グレムル前提のヒスムル(仮)22話『あー……ムルソー。これやっといてく』
『3日以内にお返しします。』
『……うん……』
『……』
気まずそうなグレゴールから書類をひったくり、傍に置くもグレゴールは中々去ろうとしなかった。
『……何か?』
『いや……その、いつもお疲れさん。』
『……それだけですか?』
『うん。』
『……』
『あ、こっち処理済みの書類だよな?持ってくよ。』
『……はい。お願いします。』
……いくら冷たく接しても、彼の態度は変わらなかった。
それに……彼は毎日事務所に帰って来た。
だから安心出来たのだ。
同じ部署のフィクサー達が私に対して冷たくなるのに対して、彼が優しくしてくれる物だから……
私は……熱に浮かされた。
夢を、見始めた。
貴方は、本当の所は私に少しも惹かれて居なかったが、結局……私を見つめてくれたから。
だが、あの日……彼に初めて抱かれようと言う時に、私は彼の事と、死を意識して途端に恐ろしくなった。
私を抱いた体の温かみが、いつか消える時を想像して、私は震えた。
だが、今更やめる事なんて出来なかった。
……せめて。
せめて、する時だけは……乱雑に扱ってほしかった。
『……最後に、なるかもしれないから、今の内に頼んでおく。』
『お、おう、何だ……?』
『……痛くても、不快でも構わない。貴方の好きなようにしてくれ。私がどれだけ苦しそうにしていても……酷く、してくれ。』
グレゴールは……多少の躊躇と配慮はしつつも、私の願い通りにしてくれた。
でも、その後は……節々に、愛情のような物が感じられるようになってしまった。
私は、その温もりが怖くて……限界の時以外は、夜の誘いを断るようになった。
私は……眠気と、快感だけで充分なのだ。
彼のその温もりが……いつか、冷めれば良いと思った。
でも、彼はずっと温かかった。
彼は、いつも私を理解していた。
誰よりも……理解して、理解しようとしてくれていた。
それでいて、最低限のラインは踏み越えないで居てくれた。
今ではそれが何よりも恐ろしくて堪らなかった。
私は……私は、こんな人間じゃなかった筈なのに……貴方が思うような人間じゃない筈なのに‼︎
そうだ……そもそも、こんな、こんな風に想い合う関係じゃなかった筈なんだ。
したい時にして、それだけの関係だった筈だ。
でも、彼は……きっと、私と想い合っているつもりで居る。
私の事を、まだ知ろうとしている。
理解しようと……
『ムルソー君』
冷や汗が、額から頬へ伝って行った。
……彼に、似ている。
やっぱり、グレゴールは、彼に似ている。
……やめてくれ。
私を知ろうとしないでくれ。
ああ、そうだ、ヒースクリフ……
貴方は……貴方だけは……私を、理解しないでくれ。分からないままで居てくれ。
いつまでも……理想像を通して私を見ていてくれ……
「……おっさん、どうしたんだよ?」
「え?」
「なんか暗いぞ?疲れてるんじゃねえの?」
ムルソーと最後にセックスをした日から一週間が経っていた。
この部屋に帰って来るのも一週間ぶりで……それなのに、俺の気分はまるで晴れる気配が無かった。
そして今ヒースクリフに言われたように俺の雰囲気は暗くなっていたらしい。
つまり、隠せていないと言う事だ。
「あは……まあ、確かに疲れてんのかもな……」
「そうだよな。ただでさえ疲れてんのにプリントも作ってんだから……今日は早めに寝たら?」
「そうだなぁ……」
睡眠不足で気分の変動が起こりやすいのは分かっていた。
ヒースクリフの言うように今日はいつもよりも早くベッドに入った。
二つ並べて置いて、その下にシーツを敷いて簡易的に連結させたベッドに寝転がって……不意に、ムルソーの匂いを追い求めて枕を嗅ぎ始めた。
この間の情事を思い出し、ムルソーの幻影を追い求めて……不意に、あの時のムルソーがいつかヒースクリフの物になるかもしれない事を考えて、手を止めた。
「……」
俺が抱いたムルソーの幻影が霧散して、無性に泣きたくなった。
ムルソーは……俺にしか無い物があるから、一緒に居てくれると思っていた。
でも……もし、心が完全にヒースクリフに移ってしまったら……
「………」
俺は、もしかしたら……許せないかもしれない。
殆ど織り込み済みのような物だったのに。
でも……ムルソーが……俺だけの物であってほしいと、思う気持ちが、俺にもあったのか。
……でもなんか、それって……
(大人げ無いな……)
* * *
朝、ヒースクリフが起きる前に支度をして、さっさと家を出ようとした時だった。
「ぃってらっしゃぃ……」
