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    グレムル前提のヒスムル(仮)11話
    ヤマアラシのジレンマ

    ヒスムル(仮)11買い物を中断し、グレゴールと別れてヒースクリフを追って家に帰ると、鍵が開いていた。

    中へ入って確認してみると、ヒースクリフは私のベッドで毛布に包まっていた。

    寝ているかもしれないので荷物を持ってリビングへ向かった。

    買って来たパンを食べていると、廊下から視線を感じた。
    振り向くと、毛布を被ったままヒースクリフが立ってこちらを見ていた。

    「……貴方の好みが分からなかったからある程度厳選して買って来た。半分こだ。」
    「……いいよ、半分ことか……全部、あんたが食っていいよ。」
    「……」
    「お腹、空いてないから……」
    「……そうか。」

    ヒースクリフはソファに横になって、毛布で体を覆った。
    そうする事で落ち着くのかもしれない。

    私は昼食を食べ終わった後、何をするでもなくリビングに居座っていた。

    何となく、彼がそれを望んでいるような気がしたからだ。

    一人になりたくないからこそ、わざわざリビングまで移動して来たのだと予想を付けている。

    「……」

    明日は大丈夫なのだろうか。

    そんな不安が頭を過った。


    ヒースクリフが夕食を食べて少なからず私は安心した。

    相変わらず浮かない顔をしていたが、食事は問題無くとれるようだった。

    「……いつの間にか随分髪が伸びたな。」

    私がそう話しかけるとヒースクリフは瞳を揺らして頷いた。

    邪魔そうに撫で付けられた前髪の束から外れて目元に垂れている前髪は鼻頭に届きそうになっていた。
    うなじの髪も肩にかかる程になっている。

    「……邪魔ではないのか?」
    「……別に……目に入らなくなってから気にならなくなったし……」
    「切りたいか?」
    「……どっちでも良い。」
    「……そうか。」

    一瞬だけ、目は合うのだがすぐに逸らされてしまう。

    私と目を合わせられない程の精神状態である事は把握出来た。


    寝る前に私は毛布に包まっているヒースクリフの側でしゃがみ込んだ。
    ヒースクリフは今日はずっとソファの背もたれの方に向いてこちらに背を向けていた。

    「ヒースクリフ。少し良いか?」
    「……何……」

    ヒースクリフは毛布を頭まで被ったまま答えた。

    「……顔を見せてほしいのだが。」
    「……」

    ヒースクリフは目元だけを毛布から出した。
    それで充分だった。

    「おやすみ。」

    額に前髪越しにキスをして、立ち上がった。

    ヒースクリフは驚いたようにこちらを見ていたが、すぐに毛布の中に隠れてしまった。

    私に出来る事は、これしか無いような気がした。


    朝、私はキッチンで朝食を済ませてテーブルにヒースクリフへの小遣いを置いて家を出ようとした。

    だが、ヒースクリフが起きて私を見つめているのに気付いたのでそちらへ向かった。

    「おはよう。」
    「おはよ……」

    やはり、浮かない顔をしていた。

    「仕事に行って来る。なるべく早く帰って来れるようにする。」
    「……それで無理したら元も子も無いだろ。」
    「途中で切り上げる。帰りに何か買って来るから留守番を頼む。」
    「……」

    そっと髪を撫でてから立ち上がると、ヒースクリフが起き上がって声を上げた。

    「あ、あのさ……」
    「?」
    「おっさんに……また、色々教えてほしいんだけど……免許の事で……」
    「……ああ。分かった。暇な時間に来るように言っておく。」

    ヒースクリフはもごもごと何かを言って目を逸らした。
    恐らく礼を言ったのだろう。

    「では、行って来る。」
    「……いってらっしゃい。」

    やはり不安そうな表情が気になりはしたものの、グレゴールに任せられると言う安心感とヒースクリフに学習意欲が湧いたように見えた事で気が緩んでいた。

    勿論、前回のように強迫観念に駆られてその姿勢を見せた可能性も充分に考えた。
    だが、ヒースクリフの眼差しを思い出すと今回はその類の物ではないように思えた。

    少しでも、何かを成す事が出来れば彼の心のモヤも晴れるかもしれないと期待していたのだ。



    ムルソーが知らぬ間に減っていた仕事を鬼のような速さで処理し始めてから3日が経った。

    グレゴールはヒースクリフに基礎知識を教える為にムルソーの家に向かっていた。

    (今回は大丈夫だろとか言ってたけど本当に大丈夫なんだろうな……?)

