まどろみをきみに「ぐーす、」
まどろみと幸福の中で舌にのせたコールサインの、舌足らずで甘やかな響きが好きだ。
「ん、どーした? まだ早いぞ」
腕に抱いたぬくもりを起こさないように身じろぎをしたところで胸元から声をかけられる。もぞもぞと動く小さなかたまりの衣擦れの音が薄暗い朝に広がった。太陽はそろそろ顔を出す頃だが、せっかくの休日に早くから起こすのも忍びなくて、もう一度寝かしつけるように背中をぽんぽんと撫でる。んぅ、とむずがりながら額を押し付けてくるマーヴェリックの湿った吐息が仄かにあたたかい。
「でも、ぐーす、おきる?」
ぐりぐりと額で胸板をくすぐりながら発された声はくぐもっているものの、その色は甘えた響きを帯びていた。こんな姿を見ることが出来るのは自分の特権なのだとグースの心に安心と充足が広がる。
きっと普段のマーヴェリックの態度からは、こんな甘える姿なんて誰も想像ができないんじゃないか。
―――
グース自身、マーヴェリックがここまで甘えてくるようになったことは想定よりもやや外れていた。誰とも群れず、尖った性格で周囲に溶け込めない男。我が道を行く孤高の一匹狼。そんな天才パイロットがマーヴェリックだった。父親が起こした事故のこともあり、海軍内では誰もが彼を厄介者として、或いは腫物に触るように接した。勿論そんなことはグースももとより知るところだった。秀でた情報収集能力や耳の早いことが理由ではなく、軍内にいれば否が応でも気がついてしまう。マーヴェリックという、異質な男の存在。
それでも、マーヴェリックの専属RIOになりたいと志願したのはグースからだった。操縦技術に惚れたのは間違いない。存外熱くて仲間思いの一面があることも、何度か組んでみて知ったことだ。技術や知識、戦略だって申し分ないのに、誰もこの男を存分に飛ばすことができていないという事実も歯痒かった。俺だったら、もっと自由に飛ばせてやれるのに。軍の中で敵の多いマーヴェリックを守ることだって、顔の広い自分にはうってつけの役割じゃないのか。
専属でコンビを組むようになってからまたひとつ知ったのは、マーヴェリックの心に潜む孤独と、傷ついたまま癒されていない幼さだ。
少しずつ解かれていったマーヴェリックの心が、そうして少しずつ自分に依存していくのをグースは感じていた。
気づいていながらそれを許したのは、本能的に抱く征服欲や、支配欲に似ていたのかもしれない。誰にも理解されない優秀なパイロットが、自分だけを頼って、依存して、甘えを見せる。なんていじらしくて、愛らしいのか。
とは言え、グースに潜む暴力的な欲はすっかり満たされて、疾うに鳴りを潜めている。あとひとつ残された優しくてやわらかな独占欲が、マーヴェリックを誰の目にも触れさせずに甘え続けさせようとする。
―――
「メシ、軽く何か作ろーと思って」
「なにつくる?」
ぼんやりと口にする問いは、もしかしたらまた夢の中に誘われているのかもしれない。マーヴェリックが見せる安心した幼子のような仕草は、いつだってたまらなくグースの庇護欲をくすぐる。
「何が食いたい?」
小さな子供に話しかけるようにゆっくりと続ける。本当はこの男に肉欲すら抱いているのに、同時に幼子に向けるような慈しみの愛情まで抱いている。相反する感情の、どちらも本物だった。
「……ぐーす」
「はは、何だよ。俺を食うのか?」
「ん……」
はふ、とシャツ越しにマーヴェリックの唇が押し付けられる。こんなことをされては引き剥がしてベッドを後にすることも心苦しい。
「メシは? いらねーの?」
「あとで、おれも、てつだう、」
「本当か?」
うん、と小さな声が溶けていく。幼い我儘で、ぎゅう、と抱きつかれては身動きができるはずもない。今日は休日なのだから、寝過ごしたって問題もない。いろんな理由を探して、腕の中の小さな体を抱きしめる。ほっと預けられた体の重みが心地好い。
「しょーがねーなぁ……」
今はもう少しだけ、二人で自堕落なまどろみを過ごすことを許した。
―――
「グース、腹減ったんだけど」
ペチペチと顔をたたく感覚に目を覚ます。抱きしめられたままのマーヴェリックが腕の拘束から逃れようともがいていた。
「トイレにも行きたいんだよ。なのに、グースがずっとぎゅーってしてるから」
漏らすかと思った、という声に背中に回していた腕を解いてやれば、ベッドを降りてパタパタと部屋を出ていく小柄な後ろ姿。それさえ可愛いのだから、どうしたって甘やかしてしまう。
腹が減ったと言っていた。何か、作ろう。
「おい、マーヴ。お前も手伝うって約束だろ」
「え? なんで?」
「お前がそう約束したの!」
「はぁ? そんな記憶ないけど……」
訝しみながらもぴょこぴょことキッチンに顔を見せにきた姿なんかは本当に子供みたいだ。どうせマーヴェリックに任せたところで食べ物は出てくるが料理らしい料理は出てこないので結局作るのは自分の役目なのだけれど、愛おしい姿がそこにあるだけで――。
「マーヴ、邪魔」
「おれも切ったり焼いたりくらいなら出来るのに」
後ろからグースをハグしたマーヴェリックが、カリカリになるベーコンを見て拗ねたように言った。
「うん、でも俺、今日は料理されたものが食べたいから」
「うん?」
「お前のは、切ったり焼いたりしたもの、だろ」
「グースの料理も人のこと言えねーだろ!」
ぽこぽこ怒りながらも、ぎゅうと抱きしめたまま離されない腕に絆される。好きなだけ甘やかしてやりたい。
「ほら、危ないから離れてろ」
「でも、おれも手伝うんだろ」
まさか手伝っているつもりでハグをしていたのか、と思い至る。そんなことをされては叱ることも難しい。
クス、と苦笑ともつかない柔らかな笑みの吐息が漏れる。
「……じゃあ、皿持ってきて。あと、トースト食いたいだけ焼いとけ。できるか?」
「おう! 任せとけ!」
腹に回されていた子供じみた拘束が解かれて、背中のぬくもりが離れていく。手伝いを命じられて余程嬉しいのか、少し音程のずれた鼻歌に混じった軽い足取りが耳に届いた。
あぁ、両手が塞がっていなかったら、いいこだ、って頭を撫でてやったのに。
ブランチが終わったら、思いきり抱きしめて褒めてやりたい。褒める理由なんて何でもよかった。お前が焼いたトーストが美味かった、なんてくだらないことで構わないんだ。