平日痩身虚弱な吸血鬼が、独り寝の人間に身を寄せる季節がやってきた。
色めいたふうにも聞こえるが、実際は季節の変わり目暑さ寒さの微妙な頃合いに、暖を求める同胞が爆睡中の人間の横に寝転がり、小型電子機器での遊戯に耽るだけである。
豊かな体躯の人間は、同胞にとって暖房のごとき熱を発しているらしい。
吸血鬼退治人を生業とするこの家の主の人間は、酔狂にも高等吸血鬼を同居人とし、その手料理を食べ、その横で就寝する。
退治人として危機感がないのか、自信家であるのか、はたまた。
今日も「ゴリラの排熱利用〜」などと呟きながら同胞が黒衣のままゴロリと人間の横に寝転がった。
痩身の吸血鬼が横を陣取っても揺らがぬ体躯の人間の胸は、規則正しい呼吸で上下している。
初めの頃の人間は飛び起きて横の吸血鬼を払い除け、驚いて死んだ同胞の砂にまみれた寝床に発狂していたが、夜半に勝手に暖房をつけ光熱費を上げられるよりはと、身を寄せられるのを渋々受け入れたようである。
それでも勝手に己で暖をとられるのは腹に据えかねるのか、遠慮なく寝返りをうち堂々たる腕や足をぶつけ同胞を砂にしていた。
どちらにしろ寝床は砂まみれである。
寝ている布団が砂場となるのは人間には不快であるし同胞は落ち着いて遊戯に興じられぬとあって、お互い喧々諤々のくだらぬ諍いをしていたが次第に折り合いはついていったようである。
最近は寝床が砂場にならずに済むことの方が多い。
液晶画面の光が届かぬよう人間に背を向け忙しなく指先を動かす同胞の胸に、よちよちとやってきたその使い魔であるアルマジロが潜り込む。
何事かやりとりをしているのか、使い魔を抱き込んだ同胞の肩が笑うように震える。
密やかな囁き声は水槽の中までは届かない。
やがて液晶の上をチラチラと踊る指先も緩慢になってきた。
背の人間の熱と胸元の使い魔の温みで、とみに血の気の薄い同胞も温まり、眠りの淵にいるのだろう。
チカチカと光っていた電子の付喪も消灯し、マジロも同胞の白いヒラヒラを食みながら船を漕いでいる。
今日は寝落ちだな、と早々に朝のひと騒ぎを覚悟した。
人間の寝床で同胞が寝落ちた朝は、寝起きの人間の一挙一動や朝日に焦る同胞の挙動、些細な衝撃や驚愕から結局砂場で大乱闘になり、そろそろ寝入ろうとする吸血魚にとってはうんざりする一時だ。
大抵はひと騒ぎの後、隣の棺桶に人間が寝床からざらりと雑に砂を落とし蓋をして幕引きである。
先日は奇跡的に騒動なしで朝を迎えたが、今日はどうなるだろうか。
奇跡の日は、偶々だろうが同胞の眠りが深く、人間が珍しく慌てず起き上がった朝だった。
カーテンの隙間から細く伸びる朝日の一筋を見て、人間はゆっくりと動き出し、横の同胞を軽々と抱き上げると慎重に棺桶に横たえた。
「紳士的行為だな」
何やら名画のような光景に、思わず声が出た。
「…見てたのかよ」
びくりと肩を震わせた人間は、ばつが悪そうな顔でこちらを振り返った。
そりゃ見える。水槽の真ん前だぞ。
水槽の真ん前、薄闇に包まれた居間の中央で、太い左腕がにょきりと動き、掛布を黒衣の上にも被せた。
右腕は同胞の頭の下のようだ。
彼らの頭は水槽とは反対側なため、人間の流れるような動作は、寝ながら無意識で行っているのかそうでないのかわからない。
ここから見えるのは、人間と吸血鬼とその使い魔と付喪が小山のようになって共寝している光景である。
カーテンと窓の狭い隙間から覗ける空はまだ暗く、だが薄らと朝の気配を感じる色になってきた。
おやすみモードの解除時間が近いのか、昨晩玄関先に移動されていた帽子掛け兼門番の電源が薄く光り始める。
寝床の山が動いたような気がしたが、悲鳴や罵詈雑言が飛び交う気配も、砂山が崩れ流れる様子もない。
人間と吸血鬼は並んで平穏な眠りを貪っているのだろう。たぶん。
密やかな囁き声は水槽の中までは届かない。
いつも騒々しい居間は、時折掛布の山が僅かに動く以外、平らかに和やかな時間を刻んでいる。
じきに日の出と共に、喧騒が溢れ返るのであろうが、今は、まだ。
珍しく、平和な日だ。