    ムルソーにヒースクリフが勉強を望んでいる事を話された時、グレゴールはまずヒースクリフの真意を疑った。

    『あいつ、焦った時は色々急ぎたがるだろ?大丈夫なのか?』
    『今回は大丈夫だ。今日の彼にその類の物は見えなかった。……きっと少しずつ前に進もうとしているのだろう。』
    『……そうだと良いんだけどな……』

    ムルソーは何かと自信があり過ぎる所がある。
    正直怪しくも思えたがひとまず信じてみる事にした。

    ムルソーの部屋の前まで来てグレゴールは合鍵の存在を思い出した。
    鍵はポケットに入っていたが、ヒースクリフが驚くのではないかと思って結局チャイムを鳴らす事にした。

    少し待てばすぐに扉が開かれた。

    「……来てくれて、ありがと……」
    「良いって良いって。俺の未来の部下なんだから。」

    にひ、と笑ってみせるがあまり効果は無いようで、ヒースクリフは困ったように視線をうろうろとさせていた。

    「……ま、やりたくてやってるんだから遠慮しなくて良いんだよ。」
    「……うん。」

    ヒースクリフと一緒にリビングへ移動し、前回よりもゆっくりと、例えも交えて説明していった。

    教え方を変えた甲斐もあってかヒースクリフもいくらかやりやすそうに見えた。

    「……なあ、ヒースクリフ。腹減ってないか?」

    キリのいい所で一旦休憩を挟む事にしてヒースクリフにそう問いかけた。

    「……減ってるけど。」
    「そんなお前さんに〜……じゃぁ〜ん。」

    グレゴールは持って来たカップ麺をヒースクリフの前に出してみせた。

    「お前さんいつも自炊だろ?たまにはこう言うのも食ってみようぜ。」
    「……でも……」
    「じゃ、お湯沸かして来るから休憩してろよ〜。」

    こう言う時は強引に事を進めた方が良い結果が得られる事を知っていた。

    さっさと湯を沸かしてカップに湯を注いで冷蔵庫のタイマーをセットした。

    出来上がったカップ麺にフォークを突っ込んでヒースクリフの所に持って行くと、ヒースクリフが慌ててローテーブルに広げていた資料を避け始めた。

    「ほい。どーぞ。」

    グレゴールが自分の分も持って来ると、ヒースクリフはフォークを持ちながらまじまじとカップ麺を見つめていた。

    「……俺、初めてこう言うの食べる……」
    「え⁉︎」
    「あの家、大抵内食だったから……」
    「……マジか……」

    ヒースクリフの話から家が裕福そうなのは予想していたがまさかここまでだったとは。

    もう少し聞きたい気持ちはあったが、ヒースクリフの気分が悪くなりそうだったので我慢した。

    「んじゃあ、初めてのカップ麺か。」
    「……なんであんたが嬉しそうなんだよ?」
    「いやぁ、なんか感慨深くて……」

    呆れたような顔をして息を吐いたヒースクリフの表情が少しだけ緩んだような気がした。

    「……いただきます。」

    ヒースクリフと一緒に麺を口に含んで咀嚼する。

    「……面白い食感がする。」
    「独特だろ?カップ麺じゃないと味わえないんだぞ、これ。」
    「……しかも意外と美味い。」
    「目覚めそうか?カップ麺に。」
    「ん……確かにこれ楽だな……美味いし……」

