまま動けなかった。
     なんだ、この体勢。どうするのが正解?
     真っ直ぐ自分を見つめる瞳から目を逸らすことができない。何を言えばいいのかもわからない。なんとか絞り出すように「二宮」と名前を呼んだときだった。
    「来馬君」
     廊下に響いた凛とした声に、来馬はハッと我に返った。そこでようやく二宮の手が離れ、二人の間に自然な距離ができる。
     二宮の肩越しに顔を出して声の主を確認すると、来馬はほっと表情を緩ませた。
    「加古さん」
     加古はまるでそこに二宮が存在しないかのように一直線に来馬に近寄ると、その肩を抱いてにっこりと微笑んだ。
    「いま時間あるかしら?ちょっと話したいことがあって、これからお茶でもどう?」
    「えっと……」
    「大丈夫よね。行きましょうか」
     返事を待たずに話を進める加古に困惑しつつも、来馬は促されるままに作戦室の方へと歩き出した。
    「おい、加古」
     そこで二宮がようやく非難めいた声を上げたが、加古は気に留める様子もない。一瞬チラリと振り返ると、二宮と床を一度ずつ見た。
    「二宮君、それちゃんと片付けてね」
     加古の一言は、転びかけた来馬を助けるために二宮が手放したことで床に溢れたコーヒーを指していた。加古の手に押されるままその場を離れた来馬は、二宮のコーヒーのことも、自分が買ったミルクティーが自販機の取り出し口に置いたままであることもすっかり忘れていた。

     二宮が追い駆けてくる様子がないことがわかると、来馬は隣を並んで歩く加古に尋ねた。
    「あの、加古さん。話って?」
    「ごめんなさい。それは来馬君をあそこから連れ出すための口実なの。来馬君、困ってたみたいだから」
    「えっ?」
     加古は「違った?」と言って、驚く来馬にちらりと視線をやる。来馬は何か言おうと開いた口をすぐに閉じた。
    「鈴鳴第一の作戦室にお邪魔していい?」
     加古の申し出に来馬は黙って頷く。鈴鳴第一のメンバーはランク戦終了後、各々の本部内で予定があってすでに解散していたため、今は無人だ。
     鈴鳴第一の作戦室に来客をもてなせるスペースはない。仕方なく部屋で唯一の長椅子に加古を座らせると、来馬は自分もその隣に腰を下ろして話し始めた。
    「……僕、この前からなんだか変なんだ。二宮と一緒にいると、すごく緊張するようになっちゃって。こんなこと今までなかったのに」
    「二宮君に何かされた?」
    「まさか。二宮は何も。僕が……」
     そこまで言って、来馬はハッとした。二宮は何も変わってない。変わったのは、自分だ。
     来馬は自分と同じくボーダーの戦闘員で、同学年の加古、太刀川、堤の三人が自分にとって「特別な友人」の枠に入っていると認識している。他の学年と比べると頻繁に行動を共にするような仲ではないが、気の置けない関係を築けているという点で、来馬にとっては特別だった。
     では二宮も同じなのかと考えると、そうだと言うことができなかった。しかし特別な存在であることは確かだろう。では自分にとって、特別な何なのか。その答えを探そうとすると、心が酷く乱れる。
    「僕は……」
     言葉に詰まり、腿の上で握り締められた拳に力が入る。その手に加古がそっと触れた。
    「大丈夫。答えが出るまで、そう時間はかからないと思うわ」
    「……どうしてそう思うの?」
    「来馬君はちゃんと答えを出せる人だから」
     加古は「この話はこれでおしまい」とでも言うようににっこりと微笑むと、大学近くに出来た新しいカフェの話を始めた。来馬をお茶に誘いに来たのは本当のことだったらしい。


    ***


