おはようの舞台裏で カーテンの隙間から射す光に朝を告げられ、疲れの抜けきっていない体を起こす。隣のぬくもりを見下ろせば、小さな体を規則正しく上下させ、すよすよと眠る愛おしい姿があった。よくもここまで無防備になれるもんだと思うが、それが、俺が俺である所以だった。そもそも、親友で、相棒で、そして家族のような関係の俺たちが、気の置けない存在なのは当然のことだった。安心しきった顔で眠るマーヴェリックは、俺が絶対に不埒な欲を抱かないのだと信頼している。それはマーヴェリックにとってもある種の絶望だった。俺のことが好きで好きでたまらないくせに、自分は選ばれることがないのだという、負の確信を抱いている。俺が明確にそんな宣言をしたはずはないけれど、全身で「そう」伝えているのを、マーヴェリックは正しく理解していた。そして何よりも安らかな寝息を立てて眠るマーヴェリック自身が、この関係を維持することを選択していた。
薄らと開いた唇から甘やかに漏れる息遣いを乱したくなる。
このままその唇を塞いで、お前の体から溢れる呼吸を奪ってしまえたら。
覆いかぶさるように体重を移動させればギシリとベッドが軋んだ。
うぅん、とむずがる唇は幼子のように柔らかでほのかな赤みを帯びている。そんなことはあるはずがないのだけれど、恰も穢れを知らないように無垢な姿を晒したそれが、いやらしく匂い立って俺を誘惑する。手の甲を滑らせた頬はなめらかで、しっとりとした感触に触れたくて手のひらで包む。親指で目元を数度なぞると、心なしかふにゃりと目尻が溶けたような気がした。
今、ここで、キスをしたら。
触れるほどに顔を寄せる。
俺のことが好きなんだろ。
何度口をついて零れそうになったかわからない。あからさまに向けられる好意が、それを隠そうとするいじらしさが、いつだって俺の胸の奥をくすぐった。「俺もお前を愛してる」なんて言ってやらないくせに。
なぁ、健気に下手くそな寝たふりを続けるお前が、何を期待してそんなことをしてるんだって思ったら、本当に愛おしくなるよ。
懸命に頑張るお前には残念な話だけど、赤らんだ頬とか、荒くなる呼吸とか、震える睫毛とか、そういったものが雄弁にお前の愚かな劣情を俺に伝えてくる。このまま気づかないふりだってできる。そうだ、お前のその哀れな熱に気づかずに、応えてやることだってできるんだ。
「マーヴ、そろそろ起きろよ」
息がかかるほどの位置でそう告げて、ゆさゆさと肩を揺らす。マーヴェリックの口からは寝惚けたような声まで白々しく聞こえて、そのわざとらしい演技に少しだけ笑った。がっかりしたような安心したような瞳を歪ませるように眉根を寄せたまま俺を見て、ぼんやりと「おはよう」を告げるお前に、「はよ、ねぼすけさん」なんて、俺も下手くそなアドリブを返して、くだらない朝の一幕を開けさせた。
―――
本当に、おれのおめでたい頭に嫌気が差す。
グースに、キスされるかと、思った。
そんなことあるはずがないのに、何を期待したんだろう。あのまま、胸座を掴んで口付けてやればよかった? それとも、寝惚けたふりしてそのままキスを強請ったってよかったかもしれない。
ばかみたいだった。こんな絵空事を考えるなんて、ティーンじゃあるまいし。キスのひとつやふたつにこんなにも心が掻き乱されることが信じられなかった。相手がグースだというだけで、すべてのくだらない物事が意味を持ってしまった。今の僕には、グースだけが大切だった。これから先も、ずっと隣で笑い合いたいと望む相手を、たかがキス一つで失うなんて愚かな選択ができるはずがなかった。どうしたって近い僕たちの距離には、踏み込めない領域があった。
バクバクとうるさい心音が体を打つ。縺れる舌で絞りだした「おはよう」は、確かに寝起きのように掠れていた。
―――
*ここから先if展開おまけ。作中途中から。*
今、ここで、キスをしたら。
触れるほどに顔を寄せる。
俺のことが好きなんだろ。
何度口をついて零れそうになったかわからない。あからさまに向けられる好意が、それを隠そうとするいじらしさが、いつだって俺の胸の奥をくすぐった。「俺もお前を愛してる」なんて言ってやらないくせに。
なぁ、健気に下手くそな寝たふりを続けるお前が、何を期待してそんなことをしてるんだって思ったら、本当に愛おしくなるよ。
懸命に頑張るお前には残念な話だけど、赤らんだ頬とか、荒くなる呼吸とか、震える睫毛とか、そういったものが雄弁にお前の愚かな劣情を俺に伝えてくる。このまま気づかないふりだってできる。 そうだ、お前のその哀れな熱に気づかずに、応えてやることだってできるんだ。
柔らかく食んだ唇を、ちゅ、と名残惜しむ音をさせて離す。
「マーヴ、起きてるんだろ」
気づかれた。いや、嘘だ。気づかせた。
俺が、お前と、同じ熱を宿していることを。
「マーヴ」
乱れた息を短く吐き出しながらどう反応するべきか逡巡しているマーヴェリックに、 もう一度声を掛けた。
「……マーヴ、まだ寝たふりを続けるのか?」
ちゅ、ちゅ、とあやすように数度唇を啄ばめば、諦めたのか薄膜の張る瞳が此方を捉える。
ほら。お前は、俺を拒絶できないだろ?
どうして、と問うお前に、好きだと伝える。「お前は俺のこと嫌い?」なんて、狡いよな。
お前が俺を嫌いだと言えないことを知っていて、そんなことを訊ねる。
ふるふると俯いたまま首を横に振るお前に、「じゃあ、好き?」と問えば、お前が動揺するのが分かった。
どうやって否定しようかって、俺を拒むにはどうしたらいいかって、回らない頭で考えてるんだろ。嬉しいくせに喜びをあらわにできないのは、却って残酷だった。
「なぁ、マーヴ。俺、お前のこと、好きだよ」
どうして、と繰り返すマーヴェリックの体がかわいそうなくらいに震えている。抱きしめてやりたかったのに、先に掴んだ手首を離すことができない。どうか俺から逃げないでくれ。
「お前のことが、愛しくて、たまんない」
だから、キスしたんだ。
「嫌だった?」
俺からの口付けを期待するお前は、すごくいじらしくて、可愛かったよ。
お前の答えなんて知っているのに、じわじわと追い詰めていく感覚が、肚の奥から悦びを湧きあがらせる。
なぁ、マーヴ、俺のこと「欲しい」って言えよ。
―――
逃げることができない。
グースに掴まれた手首から熱が広がる。滲む視界に、どうしてか涙が浮かんでいるのだと気づいた。それは紛れもなく喜びだった。
嬉しい、なんて、思っちゃダメなのに。グースの熱のひとかけらを分けてもらえたおれは、もうそれだけでは満足できなくなってしまったのだとばかになった頭で考える。キスのひとつやふたつじゃ足りなくて、グースのすべてが欲しくてたまらなかった。