    一種の感動すら読み取れる程輝いた目を見てグレゴールは更に口角を上げた。

    「今度ムルソーにも食わせて美味さを教えてやろうな。あいつ食わず嫌いで不健康だからとか言って食わないんだよ。」
    「……あのエナドリタワーは何だよ。」
    「短時間で疲れが取れる手段があれしか無いから仕方なく飲んでるんだと。一度餓死寸前まで行ったから無理矢理何かしら食わしてるけど……」
    「……本当の不健康はどっちなんだろうな。」

    ヒースクリフが含みのある笑みを浮かべた。

    「全くだよ……ん?あれ?それ俺と比較してるのか?」
    「今気付いたのかよ。」
    「……はは……まあ、確かにそうだな……」

    インスタント系食品漬けのグレゴールかエナジードリンク漬けのムルソーか……
    どちらの方が不健康かだなんてどんぐりの背比べのような問題だった。

    「……ムルソーの言ってる事も分かるけどな。栄養偏ってると体壊しやすくなるだろ?おっさん、自分の工房持つ前に倒れたら元も子も無えじゃんか。」
    「……それ言われると堪えるな……」

    グレゴールが苦笑して頭を掻いていると、ヒースクリフが話を切り出した。

    「……あ、あのさ……俺がフィクサーになれたら……一緒に、資金集めようか……?」
    「……」
    「……一人だと、時間掛かっても……二人なら、もう少し早く出来るんじゃないかって……」

    グレゴールはじっとヒースクリフを見つめた。
    ヒースクリフは俯き気味で、目を泳がせていた。

    グレゴールは一瞬返答に迷ったが、素直にその提案を受け入れる事にした。

    「……良いのか?」
    「うん……」
    「……ありがとう。じゃあ一緒に頑張ろうな。」

    ……ヒースクリフが何か焦っているのには気付いていた。

    だが、ここでヒースクリフの厚意をふいにすればヒースクリフが今以上にまずい状態になるような気がした。

    (……ほんと、難しいな……)

    返答によっては更に悪化しそうな状態のヒースクリフにどんな言葉を掛けるか、どんな風に接するか……

    そうやって気を配りながら会話するのはさながら少しでも間違えれば戻せなくなる溶接をしている気分だった。

           *  *  *

    ヒースクリフの勧めでムルソーの家に泊まる事にしたグレゴールはムルソーのベッドで眠ろうとしていた。

    と言うのも、ヒースクリフがベッドにしろと言って譲らないので大人しくベッドで寝る事になったのだ。

    そしてうとうとし始めた頃にヒースクリフがベッドの側に近づいて来たのが分かり、ほんの僅かに意識が浮上した。

    「……おっさん……」
    「ん……?どした……?」
    「……この間……隠れたのは……あんた達に迷惑かけたいって思ってたからじゃなくて……あんた達を、驚かしたくなくて……隠れたんだ……」
    「……」
    「……ごめん、な……」
    「……いいよ……大丈夫……分かってるから……」

    グレゴールが後一歩で寝そうな頭で言葉を返すと、ヒースクリフはもじもじとした後、「おやすみ」とだけ言って部屋を出て行った。

    グレゴールはその直後に眠りに落ちた。


    ヒースクリフが作った朝食を食べている時の事だった。

    「……なあ。オッサンが隈作るぐらい外勤って多いのか?」
    「ん、まあな……ライバル企業を潰したかったり不都合な事を知っちまった奴を安く始末出来るから……流石に協会よりかは仕事も汚いし雑だけど。」
    「……オッサンも油断出来ないんじゃないか?」
    「はは、そうだな。まあでも代表は結構寛大だから……少なくとも代表の命令で狙われるって事は無いと思うよ。」
    「代表?」
    「ああ、そう言えばお前さんは会った事無い……よな?茶色くて長い髪の女の人なんだけど。ちょっと豪華な赤いコート羽織ってる……」
    「……見た事無いな。」
    「じゃあ会った事無いな。でもこの工房に来るんだったら顔覚えると思うよ。」

