うたかたの幸福 ぐでんぐでんに酔っ払ったグースが幾度となく「かわいい」「好きだ」って言ってきて、それはいつもの冗談の延長なのに、そんな言葉に一喜一憂する自分がばかみたいで、本当に愚かしかった。
おぼつかない足取りのグースを彼の自室まで引っ張って帰るのはどうにも難しく、途中で面倒になって連れてきたのはマーヴェリックの自室だった。ベッドに放り投げようとして体格差に苦戦する。なだれ込むように巻き込まれてグースの腕に抱きかかえられる形でベッドにダイブした。二人分の重さを一身に受けたスプリングが大袈裟な悲鳴を上げた。
腕の中から逃れようとして「マーヴ、好きだ。愛してる」なんて譫言に力が抜ける。ますます逃げるべきだとわかっていた。貞操の危機とかそんな問題じゃない。逃げ出したくないと思ってしまうから、逃げるべきなのだ。全てが、冗談で済むうちに。
「――お前の体が他の奴の目に触れるのも嫌だ。お前は俺のものなのに」
「ははっ、なんだよそれ……、そんなの、」
「俺のマーヴだろ?」
拗ねた声に絆される。普段のグースより幼気に聞こえるのが、気を許されているようで少しくすぐったい。
「…………そうだよ。おれは、グースのものだ」
「だよなぁ」
気を良くしたグースの拘束が緩んだ拍子に顔をあげると、綻んだ表情がマーヴェリックを見つめていた。「かわいいかわいい、俺のマーヴ」と子供をあやすような声がやわらかく響く。恥ずかしさと居たたまれなさを隠すようにもう一度グースの胸元に顔を埋めた。直前に見た瞳の強さが脳裏に焼き付いて高鳴る胸がドキドキとうるさい。嬉しい、なんて思ってはいけないのに。
すっかり酔いの回ったグースから何度も聞かされた「かわいい」「好きだ」の言葉の真意を測りかねている。酔っ払いの戯言を真に受けてどうする、とマーヴェリックは己に言い聞かせた。特別な意味を持たないであろうそれに、どれだけ縋るつもりでいるんだ。
「マーヴ」
甘えを含む声とともに熱を持つグースの手に促されて再度顔を上げさせられた。大好きなブラウンの瞳が細められ、愛おしさを湛えて柔らかく緩む。頬を撫でる手のひらの意味がわからなくて、揺れる視線を絡めた。
「マーヴは俺のこと、好き?」
「………っ、」
「嫌い?」
「………す、き、」
「じゃあ、キスしていい?」
頷いたつもりはなかったのに、気がつけばグースの唇が触れるほどに近づいていた。きっと無意識に頷いたに違いなかった。ずっと焦がれていたものが、この一瞬だけでも手に入るのかもしれなかった。
―――
「マーヴ。俺は、お前のことを、」
誓いに似た言葉とともに触れる唇は甘美だった。恋人にするみたいに啄んでは離れる口付けが、戯れるように繰り返される。もっと深くに味わいたくて唇を寄せて追いかければ、食らわれるようにグースのそれに覆われた。
薄く開かれた咥内は抵抗する意思など一欠片も見せることなく、グースの熱い舌に犯されることを悦んでいた。舌先で歯列をなぞられ、ねっとりと粘膜を舐られる。チュクチュクと濡れた音に混じって、どちらのものかわからない荒い息遣いが響いていた。
「…は、ぁ、マーヴ、……なぁ、俺に、……お前を幸せにさせて」
「っ、ん、…ぁ、……ぐー、す、……ッ」
「お前を幸せにするのは、俺がいい」
ヂュッと強く舌を吸われるとビクビクと痺れるような快感が駆け巡った。たかがキスひとつで気持ちよさに力が抜けてしまった体をそのままくったりとグースに凭れさせる。唇を交わす相手がグースというだけで、背徳感に多幸感が上塗りされていった。
「ん、…は、ぁ、……ぐーす、おれ、」
呼吸が整わないままでは気持ちひとつ満足に伝えられない。舌足らずに紡いだ 言葉が途中で意味を成さなくなる。
「マーヴ、かわいい」
愛おしむように触れるだけのキスが顔中に降ってくる。グースの優しい口付けとは裏腹に、マーヴェリックは己が抱くものが薄汚れた熱だと知っていた。下腹が疼くのを感じる。もっと、グースが、欲しい。
押し付けられた腰に気づいたグースが喉の奥で笑った。言葉で強請れないなら浅ましい態度をとっていたことを自覚してマーヴェリックの顔が火照る。目尻の熱さに自然と視界が潤んだ。
「もっと欲しい?」
コクコクと首を縦に振る。今度こそ自分の意志だった。
あぁ、さっきは、ほんとうに、頷いたんだっけ。
「グースが、ほし、い……おれ、ぐーすが、もっと、」
「もっと? そっか。じゃあ、俺はどうしたらいい?」
「…、ぁ、っは、ぁ、もっと……」
「マーヴ。俺にどうしてほしいんだ?」
教えて、とグースの声が吐息とともに弱い耳元から直接鼓膜を揺する。知らずに内股に力がこもった。はしたなく体がグースを求めている。胎の中から全身を満たしてほしい。
もっと。
もっと、
「やらしー顔」
酔っ払っているはずのグースの手のひらがはっきりとした意志を持って全身に纏わりつくのを感じるけれど、霞みがかった意識の向こうで現実味がなくなっていく。ぼんやりとした視界に映るグースの瞳だけがギラついた鋭さを光らせていた。
酔っているのはおれの方だったのかもしれない。
もう、ずっと、幸福な夢の中みたいだ。