     隊長不在の二宮隊作戦室で犬飼に引き留められた来馬は、待つ口実ができて嬉しいような、今すぐ立ち去りたいような、そんな相反する気持ちを抱えたまま動けずにいた。そうこうしているうちに、自販機に二人分の飲み物を買いに行った犬飼が戻ってきたので、差し出されたコーヒーをぎこちなく受け取る。
     お茶をしませんかと誘ったのは犬飼だったが、飲み物の代金を出したのは来馬だ。犬飼が律儀に再び「ごちそうさまです」と礼を言ったので、思わず笑みをこぼした。
     コーヒーを口にしながら、来馬は先日買ったまま自販機に置き忘れたミルクティーのことを思い出した。コーヒーの片付けも二宮に押し付けてしまったことに気付いたのは、あの日の夜になってからだった。メールで謝ったところ、「気にするな」とだけ返ってきたので結局ミルクティーの行方はわからない。
    「俺が知る限りじゃ、来馬先輩くらいですよ。そんなことしてるの」
     ぼんやりとコーヒーに目を落としていた来馬は、一瞬何を言われたのかわからず首を傾げた。
    「え?」
    「二宮さんが欠席した授業のフォローですよ」
     犬飼が指差した先には、来馬が持って来た紙の束がある。今日、二宮が防衛任務のために休んだ授業で配られたレジュメだ。それを元にした課題が出されたので早めに渡したほうがいいだろうと連絡したところ、本部にいるというので自分が取っている授業が終わってからそのまま来た。二宮には明日でもいいと言われていたが、明日だと来馬のほうが都合が悪く、渡すタイミングがなさそうだったからだ。
    「太刀川と堤は学部が違うからね」
    「へえ。そうだったんですね」
     共通科目の多い一年次であれば学部の違う太刀川や堤とも一緒に取っていた授業はあったが、専門科目が増える二年次になってからはすっかりなくなった。しかし、そういう来馬も二宮とは学部こそ同じだが学科が異なるため、共通する授業は少ない。今日の授業はその数少ない一つで、自然とお互いにフォローし合っていた。
    「二宮さんもこういうことするんですか?」
    「もちろん。僕が休んだときのノートをコピーさせてくれたり、課題の情報をくれたりするよ」
    「それは来馬先輩だからな気がしますね」
     犬飼の言葉に来馬は一瞬だけ顔を強ばらせたが、すぐにいつもの笑みを浮かべた。
    「……二宮は優しいし世話焼きだから、僕以外にもすると思うよ」
    「二宮さんのことを優しいって言うの、来馬先輩くらいですよ」
    「犬飼君はそう思わないの?」
    「いえ。俺らにとっても優しい隊長ですよ。世話焼きなのもわかります。時々ちょっとズレてることもあるけど、そこもかわいいというか」
     少し前の自分なら、そうだよねと同意して笑えたはずだと、来馬はどこか冷静に思った。
     二宮のことを「優しい」と言うと、大抵の人には否定的な反応をされる。二宮は不遜に思える言動が目立つだけで、他者への敬意や思いやる気持ちをしっかり持っている人間だと来馬は思っている。その優しさが理解されづらいのは、本人の不器用さゆえだ。
     だから、二宮の部下である犬飼がその優しさを理解していることを友人として喜びたかった。それなのに、今はただ胸が軋むような痛みを訴える。
    「来馬先輩?」
     突然黙り込んだので不審に思ったのだろう。様子を伺う犬飼と目が合った。何か言わないと。そのとき作戦室の扉が開き、来馬は思わず息を呑んだ。
    「来馬」
     扉の前に立つ二宮のほんの少し大きく見開かれた目が、どうして待っていたのだと言っているのがわかった。連絡したときに、レジュメは隊室に置いて行ってくれて構わないと言われていた。
    「お茶に誘われたんだ」
    「……犬飼」
     二宮は咎めるような視線を犬飼に向けた。
    「だって、みんな居なくて暇だったんですもん」
    「楽しかったよ。誘ってくれてありがとう」
     退室の意思表示として自分の鞄と飲み残したコーヒーの紙コップを手にすると、犬飼はきちんと理解したようだった。