    暫くしてヒースクリフがフォークを皿に置いて、その姿勢のまま黙り込んだ後

    「なあ、ムルソーにこの事って話してあるのか?」
    「いや、まだ確定じゃないから話してないけど……」
    「……ムルソーが付いて来なかったら、どうするんだ?」
    「……」

    グレゴールは驚いて目を見開いた。

    「ムルソーも、あんたも居なくなったらあの工房、十中八九潰れるだろ?そしたらあんた達の命が狙われるかもしれないし……ムルソーも、それを考えて、付いて来ないんじゃないのか?」
    「……」
    「……まさか予想してなかったのか?」
    「……いや……うん……確かにそうだな……引き抜くつもりで居たけど……ムルソーが付いて来ないって言うのは、予想してなかった……」

    グレゴールは内心動揺していた。

    ヒースクリフが勉強に慣れていないだけだと、今までそう思っていたが……
    グレゴールが思っていたよりもヒースクリフの頭は回るようだった。

    だが、そうだからこそ……ヒースクリフの不安も募りやすいのではないかと、今初めてその事に気がついた。

    「……しっかりしろよ、オッサン。」

    ヒースクリフの表情は暗かった。

    「そうだな……もう少し慎重に進める必要があるかもしれないな。」

    自分の言動がヒースクリフの不安を助長させていたのだと自覚して、グレゴールは今までの行動を振り返って反省した。



    グレゴールを見送ってから1時間が経った。

    ヒースクリフは何もやる気が起きず、ソファで仰向けになっていた。

    (……なんか、疲れたな……)

    やるべき事はある筈なのに、今はただ横になっていたくて、何も出来なかった。

    あの家程の苦しさはここには無かった。
    いらないと言う意思を隠そうともせずに、ヒースクリフを養っているような、そんな意地の悪さに圧倒された時の苦しさは。

    だが、何となく……この家も、苦しくなって来たような気がするのだった。

    その苦しさは自分自身が生んでいるのだと、ヒースクリフは分かっていた。

    不意に、ムルソーが額にキスをしてきた事を思い出して、胸が締め付けられるような感覚に陥った。

    あんな風にキスをされるのは何年ぶりだっただろうか。

    ……あの人は、何歳の時まで生きていたっけ。

    あの家でたった一人、愛情を注いでくれた人。

    ……俺を、拾ってくれた人。

    額にキスをされた事を思い出して苦しくなるのは、あの人の事を思い出すからだろうか?

    ……いや、違う。

    ムルソーが、まるでヒースクリフの記憶をなぞるようにあの人と同じように愛情を注いで来るからだ。

    それは確かにヒースクリフが求めている物で、ヒースクリフもそれを自覚していた。

    だが、だからこそ……

    ムルソーがヒースクリフの欲求を満たそうとして来るからこそ、余計に苦しくなるのだ。

    ヒースクリフに世話をかける人間程、ヒースクリフから離れていくのだと分かっていたから。

    (……期待に見合った成果を、出さないと……)