驚いて振り向くと、ヒースクリフが部屋から廊下に顔を出してふらふらと手を振っていた。
「あー……すまん……起こしたか……?」
「ぃゃ……勝手に目ぇ覚めただけ……二度寝する……」
「はは……じゃあ行って来ます。」
「気ぃ付けて……」
ドアを静かに閉めて、鍵を掛けると……不意に、自己嫌悪に襲われた。
こんなに良い子なのに……
仕方無いのに……どうして俺は……
事務所に着いてもどうにも気分が晴れず、一服してから外勤に出る事にした。
窓の外をぼんやりと眺めながら吸っていると、吸った煙が肺に染み込むのを感じて、深い溜め息を吐いた。
一度胸の中に宿った憂鬱はそう簡単に消えてくれずに、むかむかと膨らんでいった。
思えば、ムルソーは俺が聞いても答えてくれない事が多かった気がする。
俺が勘付ける奴だって分かってるからなんだろうか。
俺には話さなくて、ヒースクリフには話してるって事は……多分、そう言う事なのだろう。
「……」
ガラスに映る自分の顔が、不機嫌そうに歪んだ。
俺だって分からないから聞いてんのに……
……なあ、お前。
踏み込まれたくないなら、なんで、ヒースの事は受け入れるんだよ。
なんで、俺は……許してくれないんだよ。
どうして俺は……お前の事、誰よりも分かってんのに、踏み込んじゃ駄目なんだよ……
踏み荒らすつもりじゃないのに。
ただ、少しでも……理解出来る部分を増やそうとしてるだけなのに……
……だからか……?
理解し過ぎたのか……?俺は……?
最低限のスペースだけは守ってくれって……?
……なんでだよ……なんでなんだよ……
どうしてその最後のスペースを……俺に踏ませてくれないんだ……?
そこまで考えた時、ハッとした。
……このままだと、まずい気がする。
このまま燻っていたら、近い内に爆発しそうだった。
ムルソーとの関係だけならまだしも、ムルソーとヒースクリフの関係まで壊してしまうかもしれない。
それだけは駄目だ……
「……」
ムルソーとも、ヒースクリフとも……暫く会わない方が良いと思った。
会ったら、当たっちまうかもしれないから。
気付いたらフィルターまで迫っていた火を灰皿スタンドの中に落として掻き消すと、嫌な匂いが煙と共に昇って来た。
あれから、ずっと製造と外勤をしていた。
腕のアップグレードをした。
でも、なんか……虚しかった。
ずっと、胸の痛みが、苛立ちが抜けなかった。
……苦しい。
あいつが、俺を愛するつもり無いって、分かってた筈なのに。
……あれ……?
俺……最初は、自分の工房持つのが夢だった筈なのに……
いつの間に、目的が
「……グレゴール。」
今、一番聞きたくない声が聞こえた。
「……なんで、ここに?」
「眠気覚ましに火花でも見ようかと。」
「……あっそ……」
俺に用がある訳じゃないなら何でも良い。
好きにしてほしいと思った。
ゴーグルを付け、手元の鋸もどきのパーツの溶接に掛かる。
こんな音聞けばすぐに眠気なんて覚めるだろうな。
早く……早く、どこかへ行ってほしい。
十分程で溶接が終わり、振り向いてみると……ムルソーはまだそこに居た。
「……眠気、覚めないのか?」
「……」
「ハァ……眠気覚ます前に一旦仮眠取れよ。ちょっとは良くなるだろ。」
「……そうだな。」
ムルソーの静かな返事に安堵して次の鋸もどきに手を伸ばすと、ムルソーがぽつりと呟いた。
「……貴方は、平気なのか?」
「……何が。」
「……疲れているようだが。」
「……大丈夫だよ。」
「……何か、不満があるのか?」
その一言に、思わず言葉を詰まらせた。
「……なんの、不満があるって言うんだよ……」
必死に笑って誤魔化そうとするが、ムルソーはそんな事はさせてくれなかった。
「私に不満があるのなら言ってほしい。可能な限り改善する。」
「………」
あるに決まってんだろ、クソが。
「……無いよ。」
そうだ、こいつを責める事は何も無い筈だ。
それにどうせ言ったって、こいつは改善なんか出来ない。
「……なら、良いのだが。」
「……もう眠気覚めただろ?そろそろ戻ったらどうだ?」
「……そうだな……」
ムルソーが黙り込んだので、その内出て行くだろうと鋸もどきの溶接に掛かろうとした。
「……そろそろ、家に帰ろうか。」
「……は……?」
振り向くと、ムルソーは上着を脱いでいた。
「……お前……まだ仕事中なんじゃ……」
「キリの良い所で終わったから貴方も帰るかどうか確認しようと思ってここに来た。」
確かに、ムルソーは眠気覚ましにとしか言っていなかったが……そんな不自然な事があるのか……?