    「またお喋りしましょうね」
    「うん。じゃあ、僕はこれで」
     そこで二宮と目が合ってしまい、来馬は一瞬怯みつつも先ほどまで自分が座っていた場所を指差した。
    「レジュメはテーブルの上に置いておいたから。もし課題で困ったことがあれば連絡して」
    「ああ。助かった」
     作戦室を出た来馬は、安堵してほっとひと息ついた。普通にできたはずだ。大丈夫。
     今日はこれ以外、本部に用事はない。しかしせっかく来たのだから、鈴鳴第一の作戦室の掃除でもしておこうか。そんなことを考えてゆっくりと歩み出したとき、背後の扉が開く音がしてぎくりと体を強張らせた。
    「待て、来馬」
     呼び止められて、振り返る。自分を見下ろす二宮の表情からは、何を考えているのか読めなかった。
    「どうかした?」
     平常心でいたつもりだったが、声が僅かに震えてしまったかもしれない。二宮が僅かに眉を顰めた。
    「何かあったのか?」
    「え?」
    「お前の様子が、いつもと違う」
     二宮に気遣われているのがわかって、胸のあたりがじんわりと熱を帯びた。続いてカッと目頭が熱くなり、決壊しないように必死に堪える。すると、不意に先ほどの犬飼の言葉が頭を過ぎった。
     ――俺らにとっても優しい隊長ですよ。世話焼きなのもわかります。
     胸の熱が一気に冷えて、ズキズキと痛み出した。
     そうだ。この優しさは、自分にだけ見せているわけでも、自分だけが知っているものでもない。誰よりもそれをわかっていたはずだ。それなのに、どうして今更傷付いているのだろう。
    「……何も」
     よほど何もないはずがない顔をしていただろう。二宮が珍しく食い下がった。
    「どこがだ。そんな顔してねえぞ」
    「本当に、何でもないから」
     突き放すような声が出た。そのときにはもう二宮の顔は見れなくて、二宮が小さく「そうか」と呟くや否や素早く背を向けた。それじゃあ、と口にしたつもりだったが、声に出せていただろうか。
     歩き出した来馬を二宮は追い掛けなかった。自販機の前で別れたときと同じだ。
     そこで気付いた。あのときも今も、自分は二宮に追い掛けてほしかったのだと。これ以上追求されたくないのに、食い下がって、全部暴いてほしかった。


    ***


     目を覚ますと見慣れない部屋にいて、本当にこういうことってあるんだなあ、と来馬はぼんやり考えていた。自分の身に降りかかることはないと思っていた事態だ。それでも不思議と不安にはならなかった。
     ひとまず今夜の出来事を順を追って振り返ってみる。鈴鳴支部での仕事が伸びたため、先日参加を表明した飲み会に一人遅れて参加した来馬は、すでに出来上がりつつあった諏訪と風間の二人に挟まれることになった。普段の来馬は、飲みの席でそれほど酒を飲む方ではない。だが今夜は違った。そのことに両サイドの二人が気付かないはずもなく、気を良くした二人と「楽しい時間」を過ごすことになる。
     いつもは意識的に越えないようにしているラインを一度越えてしまえば、もう己ではどうにもできない。何度か二宮が声を掛けてきたようだったが、諏訪と風間の双璧に阻まれてその都度退却していた。記憶はそこまでだ。来馬はいま、自分のものではないベッドの上で横になっている。足元の方にある引き戸から光が漏れていて、部屋の主が戸の向こうにいるのがわかった。
     来馬はそこにいるのが誰なのか、わかっていた。見慣れないベッドルームだが、壁に掛けられたジャケットや鞄など、主を連想させるアイテムがいくつかあるし、なによりこの部屋の匂いを来馬は知っている。高校時代から変わらないそれは、一人暮らしを始めてからも実家と同じ柔軟剤を使っているからだろう。