    勉強をして、免許を取って、工房に入って……

    二人と同じぐらい、働いて……働いて……

    そして、グレゴールの目標を達成するのだ。

    ……グレゴールの計画に手を貸す事を提案したのはグレゴールの為でも、ムルソーの為でもなかった。

    捨てられない為に、グレゴールの計画に手を貸す事にしたのだ。
    あくまで、地盤固めに過ぎないが……

    少なくとも、同じ工房で一緒に働ければ安心は出来る。

    今はまずあの工房で働けるぐらいの知識を得れば良い。

    経験はそれから得れば良いのだ。

    そうして上手くやっていければ、長い間一緒に居る事を認めてもらえるだろう。

    この不安を解消出来る筈だ。

    ヒースクリフは起き上がってローテーブルに散らかった資料を手に取って読み始めた。

    少なくとも、こうしている間は気を紛らわす事が出来た。


    夜、ヒースクリフは夕食を作ろうとして食材が無い事を思い出した。

    ムルソーに貰ったお金(まだ使っていなかった)で足りるかどうか、事前に計算をしてメモを書いてから買い物に出掛けた。

    少し歩くと冷たい風が吹いてきてヒースクリフは体を震わせた。
    もう冬が近付いていた。

    もうすぐ息も白くなってくるのだろう。

    そんな事を考えながら歩いていると、路地の方から金属がぶつかるような音が響いて来た。

    曲がり角の方から聞こえて来る。

    ヒースクリフは慎重に近寄り、曲がった先の道を覗き込んだ。

    そこにはバラのスパナ工房のフィクサー……それも知っている男達が居た。
    強面と初めて事務所に行った時にムルソーの事を話して来た男だ。

    その足下には人が痙攣しながら倒れており、どうやら外勤中な事が伺えた。

    「ふぅ……これぐらいか。」
    「お疲れ様です〜。」

    ヒースクリフは二人の様子を見てさっさとその場を立ち去ろうかと思っていた。
    だが、聞こえて来た会話の内容に足を止めた。

    「はぁ……グレゴールの奴が目につく仕事掻っ攫っていくからろくに仕事も出来ねえよ。」
    「まあまあ、給料はそこそこ貰えるんですから良いじゃないですか。」
    「あいつらいくら貰ってるんだろうな?ムルソーとか……」
    「ムルソーさんも忙しい人ですよね〜。あんな奴拾って……」
    「ははっ、事務所じゃ雑用で家じゃ子守だもんな。ちょっと可哀想になって来るな。」
    「でもガラムさんは書類仕事やる気無いんでしょう?」
    「そりゃ武器振るった方が楽しいに決まってるだろ?それにあいつの仕事ぶり見てると逆にやる気失くすんだよ。お前も分かるだろ?」
    「そうですね〜。」

    ヒースクリフはその会話を聞いて曲がり道に入り、二人に近寄って行った。

    すると強面の方が先に気付き、ギョッとして顔を歪めた。

    「……なんでやらないんだよ。」
    「はぁ?」
    「……あんた、少なくとも電話対応ぐらいなら出来るんだろ?ならなんでムルソーに任せっきりで自分はやらないんだよ。」

    二人は目を見合わせて面倒そうな顔をした。

    「……ムカつく……お前ら全員そんな神経してんのか?あの仕事が面倒臭いって思ってるのが自分達だけだと思ってんのか?ムルソーは違うって?」
    「ハァ……何でもかんでもムルソー主体に考えやがって……」
    「あの事務所が誰のお陰で回ってると思ってんだ?人が沢山居るからじゃねえだろ、依頼が多いからじゃねえだろ⁉︎お前らが面倒臭いって思ってる事を全部あの人に回してるからだろうが‼︎」

    ヒースクリフは多少声を低めながら言葉を続けた。

    「……俺だってあんなの出来る自信無えよ。絶対、あんな風に出来るまでは簡単じゃなかったんだろうなって……あんた達だって分かる筈だろ……?なのに、なんで手伝おうともしないんだよ……あの人が死んだらお前らどうするつもりなんだよ⁉︎居なくなっても変わらないって今のあんたらがハッキリ言える自信あるのか⁉︎」
    「……お前は何に怒ってるんだ?あいつが過重労働してる事にか?前にも言っただろ。あいつが自分から引き受けてるって。」
    「……俺よりも、ずっと色々な事やれるくせに……やらないお前らが、ムカつくんだよ。」

    自分で言っておいて、すとん、と胸に落ちるような感覚がした。

    ……そうか。俺は……

    嫉妬していたんだ。

    怒りに身を任せて強面の胸倉を掴む。

    「あんたら、俺よりも頭良いんだろ⁉︎俺よりもよっぽど色んな事出来るくせに、なんでやらないんだ⁉︎俺に対する当てつけか⁉︎ムカつく……‼︎ムカつく‼︎お前らばっかり色んな物持ってるんだ‼︎才能だって知能だって、生まれだって‼︎」