……試されている?
「……ああ、そうだ。フィクサー試験の対策プリントが欲しいと言っていた。今度作ってやってほしい。」
「……お前は……作んねえのか……?」
「……」
「何かと、俺が作る事、多いだろ……?だから……気になって……」
ムルソーが何を思ってかじっと俺を見つめた。
「ヒースクリフが貴方の作ったプリントの方がやりやすいと言っていたから。」
「……あ、ああ……そっか……そりゃ、そうか……」
……いっそ、俺の入る隙間が無くなれば。
でも、そんな日は絶対に来ない。
もう俺は三人で暮らす事になってるんだ。
だから、もう……
「……私はそろそろ帰ろう。貴方も、近い内に帰って休むように。」
「……」
気が付いたら、手が震えていた。
……行ってほしくない。
今、二人で居られる時間があるのに……
お前は……俺よりヒースを選ぶのか……?
そうだよな、選ぶに決まってるよな。
何年も付き合ってる奴となんか……冷めるしか、ないんだから……
(……嫌だ……)
ヒースの所に行かないでくれよ。
俺に……俺だけに、体見せてくれよ……
「……ムルソー……」
情けない声が、自分の口から漏れ出た。
「……何だ……?」
ムルソーの声が、僅かに震えたような気がした。
「……帰って、何するつもりなんだよ……」
「……特別な事は、まだするつもりは……」
「……帰るなよ……」
自分で笑ってしまいそうな程、声が震えていた。
「たまには……俺に時間、くれよ……」
「……グレゴール……?」
「ふざけんなよ‼︎‼︎」
ムルソーの肩を掴んで、背中を壁に押し付けた。
「お前、この前聞いて来たよなぁ……?俺に嫉妬心とか無いのかって……あるに決まってるだろ‼︎」
「……」
「なんでお前、俺との時間は削ってくくせに……ヒースにはどんどんあげるんだよ‼︎おかしいだろ⁉︎なんで……俺が、先だったのに……俺は、まだ……足りないのに……」
「……」
ムルソーは……困惑した表情で俺を見るだけだった。
「もし……もし、俺と別れるなんて言うつもりなら……お前を殺してやる……!今更お前を手離して堪るか‼︎絶対、絶対……‼︎」
ムルソーの胸元に顔を埋めて、呻きながら……冷めた頭で考えていた。
(……もう、一緒に居れないな……どちらとも……)
ムルソーは頑なに自分達の関係を恋人だと表現しようとしなかった。
どちらかが相手に独占欲を抱いた時点で、この関係は終わるんだ。
ただのセフレじゃ、なくなっちまう。
でも、今更どうしようもなかった。
この状態で別れられるのなら……きっと、吹っ切れられる筈だ。
俺の気が晴れなくても、こいつには傷痕を残せる。
早く俺なんか切れよ、ムルソー。
早く……
「……グレゴール。」
びくりと体が震えた。
いつの間にか、ムルソーの手が背中に回されていた。
「私は……」
ムルソーは少しの間黙り込んだ。
その少しの間の沈黙が、恐ろしく長く感じた。
やっぱりいやだ、嫌だ……
何も言わないでくれ……頼むから……
「……私は……貴方と別れられそうにない。」
「……は……?」
どうして。
そんな気持ちを込めて、肩を掴む力を強めた。
「……だって……先に惚れたのは私なのだから。」
「……」
……なんで、なんで?
なんで、今になってそんな事言えるんだよ。
なんで、そんな顔出来るんだよ……
「……すまない、グレゴール。」
背中を引き寄せられて、抱き締められた。
「……貴方にばかり、我慢をさせてしまって。」
「………ほんとだよ……」
ムルソーの体に顔を埋めながら、壁を叩いた。
「……ほんとは……もっと、恋人みたいな事したいのに……」
「……、」
「……もっと……お前の事、知りたいのに……」
背中に回された手が、僅かに動いた。
「……踏み込ませて、くれよ……ムルソー……」
ムルソーは黙り込んで、何も答えてくれなかった。
ただ、誤魔化すようにキスをして……
「……今度……デートでも行こうか。」
ムルソーにしては珍しく、恋人のような事を言った。