     来馬はそうであってほしいと思っていた。アルコールが回って思考がおぼつかなくなっていく中、もしこのまま意識を失ったら誰かが面倒を見てくれることになるだろう。それはどうか、彼であってほしいと。
     ベッドルームの扉を開けると、そこは来馬も見覚えのあるリビングで、部屋の真ん中に置かれたローテーブルとソファの間に座っていた二宮が顔を上げた。
    「起きる気配がなかったから、勝手に連れて来た」
     そう言って来馬の様子を伺うようにじっと見つめる。
    「具合は?」
    「……だいじょうぶ」
     ああ。いまどんな声だっただろうか。心臓のあたりから上へ上へとじわじわ熱が這い上がっていくような感覚を覚える。
    「何か飲むか?シャワーを使いたかったら使っていいし、寝直すならそのままベッドを使え」
     二宮とこうして対面するのは作戦室まで授業のレジュメを届けに行った以来だ。自覚するほど変な態度を取ったというのに、二宮はそんなことなど記憶にないかのようにいつも通りだった。
    「来馬?」
     ベッドルームの前で立ち尽くす来馬をいよいよ不審に思った二宮が立ち上がった。
    「どうした?」
     近付いてくる気配に思わず足を引いて距離を取ろうとしたが、特別広いわけでもない室内では数歩で簡単に捕まる。その場に座り込んだ来馬に合わせて、二宮も床に膝をついた。
    「おい、大丈夫か?」
     体調を心配する声に、ただ首を横に振る。
     ひどい顔をしていると思う。顔を隠したくても自分の腕は二宮につかまっていて叶わない。手を振り解こうとすると、逆に強く握り込まれてそれ以上動かせなかった。
    「……ごめん。僕、最近ずっと態度が変だよね」
     二宮の指先が僅かに震えたが、それだけだった。先ほどまで来馬の反応を気にせず話しかけてきていた二宮が黙り込んでいる。二宮の口数が少なくなるのも、返答に時間がかかるのもよくあることで、これまで気にしたことなどなかった。それなのに、今はこの沈黙がただただこわい。
     時間にしてせいぜい十数秒程度のはずだが、もうずっとそうしているような錯覚を覚えた頃だった。顔を見なくても二宮が話し始めようとしているのが気配でわかって、来馬はぎゅっと目を強く閉じた。
    「変だとは思ってない」
     腕を掴んでいた二宮の手がいつの間にか下に滑り落ちていて、指先にそっと触れている。来馬はそれを薄目で見た。
    「意識されている、とは思う」
     ゆっくりと、どこか諭すような声だった。来馬は弾かれたように顔を上げたが、自分を見つめる瞳に耐えきれずまたすぐ目を伏せる。
     気付かれていた。何に気付かれていたのか自分でも説明できないまま、それでも「意識されている」という二宮の言葉はしっくり来た。
    「……この前、太刀川に言われたんだ。二宮は僕のことを特別扱いしてるって。僕はそんなことないって否定したのに、本当はそうであってほしいと思ってた。こうやって二宮が優しくしてくれるのも、一緒にいてくれるのも、僕だからだって」
     自分で言葉にしているのに、頭の中ではそうだったんだ、と驚いている自分がいる。来馬は指先の熱に促されるように言葉を続けた。
    「僕が一緒にいてこんなに嬉しいのも、こうして触れられてドキドキするのも、二宮だけなんだ。僕が思ってるみたいに、二宮も僕のことを特別に思ってほしい。それって、友達なら普通のこと?」
     自分で疑問形にしたくせに、答えを聞きたくなくて耳を塞ぎたくなる。そのとき、先ほどまで指先に触れていた二宮の手がいつの間にか離れていることに気付いた。
    「普通でも、普通じゃなくてもどっちでもいい」
     ひどく優しい声が、これまでで一番近くで響いた。その理由を考える間もなく二宮の両手が頬を包み、視線を合わせるように持ち上げる。気付いたときには互いの鼻先が触れそうな距離に二宮の顔があって、呆けたような声が出た。
    「……にのみや?」
    「嫌なら殴ってでも止めろ」