    強面は何をするでもなくヒースクリフを見下ろしていたが、もう一人の言葉に完全に何かが切れた。

    「……結局全部八つ当たりじゃねえか。ムルソーを盾に正当性持たせようとしやがって。」

    ヒースクリフは強面の胸倉から手を離し、もう一人の頬を殴ろうとそちらに掴みかかった。

    「ほらな、結局図星だから暴力に頼るんだろ。」
    「ッ……」
    「おい……やめろ。」
    「そうやってムルソーも殴ったのか?あの落ち込みようだもんな。今はまだやってなくてもその内……」

    頭の片隅には、ムルソーに迷惑をかけないようにと言う理性が残っていた。

    だが、もう限界だった。

    「やめろ‼︎」

    その声と同時に、そいつを殴った。

    殺してやろうと、本気でそう思った。

    首に手を掛けた瞬間に腹に激痛が走り、引き剥がされて殴られた。

    「ゔっ……」

    頬と腹の痛みに、その場に蹲った。

    「お前も言い過ぎだ。この状態で追い討ちかける奴があるか?」
    「こいつが先に殴りかかって来たんですよ⁉︎何ですか?こいつに情でも湧いたんですか?」
    「……なんで……だよ……」

    その言葉に、二人がこちらに視線を向けたのが分かった。

    「なんで……俺は出来なくて、お前らは出来るんだよ……こんなに……頑張ってん、のに……」

    あの日、裏路地をコソコソ通る金持ちを狙ってスリをやっていた時。

    捕まって、連れて行かれて、死ぬかもしれないと、本気でそう思った。

    だが、その老人は巣の中へヒースクリフを入れてくれた。

    『これからはもう盗みをやる必要は無い。ただ勉強だけ頑張っていれば良いんだよ。今はまだ難しいだろうが、きっとすぐ出来るようになるさ。』

    ……なあ、じいさん。あんた、確かにそう言ったよな。

    でもな、俺……基礎、覚えるので手一杯なんだ。

    あんたが望んだような賢い奴にはなれなかったよ。

    ……残念だよな。

    「なんで……なんで、なんで‼︎なんで、お前らだけ……‼︎」

    ヒースクリフがそう喚いた時だった。

    「何をしているんですか⁉︎」

    初めて聞く、ムルソーの怒声にヒースクリフは身を竦めた。

    「……ヒースクリフに……子供相手に、何をしたんですか……?」

    ムルソーの声は低く、怒りで震えていた。

    「こいつが先に殴りかかって来たんだ。……こっちも、やり過ぎた。」
    「……」
    「……ムルソーさん……貴方にとってこいつは何なんですか……?」
    「……貴方達に話す義理はありません。……向こうへ行ってください。この事を報告するつもりはありません。……早く、行ってください。」

    その時、自分がどんなに大切にされているかが分かってしまった。

    だからこそ……

    (……この人に、捨てられたら……俺は……)

