ボックス席の端に座り、ラインハルト・ハイドリヒは長い足を組んだ。明かりが消えた直後だが、まだ幕は上がっておらず、劇場内を満たしているのは劇が始まる前の独特の妙な空気のようなものだった。
隣に座った将校たちと儀礼的な言葉を交わし、ハイドリヒはすぐに青い瞳を伏せた。彼らには諜報を受けて視察に来たという言い訳があったが、容疑者を探そうとする気配はない。そもそもその程度のことで秘密警察長官を呼び出す理由もないのだから、本当の目的はここにハイドリヒを展示することだろう。輝く金髪と軍人らしい容姿を見せびらかしながら座っていて、たまに彼らの話に答えるだけで十分だった。本当に容疑者が必要なら、後でアローナを作ればいいだけのことだ。ハイドリヒは優秀な兵士であったため、誰よりもその構造をよく理解していた。
1幕が始まると、ハイドリヒは舞台の方に目を向けた。舞台上で見慣れた悲劇が繰り広げられる中、密閉された空間の息苦しい空気のせいか、意識がぼんやりしていく。劇場を訪れた本来の目的であるはずの舞台上の歌手のアリアや、適度に反応して損をすることもない将校たちの雑談は、ハイドリヒにとっていつの間にか遠くから聞こえる音のように変わってしまう。
その時、意識から遠ざかった雄叫びを切り裂いて、突然はっきりとした言葉の響きが彼の耳元に届いた。
「メグヴェスですね」
「......カークラフト?」
自分の耳に聞こえるように小さく呟いたハイドリヒは、すぐに横を横目で見たが、やはり将校たちに気づかれた様子はない。クラフトの声だけが淡々と、不思議と現実味のある答えを返すだけだ。
「はい、中将閣下」
ハイドリヒは気分のせいか、クラフトの気配がよりはっきりしてきたと思った。 今やそれが彼の背後に立って影を垂らしていることがわかる。
ここにいるのが当然のように言っているが、クラフトは今ここにいるべき者ではなかった。上司に用事があって来たのか、それとも何かあったのか。 状況を把握するための疑問は、浮かぶ前に朦朧とした意識の下に沈んでしまった。ただ、全身を支配する倦怠感にとらわれ、ハイドリヒが動かせるのは唇だけだった。
「私は夢でも見ているのだろうか」
「似たようなものだと言えますね」
「相変わらず、詐欺師のような言動だ.......」
そう言いながら、ハイドリッヒが思わず苦笑する。気だるいながらも意識が消えることもなく、彼はクラフト、あるいは夢の中の無意識がおしゃべりし始めた言葉を聞いていた。手足が浮遊する感覚がしばしば襲ってくるので、これは夢なのだろうか。 劇が終わる頃になって、ハイドリヒはおそらくそうだろうと暫定的な結論を出した。クラフトと向き合うたびに感じていた神経を掻き毟るような不快感が鈍くなっていることに気づいたからだ。
ふと、ハイドリヒの頭上から、アリアの歌詞を想起する声が落ちてきた。
「すべての命が望むのは、貴方の傍らで静かに満足すること」