     そう言い放った唇が、そっと額に触れた。キスされているのだと気付いたのは、額に続いて目尻に吸い付いた唇が頬に落とされた後だ。
    「……止めないのか」
     頬と頬が触れ合った状態で発せられた声が鼓膜に響いて、体がぞくりと震えた。恐怖ではない。これは、歓喜だ。
    「いや、じゃない」
     二宮の顔が再び真正面に来て、最終確認のように鼻先が触れ合っても、来馬は逃げなかった。二宮の唇が慎重に来馬の唇に触れる。ただ触れただけですぐに離れようとしたそれを無意識に追いかけると、二宮の口の端が僅かに上がって、もう一度、今度は熱を移すように深く唇を重ねた。
     吐息が唇に触れる。互いの表情がわかるくらいの距離まで離れて、来馬はその日ようやくまともに二宮の瞳を見た。
    「好きだ、来馬。こうして触れて、抱いて、全部俺のものにしたい。そういう好きだ。お前は?」
     二宮の言葉が胸にすとんと落ちて、そうか、と納得した。目の前が開けて見えるというのは、こういう感覚なのかもしれない。
    「僕も、好き。ぼく、二宮が好きなんだ」
     ふ、と二宮が小さく笑った。
    「腑に落ちたって顔してるぞ」
    「だ、だって、本当にわからなかったから……」
    「そうだろうな」
     二宮はやれやれといった様子で来馬の体を抱きしめた。もしかすると二宮は自分の気持ちにはじめから気付いていたのかもしれない。そう思ったが、それを聞いて頷かれるとこの場でもう立ち直れない気がしたのでやめた。
    「今日はずいぶん飲んでたな」
     酒の匂いがするのだろう。首筋に鼻を寄せている二宮の吐息が肌に当たって落ち着かない。反射的に距離を取ろうと体を捩るが、二宮の腕から解放されそうにはなかった。
    「今日は、その……酔ったら二宮が介抱してくれるかなと思って……。というか、してほしくて試したというか……」
     一瞬、二宮の体が硬直した。それからたっぷり数秒、大きくため息を吐いた二宮の心境がわからず、来馬はただただ困惑する。
    「二宮?」
    「……今すぐ手を出したくなるようなことを言うな」
    「手?」
    「抱きたいって言っただろ」
     だきたい。二宮の言葉を頭の中にゆっくりと並べる。そこに含まれる意味がわからないほど来馬は無知ではない。しかし、ついさっき二宮にキスをされて、好きだと言われて、ようやく自分も二宮のことが好きだとわかったばかりだ。正直いまこうして抱き締められて体が密着しているだけでも心臓が飛び出るんじゃないかと思うくらいなのに、二宮の言う「抱きたい」を処理できる余裕はない。
     黙り込む来馬の背中を二宮の手が優しく撫でた。
    「わかってる」
     何に対する「わかってる」なのかははっきりとしないが、ともかく一足飛びに関係が進むことはなさそうだ。来馬の体の緊張が解けたのを見逃さず、二宮は一度腕を緩めて抱き直した。二人の上半身がさらに重なって、これ以上触れられるところはないのではないかと思える。
    「なんだか嬉しそうだね」
     来馬から二宮の表情は見えない。それでも、気配と言えばいいのか、あの二宮が上機嫌なのがわかった。肩口に顔を埋めていた二宮がふ、と笑ったのが伝わった。
    「当たり前だろ。好きなやつに好きだって言われたんだぞ」
     その声がいつもよりもふわふわとしているように聞こえて、二宮も今晩は飲み会の席でアルコールを摂取したはずであることを思い出す。
    「そっかあ」
     二宮は僕のことが好きで、僕も二宮のことが好き。「好き」の一言でここ数日のもやもやの理由を説明できるのだから、なんだか不思議だ。
     来馬はそこで初めて二宮の背に自分の手を回した。



     了
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