    ムルソーがヒースクリフの側にしゃがみ、名前を呼んだ。

    「ヒースクリフ……」

    腫れた頬に、手を伸ばされた。

    思わず、その手を振り払った。

    「……っ、」

    お互いに目を見開いて、息を震わせた。

    体の震えが治らなかった。

    頭を抱えて、その場に蹲った。

    「……、すまない、打とうとした訳ではないんだ。……触れようとしたのも、まずかった。とにかく、冷やさないと……」

    ……寒い。

    ……寒い、夜の事を思い出した。

    徘徊している掃除屋から身を隠して、なんとか生きていたあの日。

    怖くて、寒くて、寂しくて……

    「……ぅぅ……」

    嗚咽ともつかない、無意味な声が漏れた。

    「ヒースクリフ……少し、体を起こしてくれ……一瞬だけだ。」

    動かず震えていると、少し強引に体を起こされて、抱き締められた。

    「大丈夫だ……怒っていない。苦しかったら泣いて良い。貴方がそれでスッキリ出来るのなら構わない。」

    堪えようとする程に、衝動が大きくなっていって、遂に決壊した。

    背中を撫でる手つきが、じいさんそっくりだった。

    「……ぅ……っ、う……」
    「大丈夫……大丈夫。」
    「っ……うっ……みん、な……」

    ムルソーが手を止めて、こちらに顔を向けたのが分かった。

    「みんな……めんど、くさい、から……おれ、を……すててっ、たんだ……」
    「……、」

    育てるのも、構うのも、金をかけるのも、可愛がるのも、仲良くするのも、教えるのも、全部、全部面倒くさかったんだ。

    顔も覚えてない母親も、じいさんも、義母も義父も義兄弟も、先生も、クラスメイトも、皆、皆……

    その中に、ムルソーとグレゴールも加わるのが怖かった。

    『お前さん自身は自分を恥じるかもしれないけどな……周りにとってはそれもお前さんの良い味なんだよ。勿論好き嫌いは別れるだろうけど……少なくとも俺達は好きな味なんだ。』

    ……嘘、つくなよ。

    いつかあんただって俺の事面倒くさがるに決まってるんだ。

    『……貴方達が側に居てくれたら安心出来る。だから……出来るだけ、側に居てほしい。』

    あんたはおっさんさえ居れば平気だろ?
    今までそうだったんだから……

    「……あんただって……そうするにきまってる……」
    「っ、そんな事はしない!」
    「なんで、そう言い切れるんだよ……?」
    「貴方が大切だからだ。」
    「……なら、なんであの時、探しに来なかったんだよ。」
    「……!」

    ……ああ……嫌いだ。

    「……どうせ、面倒くさかったんだろ?他の奴らの仕事よりも……扱いづらい俺の方が。」
    「……っ、」
    「……ほらな。」

    腕の中から抜け出そうとすると、肩を掴まれた。

    「ヒースクリフ……確かに、私は貴方と向き合うのを避けた。だがそれは面倒だったからではないんだ。ただ、辛そうな貴方を……見ているのが、苦しかっただけなんだ……」
    「……」
    「許してくれ、ヒースクリフ。今度はちゃんと貴方と向き合うから……だから……」

    その頬を、拳で殴りつけた。

    「……、」

    その場に押し倒して、更に殴った。

    「あんたも……‼︎あいつらと一緒だ‼︎あんたも、俺と一緒に居るのが苦痛でしかないんだ‼︎自分だけは違うって思ったか⁉︎肝心な時に一緒に居てくれなかったくせに‼︎よくそんな事言えたもんだな‼︎あんたはおっさんさえ居ればそれで良いんだろ⁉︎俺が居なくなったって耐えられる人間なんだろ⁉︎口だけなら何とでも言えるよな‼︎嘘つきが‼︎」

    殴り続けていると、後ろから腕を引っ張られて羽交い締めにされた。

    「その辺でやめとけ‼︎お前もなんで抵抗しないんだ⁉︎馬鹿かお前は⁉︎」
    「ッ……」

    そこで初めて、ムルソーが抵抗してこなかった事に気付いた。

    「お前……家出したんだったか?お前はあの時のムルソーの様子を知らないからそんな事言えるんだ。こいつは明らかにお前が居なくなった事で気が動転してたんだぞ。」
    「……何だよ、急に……?散々ムルソーに仕事押し付けといてここに来てムルソーの味方すんのか?」
    「恩を仇で返すお前の方がクソ野郎だと思うがな。」
    「……」

    その言葉で、頭が一気に冷えてきたのが分かった。

    ムルソーがハッとしたように起き上がって、ヒースクリフを羽交い締めにしている強面を睨みつけた。

    「もういいでしょう。彼を離してください。」
    「……」
    「……これは私達の問題です。貴方に口出しされる筋合いはありません。早く離してください。」

    ムルソーは怒っていた。

    その相手が誰であろうと、関係無かった。

    体が震えてきた。

    「……ヒースクリフ。」

    ……嫌だ。

    怒られたくない。

    「ご、ごめんなさい……」

    ただ、怒られたくないが為に、必死に謝った。

    (……なんで、だろうな……)

    どうしてこんなに自分が汚く思えるのだろう。

    (……なんで、俺……こうなったんだろう……)

