指先と口づけ「あぁもう、泣くなよ」
「……泣いてない」
マーヴェリックの絞り出した声がやっぱり滲んでいるような気がして、グースは“泣く”ってどこからが“泣く”に該当するんだ? なんてどうでもいいことを考えた。赤くなった目元を潤ませて鼻をスンスンさせながら肩でどうにか息をしているのは泣いている状態に含まれるのか、ということだ。大きな瞳にじわじわと増す涙を湛えてはいるが、滑らかな頬を伝ってはいないから「まだ泣いていない」と言われればそうなのかもしれない。でも、
「泣いてるだろ……」
「だって、グースが、」
「俺が悪いって?」
ちがうけど、と不明瞭な声が返ってきた。小さな頭が俯いた先で、ぱたぱたと落ちる雫が足元を濡らしている。
「グースが、冗談だって言うから」
何の話かと一瞬記憶を巡らせて、つい今し方の話に思い至る。キスするとか、しないとか、どうのこうの。
「なんだよ、そんなに俺とちゅーしたかったのか?」
というかまだこの話を引っ張るのか。冗談で済ませておけばいいのに。
こうして茶化しているのだって、どちらのためかわからなかった。 マーヴェリックに逃げ道を作ってやるためなのか。或いは俺が、逃げ道を確保しているのか。
鼻を啜るマーヴェリックの拳が震えている。怒っているのかもしれない。いや、泣いているんだけど。
「おれは、真剣に、考えたのに……」
「何が……」
「おれは、グースとキスするの、ちゃんと考えた」
いい加減天を仰ぎたくなる。なんだそれ。俺とのキスをちゃんと考えたって?
「冗談って、言ってほしくなかった」
ばかだな、本当に。冗談じゃなかったら何なんだよ。冗談じゃなかったら、お前は、どうするんだよ。
「冗談じゃなくて? 俺はお前とキスすることを真剣に考えればいいのか? 俺が、お前と、キス出来るかって?」
言い含めるようなグースの物言いに、マーヴェリックは体を震わせた。不安と恐怖による動揺だった。
「おれ、は、」
「……俺は、お前にキス出来るけど」
グースはひとつ深い息を吐くと、怖がらせないように細心の注意を払いながらマーヴェリックを抱き締めた。軽い声を意識して「してもいい」と続ける。野生の獣を懐柔しようとしているみたいな愚かさだった。明け透けな下心が顔を覗かせる。
「なんならセックスも出来る」
「そこまでは聞いてない……」
「なんでだよ。俺がさっき聞いただろ。お前はどこまで許すんだって」
「でも、それは冗談だって……」
「マーヴ」
腕の中の体が跳ねたことで、己の声の真剣さに気づく。怖がらせるつもりはないけれど、拒絶させるつもりもなかった。
「冗談にしたくないんだろ」
「…………おれは、どうすれば、いい…?」
この期に及んで俺に全てを委ねる気でいるマーヴェリックの献身が胸を焦がす。お前は、俺が求めたらどこまで許すつもりなんだよ。
それでも不用意に傷つけるつもりは毛頭なくて、優しく背中を撫でてあやした。
「さぁ? とりあえず、ちゅーでもしてみる?」
予想通り頷いたマーヴェリックにどうしたものかと思案する。
お前にキスして、その後は? 俺はお前とセックスも出来るけど。
***以下、なんとなく続きっぽいもの***
マーヴェリックが頷いたのはグースの予想の範疇で、特に驚くことでもなかった。とは言え、とグースが躊躇したのは、本当にこのままキスをしたところで今度こそ冗談だなんてどうやって言い訳すればいいのかと逡巡しているからだった。
「グース?」
マーヴェリックは意志の強い眉尻を下げ、上目遣いにグースを窺った。ちらと見遣ってから忙しなく視線をあちこちに彷徨わせ、グースの次の動きを待つ。マーヴェリックの胸に膨らんだ期待が、少しずつ恐れに飲み込まれていく。
グースに、キスを、強請ってしまった。それはあまりにも愚かで、罪深いことだった。
「……」
沈黙が恐ろしかった。グースの言葉を思い出してみる。「ちゅーでもしてみる?」って、グースは聞いた。……本当に? 不安が胸を塗りつぶす。また、答えを間違えたんじゃないのか。おれが頷いたのはなんだったんだろう。
グース、と再度声を掛けようと口を開いたところで、それが音になる前にグースの大きな手のひらがマーヴェリックの柔らかな頬を包んだ。ほのかなあたたかさが心地好く、頬擦りをしてうっとりと目を細める。 やわやわと撫でる感触のくすぐったさに思わず口元を遊ばせると、グースの指先が微かに開いた唇をなぞった。
往復するグースの指を、粘膜で食むようにマーヴェリックの唇が捕らえた。何度も場所を変えながらふにふにと唇を押し潰す指を、その度にぬめる咥内に招こうと愛撫する。夢中になって食むうちに二本に増えていた長い指に、ちゅ、ちゅ、と吸い付いて、次第に舌を絡めて舐った。ぢゅくぢゅくと舌全体を使ってグースの指を唾液でびちゃびちゃに汚していく。いつの間にか喉を突くほど挿し入れられた指に舌の上を撫でられて汚い喘ぎと共に嘔吐けば、グースが苦笑しながらその指を引き抜いた。喉が鈍く痛む。
てらてらと唾液が光る指に、グースは自身の唇を寄せた。派手なアロハシャツで濡れた指を拭う。
「マーヴ、大丈夫か?」
「……へーき。ぁ、えと、…ご、ごめん、」
「は?」
謝られる理由に見当がつかず、グースは訝んでマーヴェリックを見遣った。また何か一人で見当違いなマイナス思考に囚われているんじゃないのか。しかしその疑間はマーヴェリックの赤く染まった耳と、バツが悪そうに逸らされる視線に霧散した。ほっと胸を撫で下ろす。
「あぁ、何。急に指フェラしてごめんってこと?」
明け透けに言えば、う、と詰まったような声が聞こえた。消え入りそうに「グースの指だったから」と告げられた理由は、ぼんやりと熱に浮かされたマーヴェリックから発された本音だったのかもしれない。なんにせよ。まぁつまり、それを謝ったらしい。
「それは別にいいけど」
グースはマーヴェリックの唇に指先を伸ばそうとして、止めた。さっきの二の舞になっては仕方がない。代わりに唇が触れ合う程に顔を近づけた。
「ちゅー、するんだろ?」
薄く開いたマーヴェリックの唇から、紅く蠢く舌先がちろと踊る。先刻絡んだ熱と弾力を思い出し、グースは喉を鳴らした。マーヴェリックの舌が強請る前に呼吸ごと唇を奪う。指先に感じた熱よりも熱いものが、互いの理性を溶かしていくようだった。