    当然の扱いを受けて、それでもある人には優しくしてもらって、甘やかれてきたのに。

    どうして……こんなに、酷い奴になってしまったのだろう。

    「……ヒースクリフ。もう大丈夫だ。」

    背中に手を置かれて、摩られた。

    「怒っていない。だから、もういいんだ。」

    ……なんで……なんであんたは……

    「……一緒に帰ろう。」
    「……そう言うの……やめろって……」
    「……」
    「この期に及んでなんでそんな優しくするんだよ……?俺があんたに何か利益もたらしたか?何も無いだろ?あんたに苦労かけてばっかで……なんで、あんたはそんなに優しく出来るんだよ……」

    不意に、地面に水滴が落ちたのが見えた。

    ヒースクリフの物ではない。

    「……貴方に、泣いてほしくないから。」
    「……」

    ムルソーは、涙を流していた。

    「一人で戦っている貴方を、助けたいから。」

    ……。

    「貴方は……私がグレゴールさえ居れば大丈夫だと思っているようだな。でも……もう、違うんだ。グレゴールが居ても、貴方が居なかったら意味が無いんだ。」

    …………。

    ……。

    「……可哀想だな、あんた。」
    「……え……?」
    「自分が誰のせいで泣いてんのか、分かってねえんだな。」

    どうして、と言わんばかりの表情で、ムルソーはヒースクリフを見上げていた。
    それが何だか、面白かった。

    「……なあ、あんたってどっちなんだ?怒らないようにしてるのか?それとも本当に……怒りってもんが無いのか?」

    ムルソーは困ったように眉を下げて目を泳がせた。

    「……怒ってないフリしてんならもうやめろよ。あんただって、我慢してばっかりで辛いだろ?……なあ、ほんとは俺にムカついてるんだろ?問題ばっか起こして……生意気で、馬鹿で、あんたが簡単に出来るような事も出来ない、俺を見てるのってさ……どんな気持ちなんだよ?なあ。答えろよ。」
    「……私は……」

    ムルソーは苦しそうな顔をして、俯いた。

    「……貴方が、泣かずに済むのなら……何が起こっても良い。」

    頭の中が、心が、ぐちゃぐちゃになった。

    苛立ちに近い感覚だった。

    カッとなって、その胸ぐらを掴んだ。

    「……っ、」

    ムルソーは反射的に目を閉じて、殴られるのを待っていた。

    (……ああ……)

    頭が急激に冷えて行って、手を離した。

    「……これ以上あんたと居ると、あんたが嫌いになりそうだ。」
    「……」
    「……あんたも、そうなんだろ?」

    返事も待たずに、ヒースクリフは反対方向へ走って行った。

    走って、走って……

    どれくらい離れたかも分からない場所で、堪えていた物を叫び散らした。

    (……どうして……こうなるんだ……?)

    俺は……どうして、こんな事をしてしまったのだろう。

    もう俺はあの人の所へ帰れない。

    どこに行く事も出来ない。

    誰と居る事も、きっと出来ない。

    (……あの人に、連れ戻されて……結局捨てられるぐらいだったら……)

    いっそ、見つからない所で死んでしまいたい。

    謝りたいと思う気持ちはきっと、許されたいと思っているからだ。

    そんな希望なんか持つべきじゃない。

    俺は……もう……



    私が放心状態のまま、腕を引かれ、歩いていた時だった。

    彼の、叫び声がそう遠くない場所で聞こえた。

    胸が、ナイフで刺されるような感覚がして。

    「……ヒース、クリフ……ヒースクリフ……!」

    必死に腕を振り払って向かおうとするが、離してもらえなかった。

    「落ち着け……‼︎今回が初めてじゃないんだろ⁉︎今はお互い一人になるべきだ‼︎」
    「駄目だ……行かせてください‼︎今、彼についていないと……‼︎」

    色々と説得を受けながら、私は二人がかりで引きずられた。

    ヒースクリフの叫び声が、頭から離れなかった。
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